Ⅱ列王記 黙想 【銅の破片】 20240801(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
Ⅱ列王記 18:1~1218:1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。18:2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。18:3 彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。18:4 高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いた。そのころまで、イスラエル人がこれに犠牲を供えていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。18:5 彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。18:6 彼は主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。18:7 主は彼とともにおられた。彼はどこへ出て行っても成功を収めた。彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかった。18:8 彼はペリシテ人を討ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。18:9 ヒゼキヤ王の第四年、イスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッシリアの王シャルマネセルがサマリアに攻め上って来て、これを包囲し、18:10 三年後にこれを攻め取った。すなわち、ヒゼキヤの第六年、イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリアは攻め取られた。18:11 アッシリアの王はイスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に定住させた。18:12 これは、彼らが彼らの神、主の御声に聞き従わず、その契約を破り、主のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである。 今日の本文では、北イスラエルはアッシリアによって最終的に滅亡し、南ユダの王となったヒゼキヤは全面的な改革を成功裏に推進します。イスラエルの滅亡がヒゼキヤにとっては政治的、宗教的な覚醒の契機となったことでしょう。ヒゼキヤはアッシリアの支配権から脱し、ペリシテ人を討ち、内部的には宗教改革を断行します。誰もが実現できなかった高き所を取り除き、偶像の根拠となるすべてを破壊します。改革しなければ本質を回復できず、破壊しなければ改革はできません。改革には創造的破壊が必要です。改革という時代の隙間に挟まれた者であるならば、破壊を恐れてはならないのです。 ヒゼキヤは高き所と柱とアシェラの木像を除去しましたが、その中でもユダの人々が大切にしていた青銅の蛇も壊してしまいました。青銅の蛇の話は民数記21章に出てきます。イスラエルの民が荒野で不平と不満を言うので、神様は火の蛇を送って彼らを噛ませました。そして、民がモーセに仲裁を求めると、神様はモーセに青銅の蛇を作って竿にかけるよう命じました。その青銅の蛇を見上げた人は誰でも生きました。救いは能力を要求せず、従順を要求します。だから信じずに青銅の蛇を見上げなかった人々はみな死にました。見るだけで救われると言っても、信じないと決めた人は死んでも見上げません。 ヒゼキヤはそれほど重要な記念碑的なモーセの青銅の蛇を破壊しました。それまで青銅の蛇は国宝や文化財のレベルで崇拝されていたのではないでしょうか?ヒゼキヤはそれを打ち壊し、それをネフシュタン(נְחֻשְׁתָּן, Nehushtan)と呼びました。ネフシュタンは銅の破片という意味です。青銅の蛇さえも、時が経つにつれて偶像化され、ヒゼキヤの識別力は、それもただの銅の破片に過ぎないということです。神様の命令によって作られ、救いの道具として用いられたものであっても、偶像を崇拝することを好む人間によって偶像に変質します。それは改革者によって打ち壊さなければなりません。 宣教チームとして仕えてくださるチュンヒョン教会の前庭には、有名な作家が制作した聖書の彫刻があったそうです。作家は神様の御言葉というテーマのために聖書というモチーフを使ったのでしょう。しかし、誰かがその前で仏像に向かって祈るように祈っているのを見て、教会は驚いてその高価な彫刻を撤去してしまったそうです。それは神様ではなく、神様の御言葉でもなく、ただの石です。聖書の活字は紙にインクで印刷されたものでしから読まれずに本棚に置かれた聖書はただの紙片に過ぎず、自分の十字架を背負わないならその十字架は木片に過ぎず、礼拝や宣教をしない教会の建物は産業廃棄物になるコンクリート構造物に過ぎません。ヒゼキヤが素晴らしいのは、ヒゼキヤが打ち壊したのが高き所や石の柱や木像や青銅の蛇という建物や物ではなく、骨の髄まで染み付いた自分の宗教を改革したからです。