Ⅰ列王記 黙想 【人間エリヤ】 20240520(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
Ⅰ列王記 19:1~1019:1 アハブは、エリヤがしたことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベルに告げた。19:2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」19:3 彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、19:4 自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」19:5 彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。19:6 彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。19:7 主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。19:8 彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。19:9 彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、主のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。19:10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」 週末にペンテコステを過ごす間、デボーションの本文ではエリヤが一人でバアルとアセラ預言者850人に打ち勝ちました。エリヤはカルメル山でバアルを全滅させた後に神様に祈り、イスラエルを干ばつで解決しました。名実相伴うヒーローです。これに腹が立ったバアルの女イセベルはエリヤを殺そうとし、エリヤは逃げなければなりませんでした。 ベエル・シェバを過ぎるとネゲブの荒野です。 荒野は恐ろしいところです。昼には枯れてしまい、夜には凍え死ぬところです。エリヤは荒野に入り、エニシダの木を一本発見し、その下に入ります。エニシダの木とは、素敵な日陰を作ってくれるような大きな木ではなく、砂漠の真ん中のハギのほうきを逆さにしておいたような小さな低木です。やっと太陽を避けて反対側にうずくまって横になったはずです。眠ることはできなかったでしょう。地球の自転速度に応じて、少しずつ木に背を向けて回らなければならなかったからです。 そして神様に自分が死ぬことを願います。エリヤの状態がかなり深刻に見えます。これを他人の話、昔話、作り話として聞かなければ、私たちはエリヤを理解しなければありません。なぜなら、その多くの同僚たちが死に、自分の手でその多くの大敵を殺したので、その暴力のトラウマがどれほど大きかったのでしょうか?勝ったとしても850人を殺すことは普通のことでしょうか?戦争に負けた軍人は死ぬでしょうが、勝った人もその日の苦痛を記憶しながら生きます。日は熱く、食べ物も飲み物もありません。エリヤは自ら死のうと荒野に入ったのです。しかし、神様はみ使いを送り、焼け石で焼いたパン菓子と、水壺を与えて飲ませます。み使いは来るたびにエリヤを先に彼の体にとんとんと触れます。 再び立ち上がったエリヤは40日を歩き、ホレブ山の洞窟に入って隠遁します。荒野で枯れず、飢えずに生きてくれて幸いですが、洞窟に隠れて暮らすエリヤがかわいそうなのは同じです。エリヤの人生はそうでした。からすが持ってくるものを食べ、貧しいやもめの家からおごってもらい、小さな木の下で死を求め、み使いのパンを食べ、水を飲み、洞窟に隠れて過ごします。召されているエリヤの人生は確かに安らかではありませんでした。しかも、彼の今はとても恐れています。エリヤの英雄譚は本人にとって苦痛です。彼も慰められるべき小さな人間です。個人的には聖書でカルメル山のエリヤのように神的かつ英雄的な威容に出会う時より、エニシダの木やホレブ山の洞窟で出会うエリヤがもっと好きです。人間の弱さに会うたびに聖書が真実のようで、私も入り込む隙間があるようで嬉しいです。 十字架にかけられたイエス様が「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と訴えた時に、人々はその発音が似ているということで、イエス様がエリヤを呼んでしると言いました。そして、エリヤが来てイエス様を救うのかどうかを見てみようと言いました。おそらくエリヤが竜巻に乗って天へ上って行った話のためでしょう。しかし、カルメル山の英雄エリヤもエニシダの木の下で、またホレブ山の洞窟の中で恐怖と不安で足の力が抜けました。人間イエスは十字架にかけられた苦痛と神様との断絶のゆえにもがき、ゲッセマネの園では死の恐怖で不安になりました。しかし、ゲッセマネから立ち上がり、むくむくとゴルゴダに歩いていた人間イエスを通して、そしてエニシダの木から立ち上がり、ホレブに向かってむくむくと歩いていくエリヤを通して、神様のご計画はむくむくと進まれます。