Ⅰペテロ 黙想 【祈りの確保】 20240605(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
Ⅰペテロ 3:1~123:1 同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。3:2 夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。3:3 あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。3:5 かつて、神に望みを置いた敬虔な女の人たちも、そのように自分を飾って、夫に従ったのです。3:6 たとえば、サラはアブラハムを主と呼んで従いました。どんなことをも恐れないで善を行うなら、あなたがたはサラの子です。3:7 同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。3:8 最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。3:9 悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。3:10 「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。3:11 悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。3:12 主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに傾けられる。しかし主の顔は、悪をなす者どもに敵対する。」 時代は2000年前の古代近東です。当時、家庭での夫と妻の関係を現代のジェンダー問題として捉えてはいけません。第一のペテロの手紙を始めながら言及したことがありますが、新約聖書の書簡で道徳的かつ倫理的な秩序について語る時には、律法的で宗教的な理由ではなく、福音とそれを委任された教会共同体のためのものでした。ペテロが教会に手紙を書き送ったのは、男性優越主義を助長したり、擁護したりすることではありません。家庭の一致こそがすなわち教会の一致につながるからです。男性が優先か、女性が優先かの問題ではなく、家庭の一致がすべてのことに先立つからです。男女が政治的に対立して戦っているこの時代に真に必要な上位価値は、二つのうちどちらが先かという階級闘争ではなく、お互いを立て合う家庭の回復です。 ペテロは妻たちに信じない夫の救いのためにも、夫に従うように教えます。そして、夫には妻を大切にするように教えます。そうしてこそ、祈りが妨げられないです。家庭の安定と信仰の中で祈りと信仰生活を営みます。人が倒れて緊急時に先にしなければならないことは、気道を確保することです。息の穴を開けなければと窒息して死にます。家庭の中でも息つく穴がなければなりません。つまり、信頼の関係が先行し、祈りが確保されてこそ、窒息することなく、祈りを確保できるということです。 夫婦の厚い協力と安定を勧めた後に、8節以下が続きます。「最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。3:8,9」家庭が分裂しているのに兄弟愛のための教会の一致を成すことはありません。教会の中でさえ、人間関係は複雑に絡み合っています。基礎がしっかりしていないと、問題が少しでも難しくなっても解けなくなるでしょう。「「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。3:10、11」基礎編においても、実戦編においても和平があることを願います。