Ⅱ列王記 黙想 【代表性の原理】 20240624(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 3:13~273:13 エリシャはイスラエルの王に言った。「私とあなたの間に何の関わりがあるでしょうか。あなたの父の預言者たちや、母の預言者たちのところに行かれたらよいでしょう。」すると、イスラエルの王は彼に言った。「いや、モアブの手に渡すために、この三人の王を呼び集めたのは、主だ。」3:14 エリシャは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。もし私がユダの王ヨシャファテの顔を立てるのでなければ、私は決してあなたに目も留めず、あなたに会うこともしなかったでしょう。3:15 しかし今、竪琴を弾く者をここに連れて来てください。」竪琴を弾く者が竪琴を弾き鳴らすと、主の手がエリシャの上に下り、3:16 彼は次のように言った。「主はこう言われます。『この涸れた谷にはたくさんの水がたまる。』3:17 主がこう言われるからです。『風を見ず、大雨を見なくても、この涸れた谷には水があふれる。あなたがたも、あなたがたの家畜も、動物もこれを飲む。』3:18 これは主の目には小さなことです。主はモアブをあなたがたの手に渡されます。3:19 あなたがたは、城壁のある町々、立派な町々をことごとく打ち破り、すべての良い木を切り倒し、すべての水の源をふさぎ、すべての良い畑を石をもって荒らすでしょう。」3:20 朝になって、ささげ物を献げるころ、なんと、水がエドムの方から流れて来て、この地は水で満たされた。3:21 モアブ人はみな、王たちが自分たちを攻めに上って来たことを聞いた。よろいを着けることができる者はすべて呼び集められ、国境の守備に就いた。3:22 翌朝早く起きてみると、太陽が水の面を照らしていた。モアブ人は、向こう側の水が血のように赤いのを見て、3:23 こう言った。「これは血だ。きっと王たちが切り合って、同士討ちをしたに違いない。さあ今、モアブよ、分捕りに行こう。」3:24 彼らがイスラエルの陣営に攻め入ると、イスラエルは立ってモアブ人を討った。モアブ人はイスラエルの前から逃げた。イスラエルは攻め入って、モアブ人を討った。3:25 さらに、彼らは町々を破壊し、すべての良い畑にだれもが石を投げ捨てて石だらけにし、すべての水の源をふさぎ、すべての良い木を切り倒した。ただキル・ハレセテにある石だけが残ったが、その町も石を投げる者たちが取り囲み、これを打ち破った。3:26 モアブの王は、戦いが自分に不利になっていくのを見て、剣を使う者七百人を引き連れ、エドムの王のところに突き入ろうとしたが、果たせなかった。3:27 そこで、彼は自分に代わって王となる長男を取り、その子を城壁の上で全焼のささげ物として献げた。このことのゆえに、イスラエル人に対する激しい怒りが起こった。そこでイスラエル人は、そこから引き揚げて、自分の国へ帰って行った。   アハブの子、ヨラムがユダとエドムを連合し、モアブと戦争をしようとしています。北イスラエルのアハブを覚えているエリシャはヨラムを冷たく扱いますが、ユダの王ヨシャファテの顔を立てて連合軍を助けます。干ばつで苦しんでいた連合軍に水を提供し、モアブ軍は日の出で水が赤く染まるのを見て、それを連合軍同士の内紛によって血の水が流れていると勘違いし、先制攻撃を仕掛けましたが敗北します。窮地に立たされたモアブの王は、必死の抵抗の意思で自分の息子を人身供犠として捧げると、連合軍はこれを見て撤退します。まさに奇怪な状況です。ヨシャファテが北イスラエルとエドムと連合軍を組むのも奇妙ですし、その連合軍がエリシャに助けを求め、エリシャがそれに応じるのも奇妙です。モアブ軍が日の出に映る水を見て血の海だと思い略奪に出たことも奇怪であり、モアブの王が王子を敵軍の前で全焼のささげ物として捧げたことは驚愕すべきことです。連合軍はその光景に圧倒され、モアブを最後まで制圧せずに解散します。   エリシャがこの出来事に関与した唯一の理由は、ユダ王王ヨシャファテの要請です。エリシャは言いました。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。もし私がユダの王ヨシャファテの顔を立てるのでなければ、私は決してあなたに目も留めず、あなたに会うこともしなかったでしょう。3:14」エリシャが動いたのは、ヨシャファテという一人の正しい人の名前のためです。ヨシャファテが連合軍に加担したことが良かったのかどうかは分かりませんが、ヨシャファテが神様の人であるという代表性がエリシャを動かしたことは確かです。パウロはローマ人への手紙とコリント人への手紙においてこの代表性について語りました。最初のアダムが人類の代表として罪を犯し、その結果、罪と死が全人類に入りました。私は善と悪を知るの木の実を食べたことはありませんが、アダムの代表性の中でその結果が私の中にあります。第二のアダムであるイエス・キリストは、贖いの死と復活を通して、回復の代表性を持っておられます。代表性の中で罪が入り、代表性の中で救いを得ました。救いの代表性はイエス・キリストにありますが、私はそれを信じる信仰の代表性を持ってこの世を生きると願います。  

열왕기하 묵상 【대표성의 원리】 20240624(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 3:13~273:13 엘리사가 이스라엘 왕에게 이르되 내가 당신과 무슨 상관이 있나이까 당신의 부친의 선지자들과 당신의 모친의 선지자들에게로 가소서 이스라엘 왕이 저에게 이르되 그렇지 아니하니이다 여호와께서 이 세 왕을 불러 모아 모압의 손에 붙이려 하시나이다3:14 엘리사가 가로되 내가 섬기는 만군의 여호와의 사심을 가리켜 맹세하노니 내가 만일 유다 왕 여호사밧의 낯을 봄이 아니면 당신을 향하지도 아니하고 보지도…