다니엘 QT20 20201207월【다니엘의 금식기도】다니엘 10장1~9

다니엘 10:1~910:1 바사 왕 고레스 삼년에 한 일이 벨드사살이라 이름한 다니엘에게 나타났는데 그 일이 참되니 곧 큰 전쟁에 관한 것이라 다니엘이 그 일을 분명히 알았고 그 이상을 깨달으니라10:2 그때에 나 다니엘이 세 이레 동안을 슬퍼하며10:3 세 이레가 차기까지 좋은 떡을 먹지 아니하며 고기와 포도주를 입에 넣지 아니하며 또 기름을 바르지 아니하니라10:4 정월 이십 사일에 내가…

한국어 예배 (2020-12-06)

히브리서 3:1-191 그러므로 함께 하늘의 부르심을 입은 거룩한 형제들아 우리의 믿는 도리의 사도시며 대제사장이신 예수를 깊이 생각하라2 저가 자기를 세우신 이에게 충성하시기를 모세가 하나님의 온 집에서 한 것과 같으니3 저는 모세보다 더욱 영광을 받을 만한 것이 마치 집 지은 자가 그 집보다 더욱 존귀함 같으니라4 집마다 지은 이가 있으니 만물을 지으신 이는 하나님이시라5 또한 모세는…

日本語礼拝 (2020-12-06)

ヘブル人への手紙 3:1-191 ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。2 モーセが神の家全体の中で忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実でした。3 家よりも、家を建てる人が大いなる栄誉を持つのと同じように、イエスはモーセよりも大いなる栄光を受けるにふさわしいとされました。4 家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。5 モーセは、後に語られることを証しするために、神の家全体の中でしもべとして忠実でした。6 しかしキリストは、御子として神の家を治めることに忠実でした。そして、私たちが神の家です。もし確信と、希望による誇りを持ち続けさえすれば、そうなのです。7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、8 あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。9 あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試し、四十年の間、わたしのわざを見た。10 だから、わたしはその世代に憤って言った。 『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』11 わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」12 兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。13 「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。14 私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。15 「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。16 では、聞いていながら反抗したのは、だれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た、すべての者たちではありませんか。17 神が四十年の間、憤っておられたのは、だれに対してですか。罪を犯して、荒野に屍をさらした者たちに対してではありませんか。18 また、神がご自分の安息に入らせないと誓われたのは、だれに対してですか。ほかでもない、従わなかった者たちに対してではありませんか。19 このように、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことが分かります。

ダニエル QT19 20201205土【ダニエルの告白】ダニエル 9章1-14

ダニエル 9章1-141 メディア族のクセルクセスの子ダレイオスが、カルデア人の国の王となったその元年、2 すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。3 そこで私は、顔を神である主に向けて断食をし、粗布をまとって灰をかぶり、祈りと哀願をもって主を求めた。4 私は、私の神、【主】に祈り、告白した。「ああ、私の主、大いなる恐るべき神。あなたを愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守って恵みを下さる方。5 私たちは罪ある者で不義をなし、悪を行って逆らい、あなたの命令と定めから外れました。6 私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが、御名によって私たちの王たち、首長たち、先祖たち、民衆すべてに語ったことばに、聞き従いませんでした。7 主よ。義はあなたにありますが、顔をおおう恥は私たちにあります。今日あるとおり、それはユダの人々、エルサレムの住民にあり、また、近くであれ遠くであれ、あなたが追い散らされた先のあらゆる国々にいる、すべてのイスラエルにあります。彼らがあなたの信頼を裏切ったためです。8 【主】よ。顔をおおう恥は私たちにあり、私たちの王たち、首長たち、および先祖たちにあります。私たちはあなたに対して罪を犯してきました。9 あわれみと赦しは、私たちの神、主にあります。まことに、私たちは神に逆らいました。10 私たちは、私たちの神、【主】の御声に聞き従わず、しもべである預言者たちによって神が私たちに下さったみおしえにも、従って歩むことをしませんでした。11 イスラエルはみな、あなたの律法を犯して離れ去り、御声に聞き従いませんでした。そのため、神のしもべモーセの律法に書かれているのろいの誓いが、私たちの上に降りかかりました。私たちが神の前に罪ある者であったからです。12 神は、大きなわざわいを私たちにもたらすことで、かつて私たちと、私たちを治めた指導者たちに対して告げられたみことばを成就されたのです。エルサレムの上に下ったほどのわざわいは、今まで天下になかったことです。13 このわざわいはすべて、モーセの律法に書かれているとおりに、私たちの上に下りました。しかし私たちは、不義から立ち返って、あなたの真理によってさとくなれるように、自分たちの神、【主】に願うこともありませんでした。14 【主】はそのわざわいを下そうと待ち構えていて、それを私たちの上にもたらされました。私たちの神、【主】のなさったみわざはすべて正しく、私たちが御声に聞き従わなかったからです。   永遠に続くと思ったバビロンが滅び、ベルシャツァルも死にました。そして世界は激変します。ダニエルは、その恐ろしい歴史の渦の中でエレミヤの本を読み、エルサレムの回復が近づいてきたことに気付きます。ユダが健在したときには誰もエレミヤの滅亡の預言を聞こうとしなかったたように、ユダが滅びて、絶望していたときに誰も回復の言葉を覚えていた人はいませんでした。人々は現実を信じて生きます。自分で生きられると思ったらそれを信じて生きるから神の言葉が聞こえず、滅びてしまうと、その絶望に埋もれる神の回復の言葉は聞こえません。   ダニエルは、エレミヤが回復を預言した70年が近づいていることに気付き、断食をし、粗布をまとって灰をかぶり、祈りと哀願をもって祈り始めました。代表の祈りであり、とりなしの祈りです。 70年間の痛みに耐えた後の祈りとは、神様を知る知識と、自分自身を知る知識が成長しています。70年間、神様はこの短い告白を待っておられたことかもしれません。   ダニエルは、神様に対して大いなる恐るべき方であると告白します。それは決まったフレーズではなく、ダニエル自分の人生を通して経験したことです。ダニエルは人を恐れず、生と死の主権者である神を恐れて生きてきました。現実を神にして生きる人々の世の中で、ダニエルは生きるにも死ぬにも主権をもっておられる恐れるべき神様を告白しました。   ダニエルは祈りの中でユダの罪を取り出し、明確な言語をもって告白します。ユダは犯罪し、ユダは悪を行い、ユダは反逆し、ユダは主の律法と定めを破り、ユダは主の言葉を聞いていなかったことを告白します。ダニエルは隠さず、包装せずに厳しく、ユダの罪を告白しました。   自尊心の強い人は神様の前にすら自分を認めず、告白することをしません。言語にしない、ただ唸るだけです。しかし、自分自身を認め、告白し、反省するためには、必ず言語を必要とします。それをを経ていないことは、悔い改めに至りません。時間が経つことで回復することではなく、認めて悔い改めるまでに時間がかかるのです。   一方、ダニエルの経験した神様は、恐ろしいばかりの神ではないです。神様はご自身を愛し、ご自身の戒めを守る者には慈悲をもって恵まれて、契約を立てて回復してくださる方であることを告白します。ダニエルを読んできた人であれば、まさにそれがダニエルの証しであることを知っています。脅威と恐れの中でも、神様を意識し、神様との約束を優先して生きたからこそ、恐ろしい現実にも勝てる神様の力を経験したのです。   一年の最後の12月に入っています。まもなくものさわがしい2020年は終わります。神様がすべて知っておられると言わず、神様の恐れを知り、私たちの唇で罪と弱さも吐き出さなければなりません。隠すことなくまごころでの懺悔録が書けるなら一つの節目を結ぶことができます。それから神様の慈愛のためのとりなしです。ダニエルのように、新年を迎えこれから回復されるべき時代のためにとりなしの祈りを捧げましょう。  

다니엘 QT19 20201205토【다니엘의 고백】다니엘 9장1~14

다니엘 9:1~149:1 메대 족속 아하수에로의 아들 다리오가 갈대아 나라 왕으로 세움을 입던 원년9:2 곧 그 통치 원년에 나 다니엘이 서책으로 말미암아 여호와의 말씀이 선지자 예레미야에게 임하여 고하신 그 년수를 깨달았나니 곧 예루살렘의 황무함이 칠십 년만에 마치리라 하신 것이니라9:3 내가 금식하며 베옷을 입고 재를 무릅쓰고 주 하나님께 기도하며 간구하기를 결심하고9:4 내 하나님 여호와께 기도하며 자복하여 이르기를…

ダニエル QT18 20201204金【悟れ、人の子よ】ダニエル 8章15-27

ダニエル 8章15-2715 私ダニエルは、この幻を見たとき、その意味を理解したいと願った。すると見よ、勇士のように見える者が私の正面に立った。16 私は、ウライ川の中ほどから「ガブリエルよ、この人にその幻を理解させよ」と呼びかけている人の声を聞いた。17 彼は私が立っているところに来た。彼が来たとき、私はおびえて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ、人の子よ。その幻は終わりの時のことである。」18 彼が私に語りかけたとき、私は地にひれ伏したまま意識を失った。しかし彼は私に触れ、その場に立ち上がらせて、19 こう言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることをあなたに知らせる。それは、終わりの定めの時に関わることだ。20 あなたが見た二本の角を持つ雄羊は、メディアとペルシアの王である。21 毛深い雄やぎはギリシアの王であり、その額にある大きな角はその第一の王である。22 その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こるということである。しかし、第一の王のような勢力はない。23 彼らの治世の終わりに、その背く者たちが行き着くところに至ったとき、横柄で策にたけた一人の王が立つ。24 彼の力は強くなるが、自分の力によるのではない。彼は、驚くべき破壊を行って成功し、有力者たちと聖なる民を滅ぼす。25 狡猾さによってその手で欺きを成し遂げ、心は高ぶり、平気で多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに彼は砕かれる。26 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」27 私ダニエルは、何日かの間病気になったままでいた。その後、起きて王の事務を執った。しかし、私はこの幻のことで驚きすくんでいた。それを理解できなかったのである。   幻を見たダニエルが煩いに陥っていたときに、神様はみ使いのガブリエルを送り、幻について語らせます。驚いたダニエルは、ガブリエルがゲ顕現にさらに恐れ、地面に頭をつけ、ひれ伏しました。ガブリエルが幻を解釈していた時、、ダニエルは恐怖のあまり、持ちこたえることができず倒れます。意識を失ったのです。ガブリエルはそのようなダニエルをなでながら起こして、幻の解釈を続けます。それからそれらすべてを覚え、心に秘めて置くようにと命じます。み使いが去った後も、ダニエルは、数日間患いました。   本文を見ると、ダニエルは驚きと恐怖の中で気を失うほどでありますが、それにも神様はダニエルに「告げること」を続けます。ダニエルを起こして知らせるべきことを最後まで告知します。さらにガブリエルはダニエルに悟りなさいと命じます。これはダニエルに幻の内容を必ず悟らなければならない使命があるからです。ダニエルには幻を悟り、記録し、それを救われるべき神の民に伝える責任があります。   ダニエルに現れ、神様の秘密を告げたガブリエルは、500年後に処女マリアに現れ、神様の救いの計画を告知しました。クリスマスになるといつも聞く話、マリアの受胎告知はマリアの話ではなく、救いのための神様の告知です。ダニエルにおいてその幻と啓示を受けることが確かに耐えにくいことでありましたが、マリアにおいても恐れ、受け入れにくいことでありました。   昨日に400年後に起こるマッカビのユダの独立について言及しましたが、マッカビによる独立の後、ユダは自由を得ましたが、それが100年を続けられず、ユダは紀元前63年にローマに支配されてしまいます。ユダはローマの属国となりましたが、その絶望の時代にキリストが幼子のイエスとして生まれたものです。   B.C(Before Christ)の時代が終わり、主の年、A.D(Anno Domini)が到来しました。ガブリエルが知らせようとしたのは滅亡ではなく、贖いの日であり、救いの日です。しかし、救い日に、神の民の救いを妨げていたものは裁きを受けなければなりません。   今朝祈りの説教は「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いは主による。箴言21:30,31」でした。世界がどのように流れていくのかを予測する人は多くいますが、誰もその先端を確定的に知ることはできません。歴史の主は神様です。神様が支配する世界は経済のために動くことではなく、政治のために動くことでもありません。神様の愛の目的のためにそれらが用られるこだけです。   人間の知恵と謀略は欲を満たすための高慢と戦争を繰り返しますが、神様の知恵は十字架のイエス・キリストの愛です。神様は選ばれた民の救いを成し遂げる目的のゆえに、今も歴史の中で働かれます。それは封された秘密ではなく、公開された秘密です。公開されましたが、まだ分かっていないことは聞かないで、見ないからです。啓示された救いの秘密が分かるのは、それを聞いて悟る人です。  

다니엘 QT18 20201204금【인자야 깨달아 알라】다니엘 8장15~27

다니엘 8:15~278:15 나 다니엘이 이 이상을 보고 그 뜻을 알고자 할 때에 사람 모양 같은 것이 내 앞에 섰고8:16 내가 들은즉 을래 강 두 언덕 사이에서 사람의 목소리가 있어 외쳐 이르되 가브리엘아 이 이상을 이 사람에게 깨닫게 하라 하더니8:17 그가 나의 선 곳으로 나아왔는데 그 나아올 때에 내가 두려워서 얼굴을 땅에 대고 엎드리매 그가 내게…

ダニエル QT17 20201203木【礼拝の回復】ダニエル8章1-14

ダニエル8章1-141 ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現れた後、私ダニエルにもう一つの幻が現れた。2 私は幻の中で見た。見ていると、私はエラム州にあるスサの城にいた。なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。3 私が目を上げて見ると、なんと、一匹の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一本はもう一本の角よりも長かった。その長いほうは、後に出て来たのであった。4 私はその雄羊が、西や、北や、南の方を角で突いているのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、それから救い出す者もいなかった。雄羊は思いのままにふるまって、高ぶっていた。5 私が注意して見ていると、見よ、一匹の雄やぎが、地には触れずに全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、際立った一本の角が額にあった。6 この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見た、あの二本の角を持つ雄羊に向かって、激しい勢いで突進した。7 見ていると、この雄やぎは雄羊に近づき、怒り狂って雄羊を打ち倒して、その二本の角をへし折ったが、雄羊にはこれに立ち向かう力がなかった。雄やぎは雄羊を地に投げ倒して踏みつけた。雄羊をこの雄やぎから救い出す者はいなかった。8 この雄やぎは非常に高ぶったが、強くなったときにその大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、際立った四本の角が生え出て来た。9 そのうちの一本の角から、もう一本の小さな角が生え出て、南と、東と、麗しい国に向かって、非常に大きくなっていった。10 それは大きくなって天の軍勢に達し、天の軍勢と星のいくつかを地に落として、これを踏みつけ、11 軍の長に並ぶほどになり、彼から常供のささげ物を取り上げた。こうして、その聖所の基はくつがえされた。12 背きの行いにより、軍勢は常供のささげ物とともにその角に引き渡された。その角は真理を地に投げ捨て、事を行って成功した。13 私は、一人の聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もう一人の聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者の背き、そして聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことか。」14 すると彼は答えて言った。「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所の正しさが確認される。」   二本の角を持つ雄羊はメディアとペルシア帝国です。二本のうち一本の角が出てきますが、後に出てきた角が前の角より大きくなります。後の者が先になり、先の者があとになるのは世界の秩序です。初期にはペルシアよりメディヤが大きかったですが、紀元前550年にペルシアのクロスがメディヤを占領してペルシアが主導権を持ちます。   二本の角を持つ強いな雄羊(メディア・ペルシア帝国)がありますが、西から雄やぎ現れます。西というのは、ヨーロッパ大陸のマケドニア、雄やぎはギリシヤ帝国、そして、そのやぎの目の間にある角は、アレキサンダー大王を指します。   先の王は殺害され、20歳にマケドニアの王になった幼いアレキサンダーは10年ぶりに世界を征服します。実に大王と呼ばれるのにふさわしい人物です。三つの大陸、アフリカ、ヨーロッパ、アジアにつながる広大な帝国を遂げたの征服者です。伝わるエピソードによれば、それ以上征服する土地がないということで泣いたそうです。   そしてもう一つのエピソードは彼の死です。不世出の征服者は不運にも33歳の年に熱病にかかって道端で死にます。アレキサンダーの遺言は「私が死んだら、私の手を棺の外に出して、人々が見ることができるようせよ」ということでした。天下を所有し、自分も死ぬとき素手で来て素手で去るという告白でした。   アレキサンダーの死による混乱の中、アレキサンダーの息子らは殺され、ギリシヤ帝国は、4つに分かれてしまいます。これが8節にある四つの角です。この四つの角のいずれかから、小さな角一つがもう一つ出てきますが、それがセレウコスの王アンティオコスです。アンティオコスの時代は、紀元前2世紀ですからユダヤ人がパレスチナに戻ってからも350年以上が経つ未来です。   この小さな角は、ユダヤ人を虐殺し、大祭司を暗殺し、神殿礼拝を廃止しました。紀元前167年12月にアンティオコスは、エルサレムの神殿でゼウスのために祭壇を築き、そこでユダヤ人が嫌悪する豚を捧げて神殿を汚しまいた。 13節の「荒らす者の背き」とは、アンティオコスが神の神殿を汚したことです。   聖なる存在が互いに「常供のささげ物や、あの荒らす者の背き、そして聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことか」と聞きます。歴史的な答えであれば、ユダヤのマッカビが独立運動を起こし、3年ぶりに神殿を奪還し、清めた紀元前164年です。   ということで今日の本文は、メディア・ペルシアの時代から始まってギリシャとアンティオコスが没落し、神殿を清めるマッカビの時代までを預言したものです。計算してみると、400年程度の期間です。マッカビがアンティオコスを追い出し、神殿を清め、礼拝を回復したことを記念すること来週12月10日から始まる、イスラエルの盛大な祭りのハヌカです。   ユダヤ人はマッカビの時から、神殿で礼拝することができましたが、紀元後70年に再びローマによってその神殿は崩壊します。そして、現在まで神殿はありません。したがって、2020年の今日から見れば、まだ神殿と礼拝は回復してないのです。   私たちは、12月にハヌカではなく、クリスマス、つまりキリストの降誕をお祝い、礼拝します。神の子キリストが礼拝の回復のために、私たちに来られたからです。エルサレムの神殿は存在せず、仮に存在するとしても、それは人の手で造られた建物に過ぎません。クリスマスはキリストを通して神様への礼拝を回復した主の民の祭りなのです。    

다니엘 QT17 20201203목【예배의 회복】다니엘 8장1~14

다니엘 8:1~148:1 나 다니엘에게 처음에 나타난 이상 후 벨사살 왕 삼년에 다시 이상이 나타나니라8:2 내가 이상을 보았는데 내가 그것을 볼 때에 내 몸은 엘람도 수산성에 있었고 내가 이상을 보기는 을래 강변에서니라8:3 내가 눈을 들어본즉 강 가에 두 뿔 가진 수양이 섰는데 그 두 뿔이 다 길어도 한 뿔은 다른 뿔보다도 길었고 그 긴 것은 나중에…

ダニエル QT16 20201202水【国々が仕える神の国】ダニエル7章15-28

ダニエル7章15-2815 私ダニエルの心は私のうちで悩み、頭に浮かんだ幻は私をおびえさせた。16 私は、傍らに立っていた者たちの一人に近づき、このことすべてについて、彼に願って確かめようとした。すると彼は私に答えて、そのことの意味を告げてくれた。17 『これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。18 しかし、いと高き方の聖徒たちが国を受け継ぎ、その国を永遠に、世々限りなく保つ。』19 それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、牙は鉄、爪は青銅で、食らってはかみ砕いて、残りを足で踏みつけていた。20 その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が抜け落ちた。その角には目があり、大言壮語する口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。21 私が見ていると、その角は聖徒たちに戦いを挑み、彼らに打ち勝った。22 しかしそれは『年を経た方』が来られるまでのことであり、いと高き方の聖徒たちのためにさばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時期が来た。23 彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。24 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らの後に、もう一人の王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。25 いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを悩ます。彼は時と法則を変えようとする。聖徒たちは、一時と二時と半時の間、彼の手に委ねられる。26 しかし、さばきが始まり、彼の主権は奪われて、彼は完全に絶やされ、滅ぼされる。27 国と、主権と、天下の国々の権威は、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』28 ここでこの話は終わる。私ダニエルは、いろいろと思い巡らして動揺し、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心にとどめた。」   ネブカドネツァルが見た鉄の脚とダニエルが見た十本の角の獣はローマ帝国を象徴します。ローマのアウグストゥス皇帝以降、1世紀と2世紀を経て、約200年の間平和を謳歌した時代をラテン語でパクス・ロマーナ(Pax Romana)と呼びます。パクスは、ローマ神話に出てくる平和の女神の名前です。英語のピース(Peace)の語源になります。   しかし、平和といってもこの時期に戦争がなかったわけではありません。ローマの支配を受け入れた忠実な人に何も起こらなかったという意味では平和といえるかもしれませんが、支配を受けなければならなかった植民地の民衆においてパクスロマーナは帝国主義の暴力と搾取の二つの顔がありました。   自分たちの権利とアイデンティティを取り戻すための反乱は、常に起こりました。ローマは片手でそれを殺し、片手で服従する者に与える制限的な平和を言いました。不当であっても抵抗せずにじっとしていることで得られる平和です。強者の笑顔から弱者は平和を享受することができません。   パクスはラテン語ですが、後に歴史の中で覇権を握ったすべての者にパクスという名前をつけました。力と平和を同一視し、「私は力があるから、あなたは私にに服従しなさい」ということが覇権的平和です。   韓国教会の成長が頂点であった2000年代初、留学生の集会のコスタに出席したときの講師であったキリスト教大学の著名な学者の講義を聞きました。彼は「パクス・コリアナ」という言葉を言いました。つまり韓国教会の力で世界宣教をしようという話で、当時留学していたキリスト教青年たちの心は熱くなりました。   情熱に満ちた韓国の教会は世界各地に宣教師を派遣しました。しかし、パクス・ロマーナの歴史を理解すると福音宣教において「パクス+国名」という表現は誤解を招きます。もし今までの韓国教会の宣教に反省があるとしたら、宣教地への理解の欠如と韓国教会による強引な移植、言い換えれば間違った方法論によって発生した現地との葛藤です。   韓国という土壌では、弟子訓練という名前の集団教育は量的成長を遂げましたが、教会と信徒の生き方は未だに弟子とは何なのかを定義することができません。   当然の結果として、韓国の宣教師たちの疲労も「無理な韓国式」という非難と反対でした。韓国は韓国の時代に韓国人​​の方法で教会を建てました。そして、それはまだ不完全なものであり、より成熟したところへ導かければならない過程に置かれています。   韓国教会が標準的なモデルになるのではありません。ただ歴史における一つの事例になります。ですから宣教に覇権的動機を与えるというのは危険です。宣教は、領土とイデオロギーの問題ではありません。福音は多様性と普遍性が共存します。教会が政治的右派と左派の分かれることも未熟の産物です。   クリスチャン宣教においてはローカルとグローバルも同じ言葉です。地の果てまで歩いてみると、自分の席に戻ります。神の国は、人を支配する力でもイデオロギーでもありません。   キリストは、ローマの被支配民のユダヤ人として生まれ、死刑囚になり、十字架で処刑されました。それがイエス・キリストががローマに勝ち、また罪を打ち勝った方法です。ローマは、イエス・キリストを殺し、教会を迫害しましたが、そのローマは、イエス・キリストと教会が持っている福音に降伏し、福音を伝える道具になったことを覚えなければなりません。