사도행전 묵상19 【바나바의 미션】 20230711 (화) 사도행전 9장 23~31

사도행전 9장 23~319:23 여러 날이 지나매 유대인들이 사울 죽이기를 공모하더니9:24 그 계교가 사울에게 알려지니라 저희가 그를 죽이려고 밤낮으로 성문까지 지키거늘9:25 그의 제자들이 밤에 광주리에 사울을 담아 성에서 달아 내리니라9:26 사울이 예루살렘에 가서 제자들을 사귀고자 하나 다 두려워하여 그의 제자 됨을 믿지 아니하니9:27 바나바가 데리고 사도들에게 가서 그가 길에서 어떻게 주를 본 것과 주께서 그에게 말씀하신…

使徒の働き 黙想18 【アナニアとパウロのミッション】 20230710 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 9章 10~22

使徒の働き 9:10~229:10 さて、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主が幻の中で「アナニアよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。9:11 すると、主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』と呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロという名のタルソ人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。9:12 彼は幻の中で、アナニアという名の人が入って来て、自分の上に手を置き、再び見えるようにしてくれるのを見たのです。」9:13 しかし、アナニアは答えた。「主よ。私は多くの人たちから、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。9:14 彼はここでも、あなたの名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから与えられています。」9:15 しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。9:16 彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」9:17 そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」9:18 するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、9:19 食事をして元気になった。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいて、9:20 ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。9:21 これを聞いた人々はみな驚いて言った。「この人はエルサレムで、この名を呼ぶ人たちを滅ぼした者ではないか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではなかったか。」9:22 しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。   パウロは見ることができず、飲食も切っていました。しかし、キリスト者にとってパウロという迫害者は依然として恐ろしい存在です。まだパウロの回心の真偽が分からない状態でパウロを訪ねるのは危険を伴う冒険です。ところが、ダマスコにいたアナニアという教会の指導者がパウロを訪ねて回復させ、洗礼を授けます。それはアナニアが神様から受けたミッションでした。 いつも聞き従うためには勇気というものが必要です。   今日の本文にはアナニアのミッションが出ていますが、パウロのミッションも一緒に出ています。二人のミッションは恐いものです。「しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。9:15,16」 アナニアがミッションに従うためには恐ろしいパウロのところに行かなければならず、パウロがミッションに従うためにはヘブライ世界とローマ世界で荒々しい攻撃を受けなければなりませんでした。   パウロは多くの教会を建てました。しかし、パウロが建てた教会は今すべてなくなっています。時代の教会は時代とともに消え去ります。だからといって虚しいわけではありません。パウロが残したものとアナニアが残したものは同じものであって福音を持った使命者です。アナニアはダマスコのディアスポラ教会の指導者の働きで、パウロは地中海世界の開拓宣教師として歩みましたが、彼らのミッションは同で、福音の使命を持った人を立てることでした。建物と組織は時間が経つことにつれ崩れ、消えていきます。教会を建てるということは人を立てることです。その人が次の時代の使命を負って行きます。使命ある人は次の使命者に会います。

사도행전 묵상18 【아나니아와 바울의 미션】 20230710 (월) 사도행전 9장 10~22

사도행전 9장 10~229:10 그 때에 다메섹에 아나니아라 하는 제자가 있더니 주께서 환상 중에 불러 가라사대 아나니아야 하시거늘 대답하되 주여 내가 여기 있나이다 하니9:11 주께서 가라사대 일어나 직가라 하는 거리로 가서 유다 집에서 다소 사람 사울이라 하는 자를 찾으라 저가 기도하는 중이다9:12 저가 아나니아라 하는 사람이 들어와서 자기에게 안수하여 다시 보게 하는 것을 보았느니라 하시거늘9:13 아나니아가…

使徒の働き 黙想17 【危機と従順】 20230706 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 8章 2~13

使徒の働き 1~168:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。8:3 サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。8:4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。8:5 ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。8:6 群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。8:7 汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。8:8 その町には、大きな喜びがあった。8:9 ところで、以前からその町にはシモンという名の人がいた。彼は魔術を行ってサマリアの人々を驚かせ、自分は偉大な者だと話していた。8:10 小さい者から大きい者まで、すべての人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、『大能』と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。8:11 人々が彼に関心を抱いていたのは、長い間その魔術に驚かされていたからであった。8:12 しかし人々は、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えたことを信じて、男も女もバプテスマを受けた。8:13 シモン自身も信じてバプテスマを受けると、いつもピリポにつき従って、しるしと大いなる奇跡が行われるのを見ては驚いていた。   スデパノの殉教後、サウロは残党を討伐するということでさらに教会共同体を迫害していきます。これによって確かに危機感が高まっていることですが、神様はこれによって破局に追い込ませるためではなく、かえて機会を開いていくためであります。スデパノの殉教の血の上に、散らばる人々を通して宣教が地境が広がるようになります。密度が高いところから広い地域に散らばると、宣教の布石が置かれることになります。   人間の観点というのは制限的であり、見える状況の裏に隠れている意味まで把握できない場合が多くあります。特に危機的状況の中では恐れと不安という感情が状況に閉じ込みます。しかし、人間にとって危機の状況でも、神様にとっては新しい計画をです。それを信じなければなりません。   人がすべての状況に対して神様の観点から理解することはできません。私たちには完全なる認識がないからです。しかし、聞き従うことはできます。だから、従順ということが偉大なる知恵です。スデパノがなくなり、人々は散らばりましたが、初代教会の聖徒たちは福音を伝えることにもっぱら従順していきます。ピリポは、大切な仲間のスデパノを失い、自分も危険が攻められていますが、宣教活動は止まりません。状況に縛られず、従いたいと願います。

사도행전 묵상17 【위기와 순종】 20230706 (목) 사도행전 8장 2~13

사도행전 8장 2~138:2 경건한 사람들이 스데반을 장사하고 위하여 크게 울더라8:3 사울이 교회를 잔멸할새 각집에 들어가 남녀를 끌어다가 옥에 넘기니라8:4 그 흩어진 사람들이 두루 다니며 복음의 말씀을 전할새8:5 빌립이 사마리아 성에 내려가 그리스도를 백성에게 전파하니8:6 무리가 빌립의 말도 듣고 행하는 표적도 보고 일심으로 그의 말하는 것을 좇더라8:7 많은 사람에게 붙었던 더러운 귀신들이 크게 소리를 지르며 나가고…

使徒の働き 黙想16 【最も恐ろしい敵】 20230705 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 7章 51~8章 1

使徒の働き 7章 51~8章 17:51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。7:53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。   いわゆる神本主義を主張する人に、その反対概念で人本主義を排撃しますが、聖書の人物を偉人伝の教訓と仰ぐことこそ人本主義の産物です。もちろん聖書の中に偉大な人もおり、教訓的なメッセージがありますが、それが主題ではありません。聖書の中から人を発見する時は、恥ずかしく、神様を発見する時は少しでも信仰が芽生えてきます。そして、それは同じものです。神様を知れば知るほど自分が見え、自分を知れば知るほど神様を求めざるえないです。   ユダヤ人は、旧約聖書の預言者たちが自分たちの血筋と信仰の祖先だと考えていました。しかし、実際には彼らの祖先は預言者たちを拒絶し、迫害し、殺した人々です。時間が経つと迫害した人が迫害された人の栄光に乗り込みます。そしてその伝統と自負心が信仰であるかのように思い込みます。その伝統というものにどのような意味があるのかを絶えず質問しなければ、ついに神様ではないものに仕えてしまいます。スデパノは、神様を信じると言いながら、矛盾している彼らの卑劣を批判します。   信仰の敵は何でしょうか。ユダヤ人は信仰の敵がスデパノであると考え、スデパノを殺しました。しかし、敵は外にいるのではありません。不信仰にあることでもありません。 最も恐ろしい敵は、私の中にある根拠のない伝統と自負心です。そのような人は聖書から神を見つけることができず、人を見つけようとします。彼らは自分に悲惨さを見つけられず、誇りを言い出します。パウロとユダヤ人は宗教的な誇りという偶像を仕え、スデパノを殺しました。歪んだ信仰というのはいかに恐ろしいことでしょうか。神様の前で素直になることで信仰は生きていることができます。

사도행전 묵상16 【가장 두려운 적】 20230705 (수) 사도행전 7장 51~8장 1

사도행전 7장 51~8장 17:51 목이 곧고 마음과 귀에 할례를 받지 못한 사람들아 너희가 항상 성령을 거스려 너희 조상과 같이 너희도 하는도다7:52 너희 조상들은 선지자 중에 누구를 핍박지 아니하였느냐 의인이 오시리라 예고한 자들을 저희가 죽였고 이제 너희는 그 의인을 잡아준 자요 살인한 자가 되나니7:53 너희가 천사의 전한 율법을 받고도 지키지 아니하였도다 하니라7:54 저희가 이말을 듣고 마음에…

使徒の働き 黙想15 【スデパノと創世記】 20230703 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 7章 1~16

使徒の働き 1~167:1 大祭司は、「そのとおりなのか」と尋ねた。7:2 するとステパノは言った。「兄弟ならびに父である皆さん、聞いてください。私たちの父アブラハムがハランに住む以前、まだメソポタミアにいたとき、栄光の神が彼に現れ、7:3 『あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地へ行きなさい』と言われました。7:4 そこで、アブラハムはカルデア人の地を出て、ハランに住みました。そして父の死後、神はそこから彼を、今あなたがたが住んでいるこの地に移されましたが、7:5 ここでは、足の踏み場となる土地さえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。しかし神は、まだ子がいなかった彼に対して、この地を彼とその後の子孫に所有地として与えることを約束されました。7:6 また、神は次のように言われました。『彼の子孫は他国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。』7:7 また、神は言われました。『彼らが奴隷として仕えるその国民を、わたしはさばく。それから彼らは出て来て、この場所でわたしに仕えるようになる。』7:8 そして、神はアブラハムに割礼の契約を与えられました。こうして、アブラハムはイサクを生み、八日目にその子に割礼を施しました。それからイサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長たちを生みました。7:9 族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神は彼とともにおられ、7:10 あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王ファラオの前で恵みと知恵を与えられたので、ファラオは彼をエジプトと王の全家を治める高官に任じました。7:11 すると、エジプトとカナンの全地に飢饉が起こり、大きな苦難が襲って来たので、私たちの父祖たちは食べ物を手に入れることができなくなりました。7:12 しかし、ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まず私たちの父祖たちを遣わしました。7:13 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分のことを打ち明け、ヨセフの家族のことがファラオに明らかになりました。7:14 そこで、ヨセフは人を遣わして、自分の父ヤコブと七十五人の親族全員を呼び寄せました。7:15 こうして、ヤコブはエジプトに下り、そこで彼も私たちの父祖たちも死にました。7:16 彼らはシェケムに運ばれ、かつてアブラハムがいくらかの銀でシェケムのハモルの子らから買っておいた墓に、葬られました。   スデパノの説教が始まります。スデパノはユダヤ人であり、この説教は自分を迫害するユダヤ人を対象とした説教です。スデパノは神殿主義、形式主義に陥っていたユダヤ宗教に対して旧約聖書のインサイトを通してキリスト教論に接近し、イエス·キリストがメシアであるということを弁証しています。そのため、今日の本文は創世記のところから述べています。   信仰の父、アブラハムから始まり、ヨセフに至るまで一貫してすべての出来事と過程の主語は神様です。神様が呼び、神様が送りました。人間が神様に何かをしたことではなく、神様に召され、導かれ、祝福と救いの恵みを受けたのです。神殿より神様が先におられ、律法より恵みが先にありました。   しかし、形式主義と権威主義に変質したユダヤ宗教は神殿と宗教的権威に挑戦すると考え、スデパノを神殿冒涜、神聖冒涜で起訴しました。宗教には信仰を汚す恐れがあります。本質に戻る努力をしなければ、形式的宗教に陥没し、真の信仰の姿を失ってしまいます。形式と権威が信仰に代わり、階級が愛に代わり、形式化され、強制された宗教は聖書からキリストの意味を読み取ることができません。聖書は誰もが読みますが、固まった人間は神のメッセージを読み取ることができません。神殿は礼拝のためにあり、律法は人になるためにあり、御言葉は愛を伝えるためにあるのです。

사도행전 묵상15 【스데반과 창세기】 20230703 (월) 사도행전 7장 1~16

사도행전 7장 1~167:1 대제사장이 가로되 이것이 사실이냐7:2 스데반이 가로되 여러분 부형들이여 들으소서 우리 조상 아브라함이 하란에 있기 전 메소보다미아에 있을 때에 영광의 하나님이 그에게 보여7:3 가라사대 네 고향과 친척을 떠나 내가 네게 보일 땅으로 가라 하시니7:4 아브라함이 갈대아 사람의 땅을 떠나 하란에 거하다가 그 아비가 죽으매 하나님이 그를 거기서 너희 시방 거하는 이 땅으로 옮기셨느니라7:5…

使徒の働き 黙想14 【御使いの顔】 20230702 (日) 枝川愛の教会 使徒の働き 6章 8-15

使徒の働き 6章 8-15 6:8 さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。 6:9 ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。 6:10 しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。 6:11 そこで、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは、彼がモーセと神を冒瀆することばを語るのを聞いた」と言わせた。 6:12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。 6:13 そして偽りの証人たちを立てて言わせた。「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。 6:14 『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」 6:15 最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。 聖書に書かれているステパノの行跡は、いつもステパノ自身の力ではなく、聖霊の力で生きていった者でした。その知恵と聖霊に語ったステパノには、当時、学問で有名な町から来た人々も対抗することができませんでした。それ故、その人々がステパノに勝てる唯一の方法は卑怯な術を使うことでした。 真実を基にした嘘が一番効果的だという話があります。ステパノとの議論に勝てられなかった彼らは巧みに仕組まれた嘘をつき、ステパノを最高法院に引いて行くところまでは成功しました。 そこで、最高法院で席に着いていた人々がステパノを見た時の彼らの反応について聖書は‘彼の顔は御使いのように見えた’と語っています。この‘御使いのような顔’はいったいどんな顔でしょうか。現代の私たちは‘御使いのような顔’と言われたら、思い出すイメージが何個かあります。きれいな赤ちゃんの顔、純粋で良い人に見える顔、もしくは、だれもが見ても美しい、ハンサムな顔だと思われる顔など。しかし、今日聖書が語っているステパノの顔がこのような顔だったでしょうか。少し考えて見る必要があります。 今まで御使いに対してイスラエル民が持っていた思いはこのようにただ美しいだけのイメージではありません。彼らにとって神様に遣わされた御使いは偉大な存在であり、恐れるべきの存在であったでしょう。マタイの福音書ではこの姿がよく現れています。 “すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来sて石をわきに転がし、その上に座ったからである。その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった。その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、死人のようになった。”(マタイ28:2-4) 最高法院の人々がステパノから見た御使いの顔はこのように聖い、恐れるべきの顔だったかも知れません。 どれほど巧みに仕組まれた嘘も勝てないことがあります。それは‘真実’です。真理であるイエス・キリストを正しく伝えたステパノから見えた御使いの顔は、このような‘真実’から出て来た顔だったでしょう。私たちが信じているこの福音はこの世が巧みに仕組んだ嘘では勝てない‘真実’なものです。このような信仰をもって、大胆に福音を伝える私たちの顔も、最高法院の人々がステパノから見た顔と同じ顔でしょう。