ネヘミヤ 黙想 【献身と連帯】 20240905(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 3:15~323:15 泉の門はミツパ地区の長、コル・ホゼの子シャルンが修復した。彼はそれを建て直し、屋根を付け、扉、錠、かんぬきを取り付けた。また、王の園のシェラフの池の城壁を、ダビデの町から下って来る階段のところまで修復した。3:16 その向こうでは、ベテ・ツル地区の半区の長、アズブクの子ネヘミヤが、ダビデの墓地のそばまでと、人工貯水池までと、勇士たちの家のところまでを修復した。3:17 その向こうでは、バニの子レフムなどレビ人たちが修復を行った。その傍らでは、ケイラ地区の半区の長、ハシャブヤが自分の地区のために修復を行った。3:18 その向こうでは、ケイラの残りの半区の長、ヘナダデの子バワイなど、彼らの同僚たちが修復を行った。3:19 その傍らでは、ミツパの長、ヨシュアの子エゼルが、城壁の曲がり角の隅にある武器倉に向かう上り坂のそばで、続きの部分を修復した。3:20 その向こうでは、ザカイの子バルクが続きの部分を、城壁の曲がり角から大祭司エルヤシブの家の門のところまで熱心に修復した。3:21 その向こうでは、ハ・コツの子ウリヤの子メレモテが続きの部分を、エルヤシブの家の門からエルヤシブの家の端まで、修復を行った。3:22 その向こうでは、低地の人々である祭司たちが修復を行った。3:23 その向こうでは、ベニヤミンとハシュブが自分たちの家のそばの部分を修復した。その向こうでは、アナネヤの子マアセヤの子アザルヤが自分の家の近くを修復した。3:24 その向こうでは、ヘナダデの子ビヌイが続きの部分を、アザルヤの家から城壁の曲がり角の隅まで修復した。3:25 ウザイの子パラルは、城壁の曲がり角の部分と、監視の庭のそばにあって上の王宮から突き出ているやぐらを修復した。その向こうでは、パルオシュの子ペダヤと、3:26 オフェルに住む宮のしもべたちが、東の方の水の門と突き出ているやぐらのそばの部分までを修復した。3:27 その向こうでは、テコア人が、突き出ている大きなやぐらのそばからオフェルの城壁までの続きの部分を修復した。3:28 馬の門から上の方は、祭司たちがそれぞれ自分の家のそばの部分を修復した。3:29 その向こうでは、イメルの子ツァドクが自分の家のそばの部分を修復した。その向こうでは、シェカンヤの子、東の門を守る者シェマヤが修復を行った。3:30 その向こうでは、シェレムヤの子ハナンヤと、ツァラフの六男ハヌンが、その続きの部分を修復した。その向こうでは、ベレクヤの子メシュラムが自分の部屋のそばの部分を修復した。3:31 その向こうでは、金細工人の一人マルキヤが、召集の門の向かい側にある、宮のしもべたちや商人たちの家のところまでと、角の二階の部屋のところまでを修復した。3:32 角の二階の部屋と羊の門の間は、金細工人と商人たちが修復した。 ■さまざまな年齢、地域、職業の人々が協力し、連帯して城壁を再建します。自分の家に近い城壁を再建したと言われています。それぞれが自分の場所で与えられた才能や経験を活かして献身し、その献身が連帯しているのです。このため、城壁という物理的な環境を構築するという目的で始まりましたが、結果的には社会を組織し、問題を解決して結束した共同体を構築しているのです。献身と犠牲なしに築き上げられるものは何もないからです。祈った分、汗をかいて努力した分、共同体は強固になっていくでしょう。 ■神殿が宗教の再建であるならば、城壁は社会の安全網の再建と言えるでしょう。箴言には「自分の霊を制することができない人は、城壁のない、打ち破られた町。」(25:28)とあります。城壁が都を守るように、自己制御が人間の生活を守るということです。そうであるならば、ここでも城壁は別の意味で解釈されるかもしれません。神殿が教会であるならば、城壁は礼拝と生活の安全を守る囲いです。城壁が都を守るように、世界観という城壁があってこそ信仰が守られるのです。 ■それぞれが自分の場所で目的意識を持って参加し始めると、集団知性(Collective Intelligence)が発揮されます。それは時代の強力な力となります。ユダの民はさまざまな年齢と職業を持つ人々でしたが、自分の家に近い場所の城壁を再建しました。それぞれが自分の場所で献身し、互いに協力し、連帯していました。外部からの攻撃や妨害から自分たちの信仰と生活を守るために、堅固な何かが必要だったのです。ネヘミヤがエルサレムの城壁を再建したように、現代の社会問題を聖書的に解決し、文化的な挑戦に対してキリスト教的な世界観を回復するために、それぞれの場所で献身し連帯するキリスト教の集団知性は、現代においても切実に求められています。

느헤미야 묵상 【헌신과 연대】 20240905(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 3:15~323:15 샘문은 미스바 지방을 다스리는 골호세의 아들 살룬이 중수하여 문을 세우고 덮으며 문짝을 달며 자물쇠와 빗장을 갖추고 또 왕의 동산 근처 셀라 못가의 성벽을 중수하여 다윗성에서 내려오는 층계까지 이르렀고3:16 그 다음은 벧술 지방 절반을 다스리는 자 아스북의 아들 느헤미야가 중수하여 다윗의 묘실과 마주 대한 곳에 이르고 또 파서 만든 못을 지나 용사의 집까지 이르렀고3:17…

ネヘミヤ 黙想 【仕事をやり遂げる人】 20240904(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 3:1~143:1 こうして大祭司エルヤシブは、その仲間の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、扉を取り付けた。そしてメアのやぐらのところまで聖別し、ハナンエルのやぐらにまで及んだ。3:2 その傍らではエリコの人々が建て、その傍らではイムリの子ザクルが建てた。3:3 魚の門はセナアの子らが建てた。彼らは梁を置き、扉、錠、かんぬきを取り付けた。3:4 彼らの傍らではハ・コツの子ウリヤの子であるメレモテが修復を行い、その傍らではメシェザブエルの子ベレクヤの子であるメシュラムが修復を行い、その傍らではバアナの子ツァドクが修復を行った。3:5 その傍らではテコア人たちが修復を行ったが、彼らの貴族たちはその上役に頭を下げることはなく、工事に協力しなかった。3:6 エシャナの門はパセアハの子エホヤダと、ベソデヤの子メシュラムが修復を行った。彼らは梁を置き、扉、錠、かんぬきを取り付けた。3:7 彼らの傍らでは、ギブオン人メラテヤ、メロノテ人ヤドン、それにユーフラテス川西方の総督の管轄に属する、ギブオンとミツパの人々が修復を行った。3:8 その傍らでは金細工人のハルハヤの子ウジエルが修復を行い、その傍らでは香料作りの一人ハナンヤが修復を行った。こうして、彼らはエルサレムを、幅広の城壁のところまで修復した。3:9 その傍らでは、エルサレム地区の半区の長、フルの子レファヤが修復を行った。3:10 その傍らではハルマフの子エダヤが自分の家のそばの部分を修復し、その傍らではハシャブネヤの子ハトシュが修復を行った。3:11 その続きの部分は、ハリムの子マルキヤと、パハテ・モアブの子ハシュブが、炉のやぐらと一緒に修復した。3:12 その傍らでは、エルサレム地区の残りの半区の長、ハ・ロヘシュの子シャルムが、自分の娘たちと一緒に修復を行った。3:13 谷の門はハヌンと、ザノアハの住民が修復を行った。彼らはそれを建て直し、扉、錠、かんぬきを取り付け、糞の門までの城壁千キュビトを修復した。3:14 糞の門はベテ・ハ・ケレム地区の長、レカブの子マルキヤが修復した。彼はそれを建て直し、扉、錠、かんぬきを取り付けた。 ■城壁再建のために、それぞれが役割を引き受け、献身的に与えられた仕事をこなしました。区域を定めて城壁を再建し、さらに領域を広げて多くの奉仕をする人もいました。親子で一緒に作業を行い、ある人は娘たちと共に作業をしたとも記されています。「門を取り付けた」という表現が多く出てきますが、補修された城壁と城壁の間に門を取り付けなければならないため、「門を取り付けた」というのは、城壁が完成する最終的な責任を負ったことを意味しているのでしょう。 ■話を読むと、一見すると順調に進んだように見えますが、困難なことも多かったに違いありません。しかし、目標を持つ人は厳しい状況でも目的を達成し、責任を負いたくない人は状況のせいにして仕事の成果を出せません。引き受けた仕事は成し遂げるべきです。できるかどうかは、目的意識と責任感の違いです。仕事を引き受けた人の報告が「できませんでした」で終われば、その人はそのまま「できない人」になってしまいます。 ■彼らの作業が順調ではなかったと考える理由は、第3章5節にあります。「その傍らではテコア人たちが修復を行ったが、彼らの貴族たちはその上役に頭を下げることはなく、工事に協力しなかった。」テコアはエルサレムの南に離れた地域です。遠方からも城壁再建を助けるために自発的に参加した人々がいました。しかし、その地域の貴族たちは参加しなかったと記されています。歴史は地位を守るべき貴族や富裕層によって発展するのではありません。目的を持つ市民意識によって発展します。 ■本文は栄光ある名簿です。彼らがどれほど責任感を持って共同体のために献身したのか、ネヘミヤはその名前を記録して残しました。神様に対する献身、共同体への奉仕は名誉心によって誇るべきことではありませんが、共同体はそれを記録し、記憶し、感謝するべきです。神様はそのデータを余すところなく持っておられます。「門よ、頭を上げよ」(詩篇24篇)神様の栄光がその門を通って入るとき、荒廃した場所で汗を流した献身者たちには、神様の慰めがあるでしょう。

느헤미야 묵상 【일을 해내는 사람들】 20240904(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 3:1~143:1 때에 대제사장 엘리아십이 그 형제 제사장들과 함께 일어나 양문을 건축하여 성별하고 문짝을 달고 또 성벽을 건축하여 함메아 망대에서부터 하나넬 망대까지 성별하였고3:2 그 다음은 여리고 사람들이 건축하였고 또 그 다음은 이므리의 아들 삭굴이 건축하였으며3:3 어문은 하스나아의 자손들이 건축하여 그 들보를 얹고 문짝을 달고 자물쇠와 빗장을 갖추었고3:4 그 다음은 학고스의 손자 우리아의 아들 므레못이 중수하였고…

ネヘミヤ 黙想 【構わない】 20240903(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

ネヘミヤ 2:11~202:11 こうして私はエルサレムに着いて、そこに三日間とどまった。2:12 ある夜、私は起きて出て行った。ほかに数人の者も一緒であった。しかし私は、私の神がエルサレムのためにさせようと私の心に示しておられることを、だれにも告げなかった。また私自身が乗った動物のほかに、動物はいなかった。2:13 私は夜、谷の門を通って竜の泉の方、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べた。それは崩され、その門は火で焼き尽くされていた。2:14 さらに、泉の門と王の池の方へ進んで行ったが、私が乗っていた動物の通れる場所がなかった。2:15 夜のうちに流れを上って行って、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻った。2:16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたかを知らなかった。ユダヤ人にも、祭司たちにも、有力者たちにも、代表者たちにも、そのほか工事をする者たちにも、その時まで私は何も告げていなかった。2:17 私は彼らに言った。「私たちが直面している困難は見てのとおりだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」2:18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことばを彼らに告げた。すると彼らは「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。2:19 ところが、ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて私たちを嘲り、蔑んで言った。「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」2:20 私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたには、エルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」 ■エルサレムに到着したネヘミヤは、まだ整備されておらず放置されたままのエルサレムの城壁を視察します。現場を見回った後、帰還した共同体に対して城壁を再建しなければならないと説き、民はそれに同意し、共同体は一丸となって城壁の再建工事に着手します。 ■これに対し、妨害していた周辺国であるホロン人、アンモン人、アラビア人たちは、城壁の再建を嘲笑し、それがペルシャ王への反逆であると攻撃します。しかし、それは事実とは異なる歪んだ宣伝です。ネヘミヤはペルシャ王の公式な許可と支援を受けて来たからです。彼らは世論戦で妨害しようとしているのです。それに対する誤解を解くためには多くのエネルギーを費やさなければならず、そうなると城壁工事への集中力が落ちるのは避けられません。これに対するネヘミヤの対応はリーダーらしいものでした。王の詔書を見せたり、王の許可があったと証明したりするのではなく、「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる」と言いました。ネヘミヤの背景にあるのはペルシャ王ではなく、神様なのです。 ■そう考えてみると、ネヘミヤが帰還した共同体を説得する際にも、王が許可し支援しているから城壁を築けと命じたわけではなかったことが分かります。神様が助けてくださるので、城壁を築いて屈辱から回復しようと訴えました。ネヘミヤはペルシャ王とその資源を動員できるほどの影響力のある実力者でしたが、彼が信じていたのは王ではなく神様の力でした。そのため、妨害者の巧妙な心理戦や世論戦にも揺らぐことはありません。どうでもいい、ということです。神様が御業を始められたから、神様が御業を成し遂げられるからです。気を落とすことも、ストレスを受けることも、非難や評価に振り回される必要もありません。 ■私たちが生きる時代は、あたかも人生に標準があるかのように、それに自分を合わせなければならないという強迫観念がありそうです。それができなかった時には、取り残されたと思い、失敗感を味わいます。しかし、人生に標準というものはありません。誰もが異なるストーリーを持っています。誰が何を言おうと、自分に与えられた道を進むだけです。評価されないことを恐れず、責任を怖がらず、誰かが非難したり悪口をしたりしても、どうでもいい、自分の城壁を築いていくべきです。本当に恥ずかしいのは、城壁が崩れた状態で生きることです。自分の城壁がしっかりと築かれれば、余計なことをする人々の非難も消えるでしょう。スマートフォンを握りしめ、あれこれと見比べて自分を比較するのではなく、神様の民として堅固な城壁を築いていかなければなりません。

느헤미야 묵상 【그러거나 말거나】 20240903(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 2:11~202:11 내가 예루살렘에 이르러 거한지 삼일에2:12 내 하나님이 내 마음을 감화하사 예루살렘을 위하여 행하게 하신 일을 내가 아무 사람에게도 말하지 아니하고 밤에 일어나 두어 사람과 함께 나갈새 내가 탄 짐승 외에는 다른 짐승이 없더라2:13 그 밤에 골짜기 문으로 나가서 용정으로 분문에 이르는 동안에 보니 예루살렘 성벽이 다 무너졌고 성문은 소화되었더라2:14 앞으로 행하여 샘문과 왕의…

ネヘミヤ 黙想 【悲しむ一人】 20240902(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ネヘミヤ 2:1~102:1 アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月に、王の前にぶどう酒が出されたとき、私はぶどう酒を取り、王に差し上げた。それまで、私は王の前で気持ちが沈んでいたことはなかった。2:2 すると、王は私に言った。「病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私は非常に恐れて、2:3 王に言った。「王よ、永遠に生きられますように。私の先祖の墓がある都が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか。」2:4 王は私に言った。「では、何を望んでいるのか。」私は天の神に祈ってから、2:5 王に答えた。「もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。」2:6 王は私に言った。王妃もそばに座っていた。「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」王はこれを良しとして、私を遣わしてくださることになり、私は予定を伝えた。2:7 また私は王にこう言った。「もしも王様がよろしければ、ユダに着くまで私が通行できるように、ユーフラテス川西方の総督たちへの手紙をいただけるでしょうか。2:8 そして、宮の城門の梁を置くため、また、あの都の城壁と私が入る家のために木材をもらえるように、王家の園の管理人アサフへの手紙もお願いします。」わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。2:9 それで私はユーフラテス川西方の総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。王は、軍の高官たちと騎兵たちを私とともに送り出してくださった。2:10 ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤは、これを聞いて非常に不機嫌になった。イスラエル人の益を求める者がやって来たからである。 ■ネヘミヤは、バビロン捕囚の際に連れ去られたユダヤ人の子孫です。時間がかなり経っているので、3世代目か4世代目であったと思います。彼は、ダニエルのようにペルシャ帝国の5代目の王、アルタクセルクセス1世から信頼を受けていた高位の官僚でした。ネヘミヤがペルシャ政府で働いていた頃、すでにユダヤ人は本国に帰還していました。1回目の帰還であるゼルバベルの帰還から考えると、帰還が始まってからすでに100年が経っていたところです。 ■それほど時間が経ったにもかかわらず、ユダとエルサレムが復興されていないということは周辺がユダヤ社会の再建を妨げていたからです。城壁が崩壊した状態で、都市は外部の脅威に無防備にさらされていました。そのため、社会の再建に集中することができず、そのような状態が長引くにつれて、帰還した民は疲弊していきました。100年であれば、何からの回復であり、何のための再建であるのかすら分からなかったかもしれません。城壁が崩壊したままであることは、まだ精神的に捕囚と奴隷の状態に陥っていることを示しているかもしれません。 ■ネヘミヤは一度も訪れたことのない祖先の地エルサレムの困難な状況を聞き、悲しみ、エルサレムの城壁を再建することを決意して王に願い出ました。城壁を築くことは、財政や人材、技術を必要とする国家の基幹事業です。支援が必要だったでしょう。ペルシャの王はネヘミヤの悲しみを理解し、彼がエルサレムに行って城壁を再建することを許可し、支援を与えることにしました。崩壊するのはあっという間ですが、再び築き上げるのは本当に骨の折れる仕事です。ネヘミヤが捕囚の子孫から王の信頼を得る高位の官僚になったのには理由があります。神様は、崩壊したことを悲しみ、それに対して責任を負おうとする一人の人を通して働かれるのです。

느헤미야 묵상 【슬퍼하는 한 사람】 20240902(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

느헤미야 2:1~102:1 아닥사스다왕 이십년 니산월에 왕의 앞에 술이 있기로 내가 들어 왕에게 드렸는데 이전에는 내가 왕의 앞에서 수색이 없었더니2:2 왕이 내게 이르시되 네가 병이 없거늘 어찌하여 얼굴에 수색이 있느냐 이는 필연 네 마음에 근심이 있음이로다 그 때에 내가 크게 두려워하여2:3 왕께 대답하되 왕은 만세수를 하옵소서 나의 열조의 묘실 있는 성읍이 이제까지 황무하고 성문이 소화되었사오니 내가…