QT

Ⅱテモテ 3章 1~9
3:1 終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。
3:2 そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。
3:3 また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、
3:4 人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、
3:5 見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。
3:6 彼らの中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者たちがいます。その女たちは様々な欲望に引き回されて罪に罪を重ね、
3:7 いつも学んでいるのに、いつになっても真理を知ることができません。
3:8 たぶらかしている者たちは、ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らっており、知性の腐った、信仰の失格者です。
3:9 しかし、彼らがこれ以上先に進むことはありません。彼らの愚かさは、あの二人の場合のように、すべての人にはっきり分かるからです。

 

7節に「いつも学んでいるのに、いつになっても真理を知ることができない」人がいると言います。間違っていることを学ぶからです。 2節から6節はある人々について長々と語っていますが、「自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者、人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者たち」です。しかし、真理の知識に至らない人というのは、これらの人々ではなく、この人々にだまされて学ぼうとしている女です。

 

だまされている女というのは、聖徒であり、だます者は霊知主義者を言います。8節では,この霊知主義者を再びヤンネとヤンブレで例えました。ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったと言われていますが、旧約聖書ではモーセに関連する人物としてヤンネとヤンブレという名前を見つけることはできません。アラム語の聖書には、ヤンネとヤンブレへの注釈が付いていて、出エジプト当時にモーセの軌跡に対抗したエジプトの術師であると明らかにしています。エジプトの災い、杖が蛇になったときに、術師たちはそれを真似し、ナイル川が血に変わったとき、それも真似しました。霊知主義者たちをヤンネとヤンブレで例えたのは、それを真似して人々を惑わすが、その中に救いの力はないということです。

 

異端と言われる貧弱な論理のカルト宗教が、社会的問題を起こしながらも横行しているのは、彼らに能力があるからではなく、教会が弱まっているからであることを認めざる得ません。キリスト教の真似をする異端が8節のヤンネとヤンブレであって、それにだまされた6節の愚かな女が虚弱な教会です。ヘブル人への手紙の10章では,「しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。39」といいます。聖徒は、だまされて信仰から退き、沈む人ではなく、信じていのちを保つ者です。ヤンネとヤンブレが行う新奇なこと、誘惑する言葉に騙されないためには、毎日自らを神様のみことばの前に置かなければなりません。