ヨブ記 QT6 211007木【エリファズの訓戒】ヨブ記 4章 1~11
ヨブ記 4章 1~114:1 すると、テマン人エリファズが話し始めた。4:2 もし、人があなたにことばを投げかけたら、あなたはそれに耐えられるか。しかし、だれが語らないでいられるだろう。4:3 見よ。あなたは多くの人を訓戒し、弱った手を力づけてきた。4:4 あなたのことばは、つまずいた者を起こし、くずおれる膝をしっかりさせてきた。4:5 しかし今、これがあなたに及ぶと、あなたはそれに耐えられない。これがあなたに至ると、あなたはおじ惑う。4:6 あなたの敬虔さは、あなたの確信ではないか。あなたの誠実さは、あなたの望みではないか。4:7 さあ、思い出せ。だれか、潔白なのに滅びた者があるか。どこに、真っ直ぐなのに絶たれた者があるか。4:8 私の見てきたところでは、不法を耕して害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ。4:9 彼らは神の息吹によって滅び、御怒りの息によって消え失せる。4:10 獅子のうなり声、たける獅子の声がする。しかし、若獅子の牙は砕かれる。4:11 雄獅子は獲物がなくて滅び、雌獅子の子らは散っていく。 ヨブは神様に認められるほどの正しい人でしたが、自分を正しい人と思ってしまう間違いを犯していました。それにヨブの友人であるテマン人エリファズは、ヨブが受けている苦難を根拠にしてヨブが正しくなかったことを告発しています。ヨブに罪がなかったならば、神様がこのような呪いをかけたはずがないということです。ヨブ自身が以前に苦しんでいる人に忍耐を教えたのであれば、今自分が苦しみの中にいる時に忍耐しなければならないということです。 言っている意味は分かります。ところが、理解は不十分です。これが自分の中に閉じ込められた人の論理です。もちろん自分自身を省察し、悔い改めることは大切です。それは一理があります。しかし、一理というのは、一つの理という意味です。多くの理があり、その中の一つです。原因を究明することは大切ですが、泣いている人を攻めることが厳しいです。 他人に悔い改めを促すのは簡単ですが、人の痛みを共感する愛はとても難しいことです。さらに、ヨブの苦難は、ヨブの罪に対しる罰ではありません。エリファズは批判という物差しを持って状況を分析していますが、共感という物差しは持っていません。自分が持っている数式に世界のすべての現象を入れて正解を出すことはできません。 パウロはローマ人への手紙で「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。12:15」と言いました。一理によってといただす言葉より大切なのは打ち砕かれた心を共感する力です。友人が行為について追及しているので、ヨブは行為に対して潔白を言うしかありません。エリファズに悪意はないと思いますが、ヨブはそれによって痛みが重なります。教える言葉より理解して共感する言葉をさらに学びたいと思います。