ダニエル QT8 20201123月【多神論者の証し】ダニエル4章1~18
ダニエル4章1~181 ネブカドネツァル王から、全地に住むすべての民族、国民、言語の者たちへ。あなたがたに平安が豊かにあるように。2 いと高き神が私に行われたしるしと奇跡を知らせることは、私の喜びとするところである。3 そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇跡のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。4 私ネブカドネツァルが私の家で心安らかに過ごし、私の宮殿で繁栄を極めていたとき、5 私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での、様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私をおびえさせた。6 私は命令を下し、バビロンの知者をみな、私の前に連れて来て、その夢の意味を告げさせようとした。7 呪法師、呪文師、カルデア人、占星術師たちが来たとき、私は彼らにその夢のことを話したが、彼らはその意味を私に告げることができなかった。8 最後にダニエルが私の前に来た。彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。私はその夢を彼に話した。9 「呪法師の長ベルテシャツァルよ、私は、聖なる神の霊がおまえにあり、どんな秘密もおまえには難しくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その意味を言ってもらいたい。10 私の寝床で幻が頭に浮かんだ。私が眺めていると、見よ、地の中央に木があった。それは非常に高かった。11 その木は生長して強くなり、その高さは天に届いて、地の果てのどこからもそれが見えた。12 葉は美しく、実も豊かで、その木にはすべてのものの食べ物があった。その木陰では野の獣が憩い、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われた。13 寝床で頭に浮かんだ幻の中で見ていると、見よ、一人の見張りの者、聖なる者が天から降りて来るではないか。14 彼は力強く叫んで、こう言った。『その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。15 ただし、その根株は、鉄と青銅の鎖をかけて、地に、野の若草の中に残せ。天の露にぬれさせて、地の青草を獣と分け合うようにせよ。16 その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、七つの時をその上に過ぎ行かせよ。17 この宣言は見張りの者たちの決定によるもの、この要請は聖なる者たちのことばによるもの。これは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最も低い者をその上に立てることを、いのちある者たちが知るためである。』18 私ネブカドネツァル王が見た夢とはこれだ。ベルテシャツァルよ、おまえはその意味を述べよ。私の国の知者たちはだれも、その意味を私に告げることができない。しかし、おまえにはできる。おまえには、聖なる神の霊があるからだ。」 4章はネブカデネツァルの二番目夢の話です。4章、2章と3章の後、かなり時間を過ぎた後のことです。バビロンの征服戦争も終わり、バビロン社会は安定していました。これまで夢の解釈とダニエルの3人の友たちを介して、王はすでに否定することができない、神の力を経験しました。 とはいえ、王が神様への信仰を持つことではありません。神様を見せてくれれば信じると言う人がいますが、神様を経験しても、神を信じることはしません。外部で起こる出来事や現象は、信仰のきっかくを提供することはありますが、信仰は自分の内部から起こることだからです。それは神様の存在について自信がないのではなくてそれを認め、変化すべき自分に対して自信がないからです。ということで経験したにもかかわらず、信じない状態を続きます。 王は権力を持っている人でありますが、言い換えれば、権力という鎖に縛られて自由がない人でもあります。王が神様を経験したのは、いくつかの事件だったかもしれませんが、帝国の宗教政策は、時間と手間をかけて体系的に変えなければなら面倒でかつ危険なことです。これに自信がない場合に「まだよく分からない」と言うことになります。信仰は、人生のありさまを変えるものであってその変化を恐れると、神様は「保留」状態になります。 王は神を経験し、それを自分の口で告白しましたが、バビロンの神、マルドゥクとベルも自分にとって大切な神でした。多神論の中で部分的な神様を認めているのです。人々は神秘があれば、そこに神を付与しますが、神秘な中の神秘は創造の神を知ることであり、救いの神が信じられる神秘です。 本文は王の詔書です。夢を見て、ダニエルがそれを解釈してから1年が経った後に、過去にあったそのことを回顧しながら書いたものです。夢に現れた豊かな木は帝国です。帝国は平安と繁栄していました。これは神によるものです。そして、その木を扱う存在が天から降りてきます。栄えと成功を与える方が神様であるならば、それを制限し、裁く方も神様です。 王は、この夢とその間の時間を過ごして新たに神様がイスラエルのだけの神ではなく、全世界の主であり、全能の神であることを告白します。人生が歩んできた道を振ふり返ってみたとき、神はないと言える人は誰もいません。目を隠しても空はあるように認めなくても、神様はおられます。神様がいないのではなく、神様を信じないだけです。