ネヘミヤ 黙想 【愛の発見】 20240917(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 9:9~189:9 あなたはエジプトで私たちの先祖の苦難を見て、葦の海のほとりで、その叫びを聞かれました。9:10 ファラオとそのすべての家臣、その国のすべての民に対して、数々のしるしと不思議を行われました。彼らが私たちの先祖に対して傲慢にふるまったのを、あなたがみこころに留められたからです。こうして、今日あるとおり、あなたは名をあげられました。9:11 あなたは私たちの先祖の前で海を裂き、彼らは海の真ん中の乾いた地面を渡りました。追っ手は、奔流に吞み込まれる石のように、あなたが海の深みに投げ込まれました。9:12 昼は雲の柱の中にあって彼らを導き、夜は火の柱の中にあってその行くべき道を照らされました。9:13 あなたはシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しい定めと、まことのみおしえ、良き掟と命令を彼らにお与えになりました。9:14 あなたの聖なる安息を彼らに教え、あなたのしもべモーセを通して、命令と掟とみおしえを彼らに命じられました。9:15 彼らが飢えたときには、天からパンを与え、渇いたときには、岩から水を出し、彼らに与えると誓われたその地に入ってそこを所有するよう、彼らに命じられました。9:16 しかし彼ら、私たちの先祖は傲慢にふるまい、うなじを固くし、あなたの命令に聞き従いませんでした。9:17 彼らは聞き従うことを拒み、彼らの間で行われた奇しいみわざを思い出さず、かえってうなじを固くし、かしらを立てて、逆らって奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かであられ、彼らをお捨てになりませんでした。9:18 彼らが自分たちのために鋳物の子牛を造り、『これが、あなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ』と言って、ひどい侮辱を加えたときでさえ、 ■神様は出エジプトを通じてイスラエルの民を政治的に救われ、シナイ山で律法を授けることで社会を法的に整えられ、荒野ではマナと水を与えて経済的な供給しましたが、彼らは状況に応じて神様を怨み、エジプトに戻ろうとしました。神様をあがめるよりも、神様が与えられた物質をより仕え、金の子牛を作って堕落しました。神様は宗教に領域のみに存在する方ではなく、彼らの生活のあらゆる場におられましたが、彼らはそれを知らず、宗教的な領域においてさえ堕落していました。 ■神様はそのような時にも、御旨に定められた救いを諦めませんでした。神様がイスラエルの民と契約を結んだのは、互いの利益のために協約を交わしたのではありません。神様の方からがイスラエルを救おうと定められたからです。民が契約を守り、信頼を保ったから愛されたのではなく、それ以前に、神様は民をエジプトから引き出されました。律法を守ったから救われたのではなく、愛されたから救われたのです。神様が先に愛されたから、律法が授けられ、神様が先に救いを定められたから、その対象者と契約を結ばれたのです。愛はいつも神様から始まります。 ■ネヘミヤの時代に霊的な目覚めを経験していた民は、御言葉を通じて過去の歴史の中から神様の愛と憐れみを発見しました。それは義務的な律法の規則ではなく、祖先の愚かな不信仰の歴史の中でも諦めない神様の救いの熱意を見出したのです。大人になれば親の愛が少し分かると言われますが、そのように霊的に目覚めると神様の愛が少し分かります。聖書を読む者は、律法の条文ではなく、神様の愛を読み取らなければなりません。「愛」というキーワードを検索することではなく、文脈を通じて「愛」という結論を推論(Contextual Inference)しなければなりません。物語を理解すると、そこに「愛」が残ります。聖書はさまざまな観点から読むことができますが、誰であれ真剣に読むならば、それを通じて神様の愛を発見するでしょう。 ■ネヘミヤの時代の民はそれを悟りました。彼らは信仰のために自らを献身し、汗を流して奉仕するチャンスがありました。それがネヘミヤの優れたところです。献身の機会を提供するリーダーシップです。だからこそ、汗を流した分だけ、見えなかったものが見え始めたのです。知らなかったことを悟り始めたのです。城壁再建の奉仕は、信仰再建の恵みとなったのです。教会に小さなことでも心を込めて奉仕したならば、教会に来るたびにそれが目に入りまです。欲という自己中心的な執着を捨て、自分の大切な財政や時間を捧げて奉仕した所には愛着が生まれてきます。それは執着とは違う、神様のための愛着です。そこに信仰は伸びます。ネヘミヤの時代に恵みを受けている民は幸いです。

느헤미야 묵상 【사랑의 발견】 20240917(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 9:9~189:9 주께서 우리 열조가 애굽에서 고난 받는 것을 감찰하시며 홍해에서 부르짖음을 들으시고9:10 이적과 기사를 베푸사 바로와 그 모든 신하와 그 나라 온 백성을 치셨사오니 이는 저희가 우리의 열조에게 교만히 행함을 아셨음이라 오늘날과 같이 명예를 얻으셨나이다9:11 주께서 또 우리 열조 앞에서 바다를 갈라지게 하시사 저희로 바다 가운데를 육지 같이 통과하게 하시고 쫓아 오는 자를 돌을…

ネヘミヤ 黙想 【目覚めの条件】 20240915(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 9:1~89:1 その月の二十四日に、イスラエルの子らは集まって断食をし、粗布をまとって土をかぶった。9:2 イスラエルの子孫はすべての異国の人々と関係を絶ち、立ち上がって、自分たちの罪と先祖の咎を告白した。9:3 彼らはそれぞれ所定のところに立って、昼の四分の一は、彼らの神、主のみおしえの書を朗読し、次の四分の一は、彼らの神、主に告白をして礼拝した。9:4 ヨシュア、バニ、カデミエル、シェバンヤ、ブンニ、シェレベヤ、バニ、ケナニはレビ人の台の上に立ち、彼らの神、主に向かって大声で叫んだ。9:5 レビ人のヨシュア、カデミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレベヤ、ホディヤ、シェバンヤ、ペタフヤは言った。「立ち上がって、あなたがたの神、主をほめたたえよ。とこしえからとこしえまで。あなたの栄光の御名はほむべきかな。すべての祝福と賛美の上に高く上げられて。9:6 ただ、あなただけが主です。あなたは天と、天の天と、その万象を、地とその上のすべてのものを、海とその中にあるすべてのものを造られました。あなたはそのすべてを生かしておられます。天の万象はあなたを伏し拝んでいます。9:7 あなたこそ神である主です。あなたはアブラムを選んでカルデア人のウルから連れ出し、その名をアブラハムとされました。9:8 彼の心が御前に忠実であるのを見て、あなたは彼と契約を結び、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の地を彼の子孫に与えるとされました。そしてその約束を果たされました。あなたは正しい方だからです。 ■エズラが律法を朗読すると、人々は悔い改めました。説教に力があるのではなく、神様の御言葉に力があるのです。エズラは聖書を研究した学者であり、語りたいことはたくさんあったでしょうが、彼は講義や説教をせずに聖書を朗読しました。説明は最小限にすれば十分です。神様の御言葉を読み、聞くことが大切なのです。御言葉によって目覚めた人々は、祖先の罪と不従順を悔い改めました。子孫が祖先に代わって悔い改めたので、恥ずかしい祖先だと言わざるを得ません。生きて過ぎ去ったからといって終わりではありません。評価はいつまでも続くかもしれません。怠けた祖先に代わり、苦労した子孫が祖先の罪を悔い改めるのです。誇りに思わなくても、少なくとも恥ずかしくないようにしたいものです。 ■今日の本文は、人々がこの目覚めの時間をそのまま終わらせることができず、続けて断食し、悲しみながら悔い改めたところです。午前9時から正午までの3時間、御言葉を読みます。それぞれ自分の家で読みます。座って読むのではなく、まっすぐに立って3時間聖書を朗読します。断食をすると力は弱まりますが、精神はより鮮明になります。3時間は短い時間ではありませんが、途中で休むことはありません。個人的には、50分の授業に10分の休憩を挟むのは効果的ではないと思います。3時間以上、休まずに集中し、その後に全ての時間をしっかりと休む方が効果的です。集中している人に対して、休憩を知らせるベルの音はただの煩わしい邪魔に過ぎません。 ■3時間休まずに読むと、聖書を見る視点が変わります。聖書が縦横に繋がり、解釈に洞察が生まれてきます。3時間も休まずに働いたり勉強したりすることは、無理をしているのではなく、集中しているのです。50分働いたら必ず休まなければならないと言う人も、数倍の時間をゲームに集中します。50分お酒を飲んで10分休む人を見たことがありません。休憩というのは、その集中力や連続性を妨げ、断ち切ってしまいます。もちろん、内的な動機がない人にとっては、10分間読むことさえも大変です。彼らは最終的に、自分の中にある潜在能力を引き出すことができません。 ■3時間の聖書朗読が終わったからと言って、休むわけではありません。昼の四分の一、つまり正午から午後3時まではまた罪を吐き出し、悔い改め、賛美します。断食中なので昼食もありません。誰に頼まれたといってできることでしょうか?神様の御言葉の啓示と魂の悔い改めより大きな恵みはないからです。彼らは全く疲れていません。恵まれているからです。その瞬間が終わるのをむしろ恐れていたかもしれません。神様の御言葉がメスとなって傷ついた所、腐った所、怠けた所、悪い所、愚かな所、嘘つきな所、恥ずかしい所を取り除くと、悲しみのあまり号泣します。美辞麗句は出てきません。泣くべき時に泣かなければ、垢が洗い流されません。悲しみのない悔い改めは、謙遜を装った高慢です。 ■自分の全ての知性と想像力を総動員して聖書を読み、自分の全ての感情と感性を総動員して祈りながら6時間を過ごしたことがありますか?もしないのであれば、彼らの信仰のカタルシスを共感することはできないでしょう。牧師は自分が説教するから信仰があると勘違いし、信徒は説教を聞いて帰ることで信仰生活をしていると思っているから、結局説教が信仰の敵です。この世に出回っている説教が全てなくなり、その代わりに聖書の朗読があれば、時代の信仰は力を得るでしょう。しかし、人々が聖書を読む奇跡が起こるには、この世は忙しく、人々の信仰は主体的ではなく、どこかに従属しているようです。聖書を読み、考える奇跡が起これば、その人生にも奇跡が起こるでしょう。

느헤미야 묵상 【각성의 조건】 20240915(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 9:1~89:1 그 달 이십 사일에 이스라엘 자손이 다 모여 금식하며 굵은 베를 입고 티끌을 무릅쓰며9:2 모든 이방 사람과 절교하고 서서 자기의 죄와 열조의 허물을 자복하고9:3 이 날에 낮 사분지 일은 그 처소에 서서 그 하나님 여호와의 율법책을 낭독하고 낮 사분지 일은 죄를 자복하며 그 하나님 여호와께 경배하는데9:4 레위 사람 예수아와 바니와 갓미엘과 스바냐와 분니와…

ネヘミヤ記 黙想 【信仰の城壁】 20240914(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ネヘミヤ記 8:1-12 8:1 民全体が、一斉に水の門の前の広場に集まって来た。そして彼らは、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに言った。 8:2 そこで、第七の月の一日に祭司エズラは、男、女、および、聞いて理解できる人たちすべてからなる会衆の前に律法を持って来て、 8:3 水の門の前の広場で夜明けから真昼まで、男、女、および理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな律法の書に耳を傾けた。 8:4 学者エズラは、このために作られた木の壇の上に立った。彼のそばには、右手にマティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが立ち、左手にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが立った。 8:5 エズラは民全体の目の前で、その書を開いた。彼は民全体よりも高いところにいたのである。彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。 8:6 エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな両手を上げながら「アーメン、アーメン」と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した。 8:7 ヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどレビ人たちは、民に律法を解き明かした。その間、民はその場に立っていた。 8:8 彼らが神のみおしえの書を読み、その意味を明快に示したので、民は読まれたことを理解した。 8:9 総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全体に向かって言った。「今日は、あなたがたの神、主にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。 8:10 さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」 8:11 レビ人たちも、民全体を静めながら言った。「静まりなさい。今日は聖なる日だから。悲しんではならない。」 8:12 こうして、民はみな帰って行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである。    前回のテサロニケ人への手紙の黙想の時から、各書の最も重要だと思われる内容を描いている絵や写真を黙想の表紙に入れてみる試みをしています。そして、ネヘミヤ記を黙想している今、黙想の表紙に使われている絵は、今日の箇所の様子を描いた絵です。  ネヘミヤの中心的な内容は「城壁再建」です。バビロンから帰還したイスラエルの民が自分たちの町を再建し、それを守ってくれる城壁を再建すること、さらには再びイスラエルという国を再建することがネヘミヤ記の主な内容です。  しかし、彼らが再建しなければならなかったのは、自分たちを守ってくれる城壁、そして、イスラエルという名前の国だけではありませんでした。彼らは何よりも神様への信仰と礼拝を再建しなければなりませんでした。そのため、私も城壁再建の工事の現場を描いた絵ではなく、彼らの信仰が再建されるこの場面を描いた絵を表紙として使うことに決めたのです。  したがって、今までネヘミヤ記の御言葉から見てきた城壁再建の歴史、その中で私たちは二つの城壁が再建されていくこと注意深く見る必要があります。その一つは物理的に外部の軍隊の侵略から彼らを守ってくれる城壁、そして、もう一つが彼らが長い間過ごしてきたバビロンの文化と思想、そして数多くの偶像の侵略から彼らを守ってくれる信仰の城壁の再建です。  そして今日の箇所、彼らの信仰の城壁が再建される場は、まさにこの礼拝の場でした。彼ら皆が集まって神様の御言葉に耳を傾け、その御言葉を理解し、御言葉に感動し、大いに喜ぶこと、想像することだけでも胸いっぱいになるこのような様子が、まさに最も完璧な礼拝の様子だと私は思います。  従って、私たちは今日の箇所のイスラエル民の礼拝のように、今私たちの礼拝の中にこのような感動が、御言葉の理解が、喜びがあふれているのか、私たちの信仰の城壁は崩れたところなく、硬く建てられているのかを確認しなければなりません。そして、壊れて罅が入たところ、または崩れてしまったところがあれば、何よりもまず私たちの信仰の城壁を再建することに心を注ぎ、再び礼拝の感動を回復することが、私たちにとって最も大事な課題でしょう。https://youtu.be/QwKgWYesB5o?si=SXkEtcqGbymgsHLq

느헤미야 묵상 【믿음의 성벽】 20240914(토) 최종석 전도사

느헤미야 8:1-12 8:1 이스라엘 자손이 자기들의 성읍에 거주하였더니 일곱째 달에 이르러 모든 백성이 일제히 수문 앞 광장에 모여 학사 에스라에게 여호와께서 이스라엘에게 명령하신 모세의 율법책을 가져오기를 청하매 8:2 일곱째 달 초하루에 제사장 에스라가 율법책을 가지고 회중 앞 곧 남자나 여자나 알아들을 만한 모든 사람 앞에 이르러 8:3 수문 앞 광장에서 새벽부터 정오까지 남자나 여자나 알아들을…

ネヘミヤ記 黙想 【御言葉で一つになる教会】 20240913(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ネヘミヤ記 7:61-72 7:61 次の人々はテル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アドン、イメルから引き揚げて来たが、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できなかった。 7:62 デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族、六百四十二人。 7:63 祭司の中では、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族。このバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘の一人を妻にしたので、その名で呼ばれていた。 7:64 これらの人々は自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。 7:65 そのため総督は彼らに、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは、最も聖なるものを食べてはならないと命じた。 7:66 全会衆の合計は四万二千三百六十人であった。 7:67 このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七人いた。また、彼らには男女の歌い手が二百四十五人いた。 7:68 らくだは四百三十五頭。ろばは六千七百二十頭であった。 7:69 一族のかしらの何人かは、工事のためにささげ物をした。総督は資金として金一千ダリク、鉢五十、祭司の長服五百三十着を献げ、 7:70 また、一族のかしらのある者は、工事資金として金二万ダリク、銀二千二百ミナを献げた。 7:71 そのほかの民の献げたものは、金二万ダリク、銀二千ミナ、祭司の長服六十七着であった。 7:72 こうして、祭司、レビ人、門衛、歌い手、民のある者たち、宮のしもべたちが、すなわち、全イスラエルが自分たちの元の町々に住んだ。イスラエルの子らは自分たちの町々にいたが、第七の月が来たとき、    長い捕虜期を終えて戻ってきたイスラエルの中には、様々な人々がいました。その中には、本当にイスラエル人であったのかさえも分からない人々も、イスラエルの地に一緒に引き揚げてきました。そして地位も背景も、仕事も経済力も違うこの民たち、彼らは今日、自分たち一人一人の名前を知っておられる神様への捧げものを持ち、その御前に出てきました。  ネヘミヤ記の第7章は、70節を超える長い箇所のほとんどを人を紹介することに費やしています。そうした理由は、7章の最後、そして8章に至って現れます。このような人々が一つに集まった理由は、まさに神様の御言葉を聞くためであったのです。  バビロンでの捕虜期間は、イスラエルにとって大変辛い時であったでしょう。 しかし、その時を過ごし、また戻ってきたイスラエルの民の姿は明確に変わっていました。神様の御言葉を求めるようになり、その御前に自発的に献身するようになり、誤った選民思想を振り払うようになりました。  私たちの人生の大体の時間である平日の時間、各自の職場や学校、家庭などでの時間は、私たちにとって心地よく、気楽な時間だけではないでしょう。むしろ、様々な出来事や葛藤の中で、体も心も満身創痍になってしまうかもしれません。 しかし、そのような時間を過ごしたからこそ、その世の中に生きているからこそ、私たちはより切実に神様を求めるようになるのでしょう。  やがて神様の御言葉を聞くために、神様を礼拝するために集まった教会にも、そのような葛藤や困難は絶えず存在しています。それは、各自がほとんどの時間を過ごしてきた背景が、場所が違うためです。それは今日の箇所のイスラエルの民もそうでした。  しかし、そのような環境の中でも神様は彼らの礼拝を、そして私たちの礼拝を受け止めてくださいます。神様が探し求めておられるのは、他のいかなる物ではなく、神様を礼拝するため、神様の御言葉を聞くため御前に出てくるその心であるためです。そして、その神様によって、神様の中で教会は一つになっていくでしょう。https://youtu.be/k3ZkdB1vgEE?si=PlQlue6mYIZsXmGB

느헤미야 묵상 【말씀으로 하나되는 교회】 20240913(금) 최종석 전도사

느헤미야 7:61-73 7:61 델멜라와 델하르사와 그룹과 앗돈과 임멜로부터 올라온 자가 있으나 그들의 종족이나 계보가 이스라엘에 속하였는지는 증거할 수 없으니 7:62 그들은 들라야 자손과 도비야 자손과 느고다 자손이라 모두가 육백사십이 명이요 7:63 제사장 중에는 호바야 자손과 학고스 자손과 바르실래 자손이니 바르실래는 길르앗 사람 바르실래의 딸 중의 하나로 아내를 삼고 바르실래의 이름으로 불린 자라 7:64 이 사람들은…

ネヘミヤ 黙想 【私の名前も】 20240912(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

ネヘミヤ 7:5~607:5 私の神は私の心に示して、私に有力者たちや、代表者たちや、民衆を集めて、彼らの系図を記載させた。私は最初に上って来た人々の系図を発見し、その中に次のように書かれているのを見つけた。7:6 バビロンの王ネブカドネツァルが引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。7:7 彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネフム、バアナと一緒に帰って来た。イスラエルの民の人数は次のとおりである。7:8 パルオシュ族、二千百七十二人。7:9 シェファテヤ族、三百七十二人。7:10 アラフ族、六百五十二人。7:11 ヨシュアとヨアブの二族からなるパハテ・モアブ族、二千八百十八人。7:12 エラム族、一千二百五十四人。7:13 ザト族、八百四十五人。7:14 ザカイ族、七百六十人。7:15 ビヌイ族、六百四十八人。7:16 ベバイ族、六百二十八人。7:17 アズガデ族、二千三百二十二人。7:18 アドニカム族、六百六十七人。7:19 ビグワイ族、二千六十七人。7:20 アディン族、六百五十五人。7:21 ヒゼキヤ族、すなわちアテル族、九十八人。7:22 ハシュム族、三百二十八人。7:23 ベツァイ族、三百二十四人。7:24 ハリフ族、百十二人。7:25 ギブオン族、九十五人。7:26 ベツレヘムとネトファの人々、百八十八人。7:27 アナトテの人々、百二十八人。7:28 ベテ・アズマウェテの人々、四十二人。7:29 キルヤテ・エアリムとケフィラとベエロテの人々、七百四十三人。7:30 ラマとゲバの人々、六百二十一人。7:31 ミクマスの人々、百二十二人。7:32 ベテルとアイの人々、百二十三人。7:33 別のネボの人々、五十二人。7:34 別のエラム族、一千二百五十四人。7:35 ハリム族、三百二十人。7:36 エリコ人、三百四十五人。7:37 ロデ人とハディデ人とオノ人、七百二十一人。7:38 セナア人、三千九百三十人。7:39 祭司は、ヨシュアの家系のエダヤ族、九百七十三人。7:40 イメル族、一千五十二人。7:41 パシュフル族、一千二百四十七人。7:42 ハリム族、一千十七人。7:43 レビ人は、ホダウヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四人。7:44 歌い手は、アサフ族、百四十八人。7:45 門衛は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、百三十八人。7:46 宮のしもべは、ツィハ族、ハスファ族、タバオテ族、7:47 ケロス族、シア族、パドン族、7:48 レバナ族、ハガバ族、シャルマイ族、7:49 ハナン族、ギデル族、ガハル族、7:50 レアヤ族、レツィン族、ネコダ族、7:51 ガザム族、ウザ族、パセアハ族、7:52 ベサイ族、メウニム族、ネフィシェシム族、7:53 バクブク族、ハクファ族、ハルフル族、7:54 バツリテ族、メヒダ族、ハルシャ族、7:55 バルコス族、シセラ族、テマフ族、7:56 ネツィアハ族、ハティファ族。7:57 ソロモンのしもべたちの子孫は、ソタイ族、ソフェレテ族、ペリダ族、7:58…

느헤미야 묵상 【내 이름 아시죠】 20240912(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 7:5~607:5 내 하나님이 내 마음을 감동하사 귀인들과 민장과 백성을 모아 그 보계대로 계수하게 하신고로 내가 처음으로 돌아온 자의 보계를 얻었는데 거기 기록한 것을 보면7:6 옛적에 바벨론왕 느부갓네살에게 사로잡혀 갔던 자 중에서 놓임을 받고 예루살렘과 유다로 돌아와 각기 본성에 이른 자 곧7:7 스룹바벨과 예수아와 느헤미야와 아사랴와 라아먀와 나하마니와 모르드개와 빌산과 미스베렛과 비그왜와 느훔과 바아나등과 함께…