Ⅱコリント4【キリストの手紙】2200711(月) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 3:1~113:1 私たちは、またもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたに宛てた推薦状とか、あなたがたからの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。3:2 私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心に書き記されていて、すべての人に知られ、また読まれています。3:3 あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは、明らかです。それは、墨によってではなく生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです。3:4 私たちはキリストによって、神の御前でこのような確信を抱いています。3:5 何かを、自分が成したことだと考える資格は、私たち自身にはありません。私たちの資格は神から与えられるものです。3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。3:7 石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、3:8 御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます。3:10 実にこの点において、かつては栄光を受けたものが、それよりさらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているのです。3:11 消え去るべきものが栄光の中にあったのなら、永続するものは、なおのこと栄光に包まれているはずです。   初代教会の時代に教会の教職者は、エルサレム教会から推薦状を受けて各教会に派遣されましたが、パウロの場合はエルサレム教会が正式に認めて派遣した教職ではなく、アンディオクでバルナバによってピックアップされ、最も早い時期に広範な地域に教会を開拓し始めた実際の宣教師です。問題が生じたのは、コリント教会を離間した人々により、パウロに不満を抱いた一部の人々がパウロにエルサレム教会の派遣状がないということでパウロの使徒権を否定したことです。   ここにパウロは、コリント教会の聖徒たちに対して「キリストの手紙」と言いました。つまり、コリント教会の聖徒たちにがパウロの推薦状になるということです。コリント教会は、パウロが開拓し、形成した教会です。彼らが福音を知り、福音による生きるなら、パウロは確かに福音伝道者であり、もし、彼らの信仰が偽りであるなら、パウロの使徒権云々する理由も資格もないわけです。   「キリストの手紙」ということは、真実の中身のことを言います。昨日の本文に聖徒を「キリストの香り」と言ったことに続き、パウロはその真実を表していることを「手紙」にたとえているのです。私たちは、本日も腕を広げ、足で歩き回りますが、本物には本物の香りが、本物の手紙にはその真実の内容が伝わります。聖徒の信仰が、隠せない香ばしい香りになり、世に伝える真実な手紙になることを祈ります。

고린도후서4【그리스도의 편지】220711(월) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 3:1~113:1 우리가 다시 자천하기를 시작하겠느냐 우리가 어찌 어떤 사람처럼 천거서를 너희에게 부치거나 혹 너희에게 맡거나 할 필요가 있느냐3:2 너희가 우리의 편지라 우리 마음에 썼고 뭇사람이 알고 읽는바라3:3 너희는 우리로 말미암아 나타난 그리스도의 편지니 이는 먹으로 쓴 것이 아니요 오직 살아 계신 하나님의 영으로 한 것이며 또 돌비에 쓴 것이 아니요 오직 육의 심비에 한…

Ⅱコリント3【パウロがコリントに行かなかった理由】2200709(土) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 1:23~2:111:23 私は自分のいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたへの思いやりからです。1:24 私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために協力して働く者です。あなたがたは信仰に堅く立っているのですから。2:1 そこで私は、あなたがたを悲しませる訪問は二度としない、と決心しました。2:2 もし私があなたがたを悲しませるなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょう。2:3 あの手紙を書いたのは、私が訪れるときに、私に喜びをもたらすはずの人たちから、悲しみを受けることがないようにするためでした。私の喜びがあなたがたすべての喜びであると、私はあなたがたすべてについて確信しています。2:4 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらにあなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を、あなたがたに知ってもらうためでした。2:5 もしある人が悲しみをもたらしたのなら、その人は私を悲しませたのではありません。むしろ、言い過ぎにならないように言えば、ある程度まで、あなたがたすべてを悲しませたのです。2:6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、2:7 あなたがたは、むしろその人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。2:8 そこで私はあなたがたに、その人へのあなたがたの愛を確認することを勧めます。2:9 私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうか、試すためでした。2:10 あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もそうします。私が何かのことで赦したとすれば、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。2:11 それは、私たちがサタンに乗じられないようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。   コリント教会の問題が一段落するところで、パウロはコリント教会を訪れる計画を止めます。パウロは、今までコリントに行かずに、ピリピとマケドニアの間に心を煩わしながらテトスを待ちました。テトスを通して問題が解決されたことを聞きましたが、コリントへ訪問しないと宣言します。問題があるときに解決策を持って行けば良かったでしょうし、不信の問題が解決されたら、直接行って問題をきちんと処理すれば良かったと思いますが、パウロはコリントを訪れることをあきらめました。   パウロは、自分に対する不信で、葛藤が起こってしまったコリント教会に訪問することが、むしろさらに緊張感を引き起こすようなことだと判断したようです。「そこで私は、あなたがたを悲しませる訪問は二度としない、と決心しました。もし私があなたがたを悲しませるなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょう。1,2」そうなれば,それを喜ぶ人はパウロの心を苦労させた人です。   パウロが悩んで苦しんだのは、一部の人々がパウロを信頼しなかったことではなく、教会の共同体の一致と安定のためです。パウロは、コリント教会に登場し、反対者を粛清し、君臨する姿を見せたくなかったでしょう。パウロ自身がいなくても、共同体が解決できるなら、その方が良いのです。牧師の権威ではなく、神様の教会と聖徒の集まりの権威で、彼らを懲戒しなければなりませんでした。懲戒が大切なのは、共同体の分別力と責任感を明らかにし、悔い改める機会が与えられるからです。それを通らなければ共同体は兄弟を赦すことができません。

고린도후서 묵상3【바울이 고린도에 가지 않은 이유】220709(토) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 1:23~2:111:23 내가 내 영혼을 두고 하나님을 불러 증거하시게 하노니 다시 고린도에 가지 아니한 것은 너희를 아끼려 함이라1:24 우리가 너희 믿음을 주관하려는 것이 아니요 오직 너희 기쁨을 돕는 자가 되려 함이니 이는 너희가 믿음에 섰음이라2:1 내가 다시 근심으로 너희에게 나아가지 않기로 스스로 결단하였노니2:2 내가 너희를 근심하게 하면 나의 근심하게 한 자 밖에 나를 기쁘게 하는…

Ⅱコリント【信仰の従順を通して】2200706(水) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 1:12~221:12 私たちが誇りとすること、私たちの良心が証ししていることは、私たちがこの世において、特にあなたがたに対して、神から来る純真さと誠実さをもって、肉的な知恵によらず、神の恵みによって行動してきたということです。1:13 14 私たちは、あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません。あなたがたは、私たちについてすでにある程度理解しているのですから、私たちの主イエスの日には、あなたがたが私たちの誇りであるように、私たちもあなたがたの誇りであることを、完全に理解してくれるものと期待しています。1:14 [前節に統合]1:15 この確信をもって、私はまずあなたがたのところを訪れて、あなたがたが恵みを二度得られるようにと計画しました。1:16 すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニアに赴き、そしてマケドニアから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。1:17 このように願った私は軽率だったのでしょうか。それとも、私が計画することは人間的な計画であって、そのため私には、「はい、はい」は同時に「いいえ、いいえ」になるのでしょうか。1:18 神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「はい」であると同時に「いいえ」である、というようなものではありません。1:19 私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「はい」と同時に「いいえ」であるような方ではありません。この方においては「はい」だけがあるのです。1:20 神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。1:21 私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。1:22 神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。   イエス・キリストは「はい」と答え、「いいえ」とは言えませんでした。イエス様は神様の命令に「はい」、つまり「アーメン」と答え、従いました。それを通して罪人らの救いという父なる神様の御心を成し遂げました。十字架まで従い、救いのもとになったのです。神様の約束は「はい」すなわち「アーメン」と答える従順を通して成し遂げられます。   パウロは自分の使徒職を疑う人々の前でイエス様の「はい」を語っています。神様は昔から預言者たちを通してイスラエルの回復を約束されました。そして、それはキリストの「はい」すなわち、従順を通して成し遂げられたのです。パウロ自身もキリストに対して「はい」すなわち、従順の人です。   もちろん「NO」も必要です。イエス様はパリサイ人に「NO」と言われましたが、十字架の前で「YES」と答えられました。「NO」は「YES」の中にある部分でなければなりません。大きな「YES」があり、小さな「YES」があります。小さなものには「YES」と言いますが、大きなものには「YES」とは言えない人は、信仰の道が詰まります。信仰について、使命について、そして神様に対して「YES」と答え、世に対して自分自身に対して、そして不従順と不条理に対しては「NO」と答えることを祈ります。  

고린도후서1【믿음의 순종을 통해서】220708(금) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 1:12~221:12 우리가 세상에서 특별히 너희에게 대하여 하나님의 거룩함과 진실함으로써 하되 육체의 지혜로 하지 아니하고 하나님의 은혜로 행함은 우리 양심의 증거하는 바니 이것이 우리의 자랑이라1:13 오직 너희가 읽고 아는 것 외에 우리가 다른 것을 쓰지 아니하노니 너희가 끝까지 알기를 내가 바라는 것은1:14 너희가 대강 우리를 아는것 같이 우리 주 예수의 날에 너희가 우리의 자랑이 되고…

Ⅱコリント 黙想1【コリントにもう一度送った手紙】2200707(水) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 1:1~111:1 神のみこころによりキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、1:2 コリントにある神の教会へ。すなわち、いたるところで私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人とともに、キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々へ。主はそのすべての人の主であり、私たちの主です。1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。1:4 私は、キリスト・イエスにあってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも私の神に感謝しています。1:5 あなたがたはすべての点で、あらゆることばとあらゆる知識において、キリストにあって豊かな者とされました。1:6 キリストについての証しが、あなたがたの中で確かなものとなったからです。1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けることがなく、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待ち望むようになっています。1:8 主はあなたがたを最後まで堅く保って、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところがない者としてくださいます。1:9 神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。1:10 さて、兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたにお願いします。どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。1:11 私の兄弟たち。実は、あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の者から知らされました。   今朝からⅡコリントを読みます。覚えているⅡコリントには厳しい懲らしめの言葉がありました。コリント教会には分派し、分裂する人々がおり、聖徒たちの日常には道徳的な脱線があったからです。その後、パウロは6ヵ月後にⅡコリントを書き送ります。   ところで、実はⅠコリントとⅡコリントの間にもう一つの手紙がありました。私たちに伝えられていませんが、いわゆる「涙の手紙」という手紙があります。Ⅰコリントを読んだコリント教会の聖徒たちは,むしろ頑なになり,パウロを攻撃し、使徒権を否定することまで起こりました。これに対してパウロはコリントにもうi一書の手紙を書いて送りました。   内容が敏感だったので,パウロもその手紙の結果に緊張していました。当時、ピリピにいたパウロは手紙を伝たテトスに会うためにマケドニアまで行き、心気を砕いて待ちました。パウロは、テトスにコリント教会が悔い改めたと言われ、喜ぶに満ちてその場に手紙を書きますが、それがⅡコリントの手紙です。   ということで、Ⅱコリントは個人的な感情に率直です。パウロはアジア、すなわち今はトルコ地域、特にエペソで福音を伝えながら苦しんだ話を思い出していますが、手紙の始まりに苦しみと苦難を語ることは、外部の苦みだけではなく、教会の中で起こる心の労苦までを含んでいます。   ですから、Ⅱコリントを読むと、胸がじいんとします。教会を立てあげることは自然にできることではないようです。立て上げるということは、落ち込もうとする重力に耐え、遡って上がらなければ立て上げられないです。しかし、それが可能なのは、困難にぶつかるパウロはさらに神様に近づくからです。

고린도후서1【고린도에 다시 보낸 편지】220707(목) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 1:1~111:1 하나님의 뜻으로 말미암아 그리스도 예수의 사도 된 바울과 및 형제 디모데는 고린도에 있는 하나님의 교회와 또 온 아가야에 있는 모든 성도에게1:2 하나님 우리 아버지와 주 예수 그리스도로 좇아 은혜와 평강이 있기를 원하노라1:3 찬송하리로다 그는 우리 주 예수 그리스도의 하나님이시요 자비의 아버지시요 모든 위로의 하나님이시며1:4 우리의 모든 환난 중에서 우리를 위로하사 우리로 하여금 하나님께…

詩篇 黙想32【雄々しくあれ。心を強くせよ】2200706(水) 枝川愛の教会

詩篇 31:9~2431:9 私をあわれんでください。主よ。私は苦しんでいるのです。私の目は苦悶で衰え果てました。私のたましいも私のからだも。31:10 悲しみのうちに私のいのちは尽き嘆きのうちに私の年は果てました。私の咎によって私の力は弱まり私の骨は衰えてしまいました。31:11 敵対するすべての者から私はそしられました。わけても私の隣人から。知り合いには恐れられ外で私を見る者は私を避けて離れ去ります。31:12 死人のように私は人の心から忘れられ壊れた器のようになりました。31:13 私は多くの者がささやくうわさを聞きました。「恐怖が取り囲んでいる」と。彼らは私に対して謀議をめぐらし私のいのちを取ろうと図りました。31:14 しかし主よ私はあなたに信頼します。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」31:15 私の時は御手の中にあります。私を救い出してください。敵の手から追い迫る者の手から。31:16 御顔をしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。31:17 主よ私が恥を見ないようにしてください。私はあなたを呼び求めていますから。悪しき者どもを辱めてください。彼らが黙ってよみへと下るように。31:18 偽りの唇を封じてください。それは正しい者に横柄に語っています。高ぶりと蔑みをもって。31:19 なんと大きいのでしょう。あなたのいつくしみは。あなたを恐れる者のためにあなたはそれを蓄えあなたに身を避ける者のために人の子らの目の前でそれを備えられました。31:20 あなたは彼らを人のそしりから御顔の前にひそかにかくまい舌の争いから隠れ場に隠されます。31:21 主はほむべきかな。主は堅固な城壁の町の中で私に奇しい恵みを施してくださいました。31:22 私はうろたえて言いました。「私はあなたの目の前から断たれたのだ」と。しかし私の願いの声をあなたは聞かれました。私があなたに叫び求めたときに。31:23 主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが高ぶる者には厳しく報いをされる。31:24 雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。   ダビデは、神様に患難の中で避難所になってくださることを祈り続けますが、最後に「主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが高ぶる者には厳しく報いをされる。雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。23,24」と書き終えます。   これによって,この詩編はダビデの個人的な祈りではなく,共同体を守るためのダビデの代表的な祈りであり,共同体のためのとりなしの祈りであることが分かります。ダビデと共同体の状況は変わらず危うく、避け所を探し求めますが、ダビデは共同体に「雄々しくあれ。心を強くせよ」と言います。危機に責められていても、卑劣にはなりません。その根拠は神様を待ち望むからです。   神様は、紅海を渡るモーセにも、ヨルダン川を渡るヨシュアにも「雄々しくあれ。心を強くせよ」と言われました。実力と経験がなく、状況は恐ろしいですが、信仰をもって揺れない根性と勇気が必要です。信仰は勇気を伴います。信仰と勇気を持つ共同体は必ず神様の救いを経験します。

시편 묵상32【강하고 담대하라】220706(수) 에다가와 사랑의 교회

시편 31:9~2431:9 여호와여 내 고통을 인하여 나를 긍휼히 여기소서 내가 근심으로 눈과 혼과 몸이 쇠하였나이다31:10 내 생명은 슬픔으로 보내며 나의 해는 탄식으로 보냄이여 내 기력이 나의 죄악으로 약하며 나의 뼈가 쇠하도소이다31:11 내가 모든 대적으로 말미암아 욕을 당하고 내 이웃에게서는 심히 당하니 내 친구가 놀라고 길에서 보는 자가 나를 피하였나이다31:12 내가 잊어버린바 됨이 사망한 자를 마음에…