ヨブ記 QT16 211019火【ヨブが求めていること】ヨブ記 9章 25~35

ヨブ記 9章 11~249:25 私の日々は飛脚よりも速い。それは飛び去って、幸せを見ることはない。9:26 それは葦の舟のように通り過ぎる。獲物をめがけて舞い降りる鷲のように。9:27 たとえ「不平を忘れ、悲しい顔を捨てて明るくふるまいたい」と私が言っても、9:28 自分のあらゆる苦痛に私はおびえています。私はよく知っています。あなたが私を潔白な者となさらないことを。9:29 私はきっと、悪しき者とされるでしょう。なぜ私は、空しく労するのでしょうか。9:30 たとえ私が雪の水で身を洗っても、灰汁で手を清めても、9:31 あなたは私を墓の穴に沈め、私が着る服は私を忌み嫌います。9:32 神は、私のように人間ではありません。その方に、私が応じることができるでしょうか。「さあ、さばきの座に一緒に行きましょう」と。9:33 私たち二人の上に手を置く仲裁者が、私たちの間にはいません。9:34 神がその杖を私から取り去り、その恐ろしさが私をおびえさせませんように。9:35 そうなれば、私は恐れず神に語りかけます。しかし今、私はそうではありません。   ヨブの言葉が無気力です。双方向ではなく、一方的だからです。神様には言葉届かず、友達とは言葉が通じないです。息苦しいヨブは自分と神様との間の仲裁者を求めます。「私たち二人の上に手を置く仲裁者が、私たちの間にはいません。神がその杖を私から取り去り、その恐ろしさが私をおびえさせませんように。33,34」神様と私の間に立ち、私の事情を知り、それを神様に執り成す人を探し求めていますが、そのような人はいません。   神様は神だからできなく、人は人だからできません。神様の神格を信じることはできます。人間が限界を認めることさえできれば、神様を信じることは難しくありません。しかし、人間が遠くにおられる絶対者を信じることでヨブの嘆きから逃れることはありません。絶対者なる神様は仲裁者なるイエス・キリストを通して会えるからであります。神格である神様は人格であるイエス・キリストを通して出会います。「神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。Ⅰテモテ2:5」   十字架は、神様であるイエス・キリストが神格を置いて、十字架に上がった人格の出来事です。神様の御言葉は人格的な啓示です。人格的な神様に出会ったということは、イエス・キリストに会ったということです。ヨブが切に求めていた仲裁者、イエス・キリストと話し合う一日をを祈ります。

욥기 QT16 211019화【욥이 찾고 있는 것】욥기 9장 25~35

욥기 9장 25~359:25 나의 날이 체부보다 빠르니 달려가므로 복을 볼 수 없구나9:26 그 지나가는 것이 빠른 배 같고 움킬 것에 날아 내리는 독수리와도 같구나9:27 가령 내가 말하기를 내 원통함을 잊고 얼굴 빛을 고쳐 즐거운 모양을 하자 할지라도9:28 오히려 내 모든 고통을 두려워하오니 주께서 나를 무죄히 여기지 않으실 줄을 아나이다9:29 내가 정죄하심을 입을진대 어찌 헛되이 수고하리이까9:30…

ヨブ記 QT15 211018火【血まみれ】ヨブ記 9章 11~24

ヨブ記 9章 11~249:11 神がそばを通り過ぎても、私には見えない。進んで行っても、気づかない。9:12 ああ、神が奪い取ろうとされるとき、だれがそれを引き止められるだろうか。だれが神に向かって、「何をするのか」と言えるだろうか。9:13 神は御怒りを翻されない。ラハブの仲間も、神のみもとに身をかがめる。9:14 まして、この私が神に答えられるだろうか。神と交わすべきことばを私が選べるだろうか。9:15 たとえ私が正しくても、答えることはできない。私をさばく方に対して、あわれみを乞うだけだ。9:16 私が呼び、私に答えてくださったとしても、神が私の声に耳を傾けられるとは、信じられない。9:17 神は嵐をもって私を傷つけ、理由もなく傷を増し加え、9:18 私に息もつかせず、私を苦しみで満たされる。9:19 もし、力のことなら、見よ、神は強い。もし、さばきのことなら、だれが私を呼び出すのか。9:20 たとえ私が正しくても、私自身の口が私を不義に定める。たとえ私が誠実でも、神は私を曲がった者とされる。9:21 私は誠実だ。しかし私には自分が分からない。私は自分のいのちを憎む。9:22 みな同じことだ。だから私は言う。神は誠実な者も悪い者も、ともに絶ち滅ぼされると。9:23 突然、にわか水が出て人を死なせると、神は潔白な者の受ける試練を嘲られる。9:24 地は悪しき者の手に委ねられ、神は地のさばき人らの顔をおおわれる。神がなさるのでなければ、だれがそうするのか。   ハイデガーは、人間が「自分の意志に問わず世に投げつけられた存在」であると言いました。確かにそうではないでしょうか。投げ出され、泣きながら生まれます。それを「被投性」といいました。 世界に投げつけたという意味で、「被投性」の存在です。   「私はなぜこの世に存在するのか」を考えるなら、自分の意志とは関係なく放り出されたことを認めざる得ません。それを認めると、今度は死ななければならないということも認めざる得ません。私たちは、その間を生きる存在です。ハイデガーは、「人間が不安と死を自覚するときにはじめて、真理についての質問をはじめる」と言っています。   韓国語では、ハイデガーの「被投性」と「血だらけ」の発音が同じです。言葉遊びのようですが、エゼキエルに、「血まみれ」の内容があります。「…あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、わたしは血に染まったあなたに「生きよ」と言い、血に染まったあなたに、繰り返して「生きよ」と言った。16:6」希望もないまま捨てられた血まみれの女の子にそれでも「生きよ」と言われます。神様がその捨てられた血まみれをよみがえらせ、洗らわせ、世の中に立てられるのです。ですから神様の命令は、ただ「生きよ」です。   ヨブは答えについて知りません。時には揺れ、現実を恨みますが、それでも、ヨブは質問を持っています。神様について完全に知ることはできませんが、神様をあきらめることはできません。神様について完全に知っていると言っている人は、神様を知らない人です。私たちも部分しか知りませんが、だからといって神様を知ることをあきらめることはありません。   ヨブは、苦しみのあまり死を求めていますが、血まみれになっても生きなければなりません。ヨブを含め、絶望の中にいるすべての「血まみれ」または「被投」の存在に、「血に染まっても生きよ」というエゼキエルの言葉をもって応援します。生きることをあきらめず、質問することをあきらめなければ、神様に出会うことになります。

욥기 QT15 211018월【피투성이】욥기 9장 11~24

욥기 9장 11~249:11 그가 내 앞으로 지나시나 내가 보지 못하며 그가 내 앞에서 나아가시나 내가 깨닫지 못하느니라9:12 하나님이 빼앗으시면 누가 막을 수 있으며 무엇을 하시나이까 누가 물을 수 있으랴9:13 하나님이 진노를 돌이키지 아니하시나니 라합을 돕는 자들이 그 아래 굴복하겠거든9:14 하물며 내가 감히 대답하겠으며 무슨 말을 택하여 더불어 변론하랴9:15 가령 내가 의로울지라도 감히 대답하지 못하고 나를…

ヨブ記 QT14 211016土【ビルダデの自己確信】ヨブ記 8章 8~22

ヨブ記 QT14 211016土【ビルダデの自己確信】ヨブ記 8章 8~22 ヨブ記 8章 8~228:8 さあ、先人に尋ねよ。先祖たちの探究したことを確かめよ。8:9 私たちは昨日からの者で、何も知らない。私たちの地上の日々は影にすぎないのだ。8:10 彼らはあなたに教え、あなたに語りかけ、その心からことばを発しないだろうか。8:11 パピルスは沼地がなくても育つだろうか。葦は水がなくても伸びるだろうか。8:12 まだ若芽のときに、引き抜かれもしないのに、ほかの草に先立って枯れる。8:13 すべて神を忘れる者の道はこのようだ。神を敬わない者の望みは消え失せる。8:14 その人の確信は、か細いクモの糸、その信頼はクモの巣だ。8:15 自分の家に寄りかかると、家はそれに耐えきれない。これにすがりついても、それは持ちこたえない。8:16 神を敬わない者は日に当たって青々と茂り、その若枝は庭に生え出る。8:17 その根は石塚に絡まり、石造りの家に生え広がる。8:18 しかし、彼がその場所から取り除かれるなら、その場所は、彼を見たことがない、とうそぶく。8:19 見よ、これこそが彼の道の喜びである。その土からは、ほかのものが生え出る。8:20 見よ。神は誠実な人を退けることはなく、悪を行う者の手を取ることはない。8:21 神は、ついには笑いをあなたの口に、喜びの叫びをあなたの唇に満たされる。8:22 あなたを憎む者は恥を身にまとい、悪しき者の天幕はなくなる。   ビルダデの言葉はエリファズより鋭く心に突き刺さるものです。ビルダデは歴史と伝統を一般化させ、そのうえヨブを特殊な離脱者に規定することによって、ヨブをさらに苦しめています。ビルダデは、自分が言っていることが正しいことであると確信し、陶酔しています。詩的な言語を用いていますが、彼の言いたいことは「火の無い所に煙は立たぬ」ということです。隠された罪があり、ヨブはその報いを受けているというのがビルダトの分析でした。   私たちはヨブの友人を憎らしく思うかも知れませんが、その一方で馴染み深いようにも思います。彼らはまるで演劇の舞台でヨブを囲み、それぞれ自分のセリフを読んでいるようですが、私たちは目には見えない舞台の裏に立ち、自分の思いに確信し、また分析しながら批判します。つまり隣人の分析に夢中なのです。その根拠は、それぞれ異なりますが、自分の論理の中で自己確信に陥っているのではないでしょうか。そう言った意味でもヨブの友人の毒舌は私たちにとって馴染み深いのです。   20節以下は、ヨブを励ましているような言葉ですが、それも、結局は悪しき者の天幕はなくなるということで、最終通達のような言葉です。確信に満ちた人々が恐ろしいものです。他人について確認できることはさほど多くないのではないでしょうか。他人の裏話しが好きな人の特徴は、事実関係の確認をしないことです。勝手な思いは自分の世界の中で増幅され、事実と異なるフィクションになっていきます。心を共感することができなければ、口のアドバイスは、痛んでいる人をさらに痛めます。私のための私の論理が、私を支配しないように、心の窓を開き、空気を入れ替えたいと思います。

욥기 QT14 211016토【빌닷의 자기확신】욥기 8장 8~22

욥기 8장 8~228:8 청컨대 너는 옛시대 사람에게 물으며 열조의 터득한 일을 배울지어다8:9 (우리는 어제부터 있었을 뿐이라 지식이 망매하니 세상에 있는 날이 그림자와 같으니라)8:10 그들이 네게 가르쳐 이르지 아니하겠느냐 그 마음에서 나는 말을 발하지 아니하겠느냐8:11 왕골이 진펄이 아니고 나겠으며 갈대가 물 없이 자라겠느냐8:12 이런 것은 푸르러도 아직 벨 때 되기 전에 다른 풀보다 일찌기 마르느니라8:13 하나님을…

ヨブ記 QT13 211015金【あなたの始まりは小さくても…】ヨブ記 8章 1~7

ヨブ記 8章 1~78:1 次に、シュアハ人ビルダデが答えた。8:2 いつまで、あなたはこのようなことを語るのか。あなたが口にすることばは激しい風だ。8:3 神がさばきを曲げられるだろうか。全能者が義を曲げられるだろうか。8:4 もし、あなたの子らが神の前に罪ある者となり、神が彼らをその背きの手に渡されても、8:5 もし、あなたが熱心に神に求め、全能者にあわれみを乞うなら、8:6 もし、あなたが純粋で真っ直ぐなら、今すぐ神はあなたのために奮い立ち、あなたの義の住まいを回復されるだろう。8:7 あなたの始まりは小さくても、あなたの終わりは、きわめて大きなものとなる。   御言葉から的確な意味を見つかるためには、文字に執着せず、​​文脈や状況を理解する必要があります。それは人との会話や知識の習得の過程でも同様であると思います。御言葉の意味を把握するためには、前後の事情を観察し、その言葉の位置を把握しなければなります。私たちの社会には、前後の文脈は省略したまま、本質を歪曲するための悪魔的な編集のフェイクニュースが飛び交っています。神様の御言葉を一貫性のある文脈によって解釈し、それを状況に適用することを訓練する聖徒てあれば、決してフェイクニュースなどには騙されることはありません。   ヨブの友たちが一様に口正しいことを言っています。ヨブ記を読む人は、それも間違った話ではないと思い、それに説得されることもあるかと思います。しかも、友人のビルダデは、「あなたの始まりは小さくても、あなたの終わりは、きわめて大きなものとなる。7」という祝福の意味を込めた言葉を言います。このヨブ8章7節は、私たちの耳に慣れている言葉でもあります。ということでヨブが悔い改めれば、状況は良くなるだろうという結論にしてしまうこともあります。   子どもの頃、町の薬屋さんに行けば、正面にこの聖句がありました。どの店に行っても、教会に通う人の店であれば、ヨブ8章7節は壁についていました。しかし、これは、神様が言われた御言葉でもなく、ヨブが言った言葉でもありません。アブラハムに約束された神様の御言葉でもありません。神様を信じることもないヨブの友のビルダデが苦しんでいるヨブに皮肉ながら言った言葉です。   悔い改めれば状況は良くなるという原論に異議はありませんが、この文脈から掴むべきことは、それではありません。ヨブの苦しみの理由は、叩けば埃が出るからではありません。良い意味の言葉であっても、状況によってはその言葉が人を殺す言葉にもなります。一理あると見えてもヨブ記からの友人の言葉は否定される神学です。   「あなたの始まりは小さくても、あなたの終わりは、きわめて大きなものとなる。7」ヨブの友人の成果主義を神様の御言葉であると思ってはいけません。小さな店は大きくならなくてもそのままで美しいものです。ヨブは逆に始まりは大きかったのですが、人生の道のりの中で小さくなっています。しかし、そこでヨブの神様は、より大きくなっています。ヨブは大きくなることを望んでいませんが、ヨブの神様が大きくなると、ヨブは再び大きくなります。

욥기 QT13 211015금【네 시작은 미약하였으나…】욥기 8장 1~7

욥기 8장 1~78:1 수아 사람 빌닷이 대답하여 가로되8:2 네가 어느 때까지 이런 말을 하겠으며 어느 때까지 네 입의 말이 광풍과 같겠는가8:3 하나님이 어찌 심판을 굽게 하시겠으며 전능하신이가 어찌 공의를 굽게 하시겠는가8:4 네 자녀들이 주께 득죄하였으므로 주께서 그들을 그 죄에 붙이셨나니8:5 네가 만일 하나님을 부지런히 구하며 전능하신 이에게 빌고8:6 또 청결하고 정직하면 정녕 너를 돌아보시고 네…

ヨブ記 QT12 211014木【人とは何ものなのでしょう】ヨブ記 7章 11~21

ヨブ記 7章 11~217:11 ですから、私も自分の口を制することをせず、霊の苦しみの中で語り、たましいの苦悩の中で嘆きます。7:12 私は海でしょうか、それとも竜でしょうか。あなたが私の上に見張りを置かれるとは。7:13 寝台が私を慰め、寝床が嘆きを負ってくれると私が思っても、7:14 あなたは、いくつもの夢で私をおののかせ、幻によって私をおびえさせます。7:15 私のたましいは窒息を、私のからだではなく死を選びます。7:16 もういやです。いつまでも生きたくありません。かまわないでください。私の日々は空しいものです。7:17 人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは。7:18 朝ごとにこれを訪れ、その都度これを試されるとは。7:19 いつまで私から目をそらしてくださらないのですか。唾を飲み込む間も、私を放っておいてくださらないのですか。7:20 私が罪ある者だとしても、人を見張るあなたに、私は何ができるでしょう。どうしてあなたは、私を標的とされるのですか。私は、自らを重荷としなければならないのですか。7:21 どうして、あなたは私の背きを赦さず、私の咎を取り去ってくださらないのですか。私が今も、ちりに横たわらなければならないとは。あなたが私を捜しても、私はもういません。   殉教者の孫良源牧師の娘の講演を聞いたことがあります。信仰のために二人の兄を失い、父まで失った彼女は喪失と怒りの恨みて神様に向けて拳骨をふるったと言いました。その姿を想像しながら、彼女の神様への恨みが不敬なことに思えませんでした。   ヨブは苦痛の中で、神様への恨みを言い始めます。「神様は、私の上に見張りを置かれる、朝ごとに訪れ、その都度試される、唾を飲み込む間もない、たとえ私が罪ある者だとしても、神様に何の害を与えたのか」という恨みです。   ヨブの恨みも神様に敵対的でないので不敬だと思いません。ヨブが、この言語を隠したなら、神様の率直な自分を表現をすることができないかも知れません。「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは。朝ごとにこれを訪れ、その都度これを試されるとは。17,18」ヨブにとって恨みは神様の沈黙と不在ではなく、むしろ、自分に対する神様の過度な関心と介入です。ヨブは今の状況が神様の中にあることを知っています。   まるで詩篇8篇を読んでいるようです。ダビデは、「人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。8:4」と言いました。しかし、ダビデは、神様のご臨在の感激を歌いましたが、ヨブはそれが苦痛になって訴えています。とちらもあり得ます。神様がともにおられて平安があるように、神様がともにおられて苦みもあります。   それは何の違いでしょうか?ヨブには、神様の慈悲が一時停止そた状態です。だからヨブは耐えられない苦痛の中をさまよっています。もし、今の私を維持している神様の慈悲が消え、神様が私の罪に注目し始めるなら私に対する神様の関心を耐えることは出来ません。神様の慈悲を感じられないヨブの「人とは何ものなのでしょう」という恨みは、神様の慈悲を悟ったダビデの「人とは何ものなのでしょう」に変わり、今ここにいます。  

욥기 QT12 211014목【사람이 무엇이관대】욥기 7장 11~21

욥기 7장 11~217:11 그런즉 내가 내 입을 금하지 아니하고 내 마음의 아픔을 인하여 말하며 내 영혼의 괴로움을 인하여 원망하리이다7:12 내가 바다니이까 용이니이까 주께서 어찌하여 나를 지키시나이까7:13 혹시 내가 말하기를 내 자리가 나를 위로하고 내 침상이 내 수심을 풀리라 할 때에7:14 주께서 꿈으로 나를 놀래시고 이상으로 나를 두렵게 하시나이다7:15 이러므로 내 마음에 숨이 막히기를 원하오니 뼈보다도…