士師記 QT19 210831火【それは信仰なのか】士師記 11章 29~40

士師記 11章 29~4011:29 主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行った。11:30 エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、11:31 私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」11:32 こうして、エフタはアンモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。主は彼らをエフタの手に渡された。11:33 彼はアロエルからミニテに至るまでの二十の町、またアベル・ケラミムに至るまでを非常に激しく討ったので、アンモン人はイスラエル人に屈服した。11:34 エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。11:35 エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて言った。「ああ、私の娘よ、おまえは本当に私を打ちのめしてしまった。おまえは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」11:36 すると、娘は父に言った。「お父様、あなたは主に対して口を開かれたのです。口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アンモン人に復讐なさったのですから。」11:37 娘は父に言った。「このように私にさせてください。私に二か月の猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、自分が処女であることを友だちと泣き悲しみたいのです。」11:38 エフタは、「行きなさい」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちと一緒に行き、山々の上で自分が処女であることを泣き悲しんだ。11:39 二か月が終わって、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。イスラエルではしきたりができて、11:40 年ごとに四日間、イスラエルの娘たちは出て行って、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うのであった。   エフタには正と負が混じっているようです。エフタの行動が信仰なのか否かの判断難しいです。信仰のようでありますが、迷信であって、迷信でありましたが信仰の一面が見えます。コインは両面があります。コインに表があれば裏もあるように物や人にもみな両面的な性格があります。   正と負とは、刀できれるようなものではなく、コインの両面のように構造的にくっ付いているものです。いいこものと悪いものが混ざっているのでコインの表と裏に対して良いとか悪いとかと単純な評価はしにくいです。良いものがあれば、悪いものがあり、悪く見えても、良いものを見出すこともあります。信仰が偶像と迷信になったり、情熱と忠誠が暴力になったりもします。   青年時代に多くのことを学んだ教会は、信仰に熱心であり、とりわけ伝道に積極的でした。目に見える多くの実を結んでいました。ところが、それも二面性を持っていて裏では暴力的な文化を作り出し、人を支配してしまったので、失敗を経験しました。それを知っている人々からこう言われました。「良いことは生かし、悪いことは捨れなさい」と…   しかし、それは悩まなかった言葉です。私はコインを二つに分けることができないと答えました。情熱があったこそ、それが暴力になりました。暴力を取り除く、情熱だけ残す方法はわかりませんでした。人の生活を奪って、教会に従属させることで何事においても集中力がありました。その集中力を維持しながら、人格的な配慮をすることはできないものでした。成功と失敗は、同じ力で出てきた別々の結果を生み出します。   エフタという人物がそのよう者です。エフタはアンモンを相手にしてイスラエルを守ります。しかし理解できないオーバーアクションをいます。自分がアンモンとの戦い、帰ってくるとき、自分を一番最初に迎え入れる人を人身祭祀にささげると誓願をたてたのです。人間をとり、人身祭祀にするということが信仰の発想ではありません。異邦と戦っていますが、すでに異邦に同化されています。そのため、自分の独り娘を人身祭祀に犠牲させることになります。   誓願が決意ある信仰のように見えますが、実は信仰がないからです。エフタは、善なる神様に頼る信仰ではなく、神様と取り引きをしようと思っています。それに人々に功績を見せたい功名心もあります。その一方エフタは自分の娘を殺し、誓願したことを守ることで信頼の原則を守りました。   エフタが誓約をり、娘を殺したといって、それを信仰と認めるのはできません。約束したことを守るという信念の動機は分かりますが、何が信仰なのかという信仰の根本的な理解が乏しすぎです。だから、何を行うかより、神様をどのように知るのが大切です。誓願を守った行為よりも、人身祭祀をしてしまった行為の忌み嫌さが余っ程重いのです。どんな状況であっても人間性というフィルタリングをあきらめてはいけません。

사사기묵상 QT19 2108231화【그것은 믿음이었을까】사사기 11장 29~40

사사기11장 29~4011:29 이에 여호와의 영이 입다에게 임하시니 입다가 길르앗과 므낫세를 지나서 길르앗의 미스베에 이르고 길르앗의 미스베에서부터 암몬 자손에게로 나아갈 때에11:30 그가 여호와께 서원하여 이르되 주께서 과연 암몬 자손을 내 손에 넘겨 주시면11:31 내가 암몬 자손에게서 평안히 돌아올 때에 누구든지 내 집 문에서 나와서 나를 영접하는 그는 여호와께 돌릴 것이니 내가 그를 번제물로 드리겠나이다 하니라11:32 이에…

士師記 QT18 210830月【分かれば免れる】士師記 11章 12~28

士師記 11章 12~2811:12 エフタはアンモン人の王に使者たちを遣わして言った。「あなたは私とどういう関わりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」11:13 すると、アンモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の土地を取ったからだ。今、これらの地を穏やかに返しなさい。」11:14 エフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わして、11:15 こう言った。「エフタはこう言う。イスラエルはモアブの地も、アンモン人の地も取ってはいない。11:16 イスラエルはエジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで歩き、それからカデシュまで来た。11:17 そこでイスラエルはエドムの王に使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせてください』と。ところが、エドムの王は聞き入れなかった。同様にモアブの王にも使者たちを遣わしたが、彼も受け入れなかったので、イスラエルはカデシュにとどまった。11:18 それから荒野を行き、エドムの地とモアブの地を迂回し、モアブの地の東まで来て、アルノン川の対岸に宿営した。しかし、モアブの領土には入らなかった。アルノンはモアブの国境だったからだ。11:19 そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、アモリ人の王シホンに使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせて、目的地に行かせてください』と。11:20 しかし、シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、兵をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。11:21 イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破った。そしてイスラエルは、その地方に住んでいたアモリ人の全地を占領した。11:22 こうしてイスラエルは、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領したのだ。11:23 今すでに、イスラエルの神、主が、ご自分の民イスラエルの前からアモリ人を追い払われたというのに、あなたはその地を取ろうとしている。11:24 あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、主が、私たちの前から追い払ってくださる者の土地をみな占領するのだ。11:25 今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているだろうか。彼はイスラエルと争ったり、戦ったりしたことがあったか。11:26 イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村々、アロエルとそれに属する村々、アルノン川の川岸のすべての町に三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その間にそれを取り戻さなかったのか。11:27 私はあなたに罪を犯していないのに、あなたは私に戦いを挑んで、私に害を加えようとしている。審判者であられる主が、今日、イスラエル人とアンモン人の間をさばいてくださるように。」11:28 しかし、アンモン人の王はエフタが送ったことばを聞き入れなかった。   アンモン王がイスラエルの地の一部を自分たちに返してくれることを求めます。アンモン王が返還を求めている地はヨルダンの東側のギルアデというところですが、本来はアンモンの地ではなく、モアブの地でした。ところが、アモリの二人の王シホンとオグがモアブに奪い取り、その地を占領していたのですが、イスラエルはカナンに入るとき、アモリ王に通過してもらうように願いをしたところ、アモリ王はこれを許さず、むしろ、イスラエルを攻撃しました。そこで、イスラエルが勝ち、その地を占めたものであり、その後、ルベンとガドとマナセのが300年間、その地に居住してきました。ということでアンモンはその地と歴史的に関連がありません。   エフタはそういうわけ神様がイスラエルに与えられた地であり、イスラエルがそこ居住してから300年もが経ったので返すことはないと言います。いざモアブの王バラクもその地の返還を求めてないのに、モアブより弱いアンモンがありもない歴史を修正して事実を歪曲してイスラエルを相手に領土紛争を起こしているのかと警告します。   エフタが提示した歴史的根拠は事実です。論語に免面牆という言葉があります。これは壁という意味で知らなければ、壁を免れるできないということです。エフタは300年の前の事でしたが、当時起こったことを調べ、それに基づいて、領土領有の正当性を主張しています。国際の間にも個人の間にも紛争は絶えないものですが、真実を探り出し、それを根拠にして戦わなければなりません。歴史の修正があってはなりません。神様と歴史の前で卑怯であったり、恥ずかしいことを犯してはいけません。

사사기묵상 QT18 2108230월【알아야 면장을 합니다】사사기 11장 12~28

사사기11장 12~2811:12 입다가 암몬 자손의 왕에게 사자들을 보내 이르되 네가 나와 무슨 상관이 있기에 내 땅을 치러 내게 왔느냐 하니11:13 암몬 자손의 왕이 입다의 사자들에게 대답하되 이스라엘이 애굽에서 올라올 때에 아르논에서부터 얍복과 요단까지 내 땅을 점령했기 때문이니 이제 그것을 평화롭게 돌려 달라 하니라11:14 입다가 암몬 자손의 왕에게 다시 사자들을 보내11:15 그에게 이르되 입다가 이같이 말하노라…

士師記 QT17 210828土【忍べない憐れみ】士師記 10章 10~18

士師記 10章 10~1810:10 そのとき、イスラエルの子らは主に叫んだ。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」10:11 主はイスラエルの子らに言われた。「わたしは、かつてエジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人から、10:12 また、シドン人、アマレク人、マオン人があなたがたを虐げてあなたがたがわたしに叫んだとき、あなたがたを彼らの手から救ったではないか。10:13 しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。10:14 行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦しみの時には、彼らが救ってくれるだろう。」10:15 イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。」10:16 彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。10:17 このころ、アンモン人が呼び集められて、ギルアデに陣を敷いた。一方、イスラエル人も集まって、ミツパに陣を敷いた。10:18 ギルアデの民や、その首長たちは互いに言い合った。「アンモン人と戦いを始める者はだれか。その人がギルアデの住民すべてのかしらとなるのだ。」   神様ではないもので心の中を満たすと、自分の中に神様の居場所がなくなります。自分の中に神様がいないという霊的な苦痛は感じませんが、肉体の痛みがあるときは、神様を呼び求めます。神様が好きだからではなく、痛みが怖くて、神様を求めるのです。   痛みがある前には、世のものを仕えても十分でした。ところが、世は快楽には親切ですが、痛みに関しては助けになってくれません。今、イスラエルが神様に戻ろうとしていることも痛みのゆえです。神様はそれを知っておられます。イスラエルは痛みのゆに神様に叫び求めますが、神様は救わないと拒絶します。「行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ」と言われます。神様は嫉妬されたのようです。   しかし、イスラエルは偶像を壊し、神様を礼拝することを約束します。その決断がどのくらい行くのかは分かりませんが、決断そのものは簡単なものはありません。信じると言うのは簡単ですが、日常に慣れていることを変えることには、大きい勇気と誠実が必要だからです。   そうしたところ、神様の心が弱まります。イスラエルが苦しむ姿を見て心に耐えられないあわれみを感じられます。16節に「忍びなくなられた。」とあります。これは「カチャル(קָצַר)」という言葉ですが、本来の長さの単位の短いという意味です。だからここでは、「心焦がれる、もどかしい」という意味です。神様は痛みの中の子ごもを憐れんでおられます。   痛みのとき、恐れるとき、寂しいときに私たちは神様の近いところに来ているのです。しかし、そのときのみ呼び求めるなら、状況が良くなったら、イスラエルの民のように再び家出を繰り返します。忍べないほど子どもに心配を待って見ておられる神様を知ることができるなら、私の中に神様がいないことに「痛み」を感じるものになりたいと願います。

사사기묵상 QT17 210828토【마음에 근심하시는 하나님】사사기 10장 10~18

사사기 10장 10~1810:10 이스라엘 자손이 여호와께 부르짖어 가로되 우리가 우리 하나님을 버리고 바알들을 섬김으로 주께 범죄하였나이다10:11 여호와께서 이스라엘 자손에게 이르시되 내가 애굽 사람과 아모리 사람과 암몬 자손과 블레셋 사람에게서 너희를 구원하지 아니하였느냐10:12 또 시돈 사람과 아말렉 사람과 마온 사람이 너희를 압제할 때에 너희가 내게 부르짖으므로 내가 너희를 그들의 손에서 구원하였거늘10:13 너희가 나를 버리고 다른 신들을…

士師記 QT16 210827木【立ち返れば生きられる】士師記 10章 1~9

士師記 10章 1~910:1 アビメレクの後、イスラエルを救うために、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラが立ち上がった。彼はエフライムの山地にあるシャミルに住んでいた。10:2 彼は二十三年間イスラエルをさばき、死んでシャミルに葬られた。10:3 彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間イスラエルをさばいた。10:4 彼には三十人の息子がいた。彼らは三十頭のろばに乗り、三十の町を持っていた。それらは今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれ、ギルアデの地にある。10:5 ヤイルは死んでカモンに葬られた。10:6 イスラエルの子らは再び、主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。10:7 主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に売り渡された。10:8 彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、十八年の間、ヨルダンの川向こう、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げた。10:9 アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変な苦境に立たされた。   神様は、この時代に、神様の御言葉を伝えて民を導く役割として、士師を立てられました。トラが23年間、次の士師であるヤイル22年間士師でイスラエルに仕えました。その間イスラエルには信仰と平和がありました。士師がおり、45年の間、イスラエルは、神様の恵みの中にあったのです。   しかし、士師が死ぬと問題が起きます。イスラエルの民は士師の空​​白があると、間違いなく偶像に拝みます。 「イスラエルの子らは再び、主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。6」士師を介して働かれる神様を信じず、目に見える士師を頼りにした言わざるを得ないです。   士師トラとヤイルが死に、イスラエルが偶像に仕え始めると、イスラエルの平和は終わり、18年ペリシテのアンモンに苦しまれます。6節の「再び」が言っているように、これは、絶えず繰り返されることでした。恵みの時代には、神様を忘れますが、人生の失敗を経験すると、神様を呼び求めます。神様なしでは生きていけないのに、それを忘れるのです。   神様は再び士師を送り、問題を解決して平和を取り戻されます。しかし、サイクルはまた繰り返します。イスラエルの子らは神様と恵みを忘れます。このイスラエルの姿は私たちが批判すべき対象ではなく、私たちを映す鏡です。信仰のリズムというのは誰にでもあります。しかし、立ち返るなら生きます。神様が士師を通ってなさることは、困難そのものを解決してくださるのではなく、困難の状況から救われることを通じて神様の神様であることを示すためです。再び神様に出会った人は、そこで礼拝し、いつもおられる神様に対する信仰を告白しなければなりません。

사사기묵상 QT16 210827금【돌이키면 살리라】사사기 10장 1~9

사사기 10장 1~910:1 아비멜렉의 후에 잇사갈 사람 도도의 손자 부아의 아들 돌라가 일어나서 이스라엘을 구원하니라 그가 에브라임 산지 사밀에 거하여10:2 이스라엘의 사사가 된지 이십 삼 년 만에 죽으매 사밀에 장사되었더라10:3 그 후에 길르앗 사람 야일이 일어나서 이십 이 년 동안 이스라엘의 사사가 되니라10:4 그에게 아들 삼십이 있어 어린 나귀 삼십을 탔고 성읍 삼십을 두었었는데 그…

士師記 QT15 210826木【茨の最後】士師記 9章 46~57

士師記 9章 246~579:46 シェケムのやぐらの住民たちはみな、これを聞いてエル・ベリテの神殿の地下室に入った。9:47 シェケムのやぐらの住民たち全員が集まったことがアビメレクに告げられたとき、9:48 アビメレクは、自分とともにいた兵全員とツァルモン山に登った。アビメレクは手に斧を取って木の枝を切り、これを持ち上げて自分の肩に担ぎ、ともにいる兵に言った。「あなたがたは私が何をしたかを見ただろう。急いで私と同じようにしなさい。」9:49 そこで兵も、みなそれぞれ枝を切ってアビメレクについて行き、枝を地下室の上に置いて火をつけ、地下室を焼いた。こうしてシェケムのやぐらの者たち、男女約千人がみな死んだ。9:50 それからアビメレクはテベツに行き、テベツに向かって陣を敷いて、これを占領した。9:51 この町の中に堅固なやぐらがあった。すべての男女、町の住民たち全員はそこへ逃げて立てこもり、やぐらの屋根に上った。9:52 アビメレクはやぐらのところまで来て、これを攻め、やぐらの入り口に近づいて、これを火で焼こうとした。9:53 そのとき、一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。9:54 アビメレクは急いで、道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私にとどめを刺せ。女が殺したのだと私について人が言わないように。」若者が彼を刺したので、彼は死んだ。9:55 イスラエル人はアビメレクが死んだのを見て、一人ひとり自分のところへ帰って行った。9:56 こうして神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に返された。9:57 神はまた、シェケムの人々のすべての悪の報いを彼らの頭上に返された。エルバアルの子ヨタムののろいが彼らに臨んだ。   アビメレクがシェケム城の中にいた人々を殺した事実を耳にしたシェケムのやぐらの人々は地下の洞窟に避難します。殺人の狂気に満ちたアビメレクは、人々を動員して、地下洞窟の前に木を積み、火をつけ、千人を窒息死させました。これでおさまることなく、シェケムのやぐらの住民たちの近くのテベツまで虐殺を続けます。人々はアビメレクを避けて堅固なやぐらに上がりましたが、アビメレクはやぐらに火を上げしようとしていました。   アビメレクが火をつけるためにやぐらに近づいたとき、ある女性がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけ、アビメレクの頭蓋骨を砕きました。アビメレクは、自分の兵士に自分を殺すように命じます。女性が投げた石で死んだという声を聞きたくないからです。死んだ後にそのうわさを耳にすることはないと思いますが…。旧約では、このような話しがしばしば出てきます。頭が割れている状態でも、女性の手に死ぬのが恥ずかしい、または、敵の手に死にたくないということで自分の死を頼みます。死ぬ瞬間まで何かに酔っているようです。死ぬ瞬間だけでも、自分は間違っていたという言葉、ごめんなさいという言葉、その一言でも残せたらよかったのではないかと思うほとです。それから兵士が剣で突きさすと、アビメレクはついに死にました。 兄弟70人を殺して王になったアビメレクは、自分の貪欲を妨げる人々に対する怒りを耐えることなく皆殺し、自分も殺しました。神様の怒りがアビメレクを放っておきませんでした。人に騙されて権力を許容してしまったシェケムの人々も死にました。これでヨタムが言ったいばらの預言が成就します。いばらは、誰かを刺すだけではなく、自分を刺します。貪欲と怒りに満ちたアビメレクという怪物は今もいます。しかし風が吹いてくる大きな木の下に休める陰があれば幸いです。その陰になって行く人はさらに幸いです。

사사기묵상 QT15 210826목【가시나무의 최후】사사기 9장 46~57

사사기 9장 46~579:46 세겜 망대의 사람들이 이를 듣고 엘브릿 신당의 보장으로 들어갔더니9:47 세겜 망대의 모든 사람의 모인 것이 아비멜렉에게 들리매9:48 아비멜렉과 그를 좇은 모든 백성이 살몬산에 오르고 아비멜렉이 손에 도끼를 들고 나무가지를 찍고 그것을 가져 자기 어깨에 메고 좇은 백성에게 이르되 너희는 나의 행하는 것을 보나니 빨리 나와 같이 행하라 하니9:49 모든 백성도 각각 나무가지를…