創世記 黙想43【ヨセフの荒野】221020(木) 枝川愛の教会

創世記 37:12~2437:25 それから、彼らは座って食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデからやって来ていた。彼らは、らくだに樹膠と乳香と没薬を背負わせて、エジプトへ下って行くところであった。37:26 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。37:27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。37:28 そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかった。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。37:29 さて、ルベンが穴のところに帰って来ると、なんと、ヨセフは穴の中にいなかった。ルベンは自分の衣を引き裂き、37:30 兄弟たちのところに戻って来て言った。「あの子がいない。ああ私は、私は、どこへ行けばよいのか。」37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎを屠って、長服をその血に浸した。37:32 そして、そのあや織りの長服を父のところに送り届けて、言った。「これを見つけました。あなたの子の長服かどうか、お調べください。」37:33 父はそれを調べて言った。「わが子の長服だ。悪い獣が食い殺したのだ。ヨセフは確かに、かみ裂かれたのだ。」37:34 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、何日も、その子のために嘆き悲しんだ。37:35 彼の息子、娘たちがみな来て父を慰めたが、彼は慰められるのを拒んで言った。「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい。」こうして父はヨセフのために泣いた。37:36 あのミディアン人たちは、エジプトでファラオの廷臣、侍従長ポティファルにヨセフを売った。   ヨセフを殺そうとする兄弟たちの計画をルベンが止めますが、ルウベンが席を外している間に兄弟たちは再びヨセフを殺す謀議します。ルベンに機会がない理由があります。いざ大切な時にいなくなります。ルベンは必要な時にいない集中力の不在を、また兄弟たちをリードできないリーダーシップの不在を表します。   リーダーシップは四番目の子ユダにありました。ユダはルベンがいない間に折衷案を提示します。ユダはイスマエル族とメディアン族の大商が通り過ぎるのを見て、彼らにヨセフを売ろうと提案し、兄弟たちは一致して同意します。人の心を上手に動かすことがリーダーシップであって、人の心を最もうまく動かすものはお金です。銀二十枚は兄弟たちを説得できる良い条件になりました。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう」というユダの発言は、「兄弟を売れば利益になるだろう」という意味でもあります。   それでもユダの折衷案でなかったら、兄弟たちはルベンがいない間にヨセフを殺したかもしれません。ヨセフがルベンの姦通を告発したように、自分を殺そうとした殺人未遂も告発するから生かせるつもりはないです。戻ってきたルベンは、ヨセフがいなくなったことを知ってパニックに陥ります。アリバイという言葉は「現場不在の証明」という意味です。加担していない人、つまりアリバイがある人はルベンだけですが、ルベンだけが苦しみ、ほかの兄弟たちは用意周到に事件を操作します。ヨセフの服に雄ヤギの血をつけて父親に持って行き、獣が彼を食べたと言ったのです。   ヤコブがかわいそうですが、ヤコブも自分がまいたままに刈り取っているところです。ヤコブが父親のイサクをだましたように、ヤコブの息子たちはよりひどくヤコブをだましています。親になってみないとわかりません。父の心を引き裂いたユダも後日、子どもの問題でたくさん泣きます。偶然もなくただもありません。 原因と結果があるだけです。   ヤコブは地獄に落ちているような苦しみをもって悲しみます。しかし、その悲しみの根もラケルへの執着が生んだ悲劇でした。加害者も被害者もいません。みんながその役割を交互に共有しています。売られていく幼い子は、どれほどお父さんに戻りたかったのでしょうか?失った子どものことで、お父さんはどれほど苦んだのでしょうか。   毎日のように悲劇を作り出すこの人々がイスラエルの祖先です。神様はそれらの人生を用いて約束を守り続けておられます。約束を守る神様は、約束の人をまず人にしなければならなかったので、ヤコブをベテルに、ヨセフをエジプトに追い出しました。今やヨセフは荒野に入りました。

창세기 묵상43【요셉의 광야】221020(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 37:12~2437:25 그들이 앉아 음식을 먹다가 눈을 들어 본즉 한떼 이스마엘 족속이 길르앗에서 오는데 그 약대들에 향품과 유향과 몰약을 싣고 애굽으로 내려가는지라37:26 유다가 자기 형제에게 이르되 우리가 우리 동생을 죽이고 그의 피를 은익한들 무엇이 유익할까37:27 자, 그를 이스마엘 사람에게 팔고 우리 손을 그에게 대지 말자 그는 우리의 동생이요 우리의 골육이니라 하매 형제들이 청종하였더라37:28 때에 미디안…

創世記 黙想42【ルベンのための弁明】221019(水) 枝川愛の教会

創世記 37:12~2437:12 その後、兄たちは、シェケムで父の羊の群れを世話するために出かけて行った。37:13 イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちは、シェケムで群れの世話をしている。さあ、兄さんたちのところに使いに行ってもらいたい。」ヨセフは答えた。「はい、参ります。」37:14 父は言った。「さあ、行って、兄さんたちが無事かどうか、羊の群れが無事かどうかを見て、その様子を私に知らせておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いに送った。それで彼はシェケムにやって来た。37:15 彼が野をさまよっていると、一人の人が彼を見かけた。その人は「何を捜しているのですか」と尋ねた。37:16 ヨセフは言った。「兄たちを捜しています。どこで群れの世話をしているか、どうか教えてください。」37:17 すると、その人は言った。「ここからは、もう行ってしまいました。私は、あの人たちが『さあ、ドタンの方に行こう』と言っているのを聞きました。」そこでヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで彼らを見つけた。37:18 兄たちは遠くにヨセフを見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。37:19 彼らは互いに話し合った。「見ろ。あの夢見る者がやって来た。37:20 さあ、今こそあいつを殺し、どこかの穴の一つにでも投げ込んでしまおう。そうして、狂暴な獣が食い殺したと言おう。あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」37:21 しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子を打ち殺すのはやめよう」と言った。37:22 また、ルベンは言った。「弟の血を流してはいけない。弟を荒野の、この穴に投げ込みなさい。手を下してはいけない。」これは、ヨセフを彼らの手から救い出し、父のもとに帰すためであった。37:23 ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らは、ヨセフの長服、彼が着ていたあや織りの長服をはぎ取り、37:24 彼を捕らえて、穴の中に投げ込んだ。その穴は空で、中には水がなかった。   ヤコブがヨセフに兄たちが羊を飼っているところに送ります。おそらく、ヤコブがヨセフを通じて息子たちを監視していると思います。一方、兄弟たちはヨセフを憎み、ヨセフの殺害計画を立てていて、ヨセフが現れると穴に押し込んで殺そうとしました。その時、長男のルベンがヨセフを殺すことだけはしないように止めます。昨日に読みましたが、ルベンは父ヤコブの妻、つまり自分の庶母のビルハを犯し、ヨセフはそれを父ヤコブに告げました。ルベンもヨセフが嫌いだったと思いますが、弟を殺すような最悪を犯さないようにしています。ルベンの破倫と憐憫が複雑に重なります。   本文はヨセフが危機を迎える場面ですが、今日はルベンについて考えたいと思います。ルベンは幼い頃から自分の母親レアと自分、そして弟たちが父親から愛されないことの悲しみを持っていたと思います。ルベンはその環境で思春期を過ぎました。そのため、ルベンはヨセフの母親であり、自分のおばであるラケルのことが好きではなかったと思います。ラケルが死んだ後、母親のレはがヤコブに愛されると思いましたが、ヤコブの愛はヨセフに向きます。ルベンのビルハ事件はいかなる理由でも正当化することはできないですが、それはすでに昔から始まった傷と恨みの結果かもしれません。レアの息子であるシメオンとレビがシェケムで残酷な虐殺をし、それを叱る父ヤコブに反抗したことも愛されなかった息子たちの無意識的な怒りのゆだったかも知れません。レアが産んだディナも、レアの息子である自分たちが守らなければならないと思ったわけです。   ところでビルには何の間違いがあるでしょうか?ビルハの人生はしもべであり、妾であり、夫に愛されなかったものです。ヤコブがエサウに会った時、恐かったヤコブはビルハとその子どもたちを一番前に立たせました。ビルハが赤ちゃんを産んでもラケルが持って行き、自分の息子だと言いました。ビルハはラケルとレアの出産競争に犠牲となり、レアの息子ルベンに恥をかかせます。家族の中で傷と恨みが果てしなく続くのです。傷はまた他の家族に傷をつけます。ラケルの息子ヨセフが奴隷に売られる事件は、父親のラバンに愛されなかったレアとラケルが夫を占めようとした嫉妬と戦いの延長線上にあります。ラケルがレアを憎んだ結果が、自分の息子ヨセフが奴隷に売られていく結果を生んだのです。ヨセフが大したのは、その傷と恨みを終わらせたからです。   ルベンは長男の権利を奪われます。ルベンのそれを認めなければなりません。しかし、神様はルベンを捨てませんでした。父なる神は、人間の父ヤコブに傷ついたルベンを捨てません。後日ですが、神様はモーセを通してルベン族を慰め、祝福するときに、「ルベンは生きて、死なないように。その人数が少なくても。」と言われます。振り返ってみると、ヤコブがルベンを愛していなかったわけでもないと思います。ヤコブもかわいそうで、妻たち、息子たちも、娘もみなかわいそうです。そしてその荷をを背負って奴隷として売られていくヨセフもかわいそうです。かわいそうではない人がいません。家族というのは、誰よりも愛する人たちですが、誰よりも傷つき、また傷つける人たちです。人は皆壊れている存在だからです。残っている憎しみさえも、実は表現できない愛だったかも知れません。ルベンのための弁明でした。