ダニエル QT9 20201124火【ダニエルの三つの願い】ダニエル4章19~27
ダニエル4章19~2719 そのとき、ベルテシャツァルと呼ばれていたダニエルは、しばらくの間驚きすくみ、いろいろと思い巡らして動揺した。王は話しかけた。「ベルテシャツァルよ、この夢とその意味のことで動揺することはない。」ベルテシャツァルは答えた。「わが主よ、どうか、この夢があなたを憎む者たちに当てはまり、その意味があなたの敵に当てはまりますように。20 あなたがご覧になった木、すなわち、生長して強くなり、その高さが天に届いて、地のどこからも見え、21 葉が美しく実も豊かで、すべてのものの食べ物があり、その下に野の獣が住み、その枝に空の鳥が宿った木、22 王よ、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます。23 しかし王は、一人の見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。『その木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株は、鉄と青銅の鎖をかけて、地に、野の若草の中に残せ。彼を天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎ行くまで野の獣と青草を分け合うようにせよ。』24 王よ、その意味は次のとおりです。これは、わが主、王に届いた、いと高き方の決定です。25 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べて、天の露にぬれることになります。こうして、あなたの上を七つの時が過ぎ行き、ついにあなたは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。26 木の根株は残せと命じられていますので、天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立つでしょう。27 それゆえ、王よ、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによってあなたの罪を除き、また貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。」 イザヤの断食の祈りを読むとき、意外な衝撃を覚えます。断食の祈りの理由が、自分の目的を達成するために駄々をこねているわけではないからです。断食をして祈っているのに、なぜ神様は私の祈りを聞いてくださらないのか、という不満に対して、神様の答えは「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる」というものでした。イザヤの58章6-8節です。数日だけ飢えてみても人は人生の悲惨さと無力さを経験します。その貧しい心に感謝を覚え、弱者を振り返ることが断食して祈ることの有益です。 本日の本文が断食の祈りについて語るものではないのにイザヤの58章を思い出したのは、王が失権して牛のように草を食べる日が来るという預言があるからです。ダニエルは王の夢を聞いてから、王に訪れる衝撃的なことに驚き、悶えました。大きな木は、王の大きな力を指していますが、それは偉大ではない高慢の大きさです。木が高くても、空の下の小さな被造物にすぎません。空から降りてきた見張りの者がその木を切って荒野に投げ捨てます。王は逃亡者となって悲惨な日を過ごします。その日に一食のご飯となるが、まさに神様です。今までの必要の供給がいかに大切なものだったのかを知るようになります。 イザヤが伝えた断食する者にあるべき心は、駄々をこねる心ではなく、貧しい心で自分より弱者を振り返る心です。ネブカデネツァル王は恣意的な断食の祈りをしたわけではないですが、飢えなければならない日が来ます。その未来を預言するダニエルは、王に3つのことを求めます。まことの統治者は王ではなく神様であることを認めること、世界が王のものではないので神様の正義を行うこと、そして貧しい者を憐れむことです。 「…天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立つでしょう。それゆえ、王よ、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによってあなたの罪を除き、また貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。…4:26,27」 自分に酔う征服者は、元のあるべき姿に戻らなければなりません。食べるものがなければ飢えなければならない、飢えれば死ななければならない、という極めて当たり前とも言える人間の姿に戻るのです。王の権力と富は後ほど回復しますが、本当に回復しなければならないのは神様の前に立つ一人の人間です。1年の終わりの時に来ています。力と富は神様から来るということを認め、神様の正義を実践し、弱者を振り返る慈悲を回復するのはネブカデネツァル王だけが求められることではありません。