Ⅰサムエル 黙想24【サウルとダビデの出会い】230223(木) 枝川愛の教会
Ⅰサムエル 16:14~2316:14 さて、主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。16:15 サウルの家来たちは彼に言った。「ご覧ください。わざわいをもたらす、神の霊が王をおびえさせています。16:16 わが君。どうか御前におりますこの家来どもに命じて、上手に竪琴を弾く者を探させてください。わざわいをもたらす、神の霊が王に臨むとき、その者が竪琴を手にして弾くと、王は良くなられるでしょう。」16:17 サウルは家来たちに言った。「私のために上手な弾き手を見つけて、私のところに連れて来なさい。」16:18 家来の一人が答えた。「ご覧ください。ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。弦を上手に奏でることができ、勇士であり、戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。主が彼とともにおられます。」16:19 サウルは使いをエッサイのところに送って、「羊とともにいるあなたの息子ダビデを、私のところによこしなさい」と言った。16:20 エッサイは、ろば一頭分のパンと、ぶどう酒の皮袋一つ、子やぎ一匹を取り、息子ダビデの手に託してサウルに送った。16:21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。サウルは彼がたいへん気に入り、ダビデはサウルの道具持ちとなった。16:22 サウルはエッサイのところに人を遣わして、「ダビデを私に仕えさせなさい。気に入ったから」と言った。16:23 神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。 神の霊がサウルから離れ、わざわいの霊が入り、サウルを苦しめます。サウルが神様に捨てられてからまず起きたことは神の霊が離れたことです。すべての不幸はそれから始まります。恐ろしいことは、神様がいなくなったところには他のものが入ってきて人間の意思を支配するということです。サウルには富もあり、権力もあり、まだ依然として王です。しかし、わざわいの霊がサウルを支配するので不安に震えます。環境は変わっていませんが、霊が変わるとサウルの人生は地獄に変わっていきます。 サウルに入ったわざわいの霊はサウルの人間性を破壊します。サウルの家来たちはそれに耐えられなかったのか音楽治療をお勧めします。それでイスラエルで竪琴を弾く者として知られたダビデが登場するようになります。ダビデは、作曲、作詞、演奏、そして宗教音楽のプロデュースまで縦横無尽に走るマルチミュージシャンでした。ダビデに詩を書き、音楽をする解放口がなかったら、ダビデは自分の苦難の時間を乗り越えることはできなかったと思います。狂っていくサウルと賛美するダビデの出会いが彼らの初出会いです。神様が送ったわざわいの霊がサウルを苦しめる度にダビデが竪琴を弾き、落ち着かせます。サウルはそのようなダビデを愛して警護の職を与え、自分のそばに置きます。 何も信じない人は誰もいません。誰もが何かを信じます。そして、何にも支配されていない人は誰もいません。人は必ず何かに支配されます。どんな支配を受けるかによって人生は変わります。平安は神の統治と支配の結果です。今、心配と不安という結果を持っているなら、何が自分を支配しているのかを振り返って確認しなければなりません。自分の中に閉じこむ時代、サウルのように自分が慰められるためではなく、ダビデのように誰かを癒し、生かすことができれば幸いです。