出エジプト記 QT18 20210424土【信じるものが虚しくなる】出エジプト 9章 1~12

出エジプト記 9章 1~129:1 主はモーセに言われた。「ファラオのところに行って、彼に言え。ヘブル人の神、主はこう言われる。『わたしの民を去らせ、彼らがわたしに仕えるようにせよ。9:2 もしあなたが去らせることを拒み、なおも彼らをとどめておくなら、9:3 見よ、主の手が、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に重い疫病が起こる。9:4 しかし、主はイスラエルの家畜とエジプトの家畜を区別するので、イスラエルの子らの家畜は一頭も死なない。』」9:5 また、主は時を定めて言われた。「明日、主がこの地でこのことを行う。」9:6 主は翌日そのようにされた。エジプトの家畜はことごとく死んだが、イスラエルの子らの家畜は一頭も死ななかった。9:7 ファラオは使いを送った。すると見よ、イスラエルの家畜は一頭も死んでいなかった。それでもファラオの心は硬く、民を去らせなかった。9:8 主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたは、かまどのすすを両手いっぱいに取れ。モーセはファラオの前で、それを天に向けてまき散らせ。9:9 それはエジプト全土にわたって、ほこりとなり、エジプト全土で人と家畜に付き、うみの出る腫れものとなる。」9:10 それで彼らは、かまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセはそれを天に向けてまき散らした。すると、それは人と家畜に付き、うみの出る腫れものとなった。9:11 呪法師たちは、腫れもののためにモーセの前に立てなかった。腫れものが呪法師たちとすべてのエジプト人にできたからである。9:12 しかし、主はファラオの心を頑なにされたので、ファラオは二人の言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりであった。   偶像というのは、角の付いた鬼の形をしていません。人間が神様よりも優先的に頼るものが偶像であります。それは姿を変えながら、どの時代であっても人間の尊厳を破壊するために惑わします。人間は神様の中で生き、神様を礼拝するとき、最も尊厳なる存在になります。出エジプトはその礼拝の尊厳と自由のための戦いです。   五番目の災いは疫病です。疫病は動物に広がった伝染病でした。家畜が集団斃死したから、エジプトの経済に大きな被害があったと思います。そのうらに偶像の問題があります。「アピス」という家畜を主管するといった神がいましたが、アピスそのものも牛です。牛の中の特別な柄をもったものを選び、それに神格が与えます。家畜というのは重要な財産なので、そういう意味で獣も神に名乗った偶像になりました。富が与えられるから仕えるのです。   奇形自然物に神格を与える汎神論はどこでもあります。人間は、富を象徴する自然物に神格を与え、それにおじぎをします。出エジプトしたイスラエルが荒野で金の子牛を作ったのも偶然ではありません。イスラエルもそのような文化の中で育ったからです。しかし、富のため祈り、拝んだアピスを含め、エジプトの牛は、神様が下した疫病で死にました。   第六の災いは人と獣の体に出る腫れでした。エジプトの歴史の中では、「イムホテプ」という影響力のあった医師がいました。それも神になります。医術の神です。イムホテプに祈っても、神様が下した腫れの災いを避けていくことはできませんでした。   疫病と腫れは富と健康をいうものであり、それは人の心の中で神様の代わりに信じる対象となります。人は創造主なる神様が、神様のかたちに造られ、神様の霊を吹き込んで造られた唯一の霊的な存在です。神様は、そのように尊厳たる存在として造られた人間がカエルに祈り、虫と牛に拝むのを許しません。   尊厳を失った人間は何でも神にして拝もうとしますが、いざ、神様を信じようとはしません。十の災いは人間があきらめない偶像を神が壊しておられる過程であります。神様がくださるときは確かに祝福ですが、それを神にしてしまうと災いになります。神様は十の災いを通して、エジプトの人々に自分が信じていることを疑わせているのです。   お金であれ健康であれ、悪いことではありません。必ず必要なよいものです。しかし、それを神様より優先すると、それらは虚しくなります。信じていることが虚しくなる前に、自分が信じることが、自分の持ち物と健康という資源なのか、その資源を与えてくださった神様なのかを考えなければありません。    

출애굽기 QT18 210424토【믿던 것들이 사라질 때】출애굽기 9장 1~12

출애굽기 9장 1~129:1 여호와께서 모세에게 이르시되 바로에게 들어가서 그에게 이르라 히브리 사람의 하나님 여호와께서 말씀하시기를 내 백성을 보내라 그들이 나를 섬길 것이니라9:2 네가 만일 그들 보내기를 거절하고 억지로 잡아 두면9:3 여호와의 손이 들에 있는 네 생축 곧 말과 나귀와 약대와 우양에게 더하리니 심한 악질이 있을 것이며9:4 여호와가 이스라엘의 생축과 애굽의 생축을 구별하리니 이스라엘자손에 속한 것은…

出エジプト記 QT17 20210423金【遠くへ行ってはならない】出エジプト 8章 25~32

出エジプト記 8章 25~328:25 ファラオはモーセとアロンを呼び寄せて言った。「さあ、この国の中でおまえたちの神にいけにえを献げよ。」8:26 モーセは答えた。「それは、ふさわしいことではありません。なぜなら私たちは、私たちの神、主に、エジプト人の忌み嫌うものを、いけにえとして献げるからです。もし私たちがエジプト人の忌み嫌うものを、彼らの目の前でいけにえとして献げるなら、彼らは私たちを石で打ち殺しはしないでしょうか。8:27 私たちは、主が私たちに言われたとおり、荒野へ三日の道のりを行って、私たちの神、主にいけにえを献げなければなりません。」8:28 ファラオは言った。「では、おまえたちを去らせよう。おまえたちは荒野で、おまえたちの神、主にいけにえを献げるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」8:29 モーセは言った。「今、私はあなたのもとから出て行き、主に祈ります。明日、アブが、ファラオとその家臣と民から離れます。ただ、ファラオは、民が主にいけにえを献げるために去ることを阻んで、再び欺くことなどありませんように。」8:30 モーセはファラオのもとから出て行って、主に祈った。8:31 主はモーセのことばどおりにされた。アブは一匹残らず、ファラオとその家臣、および民から離れた。8:32 しかし、ファラオはまたも心を硬くし、民を去らせなかった。   エジプトの全域に蠅が沸き立ったとき、イスラエルの民が住んでいたゴシェンのみ蠅がいませんでした。災いを通してイスラエルの神様がファラオに、イスラエルが荒野に出て礼拝することを望んでおられるという明確なメッセージを伝えるたのです。そのサインを拒否することができなかった、ファラオはモーセに、エジプトで礼拝をささげることはどうかと聞きます。災いは恐ろしく奴隷を放すことはもったいなかったからです。   これに対してモーセは、エジプトの脅威の中で、礼拝することができないから、礼拝のために三日の道を歩いて行かなければならないということを言います。繰り返された災害にちょっと気が折れたファラオは、今度は「遠くまでは行くな」と言います。エジプトで礼拝をささげるということと遠くまで離れないという妥協案は、区別せずに混合された状態で、礼拝することになります。   それから、神様に礼拝をささげるとき、自分のために祈ってくれと要請します。神様を信じたら、自分が選択して決めればいいことです。ファラオの祈り課題は、イスラエルの奴隷はこれからの維持し、エジプトの災いはこれで終わりにしてもらいたいというものです。神様は私を祝福してくださらなければならない、ただ私は神様を信じないという祈りです。   信仰のゆえに身内に反対を受けることができます。止めてみますが、やめないと思ったら皆が異口同音にする言葉が今日の本文のファラオの言葉です。「教会に行ってもあまりはまらないでね。適当に信じなさい。遠くに行ってはいけない。」ということです。   「適当」という言葉は良い言葉ですが、モーセのように、それは不可能です。世の考えに縛られた状態で、礼拝することはできないからです。離れてみなければ自分がいたところが見えません。離れてみると縛られていたと自分が見え、神様が見えます。ファラオがかわいそうなのは、最後の滅亡の瞬間まで力があったから、自分を離れてから自分を見るチャンスがなかったことです。   礼拝は区別です。出エジプトは、奴隷から救い出し、解放し、自由にし、礼拝するためです。奴隷にされた状態で二人の主人に仕えながら礼拝することはできません。礼拝の場所がどこかという場所の問題ではありません。自分を支配していることが何なのかを知って、それから逃げ出さなければ礼拝に成功することができません。

출애굽기 QT17 210423금【너무 멀리는 가지 말라】출애굽기 8장 25~32

출애굽기 8장 25~328:25 바로가 모세와 아론을 불러 이르되 너희는 가서 이 땅에서 너희 하나님께 희생을 드리라8:26 모세가 가로되 그리함은 불가하니이다 우리가 우리 하나님 여호와께 희생을 드리는 것은 애굽 사람의 미워하는 바이온즉 우리가 만일 애굽 사람의 목전에서 희생을 드리면 그들이 그것을 미워하여 우리를 돌로 치지 아니하리이까8:27 우리가 사흘길쯤 광야로 들어가서 우리 하나님 여호와께 희생을 드리되 우리에게…

出エジプト記 QT16 20210422木【虫に追われた心】出エジプト 8章 16~24

出エジプト記 8章 16~248:16 主はモーセに言われた。「アロンに言え。『あなたの杖を伸ばして、地のちりを打て。そうすれば、ちりはエジプトの全土でブヨとなる』と。」8:17 彼らはそのように行った。アロンは杖を持って手を伸ばし、地のちりを打った。すると、ブヨが人や家畜に付いた。地のちりはみな、エジプト全土でブヨとなった。8:18 呪法師たちも、ブヨを出そうと彼らの秘術を使って同じようにしたが、できなかった。ブヨは人や家畜に付いた。8:19 呪法師たちはファラオに「これは神の指です」と言った。しかし、ファラオの心は頑なになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が言われたとおりであった。8:20 主はモーセに言われた。「明日の朝早く、ファラオの前に出よ。見よ、彼は水辺に出て来る。彼にこう言え。主はこう言われる。『わたしの民を去らせ、彼らがわたしに仕えるようにせよ。8:21 もしもわたしの民を去らせないなら、わたしは、あなたと、あなたの家臣と民、そしてあなたの家々にアブの群れを送る。エジプトの家々も、彼らのいる地面も、アブの群れで満ちる。8:22 わたしはその日、わたしの民がとどまっているゴシェンの地を特別に扱い、そこにはアブの群れがいないようにする。こうしてあなたは、わたしがその地のただ中にあって主であることを知る。8:23 わたしは、わたしの民をあなたの民と区別して、贖いをする。明日、このしるしが起こる。』」8:24 主はそのようにされた。おびただしいアブの群れが、ファラオの家とその家臣の家に入って来た。エジプトの全土にわたり、地はアブの群れによって荒れ果てた。   続く災いは、ブヨとアブの災いです。地のちりがブヨになって人と家畜にくっ付き、またエジプト全土にアブが沸き立ちました。ブヨは、家畜や人の体に寄生しながら血を吸い取り、アブは病原体を移します。これらの虫が人と世を覆ったため、エジプトの者たちは日常を営むことができなくなりました。   現代では、生活の質(QOL; Quality of Life)ということに関心が高まりました。ブヨとアブが沸き立つ社会の生活の質は良くなることがありません。ここで神様がこの災いを下した理由をもう一度考えますす。エジプトに災いがあるのは、ファラオがイスラエルの民の礼拝を妨げているからです。礼拝を妨げるエジプトの生活の質は墜落しました。   人間の生活の質は、神様を礼拝することを通して守られ、改善されます。人間は何かの奴隷ではなく、尊厳をもった自由な存在として神様を礼拝するとき、最も人間らしさを保つことができます。イスラエルの民は、礼拝の自由を失い、世の奴隷になったため、生活の質を失ってしまい、ファラオは、イスラエルの民を労働と生産のための奴隷にし、礼拝を剥奪したため、生活の質を失ってしまいました。虫によって生活を営むことができないほど生活の質は暴落しました。   ウィリアム・ゴールディングの「蝿の王(Lord of the Flies)」は、無人島に漂流した少年たちの生活の質がどのように破壊されていくのかを綴った話しです。島で少年たちは野蛮人に変わっていきます。生存するために力だけが唯一の価値であると考えます。そして信仰、理性、良心は麻痺していき、やがて人間性を失います。   タイトルが「蝿の王」であるのは、新約聖書に出てくる「ベルゼブル」の翻訳です。ヘブライ語でベルが王という言葉でゼブルが蠅というです。ですから「蝿の王」は「ベルゼブル」の名前です。ベルゼブルは悪魔を言い、それは蠅の王ということです。人間の生活の質を落とし取るための、パリの群れの頭です。   理性と良心の力が弱くなり、礼拝が中断されてしまうと、人間の生活の質は落ちます。もし、ブヨがくっ付いたように全身がかゆく、不満とイライラに満ちているなら、礼拝を回復しなければならない時です。アブの群れの妨げのの音が聞こえると、礼拝を通して人間性の回復しなければならない時です。礼拝を通して、私たちの生活の質が信仰においても、社会においても、経済においても、より向上したハイクオリティになることを願います。

출애굽기 QT16 210422목【벌레로 뒤덮인 마음】출애굽기 8장 16~24

출애굽기 8장 16~248:16 여호와께서 모세에게 이르시되 아론에게 명하기를 네 지팡이를 들어 땅의 티끌을 치라 하라 그것이 애굽 온 땅에서 이가 되리라8:17 그들이 그대로 행할새 아론이 지팡이를 잡고 손을 들어 땅의 티끌을 치매 애굽 온 땅의 티끌이 다 이가 되어 사람과 생축에게 오르니8:18 술객들이 자기 술법으로 이같이 행하여 이를 내려 하였으나 못하였고 이는 사람과 생축에게 있은지라8:19…

出エジプト記 QT15 20210421水【神になったカエルの最後】出エジプト 8章 1~15

出エジプト記 8章 1~158:1 主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行って言え。主はこう言われる。『わたしの民を去らせ、彼らがわたしに仕えるようにせよ。8:2 もしあなたが去らせることを拒むなら、見よ、わたしはあなたの全領土を蛙によって打つ。8:3 ナイル川には蛙が群がり、這い上がって来て、あなたの家に、寝室に入って、寝台に上り、またあなたの家臣の家に、あなたの民の中に、さらに、あなたのかまど、こね鉢に入り込む。8:4 こうして蛙が、あなたと、あなたの民とすべての家臣の上に這い上がる。』」8:5 主はモーセに言われた。「アロンに言え。『杖を持って、あなたの手を川の上、水路の上、池の上に伸ばせ。そして蛙をエジプトの地に這い上がらせよ』と。」8:6 アロンが手をエジプトの水の上に伸ばすと、蛙が這い上がって、エジプトの地をおおった。8:7 呪法師たちも彼らの秘術を使って、同じように行った。彼らは蛙をエジプトの地の上に這い上がらせた。8:8 ファラオはモーセとアロンを呼び寄せて言った。「私と私の民のところから蛙を除くように、主に祈れ。そうすれば、私はこの民を去らせる。主にいけにえを献げるがよい。」8:9 モーセはファラオに言った。「蛙があなたとあなたの家から断たれ、ナイル川だけに残るようにするため、私が、あなたと、あなたの家臣と民のために祈るので、いつがよいかを指示してください。」8:10 ファラオが「明日」と言ったので、モーセは言った。「あなたのことばどおりになりますように。それは、あなたが、私たちの神、主のような方はほかにいないことを知るためです。8:11 蛙は、あなたと、あなたの家、家臣、民から離れて、ナイル川だけに残るでしょう。」8:12 こうしてモーセとアロンはファラオのもとから出て行った。モーセは、自分がファラオに約束した蛙のことで主に叫んだ。8:13 主がモーセのことばどおりにされたので、蛙は家と庭と畑から死に絶えた。8:14 人々はそれらを山のように積み上げたので、地は悪臭で満ちた。8:15 ところが、ファラオは一息つけると思うと、心を硬くし、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が言われたとおりであった。   第二の災いは、蛙による災いです。ナイル川が氾濫してから水が抜けると、湿地が立ちますが、その上に大量の蛙が繁殖します。氾濫の危機が終わり、土地が肥沃になると人々の心には富作の期待感がありました。ちょうどその時に現われた蛙は歓迎される存在でした。さらに、蛙は驚異的な繁殖力を持っているので、農業社会では多産のしるしとなり、蛙をエジプトの神になりました。ですから、古代エジプトの壁画には、女性の体に蛙の頭をしたカメ忍者のようなものがたくさんあります。それが「ヘケト」と言う多産の女神です。エジプト人にとって蛙はもう一つの神だったのです。   神様はそれを二度は見たくないようないやらしいものにさせます。神様は多産と言って蛙を神にしたエジプト全土に本当の多産というのが何なのかを示してくださいます。エジプトは蛙の世になります。豊かさの源だと思っていたナイル川は血に変わり、生き物は腐って、神にして仕えた蛙の死体は積み重なった山のようになりました。エジプトは神様から与えられた祝福の贈り物を偶像にしましたが、神様は、神様のない祝福は悪臭と虚無に過ぎないということを示されたのです。蛙の死体がたまって悪臭を放つ前に蛙が神ではないということに気づいたらよかったのです。   呪法師たちも不思議なことを行いますがが、問題を解決する力はありません。ファラオはモーセにこの蛙を解決してくれれば明日でもイスラエルの民を放してあげると約束します。しかし残念ながらファラオは問題が解決されたらすぐ気が変わって言ったことを実行しませんでした。ファラオの愚かさ頑なさは、ナイル川と蛙の死体からの悪臭に劣らずひどいものでした。神様は確かに働いておられ、神様がなさることを見ていない人はいません。見ても認めない、経験しても信じないのです。自分が信じていることが腐っていることを目の当たりにしながら、それを捨てることはしません。

출애굽기 QT15 210421수【신이 되었던 개구리의 최후】출애굽기 8장 1~15

출애굽기 8장 1~158:1 여호와께서 모세에게 이르시되 너는 바로에게 가서 그에게 이르기를 여호와의 말씀에 내 백성을 보내라 그들이 나를 섬길 것이니라8:2 네가 만일 보내기를 거절하면 내가 개구리로 너의 온 지경을 칠 지라8:3 개구리가 하수에서 무수히 생기고 올라와서 네 궁에와 네 침실에와 네 침상 위에와 네 신하의 집에와 네 백성에게와 네 화덕에와 네 떡반죽 그릇에 들어갈지며8:4 개구리가…

出エジプト記 QT14 20210420火【ナイル川が死んだ日】出エジプト 7章 14~25

出エジプト記 7章 14~257:14 主はモーセに言われた。「ファラオの心は硬く、民を去らせることを拒んでいる。7:15 あなたは朝、ファラオのところへ行け。見よ、彼は水辺に出て来る。あなたはナイル川の岸に立って、彼を迎えよ。そして、蛇に変わったその杖を手に取り、7:16 彼に言え。『ヘブル人の神、主が私をあなたに遣わして言われました。わたしの民を去らせ、彼らが荒野でわたしに仕えるようにせよ、と。しかし、ご覧ください。あなたは今までお聞きになりませんでした。7:17 主はこう言われます。あなたは、次のことによって、わたしが主であることを知る、と。ご覧ください。私は手に持っている杖でナイル川の水を打ちます。すると、水は血に変わり、7:18 ナイル川の魚は死に、ナイル川は臭くなります。それで、エジプト人はナイル川の水を飲むのに耐えられなくなります。』」7:19 主はモーセに言われた。「アロンに言え。『あなたの杖を取り、手をエジプトの水の上、その川、水路、池、すべての貯水池の上に伸ばしなさい。そうすれば、それらは血となり、エジプト全土で木の器や石の器にも血があるようになる。』」7:20 モーセとアロンは主が命じられたとおりに行った。モーセはファラオとその家臣たちの目の前で杖を上げ、ナイル川の水を打った。すると、ナイル川の水はすべて血に変わった。7:21 ナイル川の魚は死に、ナイル川は臭くなり、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。エジプト全土にわたって血があった。7:22 しかし、エジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。それで、ファラオの心は頑なになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が言われたとおりであった。7:23 ファラオは身を翻して自分の家に入り、このことにも心を向けなかった。7:24 全エジプトは飲み水を求めて、ナイル川の周辺を掘った。ナイル川の水が飲めなかったからである。7:25 主がナイル川を打たれてから七日が満ちた。   災害の始まりはナイル川が血です。ナイル川の水が変わって血になりました。歴史的に人類は水がある川沿いに栄えました。エジプトのナイル川は、世界で最も長い川であり、古代エジプトの繁栄は、ナイル川の贈り物です。ナイル川はよく氾濫したものですが、それに対応して灌漑施設が発展したため、農業も発展しました。河川の氾濫という危機も農業の発展につながったのです。   ナイル川が作り上げたデルタは、エジプト全体の面積の3%にすぎませんが、今でも人口ほとんどがそこに住んでいます。エジプトが頑張ったからなく、その地に乳が流れていてエジプトはそれを飲んで育ちました。ですから、エジプトとファラオは、ナイル川に仕えたわけです。それは、エジプトの絶対的な産業基盤であり、彼らの信仰でした。   ところが、誰も川を作ることはできません。誰も雨を降らせず、その川が流させ、海にすることはできません。もちろん人間の技術が発展すれば、ダムを作ることも、灌漑施設を作ることもできます。人工河川も、人工降雨をできます。しかし、それはエジプトの呪法師のように部分的にマネをするだけです。   高慢の理由は愚かさです。愚かな人は、ナイル川がどうして存在するのか質問しません。ナイル川という乳が流れているから、それだけを信じて生きればいいと思うのです。しかし、食べることができる幸せというのは、労働へと自然への感謝、財政への感謝ですが、それ以前に根源的理由である神への感謝すべきです。   命であるナイル川が死の象徴である血に変わりました。川が血に変わり、川に生きていたものが死し、臭がしました。神様は、ナイル川を仕えていたエジプトの思いから作り出した神々を死に追い詰めたのです。彼らはナイル川を神としました。ナイル川の恵みは、奴隷を働かせた自分たちの苦労だと思いました。しかし、その偽りと高ぶりと愚かさはナイル川の中で死に、川は血の海となりました。   ファラオは貪欲のために、イスラエルを犠牲します。しかし、神様は間違いなくイスラエルを救ってくださいます。ただし、大切に思うことは、神様がエジプトの側ではないように、イスラエルの側でもないということです。解放されたイスラエルが高ぶって弱者を苦しめるとき、神様は同じように、イスラエルをも懲戒されたからです。   ナイル川が血に変わったときにファラオは恐れなければありませんでした。しかし、致命的な神様の設定、ファラオは心がかたくなになっていました。私たちは、22節の「主が言われたとおりであった」という言葉を恐れを持って読まなければありません。神様はファラオを用いておられますが、イスラエルの救いのために、エジプトとファラオが滅びる道で用いておられます。   どのような役に選ばれるか、どのように用いられるかについては私たちは何も言うことができません。それは、神様の固有の権限です。といっても、ファラオに選択の余地がないわけではありません。私たちができる最善のことは、ナイル川という目に見えることに神として高ぶり、また警告を無視するようなかたくなになってしまった、もしくはかたくなになるつつある自分に気づき、善をもって用いられるところに移ることしかありません。

출애굽기 QT14 210420화【나일강이 죽던 날】출애굽기 7장 14~25

출애굽기 7장 14~257:14 여호와께서 모세에게 이르시되 바로의 마음이 완강하여 백성 보내기를 거절하는도다7:15 아침에 너는 바로에게로 가라 그가 물로 나오리니 너는 하숫가에 서서 그를 맞으며 그 뱀 되었던 지팡이를 손에 잡고7:16 그에게 이르기를 히브리 사람의 하나님 여호와께서 나를 왕에게 보내어 이르시되 내 백성을 보내라 그들이 광야에서 나를 섬길 것이니라 하였으나 이제까지 네가 듣지 아니하도다7:17 여호와가 이같이…