詩篇 3篇 1~8
3:1 主よなんと私の敵が多くなり私に向かい立つ者が多くいることでしょう。
3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。セラ
3:3 しかし主よあなたこそ私の周りを囲む盾私の栄光私の頭を上げる方。
3:4 私は声をあげて主を呼び求める。すると主はその聖なる山から私に答えてくださる。セラ
3:5 私は身を横たえて眠りまた目を覚ます。主が私を支えてくださるから。
3:6 私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも。
3:7 主よ立ち上がってください。私の神よお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち悪しき者の歯を砕いてくださいます。
3:8 救いは主にあります。あなたの民にあなたの祝福がありますように。セラ
詩篇3篇は、ダビデが自分の息子アブサロムから逃れたときの祈りです。息子は父親に反逆を起こしました。ダビデの家は平穏ではなかったのです。バテ・シェバの間に産んだ子は死に、娘は息子に強姦され、息子は息子を殺しました。そして息子は父を相手に反乱を起こします。
人生には多くの苦みがありますが、裏切りというのは耐え難い苦しみです。ダビデの家族であるアブサロムの反逆に同調した人は、もともとダビデの側近でした。信じていた家族や友人の裏切りは大変な喪失であります。「多くの者が私のたましいのことを言っています。彼には神の救いがないと2」ダビデは裏切りの中で侮辱されています。
家族と側近の者たちに裏切られ、権力を失い、人からの人気もなくなります。その喪失と痛みには、ダビデの罪と他人の罪が混ざっています。神様に祈らなくては耐えられません。詩篇3篇は、裏切りに崩れ落ちた心で神様のもとにいく嘆きの祈りです。
ダビデは祈ります。「私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも 6」根拠は3節です。「主よあなたこそ私の周りを囲む盾私の栄光私の頭を上げる方」裏切る人に、嘲笑う人に、侮辱する人に、心が崩れることを放っておいてはいけません。
ダビデは子どもの頃に、神様の御名を侮辱するゴリアテを倒しました。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうⅠサムエル17:45」その時、ダビデは打ち勝ちました。
世の評価、認定、人気、支持というのは、人間の裏切りと裏切りの間にある存在もしない架空のようなものかもしれません。自らの名前のために生きれば、高慢と挫折を繰り返し、躁うつ的な生き方をします。しかし、神様の名前のために生きれば打ち勝ちます。
サウロが失敗したのは、自分の名前と自分の名誉に執着したからです。憤りと嫉妬、喪失の心を管理できず、狂ってしまったからです。ダビデも今その危機に面しています。しかし、ダビデはサウルとはちがいました。