Ⅱ列王記 黙想 【ヨラムが死んだ日】 20240710(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
Ⅱ列王記 9:14~269:14 こうして、ニムシの子ヨシャファテの子エフーは、ヨラムに対して謀反を起こした。先にヨラムはイスラエル全軍を率いて、ラモテ・ギルアデでアラムの王ハザエルを防いだが、9:15 ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにアラム人に負わされた傷を癒やすため、イズレエルに帰っていたのである。エフーは言った。「もし、これがあなたたちの本心であるなら、だれもこの町から逃れ出て、イズレエルに知らせに行ってはならない。」9:16 それからエフーは車に乗ってイズレエルへ行った。ヨラムがそこで床についていて、ユダの王アハズヤもヨラムを見舞いに下っていたからである。9:17 イズレエルのやぐらの上に、一人の見張りが立っていたが、エフーの軍勢がやって来るのを見て、「軍勢が見える」と言った。ヨラムは、「騎兵一人を選んで彼らを迎えに送り、元気かどうか尋ねさせなさい」と言った。9:18 そこで、騎兵は彼を迎えに行き、こう言った。「王が、元気かどうか尋ねておられます。」エフーは言った。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」一方、見張りは報告して言った。「使者は彼らのところに着きましたが、帰って来ません。」9:19 そこでヨラムは、もう一人の騎兵を送った。彼は彼らのところに行って言った。「王が、元気かどうか尋ねておられます。」すると、エフーは言った。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」9:20 見張りはまた報告した。「あれは彼らのところに着きましたが、帰って来ません。しかし、車の御し方は、ニムシの子エフーの御し方に似ています。狂ったように御しています。」9:21 ヨラムは「馬をつけよ」と命じた。馬が戦車につけられると、イスラエルの王ヨラムとユダの王アハズヤは、それぞれ自分の戦車に乗って出て行った。彼らはエフーを迎えに出て行き、イズレエル人ナボテの所有地で彼に出会った。9:22 ヨラムはエフーを見ると、「エフー、元気か」と尋ねた。エフーは答えた。「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに。」9:23 それでヨラムは手綱を返して逃げ、アハズヤに「裏切りだ、アハズヤ」と叫んだ。9:24 エフーは力いっぱい弓を引き絞り、ヨラムの胸を射た。矢は彼の心臓を射抜いたので、彼は戦車の中に崩れ落ちた。9:25 エフーは侍従のビデカルに命じた。「彼を運んで、イズレエル人ナボテの所有地であった畑に投げ捨てよ。思い起こすがよい。私とあなたが馬に乗って彼の父アハブの後に並んで従って行ったときに、主が彼についてこの宣告を下されたことを。9:26 『わたしは、昨日、ナボテの血とその子たちの血を確かに見届けた──主のことば──。わたしは、この地所であなたに報復する──主のことば。』それで今、彼を運んで、主が語られたとおり、あの地所に彼を投げ捨てよ。」 北イスラエルのヨラム王がアラムとの戦いで負傷し、イズレエルで回復していた時に、軍司令官のエフーが軍を動かしてイズレエルを攻撃しました。エフーがイズレエルに軍を動かすと、ヨラムは二度使者を送ってエフーの軍事作戦の意図を尋ねましたが、使者たちは皆エフーに投降して戻りませんでした。鈍感なヨラムは自らエフーに会いに行き、元気か」と尋ねた。エフーは「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに。」と答えました。ヨラムは事態の深刻さをようやく悟り、逃げようとしますが、エフーはヨラムを殺します。 アハブの息子ヨラムが死んだ土地は、列王記上21章でアハブ夫妻がナボテを殺し、奪った土地でした。ナボテから奪った土地で自分の息子が死んだのです。エフーはヨラムの死体をナボテのぶどう畑に投げ捨てました。エフーはその不当で無念な出来事を覚えていました。それはすでに神様がアハブの子孫がナボテが血を流した所で血を流すとエリヤを通して預言したことが成就されたことです。他人の目に涙を流させると、自分の目には血の涙が流れます。ヨラムが死んだのはアハブの息子だからではありません。ヨラムが父アハブの道を歩んだからです。 人々は神義論を語ります。神様は本当に正しいのか、神様は公平なのか、なぜ神様は悪が繁栄するのを放置するのか、なぜ正義が苦しまなければならないのか、悪い人は裕福で幸せなのに、なぜ正直な人の苦しみが増すのか…。しかし、世界が不条理なのは時空間に生きる人間の視点の限界のためかもしれません。どんなに不条理が複雑で、悪の時間が長く見えても、神様は正義であり、世界は神様のうちにあるので、神様によって結論が出るでしょう。ヨラムが死んだ日を忘れてはいけません。神様は人間が進むべき道を以前から語り、今も語っておられます。人間らしく生きるように…その道を歩まなければなりません。