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ルカ 22章 14~23
22:14 その時刻が来て、イエスは席に着かれ、使徒たちも一緒に座った。
22:15 イエスは彼らに言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。
22:16 あなたがたに言います。過越が神の国において成就するまで、わたしが過越の食事をすることは、決してありません。」
22:17 そしてイエスは杯を取り、感謝の祈りをささげてから言われた。「これを取り、互いの間で分けて飲みなさい。
22:18 あなたがたに言います。今から神の国が来る時まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、決してありません。」
22:19 それからパンを取り、感謝の祈りをささげた後これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。
22:21 しかし見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓の上にあります。
22:22 人の子は、定められたとおり去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。」
22:23 そこで弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんなことをしようとしているのかと、互いに議論をし始めた。

 

イエス様が捕われる前日の最後の晩餐です。ユダヤ人は過越の祭の夕方に家族が集まって夕食の時間を持ちます。その食卓で犠牲になった子羊を食べます。羊が犠牲になったので、家族共同体は救いと安息を楽しめます。それによって罪と死は過ぎ越していきます。その時、父は子どもたちに過越の祭の内容と神様の救いを教えます。子羊の肉を分けて食べる食卓で、子羊の犠牲を通して救いを記念するのです。

 

パウロはコリント人への手紙でこう言いました。「私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。5:7」イエス様は、最後の過越の祭を弟子たちと一緒に過ごしましたが、イエス様自身が子羊の血と肉であるということを宣言されます。つまり、パンとぶどう酒を持ち、それがご自身の血であり、肉であること、また、聖餐を通して記念することを命じられましたのです。

 

過越の祭の最後の晩餐は私たちにとって聖餐式となりました。イエス様の血というのは、血液のことではなく、命のことです。命というのはすなわち生きることです。イエス様の血というは、死が私たちを支配できないように、私たちの人生の門柱に付けなければならない「イエス・キリストの生き方」です。

 

イエス様の最後の過越の祭の晩餐は、私たちにとって最初の聖餐式になりました。まもなく渇いていた枝から花が復活します。2月には聖餐式ができませんでしたが、3月27日は聖餐式をして教会は遠足に行きます。イエス様の最後の晩餐は、私たちの聖餐と交わりにつながります。聖餐に参加した信仰共同体は、イエス・キリストの救いのための犠牲を記念し、それを子どもたちに教え、また救われた「聖徒の信仰の原点」に立ち戻ります。

 

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