ネヘミヤ 黙想 【約束に戻る】 20240919(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 9:32~389:32 私たちの神、大いなる神よ。力強く恐るべき方、契約と恵みを守られる方よ。今、アッシリアの王たちの時代から今日まで、私たちと私たちの王たち、高官たち、祭司、預言者、私たちの先祖、また、あなたの民全体に降りかかった困難をみな、どうか小さなことと見なさないでください。9:33 私たちに降りかかったすべてのことにおいて、あなたは正しくあられます。あなたは真実を行われましたが、私たちは悪を行ったのです。9:34 私たちの王、高官、祭司、先祖たちはあなたの律法を守らず、あなたがお与えになった命令と警告にも、耳を傾けませんでした。9:35 彼らは自分たちの王国の中で、あなたが下さったその大きな恵みの中で、また、あなたが彼らの前に置かれた、広くて肥えた土地にいても、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行いから立ち返ることもありませんでした。9:36 ご覧ください。私たちは今、奴隷です。私たちが実りと良い物を食べられるようにと、あなたが先祖に与えてくださった、この地で。ご覧ください。私たちは奴隷です。9:37 私たちの罪のゆえに、この地の豊かな産物は、あなたが私たちの上に立てられた王たちのものとなっています。彼らは私たちのからだを支配し、家畜も彼らの思いのままです。私たちは大きな苦しみの中にいます。」9:38 これらすべてのことのゆえに、私たちは文書をもって盟約を結んだ。そして、私たちの高官たち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。 ■神様についての知識が否定できない方法で訪れる時は、神様について多くの情報を得た時ではなく、人間が自分自身の悲惨な姿と向き合う時です。カルヴァンは『キリスト教綱要』の冒頭で、神様を知る知識と自分自身を知る知識は密接に結びついていると述べています。神様の偉大さを知るほど、人は自分のチッポケさを知り、自分の邪悪さを知るほど、神様の善良さを理解します。自分の罪を知るということは、神様の聖さを知るということであり、神様の愛が大きいということは、自分の罪が許されないほど大きいことを知るという意味です。 ■32節で民が神様の偉大さを賛美しているのは、イスラエルが罪と不従順の中で滅びた存在だからです。滅びる前は高ぶりましたが、滅びた後に自分の悲惨な実存に直面します。神様の御言葉を真剣に読み、霊性が明瞭になった人々はメタ認知が向上し、過去と現在を客観的に分析し、述べることができるようになります。神様がこれほど多くの恵みを与えてくださったにもかかわらず、祖先たちは神を仕えず、そのゆえ、神様が与えた地で今や奴隷に転落したという現実を嘆いています。 ■ローマ書でパウロが「罪が増し加わるところには、恵みもいっそう満ちあふれた」と述べたのは、罪を多く犯した人々に神様が恵みを多く与えたという意味ではなく、罪を深く認識する者が、神様の恵みをより深く体験するという意味です。したがって、ユダの現在の状況は貧しいものの、彼らは恵みの時を過ごしています。これは、御言葉を通して自分自身を発見し、そのような自分を諦めずに愛してくださる神様を発見したからです。 ■神様の誠実さを見出したユダは、再び神様との約束を確認し、それを文書にし、守ることを誓い、署名します。神様と約束し、それを守って生きることが、人にとって平和であり、幸せであることを彼らが分かったからです。

느헤미야 묵상 【약속으로 돌아가기】 20240919(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 9:32~389:32 우리 하나님이여 광대하시고 능하시고 두려우시며 언약과 인자를 지키시는 하나님이여 우리와 우리 열왕과 방백들과 제사장들과 선지자들과 열조와 주의 모든 백성이 앗수르 열왕의 때로부터 오늘날까지 당한바 환난을 이제 작게 여기시지 마옵소서9:33 그러나 우리의 당한 모든 일에 주는 공의로우시니 우리는 악을 행하였사오나 주는 진실히 행하셨음이니이다9:34 우리 열왕과 방백들과 제사장들과 열조가 주의 율법을 지키지 아니하며 주의 명령과…

ネヘミヤ 黙想 【主の恵み】 20240918(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 9:19~319:19 あなたは大きなあわれみをかけ、彼らを荒野に見捨てられませんでした。昼は雲の柱が彼らから離れず、道中を導き、夜は火の柱が、行くべき道を照らしました。9:20 あなたは、彼らを賢くしようと、ご自分の良き霊を与え、彼らの口からあなたのマナを絶やさず、彼らが渇いたときには水を与えられました。9:21 四十年の間、あなたは彼らを養われました。彼らは荒野で何も不足することなく、上着はすり切れず、足も腫れませんでした。9:22 あなたは諸王国と諸民族を彼らに渡し、それらを領地として割り当てられました。彼らはシホンの地、ヘシュボンの王の地と、バシャンの王オグの地を所有しました。9:23 あなたは彼らの子孫を空の星のように増やし、彼らの先祖たちに、『入って行って所有せよ』と言った地に、彼らを導き入れられました。9:24 その子孫は入って行って、その地を所有しました。あなたは、この地の住民、カナン人を彼らの前に屈服させて、その手に渡し、王たちとその地の人々を、彼らの思いのままに扱わせました。9:25 こうして、彼らは城壁のある町々と肥えた土地を攻め取り、あらゆる良い物に満ちた家、掘り井戸とぶどう畑、そしてオリーブと果樹を、豊かに手に入れました。彼らは食べて満腹し、肥え太って、あなたの大いなる恵みを楽しみました。9:26 しかし、彼らはあなたに逆らい、反逆して、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、数々のひどい侮辱を加えました。9:27 そこであなたは彼らを敵の手に渡され、敵が彼らを苦しめました。彼らがその苦難の時にあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたの大いなるあわれみによって救う者たちを彼らに与え、敵の手から救われるようにしてくださいました。9:28 しかし、一息つくと、彼らはまたあなたの前に悪事を行いました。あなたは彼らを敵の手に捨て置き、敵が彼らを支配しました。彼らが再びあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あわれみによって、たびたび彼らを救い出されました。9:29 あなたは彼らを戒めて、あなたの律法に立ち返らせようとされました。しかし、彼らは傲慢にふるまい、あなたの命令に聞き従わず、その命令を行う人は、それによって生きるというあなたの定めに背いて罪を犯し、肩を怒らして、うなじを固くし、聞き入れようとはしませんでした。9:30 それでも、あなたは何年も彼らを忍び、あなたの霊により、あなたの預言者たちを通して彼らを戒められましたが、彼らは耳を傾けませんでした。そのため、あなたは彼らを地のもろもろの民の手に渡されました。9:31 しかし、あなたはその大いなるあわれみにより、彼らを滅ぼし尽くすことはせず、お見捨てにもなりませんでした。あなたは、情け深くあわれみ深い神です。 ■ネヘミヤの時代、人々は立ち止まり、神様の恵みに触れられ感激しています。エズラによる御言葉による霊的刷新と目覚めは、歴史意識を高め、旧約聖書からの洞察を与えました。9章6節の創世記から始まり、本文を通って38節まで、彼らの民族が神様のなかで生きてきた歴史を網羅し、その中で現在を解釈し、信仰を告白しています。それは、搾り出すような信仰ではなく、自然に湧き出る信仰の告白です。霊的な恵みというのは、エズラが提供した知的過程を経てこそ得られたものです。 ■1903年、韓国の元山において医師の宣教師R.A.ハーディは、当時中国で宣教していた経験豊かな宣教師ブランソンを招き、査経会(聖書研究会)を開きました。「査経会」とは、文字通り聖書を詳しく調べる集会です。主に朗読の形式で行われ、人々が集まり聖書を読み進めていく中で、罪を自覚し、悔い改め始めました。罪の自覚は説明を受けたからではなく、神様の御言葉によってもたらされたのです。その悔い改めの恵みは、やがて平壌大リバイバルへと広がりました。ネヘミヤの集会は、韓国宣教初期の査経会を思い起こさせます。 ■元山で査経会を指導したブランソンは、ハドソン・テーラーと肩を並べるようなビジョナリーで、中国、日本、韓国の宣教に大きな影響を与えた人物です。枝川愛の教会が所属する日本同盟基督教団(Japan Alliance Christian Church)は、ブランソンの宣教活動によって日本で設立された教団です。ブランソンのTEAM(The Evangelical Alliance Mission)は、韓国でも多くの活動を展開し、医療や教育の宣教を行い、文書伝道である「いのちのことば社」もTEAMの宣教によって設立されました。日本の「いのちのことば社」とは同じ根を持っています。 ■枝川愛の教会の主日礼拝の説教では、5月から創世記を始め、早足で進み、先週ついに新約聖書に入りました。一節一節を詳細に見るのではなく、地図を広げるような感覚で全体をざっと見渡しながら進んできました。人物や出来事から教訓を得ようとするのではなく、歴史の流れの中で神様の影を探し求めているのです。日常には常に出来事があるものの、その出来事の意味を理解せずに過ぎ去ることが多いものです。 ■しかし、ある日ふと立ち止まり、歩んできた道を振り返ると、見えなかった神様の愛が見えてくることがあります。神様が人間に対して持っている一貫した意図、すなわち救おうとする愛、そのために神様が示された忍耐と慈悲を発見するのです。それを悟った人は、歩みを止め、その愛に対する感謝と悔い改めを告白せざるを得ません。自分の人生の一時点で、自分の言葉と生き方を通して、神様への愛を告白すること、それこそが信仰と言えるでしょう。秋には、各自の心の中にそのような場所を作り出せばと思います。

느헤미야 묵상 【주의 은혜라】 20240918(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 9:19~319:19 주께서는 연하여 긍휼을 베푸사 저희를 광야에 버리지 아니하시고 낮에는 구름 기둥으로 길을 인도하시며 밤에는 불 기둥으로 그 행할 길을 비취사 떠나게 아니하셨사오며9:20 또 주의 선한 신을 주사 저희를 가르치시며 주의 만나로 저희 입에 끊어지지 않게 하시고 저희의 목마름을 인하여 물을 주시사9:21 사십년 동안을 들에서 기르시되 결핍함이 없게 하시므로 그 옷이 해어지지 아니하였고 발이…

ネヘミヤ 黙想 【愛の発見】 20240917(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 9:9~189:9 あなたはエジプトで私たちの先祖の苦難を見て、葦の海のほとりで、その叫びを聞かれました。9:10 ファラオとそのすべての家臣、その国のすべての民に対して、数々のしるしと不思議を行われました。彼らが私たちの先祖に対して傲慢にふるまったのを、あなたがみこころに留められたからです。こうして、今日あるとおり、あなたは名をあげられました。9:11 あなたは私たちの先祖の前で海を裂き、彼らは海の真ん中の乾いた地面を渡りました。追っ手は、奔流に吞み込まれる石のように、あなたが海の深みに投げ込まれました。9:12 昼は雲の柱の中にあって彼らを導き、夜は火の柱の中にあってその行くべき道を照らされました。9:13 あなたはシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しい定めと、まことのみおしえ、良き掟と命令を彼らにお与えになりました。9:14 あなたの聖なる安息を彼らに教え、あなたのしもべモーセを通して、命令と掟とみおしえを彼らに命じられました。9:15 彼らが飢えたときには、天からパンを与え、渇いたときには、岩から水を出し、彼らに与えると誓われたその地に入ってそこを所有するよう、彼らに命じられました。9:16 しかし彼ら、私たちの先祖は傲慢にふるまい、うなじを固くし、あなたの命令に聞き従いませんでした。9:17 彼らは聞き従うことを拒み、彼らの間で行われた奇しいみわざを思い出さず、かえってうなじを固くし、かしらを立てて、逆らって奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かであられ、彼らをお捨てになりませんでした。9:18 彼らが自分たちのために鋳物の子牛を造り、『これが、あなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ』と言って、ひどい侮辱を加えたときでさえ、 ■神様は出エジプトを通じてイスラエルの民を政治的に救われ、シナイ山で律法を授けることで社会を法的に整えられ、荒野ではマナと水を与えて経済的な供給しましたが、彼らは状況に応じて神様を怨み、エジプトに戻ろうとしました。神様をあがめるよりも、神様が与えられた物質をより仕え、金の子牛を作って堕落しました。神様は宗教に領域のみに存在する方ではなく、彼らの生活のあらゆる場におられましたが、彼らはそれを知らず、宗教的な領域においてさえ堕落していました。 ■神様はそのような時にも、御旨に定められた救いを諦めませんでした。神様がイスラエルの民と契約を結んだのは、互いの利益のために協約を交わしたのではありません。神様の方からがイスラエルを救おうと定められたからです。民が契約を守り、信頼を保ったから愛されたのではなく、それ以前に、神様は民をエジプトから引き出されました。律法を守ったから救われたのではなく、愛されたから救われたのです。神様が先に愛されたから、律法が授けられ、神様が先に救いを定められたから、その対象者と契約を結ばれたのです。愛はいつも神様から始まります。 ■ネヘミヤの時代に霊的な目覚めを経験していた民は、御言葉を通じて過去の歴史の中から神様の愛と憐れみを発見しました。それは義務的な律法の規則ではなく、祖先の愚かな不信仰の歴史の中でも諦めない神様の救いの熱意を見出したのです。大人になれば親の愛が少し分かると言われますが、そのように霊的に目覚めると神様の愛が少し分かります。聖書を読む者は、律法の条文ではなく、神様の愛を読み取らなければなりません。「愛」というキーワードを検索することではなく、文脈を通じて「愛」という結論を推論(Contextual Inference)しなければなりません。物語を理解すると、そこに「愛」が残ります。聖書はさまざまな観点から読むことができますが、誰であれ真剣に読むならば、それを通じて神様の愛を発見するでしょう。 ■ネヘミヤの時代の民はそれを悟りました。彼らは信仰のために自らを献身し、汗を流して奉仕するチャンスがありました。それがネヘミヤの優れたところです。献身の機会を提供するリーダーシップです。だからこそ、汗を流した分だけ、見えなかったものが見え始めたのです。知らなかったことを悟り始めたのです。城壁再建の奉仕は、信仰再建の恵みとなったのです。教会に小さなことでも心を込めて奉仕したならば、教会に来るたびにそれが目に入りまです。欲という自己中心的な執着を捨て、自分の大切な財政や時間を捧げて奉仕した所には愛着が生まれてきます。それは執着とは違う、神様のための愛着です。そこに信仰は伸びます。ネヘミヤの時代に恵みを受けている民は幸いです。

느헤미야 묵상 【사랑의 발견】 20240917(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 9:9~189:9 주께서 우리 열조가 애굽에서 고난 받는 것을 감찰하시며 홍해에서 부르짖음을 들으시고9:10 이적과 기사를 베푸사 바로와 그 모든 신하와 그 나라 온 백성을 치셨사오니 이는 저희가 우리의 열조에게 교만히 행함을 아셨음이라 오늘날과 같이 명예를 얻으셨나이다9:11 주께서 또 우리 열조 앞에서 바다를 갈라지게 하시사 저희로 바다 가운데를 육지 같이 통과하게 하시고 쫓아 오는 자를 돌을…

ネヘミヤ 黙想 【目覚めの条件】 20240915(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 9:1~89:1 その月の二十四日に、イスラエルの子らは集まって断食をし、粗布をまとって土をかぶった。9:2 イスラエルの子孫はすべての異国の人々と関係を絶ち、立ち上がって、自分たちの罪と先祖の咎を告白した。9:3 彼らはそれぞれ所定のところに立って、昼の四分の一は、彼らの神、主のみおしえの書を朗読し、次の四分の一は、彼らの神、主に告白をして礼拝した。9:4 ヨシュア、バニ、カデミエル、シェバンヤ、ブンニ、シェレベヤ、バニ、ケナニはレビ人の台の上に立ち、彼らの神、主に向かって大声で叫んだ。9:5 レビ人のヨシュア、カデミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレベヤ、ホディヤ、シェバンヤ、ペタフヤは言った。「立ち上がって、あなたがたの神、主をほめたたえよ。とこしえからとこしえまで。あなたの栄光の御名はほむべきかな。すべての祝福と賛美の上に高く上げられて。9:6 ただ、あなただけが主です。あなたは天と、天の天と、その万象を、地とその上のすべてのものを、海とその中にあるすべてのものを造られました。あなたはそのすべてを生かしておられます。天の万象はあなたを伏し拝んでいます。9:7 あなたこそ神である主です。あなたはアブラムを選んでカルデア人のウルから連れ出し、その名をアブラハムとされました。9:8 彼の心が御前に忠実であるのを見て、あなたは彼と契約を結び、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の地を彼の子孫に与えるとされました。そしてその約束を果たされました。あなたは正しい方だからです。 ■エズラが律法を朗読すると、人々は悔い改めました。説教に力があるのではなく、神様の御言葉に力があるのです。エズラは聖書を研究した学者であり、語りたいことはたくさんあったでしょうが、彼は講義や説教をせずに聖書を朗読しました。説明は最小限にすれば十分です。神様の御言葉を読み、聞くことが大切なのです。御言葉によって目覚めた人々は、祖先の罪と不従順を悔い改めました。子孫が祖先に代わって悔い改めたので、恥ずかしい祖先だと言わざるを得ません。生きて過ぎ去ったからといって終わりではありません。評価はいつまでも続くかもしれません。怠けた祖先に代わり、苦労した子孫が祖先の罪を悔い改めるのです。誇りに思わなくても、少なくとも恥ずかしくないようにしたいものです。 ■今日の本文は、人々がこの目覚めの時間をそのまま終わらせることができず、続けて断食し、悲しみながら悔い改めたところです。午前9時から正午までの3時間、御言葉を読みます。それぞれ自分の家で読みます。座って読むのではなく、まっすぐに立って3時間聖書を朗読します。断食をすると力は弱まりますが、精神はより鮮明になります。3時間は短い時間ではありませんが、途中で休むことはありません。個人的には、50分の授業に10分の休憩を挟むのは効果的ではないと思います。3時間以上、休まずに集中し、その後に全ての時間をしっかりと休む方が効果的です。集中している人に対して、休憩を知らせるベルの音はただの煩わしい邪魔に過ぎません。 ■3時間休まずに読むと、聖書を見る視点が変わります。聖書が縦横に繋がり、解釈に洞察が生まれてきます。3時間も休まずに働いたり勉強したりすることは、無理をしているのではなく、集中しているのです。50分働いたら必ず休まなければならないと言う人も、数倍の時間をゲームに集中します。50分お酒を飲んで10分休む人を見たことがありません。休憩というのは、その集中力や連続性を妨げ、断ち切ってしまいます。もちろん、内的な動機がない人にとっては、10分間読むことさえも大変です。彼らは最終的に、自分の中にある潜在能力を引き出すことができません。 ■3時間の聖書朗読が終わったからと言って、休むわけではありません。昼の四分の一、つまり正午から午後3時まではまた罪を吐き出し、悔い改め、賛美します。断食中なので昼食もありません。誰に頼まれたといってできることでしょうか?神様の御言葉の啓示と魂の悔い改めより大きな恵みはないからです。彼らは全く疲れていません。恵まれているからです。その瞬間が終わるのをむしろ恐れていたかもしれません。神様の御言葉がメスとなって傷ついた所、腐った所、怠けた所、悪い所、愚かな所、嘘つきな所、恥ずかしい所を取り除くと、悲しみのあまり号泣します。美辞麗句は出てきません。泣くべき時に泣かなければ、垢が洗い流されません。悲しみのない悔い改めは、謙遜を装った高慢です。 ■自分の全ての知性と想像力を総動員して聖書を読み、自分の全ての感情と感性を総動員して祈りながら6時間を過ごしたことがありますか?もしないのであれば、彼らの信仰のカタルシスを共感することはできないでしょう。牧師は自分が説教するから信仰があると勘違いし、信徒は説教を聞いて帰ることで信仰生活をしていると思っているから、結局説教が信仰の敵です。この世に出回っている説教が全てなくなり、その代わりに聖書の朗読があれば、時代の信仰は力を得るでしょう。しかし、人々が聖書を読む奇跡が起こるには、この世は忙しく、人々の信仰は主体的ではなく、どこかに従属しているようです。聖書を読み、考える奇跡が起これば、その人生にも奇跡が起こるでしょう。

느헤미야 묵상 【각성의 조건】 20240915(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 9:1~89:1 그 달 이십 사일에 이스라엘 자손이 다 모여 금식하며 굵은 베를 입고 티끌을 무릅쓰며9:2 모든 이방 사람과 절교하고 서서 자기의 죄와 열조의 허물을 자복하고9:3 이 날에 낮 사분지 일은 그 처소에 서서 그 하나님 여호와의 율법책을 낭독하고 낮 사분지 일은 죄를 자복하며 그 하나님 여호와께 경배하는데9:4 레위 사람 예수아와 바니와 갓미엘과 스바냐와 분니와…

ネヘミヤ記 黙想 【信仰の城壁】 20240914(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ネヘミヤ記 8:1-12 8:1 民全体が、一斉に水の門の前の広場に集まって来た。そして彼らは、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに言った。 8:2 そこで、第七の月の一日に祭司エズラは、男、女、および、聞いて理解できる人たちすべてからなる会衆の前に律法を持って来て、 8:3 水の門の前の広場で夜明けから真昼まで、男、女、および理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな律法の書に耳を傾けた。 8:4 学者エズラは、このために作られた木の壇の上に立った。彼のそばには、右手にマティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが立ち、左手にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが立った。 8:5 エズラは民全体の目の前で、その書を開いた。彼は民全体よりも高いところにいたのである。彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。 8:6 エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな両手を上げながら「アーメン、アーメン」と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した。 8:7 ヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどレビ人たちは、民に律法を解き明かした。その間、民はその場に立っていた。 8:8 彼らが神のみおしえの書を読み、その意味を明快に示したので、民は読まれたことを理解した。 8:9 総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全体に向かって言った。「今日は、あなたがたの神、主にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。 8:10 さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」 8:11 レビ人たちも、民全体を静めながら言った。「静まりなさい。今日は聖なる日だから。悲しんではならない。」 8:12 こうして、民はみな帰って行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである。    前回のテサロニケ人への手紙の黙想の時から、各書の最も重要だと思われる内容を描いている絵や写真を黙想の表紙に入れてみる試みをしています。そして、ネヘミヤ記を黙想している今、黙想の表紙に使われている絵は、今日の箇所の様子を描いた絵です。  ネヘミヤの中心的な内容は「城壁再建」です。バビロンから帰還したイスラエルの民が自分たちの町を再建し、それを守ってくれる城壁を再建すること、さらには再びイスラエルという国を再建することがネヘミヤ記の主な内容です。  しかし、彼らが再建しなければならなかったのは、自分たちを守ってくれる城壁、そして、イスラエルという名前の国だけではありませんでした。彼らは何よりも神様への信仰と礼拝を再建しなければなりませんでした。そのため、私も城壁再建の工事の現場を描いた絵ではなく、彼らの信仰が再建されるこの場面を描いた絵を表紙として使うことに決めたのです。  したがって、今までネヘミヤ記の御言葉から見てきた城壁再建の歴史、その中で私たちは二つの城壁が再建されていくこと注意深く見る必要があります。その一つは物理的に外部の軍隊の侵略から彼らを守ってくれる城壁、そして、もう一つが彼らが長い間過ごしてきたバビロンの文化と思想、そして数多くの偶像の侵略から彼らを守ってくれる信仰の城壁の再建です。  そして今日の箇所、彼らの信仰の城壁が再建される場は、まさにこの礼拝の場でした。彼ら皆が集まって神様の御言葉に耳を傾け、その御言葉を理解し、御言葉に感動し、大いに喜ぶこと、想像することだけでも胸いっぱいになるこのような様子が、まさに最も完璧な礼拝の様子だと私は思います。  従って、私たちは今日の箇所のイスラエル民の礼拝のように、今私たちの礼拝の中にこのような感動が、御言葉の理解が、喜びがあふれているのか、私たちの信仰の城壁は崩れたところなく、硬く建てられているのかを確認しなければなりません。そして、壊れて罅が入たところ、または崩れてしまったところがあれば、何よりもまず私たちの信仰の城壁を再建することに心を注ぎ、再び礼拝の感動を回復することが、私たちにとって最も大事な課題でしょう。https://youtu.be/QwKgWYesB5o?si=SXkEtcqGbymgsHLq

느헤미야 묵상 【믿음의 성벽】 20240914(토) 최종석 전도사

느헤미야 8:1-12 8:1 이스라엘 자손이 자기들의 성읍에 거주하였더니 일곱째 달에 이르러 모든 백성이 일제히 수문 앞 광장에 모여 학사 에스라에게 여호와께서 이스라엘에게 명령하신 모세의 율법책을 가져오기를 청하매 8:2 일곱째 달 초하루에 제사장 에스라가 율법책을 가지고 회중 앞 곧 남자나 여자나 알아들을 만한 모든 사람 앞에 이르러 8:3 수문 앞 광장에서 새벽부터 정오까지 남자나 여자나 알아들을…