ホセア書 黙想 【彼を知り己を知れば】 20241005(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生
ホセア書 4:1-10 4:1 イスラエルの子らよ、主のことばを聞け。主はこの地に住む者を訴えられる。この地には真実もなく、誠実さもなく、神を知ることもないからだ。 4:2 呪いと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。 4:3 それゆえ、この地は喪に服し、そこに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに衰え果て、海の魚さえも一掃される。 4:4 「だれも口論してはならない。だれも人を責めてはならない。あなたの民は、祭司と口論する者のようだ。 4:5 あなたは昼つまずき、預言者も、あなたとともに夜つまずく。わたしはあなたの母を滅ぼす。 4:6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしもあなたを退け、わたしの祭司としない。あなたがあなたの神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れる。 4:7 彼らは増えるにしたがって、ますますわたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。 4:8 彼らは、わたしの民の罪のきよめのささげ物を貪り食い、民の咎に望みをかけている。 4:9 民も祭司も同じようになる。わたしはその生き方のゆえに彼らを罰し、その行いのゆえに彼らに報復する。 4:10 彼らは食べても満たされず、姦淫しても増えることはない。彼らが主を捨てて、姦淫を続けるからだ。 知ることが力、彼を知り己をしれば百戦百勝などの言葉、その他にも数多くの言葉が知ることの重要さ、知識の重要さについて論じ、実際に知ることは私たちの人生において凄く重要に位置づけられています。 それはただ世の中だけでなく、信仰においても同じでしょう。私たちはこの信仰の旅路を歩んでいくために御言葉を知らなければならない、自分のことを知らなければならない、そして神様のことを知らなければなりません。 御言葉は私たちが歩んでいくべき道を私たちに示し、その道がどのような道であるか、どのようにその道を歩むべきなのか、そして、その道の最後には何が待っているのかを、私たちに教えています。そのため、私たちは御言葉を知らなければなりません。 そして、その道を歩んでいかなければならない自分という存在がどのような存在であり、その道を果たしてどのように歩んでいけばいいのかを知り、私たちの唯一の希望である神様を知り、最終的にはその神様を切実に求めながら生きていかなければなりません。 一見、それぞれの分野の知識のように見えますが、この知識は一つにつながっている知識であります。私たちは神様を知ることを通して、その被造物である自分のことを知り、御言葉そのものである神様を知ることを通して御言葉を知ることができるようになるためです。 イスラエルの民は何よりも貴重なこの知識、神様を知る知識を捨て、神様を忘れてしまいました。その結果、彼らは世の中で何一つ知らないまま、どこへ行くべきか、どのように行くべきか、そのすべてを失い、滅びの道に自ら進んで行くことになってしまったのです。 このすべての知識と知恵の根本である神様を明確に知るために、その方が自ら私たちに御自分を示してくださった、その御言葉を通さなければ、その方を知ることはできません。そして御言葉を通して神様を知ることは、その神様によって造られたこの世の中で私たちが歩んでいくべき正しい道、生き方を私たちに示し、最終的には、私たちを永遠な勝利の道に導いてくれるでしょう。https://youtu.be/T0brT-UzAhI?si=8b_Cxja5NJ_n3hnk