マルコの福音書 黙想 【主がお入り用なのです】 20240201(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
マルコの福音書 11:1~1011:1 さて、一行がエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニアに来たとき、イエスはこう言って二人の弟子を遣わされた。11:2 「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。11:3 もしだれかが、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐに、またここにお返しします』と言いなさい。」11:4 弟子たちは出かけて行き、表通りにある家の戸口に、子ろばがつながれているのを見つけたので、それをほどいた。11:5 すると、そこに立っていた何人かが言った。「子ろばをほどいたりして、どうするのか。」11:6 弟子たちが、イエスの言われたとおりに話すと、彼らは許してくれた。11:7 それで、子ろばをイエスのところに引いて行き、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。11:8 すると、多くの人たちが自分たちの上着を道に敷き、ほかの人たちは葉の付いた枝を野から切って来て敷いた。11:9 そして、前を行く人たちも、後に続く人たちも叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。11:10 祝福あれ、われらの父ダビデの、来たるべき国に。ホサナ、いと高き所に。」 イエス様はこれからエルサレムに入ります。弟子たちはイエス様の命令どおり、人の家の中につながれている子ろばをほどいて、引いて来させます。持ち主は「なぜ人の子ろばをもっていくのか」と聞きますが、弟子たちはイエス様が教えてくださった通り「主がお入り用なのです。」と答えます。すると、持ち主は何も言わずに子ろばを出してくれます。神様の必要については、神様が主権的に定め、召し、用います。人が神様のために先にできることはありません。召されることを知ること、それに従うことです。 イエス様は子ろばに乗ってエルサレムに入ります。大きい馬ではなく、経験のない子ろばです。足が地に引かれるような子ろばに乗って行かれるイエス様の姿を想像すると、滑稽です。それゆえ、子ろばに乗ったイエス様の目の高さは人々の目の高さです。人々はイエス様を歓迎し、自分の上着と葉の付いた枝を道端に敷いてイエス様の道ににレッドカーペットのようなものを作りました。 イエス様がエルサレムに入るということは十字架の日が近いて来たということです。イエス様の人気は絶頂で、政治的回復を願うイスラエルは、期待に胸を膨らませてイエス様を迎えました。あれほど歓呼した人々だが、イエス様が政治的に敗北したと思った瞬間、十字架に付けろと叫んだことを覚えます。あの人たちは、まさに4日前にホサナで熱狂したその人たちです。熱狂も裏切りもすべて誤解でした。イスラエルは政治的解放を期待しましたが、イエス様は人間の罪の鎖を解くために来られました。 子ろばとのことについてちょっとした想像をしてみました。突然、連れ出された子ろばはぎこちなく、戸惑っていました。イエス様を乗せて歩くことに自信がなく、また人々が自分だけを見つめるようで負担を感じていました。しかし、そのようなことも時間が経つことにつれて慣れてきます。拍手と賛辞を受けながらレッドカーペットを歩き続けた子ろばは、いつの間にか自分が崇められているような錯覚を起こしました。背中に乗せたイエス様は目には見えなかったでしょうから。緊張しなければなりません。イエス様の栄光を自分が受けようとすることはろばの子ではなく、悪魔の子だからです。 イエス様は謙遜で、小さい子ろばに乗られたのですが、子ろばは勘違いして気勢が等々として歩き回る格好になったのです。トロイア戦争に勝って帰ってきたアガメムノーンは、用意されたレッドカーペットを神のものだと言い、踏むことをしませんでした。アガメムノーンは神的権威を借りずにひたすら「人」に尊敬される「人」になりたいと宣言しました。私たちの宗教よりギリシャ神話の方がもっと人間的であるようです。 牧師が外部に出かけると、歓迎され、もてなしを受る場合があります。人々は牧師を歓迎することは、イエス様を乗せてきた子ろばだと思うからです。ところが、もてなしを受けると、自分が当然のようにもてなしを受ける資格があると勘違いしてしまいます。子ろばの話しは私が作ったフィクションですから、子ろばに申し訳ないですが、牧師にはそのような誘惑と危険が実在します。子ろばがイエス様に背中に乗ってはいけないのではないですか?子ろばのアイデンティティは偉大ではなく、有名でもなく、実力があるものでもありません。イエス様を乗せた子ろばのアイデンティティは小さなもので、見栄えのないものです。しかし、何でもむやみに背中に乗せることはない、純粋なものです。「…まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。…主がお入り用なのです。11:2,3」