マルコの福音書 黙想 【欠けている一つ】 20240129(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
マルコの福音書 10:17~3110:17 イエスが道に出て行かれると、一人の人が駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた。「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」10:18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。10:19 戒めはあなたも知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え。』」10:20 その人はイエスに言った。「先生。私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」10:21 イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」10:22 すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。10:23 イエスは、周囲を見回して、弟子たちに言われた。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。」10:24 弟子たちはイエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて彼らに言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、なんと難しいことでしょう。10:25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」10:26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」10:27 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。」10:28 ペテロがイエスにこう言い出した。「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。」10:29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は、10:30 今この世で、迫害とともに、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を百倍受け、来たるべき世で永遠のいのちを受けます。10:31 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になります。」 金持ちの男のお話です。イエス様は、イエス様に従いたいということで駆け寄った男に十戒の遵守について聞きました。「殺してはならない、姦淫してはならない、盗みではならない、いつわりの証拠をしてはならない, だまして取るってはならない、父母を敬え」とした十戒を破る人間が持つ基本的な感情とは何でしょうか。欲です。欲のために人を殺し、欲のために姦淫し、盗み、うそをつけます。親の扶養しないものも欲のためです。金持ちの男は、自信をもってそのすべてを守りましたと言いました。 イエス様は彼の財産の全部を貧しい者たちに分け与えてから「そのうえで、わたしに従って来なさい」と言われました。すると、金持ちの男は、何もなかったことにして帰りました。彼は欲張ってないと言いましたが、イエス様に従うことでは欲を捨てることができなかったようです。欲張らずに生きてきたということは実は錯覚です。自分に対する知識が深刻に歪んでいる人です。とりわけ宗教の中ではよくある現象です。 イエス様の本音が全ての財産を人に分け与えることではなかったと思います。彼がいかに欲張りな人なのか気づかさせるためであると思います。しかし、気付かなく、悟らないです。「顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った」ということは、イエス様に従えないからではなく、しばらく全ての財産を人に分けるという想像をしたからです。イエス様が「あなたに欠けていることが一つあります」とお話される時の欠けというのは、「自分を知らない欠け」です。欲を捨てることができないと、「致命的な欠け」です。