Ⅰ列王記 黙想 【柱の頂にはゆりの花】 20240416(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
Ⅰ列王記 7:1~227:1 また、ソロモンは十三年をかけて自分の宮殿を建て、その宮殿のすべてを完成させた。7:2 彼は「レバノンの森の宮殿」を建てた。その長さは百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトで、それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。7:3 また、四十五本の柱の上にある階段式脇間の屋根は、杉材で葺かれていた。柱は一列に十五本ずつあった。7:4 戸口は三列あり、三段になって向かい合っていた。7:5 戸口の扉と戸口の柱はすべて四角形で、三段になって向かい合っていた。7:6 また彼は、柱の広間を造った。その長さは五十キュビト、その幅は三十キュビトであった。その前に玄関があり、その前に柱とひさしがあった。7:7 また、さばきをするための王座の広間、すなわち、さばきの広間を造り、床の隅々から天井まで杉材を張り詰めた。7:8 彼の住む家はその広間のうしろの庭にあり、同じ造りであった。ソロモンは、彼が妻としたファラオの娘のためにも、この広間と同じような家を建てた。7:9 これらはすべて内側も外側も、のこぎりで寸法どおりに切りそろえられた、高価な石で造られていた。礎から軒に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまで、そうであった。7:10 礎は高価な石、大きな石で、八キュビトも十キュビトもあった。7:11 その上には、寸法どおりに切りそろえられた高価な石と杉材が使われた。7:12 大庭の周囲には、三段の切り石と一段の杉の角材が使われ、主の宮の内庭や、神殿の玄関広間と同じであった。7:13 ソロモンは人を遣わして、ツロからヒラムを呼んで来た。7:14 彼はナフタリ部族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。ヒラムは青銅の細工物全般について、知恵と英知と知識に満ちていた。彼はソロモン王のもとに来て、その一切の細工を行った。7:15 彼は青銅で二本の柱を鋳造した。片方の柱の高さは十八キュビト。もう片方の柱の周囲は、ひもで測って十二キュビトであった。7:16 彼は青銅で鋳造した二つの柱頭を作って、柱の頂に載せた。片方の柱頭の高さは五キュビト、もう片方の柱頭の高さも五キュビトであった。7:17 柱の頂の柱頭に取り付ける、鎖で編んで房になった格子細工の網を、片方の柱頭に七つ、もう片方の柱頭に七つ作った。7:18 こうして彼は柱を作り、柱の頂にある柱頭をおおうため、青銅のざくろが格子網の上を二段に取り巻くようにし、もう片方の柱頭にも同じようにした。7:19 この玄関広間にある柱の頂にある柱頭は、ゆりの花の細工で、それは四キュビトであった。7:20 二本の柱の上にある柱頭の格子網のあたりで、丸い突出部の周りには、二百個のざくろが、両方の柱頭に段をなして並んでいた。7:21 この柱を本殿の玄関広間の前に立てた。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけた。7:22 この柱の頂の上には、ゆりの花の細工があった。こうして、柱の造作は完成した。 6章で神殿建築の話が終わり、7章で王宮建築が始まっているようでしたが、7章13節以降からは再び神殿建築の話が続きます。ソロモンは、ツロから青銅を使って金属工芸をする造形芸術家のヒラムを招聘し、神殿の入口に巨大な二本の青銅の柱を作りました。この柱は荷重を負担する構造的な役割ではなく、神殿の入口に信仰的な意味を与えるための造形物でした。二つの柱はヤキンとボアズと名付けられ、ヤキンは、神が立てるという意味で、ボアズは神に力があるという意味です。神殿が神様の力によって、神様が建てられたことを記念し、記憶するためのものでした。 出エジプト記でイスラエルの暮らしを支えたのは、雲の柱、火の柱でした。 民はその保護の下にありました。 人生で成就を経験する時、見えないところで人生を支えている神様の恵み、雲の柱、火の柱を覚えなければなりません。ヒラムは雄大で美しい神殿が人の産物にならないように、その中に神様の御名と力を告白のように刻み込む芸術作業をしました。ソロモンをはじめとするすべての民は、神殿に入る時、心を高めずに神様の栄光のみを考えなければなりませんでした。神様の力によって神様が立てられていることを心の中に刻まなければなりませんでした。悲しいですが、歴史的な事実を先に言うなら、それを忘れた時、この神殿は崩れました。 ヤキンとボアズのように神殿の大切な柱になるようにという祈りを耳にします。素晴らしい献身の祈りです。しかし、ヤキンとボアズが神殿を支える構造力学的な柱になるわけではありません。人は、神様がご自身の御力でご自身で立てられていくということを知り、それを告白することです。人がしなければならないことは、教会のヤキンとボアズになることではなく、教会が神様のものであることを認めることです。教会は神様から立てられ、守ることであり、聖徒はその神様に仕えることです。ヒラムは、芸術を通して神殿に人間の功労を入れないよう警告しています。教会は神様によって建てられ、教会の主は神様であり、その頭はイエス·キリストです。 「この柱の頂の上には、ゆりの花の細工があった。こうして、柱の造作は完成した。7:22」のヤキンとボアズの上にゆりの花を作った後、柱造形作業は完了しました。賛美歌の中で、「わがともにますあがないぬしイエスきみのうるわしさは たにまのゆりかあけのほしかくらべうるものはあらじ…」という歌詞の賛美があります。ゆりの花に象徴されるイエス様が一番上におられます。イエス様がソロモンの名とゆりの花の名を一緒に使って教えられたことがあります。「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。6:28,29」人の誇りという誘惑を破り、神様の栄光を追い求めなければならないことを改めて思います。