QT

詩篇 31:9~24
31:9 私をあわれんでください。主よ。私は苦しんでいるのです。私の目は苦悶で衰え果てました。私のたましいも私のからだも。
31:10 悲しみのうちに私のいのちは尽き嘆きのうちに私の年は果てました。私の咎によって私の力は弱まり私の骨は衰えてしまいました。
31:11 敵対するすべての者から私はそしられました。わけても私の隣人から。知り合いには恐れられ外で私を見る者は私を避けて離れ去ります。
31:12 死人のように私は人の心から忘れられ壊れた器のようになりました。
31:13 私は多くの者がささやくうわさを聞きました。「恐怖が取り囲んでいる」と。彼らは私に対して謀議をめぐらし私のいのちを取ろうと図りました。
31:14 しかし主よ私はあなたに信頼します。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」
31:15 私の時は御手の中にあります。私を救い出してください。敵の手から追い迫る者の手から。
31:16 御顔をしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。
31:17 主よ私が恥を見ないようにしてください。私はあなたを呼び求めていますから。悪しき者どもを辱めてください。彼らが黙ってよみへと下るように。
31:18 偽りの唇を封じてください。それは正しい者に横柄に語っています。高ぶりと蔑みをもって。
31:19 なんと大きいのでしょう。あなたのいつくしみは。あなたを恐れる者のためにあなたはそれを蓄えあなたに身を避ける者のために人の子らの目の前でそれを備えられました。
31:20 あなたは彼らを人のそしりから御顔の前にひそかにかくまい舌の争いから隠れ場に隠されます。
31:21 主はほむべきかな。主は堅固な城壁の町の中で私に奇しい恵みを施してくださいました。
31:22 私はうろたえて言いました。「私はあなたの目の前から断たれたのだ」と。しかし私の願いの声をあなたは聞かれました。私があなたに叫び求めたときに。
31:23 主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが高ぶる者には厳しく報いをされる。
31:24 雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。

 

ダビデは、神様に患難の中で避難所になってくださることを祈り続けますが、最後に「主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが高ぶる者には厳しく報いをされる。雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。23,24」と書き終えます。

 

これによって,この詩編はダビデの個人的な祈りではなく,共同体を守るためのダビデの代表的な祈りであり,共同体のためのとりなしの祈りであることが分かります。ダビデと共同体の状況は変わらず危うく、避け所を探し求めますが、ダビデは共同体に「雄々しくあれ。心を強くせよ」と言います。危機に責められていても、卑劣にはなりません。その根拠は神様を待ち望むからです。

 

神様は、紅海を渡るモーセにも、ヨルダン川を渡るヨシュアにも「雄々しくあれ。心を強くせよ」と言われました。実力と経験がなく、状況は恐ろしいですが、信仰をもって揺れない根性と勇気が必要です。信仰は勇気を伴います。信仰と勇気を持つ共同体は必ず神様の救いを経験します。