Ⅰサムエル 黙想22【サムエルの怒り】230221(火) 枝川愛の教会
Ⅰサムエル 15:24~3515:24 サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、主の命令と、あなたのことばに背いたからです。15:25 どうか今、私の罪を見逃してください。そして、私が主を礼拝することができるように、一緒に帰ってください。」15:26 サムエルはサウルに言った。「私はあなたと一緒に帰りません。あなたは主のことばを退け、主があなたをイスラエルの王位から退けられたからです。」15:27 サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルが彼の上着の裾をつかんだので、上着は裂けた。15:28 サムエルは彼に言った。「主は、今日、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれた隣人に与えられました。15:29 実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔やむこともない。この方は人間ではないので、悔やむことがない。」15:30 サウルは言った。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、主を礼拝します。」15:31 サムエルはサウルについて帰り、サウルは主を礼拝した。15:32 サムエルは言った。「アマレクの王アガグを、私のところに連れて来なさい。」アガグは、喜び勇んで彼のもとに来た。アガグは「きっと、死の苦しみが去るだろう」と思ったのであった。15:33 サムエルは言った。「おまえの剣が、女たちから子を奪ったように、おまえの母も、女たちのうちで子を奪われた者となる。」こうしてサムエルは、ギルガルにおいて主の前で、アガグをずたずたに切った。15:34 サムエルはラマへ行き、サウルはサウルのギブアにある自分の家へ上って行った。15:35 サムエルは死ぬ日まで、再びサウルを見ることはなかった。しかしサムエルはサウルのことで悲しんだ。主も、サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた。 24節でサウルはサムエルに神様の命令に従順してなかったことが民を意識した自分の間違いだであると告白して許しを求めますが、しばらくも経たないうちに30節でその慢性病は再発します。「私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、主を礼拝します。30」民を私のものだと言い、サムエルにはあなたの神だと言います。「礼拝すること」が目的ではなく「私の民の長老とイスラエルとの前で私を立てる」ことが目的です。 サムエルは「あなたは主のことばを退け、主があなたをイスラエルの王位から退けられた」と言いました。人が神様の御言葉を捨てれば、神様がその人を捨てるのではなく、神様の御言葉を捨てると、使命も責任も正気も捨てられることになるからです。そうすると、誰もアウトさせなくてもみずからアウトします。神様の御言葉を捨てる理由というのは、ただ一つです。民のためではなく、自分のためです。私たちが神様の御言葉を受けない唯一の理由は、自分がしたいことを自分でしたいからです。神様の御言葉を受けてもそれを守らずに御言葉を捨てることも自分自身のためです。 それがサウルが歩いた道であってそれは自分が滅びる道でした。 サムエルはアマレク王アガグを引きずり出して殺します。神様が完全に聖滅するように命令されましたが、サウルは生け捕りにしてきて、自分の業績を並べていました。サムエルはそれを誇っているサウルに対する怒りとイスラエルを蹂躙した敵のアガグに対する怒りで彼をずたずたに切りました。確かに殺し方は残酷ですが、それによってサムエルの怒りがよく分かります。あらゆる名刺と名誉と見せかけを並べ、自分が注目されたいことを願っているこの時代のサウルたちが並べているアガグをも引き出してずたずたと切らなければなりません。成功を追い求めるのは恐いことです。それは利己的な理由です。謙遜が成功に勝てなければ、成功が呪いになるかもしれないからです。それに自信がなければ怪物になる前に舞台から早く降りなければなりません。アガグは見つけてずたずたに切ってなくさなければならないものです。