ダニエル QT13 20201128土【死んでも嫌なこと】ダニエル5章24~6章2
ダニエル5章24~6章224 そのため、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。25 その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。』26 そのことばの意味はこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせたということです。27 『テケル』とは、あなたが秤で量られて、目方の足りないことが分かったということです。28 『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディアとペルシアに与えられるということです。」29 そこでベルシャツァルは命じて、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけさせ、彼がこの国の第三の権力者であると布告させた。30 その夜、カルデア人の王ベルシャツァルは殺された。31 そして、メディア人ダレイオスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。1 ダリヨスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。2 彼はまた、彼らの上に三人の大臣を置いたが、ダニエルは、そのうちのひとりであった。太守たちはこの三人に報告を出すことにして、王が損害を受けないようにした。 この出来事が起こる時間的な背景というのは、ペルシャのクロスと同盟を結んだメディアのダリウスが率いる軍隊が、すでにバビロンを包囲していた時です。しかし宴会が催されていました。敵に包囲されているときに貴族たちと宮女を動員して、エルサレム神殿の道具に酒を注ぎ、飲み食いをしていた彼らは、自虐や変態行為をしていたと言えるでしょう。 消費することで、自分が富んでいると勘違いすることがあります。だから借金をして、自分にはお金があるという気持ちを保とうとする人がいます。借金に追い込まれた人が債務のストレスのために、また借金をして買い物をするのです。王家で浪費の暮らしを送っていた王は、大規模な宴会を開いて飲み食いをすることで、まだ権力があると自分をだましているのです。 呼び出されたダニエルは、壁の文を読みました。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。』言葉の意味だけを見れば、終わらせた、足りない、分割されるという意味です。その上、ダニエルは解釈します。王も足りなさのゆえに統治は終わった。それから分割されるというのは、バビロンが滅び、メディヤとペルシヤの支配を受ける、ということです。 ダニエルは、文を解釈しましたが、それは事実王への懲らしめでした。しかし、王はダニエルに約束どおり国を治める第三の権威を与えました。それはベルシャツァルの父ナボニドゥスは生きていたし、形式的には、父がベルシャツァルを摂政していたからです。だから王家を除ければナンバーワンになるのです。 解釈の言葉を聞いて王の気持ちが良かったはずのないダニエルに補償したのは何故でしょうか。自分が口にした言葉を守る最低限の真意だったかもしれませんが、他方で自分の運命を直感した自虐的堕落の一面だったのかもしれません。なぜなら、ベルシャツァルは、その夜に死ぬからです。歴史的にペルシャとメディアの連合軍がバビロンを陥落させた時は、一度も戦闘をせずに、バビロンに入城したと言われています。ベルシャツァルの堕落はバビロンの自殺行為のようなものです。 ベルシャツァルが悲劇的に終わったのは、すでに22節と23節に記されています。ベルシャツァルはネブカドネツァルに起こったことを知っていながら、それでも悔い改めず、自分を神様よりも高め、愚像を拝んだのです。しかし、未だに王の心がへりくだったという内容はどこにも見当たりません。死ぬことよりも、滅びることよりも、したくないことが自分の現実を認めることではないでしょうか。