Ⅱペテロ 黙想 【思い起こさせ、奮い立たせる】 20240611(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
Ⅱペテロ 1:12~211:12 ですから、あなたがたがこれらのことをすでに知り、与えられた真理に堅く立っているとはいえ、私はあなたがたに、それをいつも思い起こさせるつもりです。1:13 それを思い起こさせて、あなたがたを奮い立たせることを、私は地上の幕屋にいるかぎり、なすべきだと思っています。1:14 私たちの主イエス・キリストが示してくださったように、私はこの幕屋を間もなく脱ぎ捨てることを知っています。1:15 ですから、ぜひとも、私が去った後いつでも、あなたがたがこれらのことを思い起こせるようにしておきたいのです。1:16 私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。1:17 この方が父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、このような御声がありました。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」1:18 私たちは聖なる山で主とともにいたので、天からかかったこの御声を自分で聞きました。1:19 また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。1:20 ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。1:21 預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。 誰でも自分が持っているものをもって他の人に伝えることができます。自分が知らないことを教えようとしてもそれには力がありません。伝道しなければならないとわかっていても、福音を知らなければ伝道することはできないでしょう。伝道は宗教活動ではなく、自分の人生と信仰の理由を語る機会です。ペテロも自分が持っているものがあるからこそ教えることができます。そしてペテロは自分が知っていることを伝えずにはいられません。 ペテロはマタイの福音書17章の変貌山でイエス様の栄光を見たことがあります。その時、ペテロはその栄光に心を奪われ、モーセとエリヤとイエス様のために幕屋を建てて自分もそこに住みたいと願いました。しかし後に、地上に家を建てて生きることが人生の目的ではないことに気づかされます。変貌山で幕屋を建てて住むのではなく、体という幕屋を脱ぎ、その後に来るものを望み、期待しながら生きることを悟ります。 ペテロは聖霊が降臨した後にこれを理解しました。聖霊は目的と本質を理解させてくださる方です。地上に執着させる力ではなく、人生の意味を省察させる力です。神様の聖霊が降臨して自分が思い出し、理解したように、聖徒らにも思い出させ、理解させたいのです。信仰の目的が肉体の生活にあるわけではないことを思い起こし、理解するようにしなければなりません。 「預言は勝手に解釈するものではないこと」と言ったのは、聖書の言葉を解釈してはならないという意味ではなく、偽教師たちが自分たちの利益のために、肉体のための機会として恣意的に解釈することに騙されてはならないということです。それが地上のことだからです。地に心を置いている人は、地上の生活のために偽教師のことがより大きく聞こえてきます。 利益を追い求める宗教は歪んだ解釈をするでしょうし、人を崇拝する宗教はそれに簡単に騙されるでしょう。しかし、言葉を通してイエス・キリストに従う人々は、聖霊による解釈をします。目を上げて霊を見なければ、神の霊の言葉を解釈することはできません。そのような人々は地上のものに騙されません。聖霊が御言葉を教え、思い出させ、導いてくださって、その言葉によって解釈され、理解され、実践を行うことを願います。