士師記 QT9 210819木【ギデオンに勝てる方法】士師記 7章 9~25

士師記 7章 9~257:9 その夜、主はギデオンに言われた。「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから。7:10 もし、あなたが下って行くことを恐れるなら、あなたの従者プラと一緒に陣営に下って行き、7:11 彼らが何を言っているかを聞け。その後、あなたの手は強くなって、陣営に攻め下ることができる。」ギデオンと従者プラは、陣営の中の隊列の端まで下って行った。7:12 ミディアン人やアマレク人、またすべての東方の民が、いなごのように大勢、平地に伏していた。彼らのらくだは、海辺の砂のように多くて数えきれなかった。7:13 ギデオンがそこに来ると、ちょうど一人の者が仲間に夢の話をしていた。「聞いてくれ。私は夢を見た。見ると、大麦のパンの塊が一つ、ミディアン人の陣営に転がって来て、天幕に至り、それを打ったので、それは崩れ落ちて、ひっくり返った。こうして天幕は倒れてしまった。」7:14 すると、その仲間は答えて言った。「それはイスラエル人ヨアシュの子ギデオンの剣でなくて何であろうか。神が彼の手に、ミディアン人と全陣営を渡されたのだ。」7:15 ギデオンはこの夢の話と解釈を聞いたとき、主を礼拝し、イスラエルの陣営に戻って言った。「立て。主はミディアン人の陣営をあなたがたの手に渡された。」7:16 彼は三百人を三隊に分け、全員の手に角笛と空の壺を持たせ、その壺の中にたいまつを入れさせて、7:17 彼らに言った。「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもしなければならない。7:18 私と、私と一緒にいるすべての者が角笛を吹いたら、あなたがたもまた、全陣営を囲んで角笛を吹き鳴らし、『主のため、ギデオンのため』と言わなければならない。」7:19 真夜中の夜番が始まるとき、ギデオンと、彼と一緒にいた百人の者が陣営の端に着いた。ちょうどそのとき、番兵が交代したばかりであったので、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていた壺を打ち壊した。7:20 三隊の者が角笛を吹き鳴らして、壺を打ち砕き、左手にたいまつを、右手に吹き鳴らす角笛を固く握って「主のため、ギデオンのための剣」と叫んだ。7:21 彼らはそれぞれ持ち場に立ち、陣営を取り囲んだので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。7:22 三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は陣営全体にわたって同士討ちが起こるようにされたので、軍勢はツェレラの方のベテ・ハ・シタや、タバテの近くのアベル・メホラの岸辺まで逃げた。7:23 イスラエル人は、ナフタリ、アシェル、また全マナセから呼び集められて、ミディアン人を追撃した。7:24 ギデオンはエフライムの山地全域に使者を遣わして言った。「下りて来て、ミディアン人を迎え撃て。彼らから、ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取れ。」エフライム人はみな呼び集められ、ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取った。7:25 彼らはミディアン人の二人の首長オレブとゼエブを捕らえ、オレブをオレブの岩で殺し、ゼエブをゼエブのぶどうの踏み場で殺した。こうしてエフライム人はミディアン人を追撃したが、オレブとゼエブの首は、ヨルダン川の反対側にいたギデオンのところに持って行った。   7章は、引き続き300人のイスラエル精鋭部隊と135,000人のミディアン軍隊との戦いの展開を述べています。神様がイスラエルの兵力を32,000人から300人に減らしたので、これから300人で135,000人のミディアン軍を破らなければなりません。果たして450倍にもなる巨大なゴリアテのような存在を倒すことができるでしょうか?今朝の本文は、それがどのように実現されるかを語っています。   300人が残ったイスラエルの精鋭部隊は、神様の命令によって敵陣を偵察します。そこでギデオンは彼らの夢の話しを聞くことによって敵陣の士氣を確認します。ギデオンとイスラエル軍隊を象徴する大麦のパンが雪だるまのように転がって、ミデヤンを襲う夢です。ミデヤン偵察の結論は、彼らが恐れているということでした。恐怖は想像の中で雪だるまのように大きくなるものです。   ギデオン軍は、ミディアンの人数を恐れましたが、相手もギデオン軍を恐れていたのは同じでした。戦いに恐れはありますが、相手にも恐れはあります。自分の恐れを特殊化してそれをさらに大きくしてしまうと戦力と関係なく、士氣ですでに負けたのです。相手を恐れ始めると勝つことはできません。   ギデオンは恐れる時ではなく、勇気を出す時であることが分かりました。状況は何も変わりませんが、士氣は上がりました。それが神様がギデオン軍にされたことです。内的動機を強化し、戦う意志と勝てるという自信感を吹き込みました。ゴリアテとダビデの大きさは変わりません。状況も変わりません。ただダビデの士氣と自信は、ゴリアテを倒します。 ギデオンは恐れていたミディアン軍の番兵の交代の際に角笛を吹き鳴らし、壺を打ち壊しました。音を出して敵陣をかく乱しました。恐れていたミディアン軍は、大きな音に驚き、慌てます。「三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は陣営全体にわたって同士討ちが起こるようにされた…22」ミディアン軍が恐れていてさらに大きな音に驚き、逃げながら刀を抜き、振り回しましたが、それがお互いを殺す刀になりました。

사사기묵상 QT9 210819목【미디안을 이기는 방법】사사기 7장 9~25

사사기 7장 9~257:9 이 밤에 여호와께서 기드온에게 이르시되 일어나 내려가서 적진을 치라 내가 그것을 네 손에 붙였느니라7:10 만일 네가 내려가기를 두려워 하거든 네 부하 부라를 데리고 그 진으로 내려가서7:11 그들의 하는 말을 들으라 그후에 네 손이 강하여져서 능히 내려가서 그 진을 치리라 기드온이 이에 그 부하 부라를 데리고 군대가 있는 진가에 내려간즉7:12 미디안 사람과 아말렉…

士師記 QT8 210818水【ギデオン軍の兵力減縮】士師記 7章 1~8

士師記 7章 1~87:1 エルバアルすなわちギデオンと、彼とともにいた兵はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いた。ミディアン人の陣営は、その北、モレの丘に沿った平地にあった。7:2 主はギデオンに言われた。「あなたと一緒にいる兵は多すぎるので、わたしはミディアン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないからだ。7:3 今、兵たちの耳に呼びかけよ。『だれでも恐れおののく者は帰り、ギルアデ山から離れよ』と。」すると、兵のうちの二万二千人が帰って行き、一万人が残った。7:4 主はギデオンに言われた。「兵はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下って行け。わたしはそこで、あなたのために彼らをより分けよう。わたしがあなたに、『この者はあなたと一緒に行くべきである』と言うなら、その者はあなたと一緒に行かなければならない。またわたしがあなたに、『この者はあなたと一緒に行くべきではない』と言うなら、だれも行ってはならない。」7:5 そこでギデオンは兵を連れて、水辺に下って行った。主はギデオンに言われた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にせよ。また、飲むために膝をつく者もすべてそうせよ。」7:6 すると、手で口に水を運んですすった者の数が三百人であった。残りの兵はみな、膝をついて水を飲んだ。7:7 主はギデオンに言われた。「手で水をすすった三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミディアン人をあなたの手に渡す。残りの兵はみな、それぞれ自分のところに帰らせよ。」7:8 そこで三百人の者は、兵の食糧と角笛を手に取った。こうして、ギデオンはイスラエル人をみな、それぞれ自分の天幕に送り返し、三百人の者だけを引きとどめた。ミディアン人の陣営は、彼から見て下の方の平地にあった。   イスラエル軍は32,000人で、ミディアンの軍は135,000人でした。数的劣勢のイスラエルがミディアンと戦うためには兵力を増強する必要があります。ところが、神様はかえってギデオン軍の兵力を減らしてしまいます。二つの基準がありました。まずは、恐れている者たち帰らせます。それで22,000人が帰り、10,000人が残りました。   神様は人間の数字にこだわる方ではありません。そこで、さらに減らし続けます。水を飲むときに膝をついて無防備状態で水を飲んだ9,700人を帰らせ、ひざまずかず、手で水を組み、犬のように舐めて飲んだ300人だけを残されました。結局、ギデオン軍は32,000人から300人まで減り、ミデヤン兵力135,000人に比べると450分の1しかありませんでした。   現実的に不可能な兵力です。しかし、そこから、神様は、神様の可能性を現します。恐れている人は神様を信じないからです。彼らは除外されます。また、緊張せずに、軍人の姿勢を持たない者もアウトです。神様は少数の人を用いられます。信仰のゆえに状況を恐れない人、しかし、信仰のゆえに自分の役割はしっかり守る人です。   神様が人数を減らしたのは、イスラエルが「自分の手で自分を救った」と言わないようにするためです。神様はイスラエル軍に勝利を持ってきなさいと言われません。神様ご自身がなさることを見なさいということです。結局、神様のなさることを見る人は、信仰と勇気を持っている人のみです。帰った22,000人は、神様が戦いを目で見ても自分の手で勝ったと言う者です。神様が現れても、神様を体験することができない人です。   自分が持っている資源は小さく弱いものですが、神様がそれをもって挑戦しなさいと言われる時に恐れてはいけません。数字は大切ではありません。指数が減っていても、恐れずに神様に頼ります。今が、神様が戦うことを経験する機会です。ただし、警戒と緊張を緩めずに、自分の役割のために目を覚ましているのです。誇るべき22,000人、頼るべき9,700人を捨てなければ、結局に神様を体験することも、神様がなさることを誇ることも、神様を信じることもできなくなります。

사사기묵상 QT8 210818수【기드온 부대의 병력 감축】사사기 7장 1~8

사사기 7장 1~87:1 여룹바알이라 하는 기드온과 그를 좇은 모든 백성이 일찌기 일어나서 하롯샘 곁에 진 쳤고 미디안의 진은 그들의 북편이요 모레산 앞 골짜기에 있었더라7:2 여호와께서 기드온에게 이르시되 너를 좇은 백성이 너무 많은즉 내가 그들의 손에 미디안 사람을 붙이지 아니하리니 이는 이스라엘이 나를 거스려 자긍하기를 내 손이 나를 구원하였다 할까 함이니라7:3 이제 너는 백성의 귀에 고하여…

士師記 QT7 210817火【神様の御旨を探る祈り】士師記 6章 33~40

士師記 6章 33~406:33 ミディアン人やアマレク人、また東方の人々はみな連合してヨルダン川を渡り、イズレエルの平野に陣を敷いた。6:34 主の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が集まって来て、彼に従った。6:35 ギデオンはマナセの全域に使者を遣わしたので、彼らもまた、呼び集められて彼に従った。また彼は、アシェル、ゼブルン、そしてナフタリに使者を遣わし、彼らも上って来て合流した。6:36 ギデオンは神に言った。「もしあなたが言われたとおり、私の手によってイスラエルを救おうとされるのなら、6:37 ご覧ください。私は刈り取った一匹分の羊の毛を打ち場に置きます。もしその羊の毛だけに露が降りていて、土全体が乾いていたら、あなたが言われたとおり、私の手によって、あなたがイスラエルをお救いになると私に分かります。」6:38 すると、そのようになった。ギデオンが翌日朝早く、羊の毛を押しつけて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。6:39 ギデオンは神に言った。「私に向かって御怒りを燃やさないでください。私にもう一度だけ言わせてください。どうか、この羊の毛でもう一度だけ試みさせてください。今度はこの羊の毛だけが乾いていて、土全体には露が降りるようにしてください。」6:40 神はその夜、そのようにされた。羊の毛だけが乾いていて、土全体には露が降りていたのであった。   神様の御心が知りたくて悩むことがあります。自分に対する神様のご計画を見つけるということは、信仰者であれば、誰にでも与えられている課題です。誰も避けられません。その過程を省いて信仰生活を送る方法はありません。神様を知り、私に対する神様の御意志を知り、それに聞き従う過程がまさに信仰です。ですから私たちは、自分に対する神様の御旨を見つけるために祈ります。   ところが、ある場合には、答えを決めておいて祈ることがあります。行きたい道とやりたいことは、自分の中ですでに決めておいてそれに合わせる言葉を求めます。実際は探りたいことも聞きたいこともありません。自分が願っていることしたいだけです。だから自分の結論に合わせた神様の御言葉や解釈を裏付けます。自分を空にしない祈りからは、神様の御声が聞こえることはありません。祈りさえ自分の合理化の道具として用いるのです。   私は大切な選択の岐路で6ヶ月間祈ったことがあります。3日間の断食祈りを始めましたが、何の御言葉何も与えられなかったので、断食を終え6ヶ月間祈ることを約束しました。180日間、毎朝のQTで神様に出会い、御言葉を聞きました。毎朝、神様は私に語られました。そしてその御言葉の意味を探るために一日中勉強しながら悩みました。黙想を学ぶ機会でした。 6ヶ月後に、私が持っていた問題に対する答えが分かりました。180日間の重なった御言葉は、鮮明な答えだったので、それ以上の疑問や混乱の余地はありませんでした。   そこから残るのは従順の問題です。神様の御旨も分からないのに従順することはできないからです。それは、神様をテストすることではありません。むしろ自分の意のままに、それに対して従順したと言うことこそが、神様を試みることです。ギデオンは今、イスラエル連合軍を結成して、ミディアンとの戦いを始めるところです。自分の責任で、この戦争を始めてもよいのか、神様に尋ねています。朝露が羊の毛をぬらすように祈ると、その通りにました。再び羊の毛を除いた地面をぬらすように祈ると、その通りになりました。重なった神様の言葉は、約束になり、信仰になり、使命になります。ギデオンはそれに従いました。やがてその御言葉は現実になります。

사사기묵상 QT7 210817화【하나님의 뜻을 찾는 기도】사사기 6장 33~40

사사기 6장 33~406:33 때에 미디안 사람과 아말렉 사람과 동방 사람들이 다 모여 요단을 건너와서 이스르엘 골짜기에 진을 친지라6:34 여호와의 신이 기드온에게 강림하시니 기드온이 나팔을 불매 아비에셀 족속이 다 모여서 그를 좇고6:35 기드온이 또 사자를 온 므낫세에 두루 보내매 그들도 모여서 그를 좇고 또 사자를 아셀과 스불론과 납달리에 보내매 그 무리도 올라와서 그를 영접하더라6:36 기드온이 하나님께…

士師記 QT6 210816月【エルバアル・ギデオン】士師記 6章 25~32

士師記 6章 25~326:25 その夜、主はギデオンに言われた。「あなたの父の若い雄牛で、七歳の第二の雄牛を取り、あなたの父が持っているバアルの祭壇を壊し、そのそばにあるアシェラ像を切り倒せ。6:26 あなたの神、主のために、その砦の頂に石を積んで祭壇を築け。あの第二の雄牛を取り、切り倒したアシェラ像の木で全焼のささげ物を献げよ。」6:27 そこで、ギデオンは自分のしもべの中から十人を引き連れて、主が言われたとおりに行った。しかし、彼は父の家の者や、町の人々を恐れたので、昼間はそれをせず、夜に行った。6:28 町の人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、バアルの祭壇は打ち壊され、そのそばにあったアシェラ像は切り倒され、新しく築かれた祭壇の上には、第二の雄牛が献げられていた。6:29 そこで、彼らは互いに言った。「だれがこのようなことをしたのか。」彼らは調べて尋ね回り、「ヨアシュの子ギデオンがこれをしたのだ」と言った。6:30 町の人々はヨアシュに言った。「おまえの息子を引っ張り出して殺せ。あれはバアルの祭壇を打ち壊し、そばにあったアシェラ像も切り倒したのだ。」6:31 すると、ヨアシュは自分に向かって来たすべての者に言った。「あなたがたは、バアルのために争おうというのか。あなたがたは、それを救おうとするのか。バアルのために争う者は、朝までに殺される。もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が打ち壊されたのだから、自分で争えばよいのだ。」6:32 こうして、その日、父は「バアルは自分で彼と争えばよい。なぜなら彼はバアルの祭壇を打ち壊したのだから」と言って、ギデオンをエルバアルと呼んだ。   神様はギデオンにバアル祭壇を壊し、アシェラ像を切り倒すように、さらにそれを薪にして、7才の雄牛をとり、神様の全焼のいけにえとしてささげるようにと命じられました。イスラエルがミデヤンに苦しまれた時間がもう7年目だからです。バアルについては偶像とか異邦の神と言う前に虚像と言わなければなりません。それに人間に富と幸いを与える力はありません。それを破壊するということは、何もないことを何もない状態で戻すことだけだからです。   イスラエルがミデヤンに圧制されているところだったのでそれらの像を毀損することは恐いことです。ギデオンは、人々を恐れ、昼ではなく夜にバアルを破壊し、アシェラを切り倒しました。翌朝、人々が起きてみると、バアルの祭壇は破壊され、アシェラ像は蒔きになり、雄牛が焼かれていることを見ました。ギデオンは神様の命令を実行しました。   神様はご自身のために人を用いる祭に、まだ現実が整えられてないところで信仰を問われます。モーセをファラオに送ったときも、ダビデをゴリアテの前に立たせたときも、エリヤをアハブ王に送ったときも非現実的な状況の中で先に信仰を求められました。   ギデオンは神様の命令を実行しますが、実にギデオンは、気が小さくて臆病な人でした。世に対して恐れないということは、神様に対して恐れていることであって、神様を恐れることこそが、神様を信じていることです。同じように世に対して恐れているのは、神様を信じていないからです。ギデオンは、バアルと戦うという意味で「エルバアル」と呼ばれました。神様を信じているなら、私たちの中にある虚像と対決することはできるのではないでしょうか?

사사기묵상 QT6 210816월【여룹바알 기드온】사사기 6장 25~32

사사기 6장 25~326:25 그 날 밤에 여호와께서 기드온에게 이르시되 네 아버지에게 있는 수소 곧 칠 년 된 둘째 수소를 끌어 오고 네 아버지에게 있는 바알의 제단을 헐며 그 곁의 아세라 상을 찍고6:26 또 이 산성 꼭대기에 네 하나님 여호와를 위하여 규례대로 한 제단을 쌓고 그 둘째 수소를 잡아 네가 찍은 아세라 나무로 번제를 드릴지니라 하시니라6:27…

枝川のレホボテ

  枝川は、1940年に東京で開かれる予定だったオリンピックのための浄化事業によって、強制移住させられた在日朝鮮人が住み着いた地域です。1991年母教会の足立愛の教会によって礼拝が始まり、これまで30年間礼拝してきました。教会は、埋立地のブロックの行き止まりにありました。教会が借りた場所は13坪の小さな教会でした。   1ヶ月前に脳出血で倒れた重道(崔、74才)姉妹は、枝川1丁目の工場で働いていたのですが、出勤する前、早天祈祷会に来て「日が当たるところに引越しができるように」と、いつも祈りをささげていました。教会が北向きの1階だったため、一日中日が当たらなかったのです。姉妹の職場は、日当たりが良かったので、いつもそのことを気にかけていたのかも知れません。しかしこれは偶然なのでしょうか。教会は、姉妹が働いていたその工場を買い取ることになり、その場所は礼拝堂となりました。今や教会は日当たりの良い100坪の建物が与えられ、礼拝中に子どもたちを公園で遊ばせることをしなくても済むようになりました。   教会の財政は、当初提示された金額の50分の1もありませんでした。現実的に購入活動を始める根拠は何も無かったのです。何度も挑戦しましたが、扉は開かれませんでした。最後のチャンスに教団に助けられ、購入活動を始めてから1年半ぶりに、ついに該当建物を購入することができました。小人数の信徒たちは献堂のために最善のものをささげました。「借金をしても献金します」と言う信徒を牧師がやめさせるほどでした。会ったこともない韓国教会の信徒たちは、東京の教会が建物を持つということに対して、喜びをもって献金を送ってくださいました。   建物の元所有者は、在日の方で敗戦後、お姉さんは韓国に行き、ご自身は日本に残ったそうです。お姉さんは、韓国でクリスチャンになり、一生宣教師として働いたとのことでした。どこかに隠れていたお祈りが今、形になって現われているように思えます。イサクが出会った広いところ、レホボテで今、枝川愛の教会は、再び30年の礼拝と宣教をスタートしました。30年後には、次の世代が結ばれた実を見て喜ぶことができるように、私たちもあちらこちらに、祈りを植えていかなければならないと思っています。

에다가와의 르호봇

  에다가와는 1940년 동경에서 열릴 예정이던 올림픽을 위한 정화사업으로 강제 이주되었던 재일조선인들이 살던 지역입니다. 1991년 모교회인 아다치 사랑의 교회에 의해 예배가 시작되었고 이곳에서 30년을 예배해 왔습니다. 교회는 매립지 블록의 막다른 골목에 있었습니다. 교회가 빌려 쓰는 공간은 13평 남짓으로 아주 작고 좁은 교회였습니다.   한 달 전 뇌출혈로 쓰러진 시게미치(최)자매는 에다가와 1초메에 있는 공장에 다녔습니다. 공장에…