Ⅰサムエル 黙想26【ゴリアテ対する解釈】230227(月) 枝川愛の教会
Ⅰサムエル 17:28~4017:28 兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして言った。「いったい、おまえは、なぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと心にある悪が分かっている。戦いを見にやって来たのではないのか。」17:29 ダビデは言った。「私が今、何をしたというのですか。一言、話しただけではありませんか。」17:30 ダビデは兄から別の人の方に向き直り、同じことを尋ねた。すると、兵たちは先ほどと同じ返事をした。17:31 ダビデが言ったことは人々の耳に入り、サウルに告げられた。それで、サウルはダビデを呼び寄せた。17:32 ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦います。」17:33 サウルはダビデに言った。「おまえは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。おまえはまだ若いし、あれは若いときから戦士だったのだから。」17:34 ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼ってきました。獅子や熊が来て、群れの羊を取って行くと、17:35 しもべはその後を追って出て、それを打ち殺し、その口から羊を救い出します。それがしもべに襲いかかるようなときは、そのひげをつかみ、それを打って殺してしまいます。17:36 しもべは、獅子でも熊でも打ち殺しました。この無割礼のペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をそしったのですから。」17:37 そして、ダビデは言った。「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主がおまえとともにいてくださるように。」17:38 サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着けさせた。頭に青銅のかぶとをかぶらせて、それから身によろいを着けさせたのである。17:39 ダビデは、そのよろいの上にサウルの剣を帯びた。慣れていなかったので、ためしに歩いてみた。ダビデはサウルに言った。「これらのものを着けては、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれを脱いだ。17:40 そして自分の杖を手に取り、川から五つの滑らかな石を選んで、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にし、そのペリシテ人に近づいて行った。 ペリシテと戦うイスラエル軍の兄に面会に行ったダビデがゴリアテの高ぶりを見てゴリアテと戦うことを志願します。ダビデは軍人でもなく、まだ幼い少年です。兄エリアブがそれを慌ててダビデを叱りますが、今まで一人も出なかった志願者が出てきたので、ダビデはサウルの前に立つことになります。 少年であれ、青年であれ、壮年であれ、年齢と体の大きさは関係ありません。ゴリアテより大きい人はいません。だからゴリアテと戦える唯一の条件はゴリアテを恐れないことです。ダビデは恐れませんでした。ダビデだけを恐れていません。ダビデはゴリアテに勝てるという自身感に満ちています。 ゴリアテを見るダビデとサウルの観点は大きく異なります。ダビデはゴリアテを神様を侮辱する割礼のいない異邦人、取らなければならない獣と見て怒っていますが、サウルはゴリアテが幼い頃から戦いで鍛えられた勇士だと言います。サウルが慎重でダビデが軽率のようにも見えますが、サウルには神様がおらず、ダビデには神様がおられます。 ダビデに勇気があるから信仰の人であることではなく、神様を信じるから勇気を出せます。サウルには実際的に神様を信じる信仰がないから人を恐れるのです。信仰と勇気は同じことです。神様が助けてくださることを実際に信じる時、恐がらずに挑戦することができます。神様はそのような人を通して働きます。ダビデは羊飼いの服装と羊飼いの道具をもって神様を侮辱するゴリアテの前に進みます。