マルコの福音書 黙想 【その日に備えなさい】 20240210(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生
マルコの福音書 13:28-37 13:28 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかくなって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 13:29 同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。 13:30 まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。 13:31 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。 13:32 ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。 13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。 13:34 それはちょうど、旅に出る人のようです。家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているように命じます。 13:35 ですから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。 13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。 13:37 わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」 キリスト教は全世界に数多くの聖徒がいて、その分世界中に大きな影響力を及ぼしています。それはただ聖書一冊だけを信じるキリスト教だけではなく、数多くのキリスト教系の異端も同様です。 それはキリスト教人口0.7%の日本でもキリスト教系異端が政治にまで影響を及んでいた事件から見てもわかるでしょう。 このような異端が一番好きなテーマがこの「終末」だと思います。実際、今まで数多くの異端が何度も具体的な日時を取り上げて終末を預言し、自分たちに従う者の財産や心を奪ってきました。 時には私たちの周りの人々、そこに私たちまでも異端の囁きに釣られてしまうような危機に会うことがあります。異端の布教活動をする人々は、口上手で、印象も良く、効果的な手段を用いるなど、非常に効率的な方法を利用するだけではなく、自分たちの教理で徹底的に準備され、聖書に慣れていないキリスト者に近づいてくるからです。 彼らの誘惑に陥らないためには、私たちが聖書を知る必要があります。御言葉の中に込められている神様の御心を知る必要があります。キリストが再び来る日が近づいてくるほど、キリストに対抗する者と偽りの預言者がさらに多くなることが預言されているからです。 御言葉は明らかに、その終末の時がいつになるのか、父以外には誰も分からないと証しています。 そのため、常に目を覚まして、その日に備えなければならないのです。しかし、その日に備えるということも、誤解しやすいところがあります。どう備えればいいのかという問題です。 このような問題で混乱を経験した例を、私たちは聖書から見つけることができます。それは使徒パウロがテサロニケに送った手紙、テサロニケ人々への手紙第一です。彼らは間違った終末思想を持ち、来る終末に備えていました。一方では望ましく見えるかも知れない世の中のものをすべて捨てて、主だけを待つ望む者も多くいました。 そんな彼らに使徒パウロはちゃんと生きなさいと、再臨の時は父以外には誰も分からないと教えています。パウロのこのような教えは単純に「いつ来られるか分からないから、この世で生きて行きながら、その日を待ちなさい」ということではありません。 「この世で任された責務を忠実に務めながら来る日に備えなさい」ということです。 イエス様は公の期間中、数多くの比喩を用いて人々を教えられました。 その中にはこの世のことを疎かにしてはならないということ、この世に送られ、任せられたことを忠実に務めなさいという教えも何度もありました。私たちが神様が再び来られる日に備えるということは、今私たちに任された責務に忠実にしていくことです。 私たちからは期約のない約束のように見えるこの約束が、時には厳しく感じられるかもしれません。 いつまでこれらの責務に努めなければならないのか、疲れて大変な時は確かにあります。 しかし、この約束は明らかに私たちのための約束であることを覚えておくことは大切です。この世の中での時間があるからこそ、私たちは御国をもっと望むようになり、私たちがその時を知らないからこそ、日々神様に忠実な日常を通して神様が私たちのために準備してくださる賞が日々溜まっていくでしょう。 https://youtu.be/g6e8Ga8sjps?si=o7znDZ7UDVLgPfMP