ヨハネの黙示録 黙想 【裁きから見える愛】 20241130(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの黙示録 6:1-17 6:1 また私は、子羊が七つの封印の一つを解くのを見た。そして、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを聞いた。 6:2 私は見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得るために出て行った。 6:3 子羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が「来なさい」と言うのを聞いた。 6:4 すると別の、火のように赤い馬が出て来た。それに乗っている者は、地から平和を奪い取ることが許された。人々が互いに殺し合うようになるためである。また、彼に大きな剣が与えられた。 6:5 子羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が「来なさい」と言うのを聞いた。私は見た。すると見よ、黒い馬がいた。これに乗っている者は秤を手に持っていた。 6:6 私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の真ん中でこう言うのを聞いた。「小麦一コイニクスが一デナリ。大麦三コイニクスが一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」 6:7 子羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が「来なさい」と言うのを聞いた。 6:8 私は見た。すると見よ、青ざめた馬がいた。これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていた。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられた。 6:9 子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。 6:10 彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」 6:11 すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。 6:12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。 6:13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。 6:14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。 6:15 地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。 6:16 そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。 6:17 神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」    御座に着いておられる方の御手にあった巻物の七つの封印には、神様の裁きが込められていました。そして今日の箇所はその中で六つの印を解く子羊の姿が示されています。  旧約聖書を過ぎ、新約聖書の御言葉を通して、この地に救いを与えるために来られたイエス·キリスト、そして彼の教会と人々を救いに導く愛の神、そしてそのために立てられた使徒たちの記録を見ながら、聖書を読む者たちは神の裁きに対する御言葉をいつのまにか忘れてしまい、神様の愛だけに目を向けてしまいます。  その御言葉が語っているように、神様は確かに愛の神様です。この世には存在しない完全な愛を与える方であり、愛そのものである方です。そうすると、その愛はいったいどのようにして私たちに実践されているのでしょうか。それは、罪の裁きからの救いとして私たちに実践されているのです。  そのため、私たちが愛の神様を思い浮かべるためには、必ず裁きの神様を共に思い浮かべなければなりません。単純に私たち人間が持っている愛の感情のようなもので神様の愛を理解しようとするならば、神様の愛は誰もが与えることができる安っぽい愛になってしまうのです。  今日の箇所で使徒ヨハネが見た六つの裁きの姿、そしてこれから登場する最後の七つ目の封印と裁き、その姿は単純な幻ではありません。いつかこの地になされる神様の裁きの姿であり、本来、私たちがその裁きの対象でありました。  そのような裁きから私たちを救い、永遠の命を与えるためにこの地に来られた方、御座に着いておられる方の巻物の印を解く子羊イエス·キリストだけが私たちが裁きから逃れる唯一の道であり、神様の完全な愛の実践であることを覚えなければなりません。https://youtu.be/SaHtfBeiJmM?si=yMFr80lD6GpybZVn

요한계시록 묵상 【심판에서 볼 수 있는 사랑】 20241130(토) 최종석 전도사

요한계시록 6:1-17 6:1 내가 보매 어린 양이 일곱 인 중의 하나를 떼시는데 그 때에 내가 들으니 네 생물 중의 하나가 우렛소리 같이 말하되 오라 하기로 6:2 이에 내가 보니 흰 말이 있는데 그 탄 자가 활을 가졌고 면류관을 받고 나아가서 이기고 또 이기려고 하더라 6:3 둘 째 인을 떼실 때에 내가 들으니 둘째 생물이 말하되…

ヨハネの黙示録 黙想 【子羊、謙遜の王】 20241129(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの黙示録 5:8-14 5:8 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老たちは子羊の前にひれ伏した。彼らはそれぞれ、竪琴と、香に満ちた金の鉢を持っていた。香は聖徒たちの祈りであった。 5:9 彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、 5:10 私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」 5:11 また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。 5:12 彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」 5:13 また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」 5:14 すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。    御座についておられる方の右手にあった巻物、その巻物を受け取ったのは力のある御使いでもなく、長老たちでもなく、四つの生物でもなく、子羊でした。これがイエス·キリストがこの地に来られた姿です。今日の箇所は、このように子羊として来られたイエス·キリストが、本来どのような方なのかを良く表しています。  私たちの頭の中にある羊という動物のイメージは、確かに弱く、保護が必要な存在です。今日の箇所に書かれている表現たちは決して子羊という存在に相応しい表現ではありません。私たちの頭の中にある解釈、今日の箇所に登場している子羊がイエス·キリストであるということを排除してから、再び読んでみると、ついに笑ってしまうほど、その表現の不自然さを感じるでしょう。  しかし、私たちがよく知っているように、この子羊がイエス·キリストであるという事実を覚えてから読むならば、この表現が豊かで、美しく考えられ、むしろこの程度の表現では足りないと思われるほどに変わります。このことがまさにイエス·キリストがこの地に来られたことがどれほど驚くべきことなのかを良く表していることです。  イエス様は神様の右手にある巻物の封印を解くのにふさわしい唯一の存在、この世のすべての聖徒の祈りと、すべての存在から力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方でありながらも、この地には弱くて小さい子羊として来られました。ご自分の血によってすべての部族、言葉、民族、国民の中から人々を神のために贖い、神様に捧げるために。  そのため、私たちはイエス様を単なる王ではなく、「謙遜の王」と呼びます。 ご自分のすべての力と権威を捨て、犠牲になるために来られた王であるのです。そして、その方が私たちをこの地を治める王の役割として立てられました。  そうであるならば、私たちがこの地の王としてあるべき姿は何でしょうか。私たちが見習うべき王の姿はどんな姿でしょうか。私たちを王に立てられた、私たちの王なる主イエス·キリストの姿がその姿でなければならないでしょう。https://youtu.be/1zLJXJXwkjo?si=Dl1M-PPwb_jJfz9S

요한계시록 묵상 【어린 양, 겸손의 왕】 20241129(금) 최종석 전도사

요한계시록 5:8-14 5:8 그 두루마리를 취하시매 네 생물과 이십사 장로들이 그 어린 양 앞에 엎드려 각각 거문고와 향이 가득한 금 대접을 가졌으니 이 향은 성도의 기도들이라 5:9 그들이 새 노래를 불러 이르되 두루마리를 가지시고 그 인봉을 떼기에 합당하시도다 일찍이 죽임을 당하사 각 족속과 방언과 백성과 나라 가운데에서 사람들을 피로 사서 하나님께 드리시고 5:10 그들로 우리…

黙示録 黙想 【七つの封印、七つの角、七つの目】 20241128(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 5:1~75:1 また私は、御座に着いておられる方の右の手に巻物を見た。それは内側にも外側にも字が書かれていて、七つの封印で封じられていた。5:2 また私は、一人の強い御使いが「巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げているのを見た。5:3 しかし、天でも地でも地の下でも、だれ一人その巻物を開くことのできる者、見ることのできる者はいなかった。5:4 私は激しく泣いた。その巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったからである。5:5 すると、長老の一人が私に言った。「泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。」5:6 また私は、御座と四つの生き物の真ん中、長老たちの真ん中に、屠られた姿で子羊が立っているのを見た。それは七つの角と七つの目を持っていた。その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。5:7 子羊は来て、御座に着いておられる方の右の手から巻物を受け取った。 神様は右の手に七つの封印で封じられた巻物を持っておられますが、天使が天と地のどこにもその巻物を開いたり、その内容を見ることができる者はいないと言うと、ヨハネはそれが悲しく悔しかったのか、大声で泣きながら涙を流しました。その時、長老の一人がヨハネに言いました。「泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます」と。誰にも読めないように封印された七つの封印を解き、その巻物に記された啓示の内容を明らかにし公開することができる方は、ユダ族の獅子であり、ダビデの子孫として来られたイエス・キリストです。 そのイエス様は小羊の姿で登場されます。七つの角と七つの目を持つ小羊が、神様の右の手にある巻物を取ります。ヨハネは涙に濡れた目でその光景を見つめたことでしょう。イエス様の中に啓示が解かれる希望を見たのです。遠くから十字架の道を歩まれるあの日にも、死の道へ向かわれる神の小羊、イエス・キリストを涙に濡れた目で見つめていたのではないでしょうか。 七つの角、すなわち天と地のすべての権威を持たれる小羊が十字架で救いの働きを成し遂げられた後、七つの目、すなわち神様から遣わされた御霊が聖書の救いを解き明かしてくださいます。聖書は聖霊の助けを受けながら読むものです。七つの目が私たちに御言葉を理解させてくださるでしょう。ですから、神様が右の手に持っておられる救いのメッセージを私たちは読むことができるのです。 クリスチャンは聖書が人類最高のベストセラーだと誇りますが、実際に開いて読む人は多くありません。封印されておらず公開された聖書が世の中にこれほど多く存在しているのに、その聖書を読まない人が多く、また異端にもなれない卑しい偽宗教によって悪用されているのを見ると、ヨハネがもう一度大声で泣き叫ぶのも無理はありません。クリスチャンの反対語は無神論者ではなく、キリストを利用する人です。自分の魂を大切に思う人は、小羊の角と目、すなわちキリストの力と聖霊の照らしに目を向けるべきです。

요한계시록 묵상 【일곱 인, 일곱 뿔, 일곱 눈】 20241128(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 5:1~75:1 내가 보매 보좌에 앉으신 이의 오른손에 책이 있으니 안팎으로 썼고 일곱 인으로 봉하였더라5:2 또 보매 힘 있는 천사가 큰 음성으로 외치기를 누가 책을 펴며 그 인을 떼기에 합당하냐 하니5:3 하늘 위에나 땅 위에나 땅 아래에 능히 책을 펴거나 보거나 할 이가 없더라5:4 이 책을 펴거나 보거나 하기에 합당한 자가 보이지 않기로 내가 크게…

黙示録 黙想 【栄光の帰路】 20241127(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 4:5~114:5 御座からは稲妻がひらめき、声と雷鳴がとどろいていた。御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。4:6 御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」4:9 また、これらの生き物が栄光と誉れと感謝を、御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき、4:10 二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。4:11 「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」 本文は、神様の御座とそこから始まる天上の礼拝について描写しています。神様の御座から発せられる威厳と力の前で、四つの生き物として表現された全被造世界は神様を賛美します。「自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。4:10、11」 24人の長老たちは、自分の冠を御座の前に投げ出し、その栄光を神様にお返しします。 神様と人が共有する属性があれば、共有しない属性もあります。聖さ、愛、義のようなものは、不完全で制限的であっても、人間にも求められる共有的属性です。その反面、無限性や不変性のようなものは人間にはありません。それは神様のみが持っておられる非共有的属性です。栄光は神様の属性ですが、それが反射されることで人間に映し出されるものです。人間の内に栄光が内在しているわけではありません。ただ、神様が映し出してくださる時に栄光に輝くのです。 人間が神様から受けた慈しみや恵みを自分自身の栄光だと思ってはいけません。人に与えられた機会や能力、それに伴う成功や称賛、評価、そのすべての栄光は神様に帰されるべきものです。時を弁えず、自分を誇ったり名誉を追求したりすることは、神様の栄光を奪う行為です。栄光は神様の本質です。栄光は神様のものです。冠を受けるにふさわしい生き方をすべきですが、その栄光が自分のものではないことを常に覚えて生きなければなりません。「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。ローマ 11:36」

요한계시록 묵상 【영광의 귀로】 20241127(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 4:5~114:5 보좌로부터 번개와 음성과 뇌성이 나고 보좌 앞에 일곱 등불 켠 것이 있으니 이는 하나님의 일곱 영이라4:6 보좌 앞에 수정과 같은 유리 바다가 있고 보좌 가운데와 보좌 주위에 네 생물이 있는데 앞 뒤에 눈이 가득하더라4:7 그 첫째 생물은 사자 같고 그 둘째 생물은 송아지 같고 그 세째 생물은 얼굴이 사람 같고 그 네째 생물은…

黙示録 黙想 【ここに上れ】 20241126(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

黙示録 4:1~44:1 その後、私は見た。すると見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパのような音で私に語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう。」4:2 たちまち私は御霊に捕らえられた。すると見よ。天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。4:3 その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった。4:4 また、御座の周りには二十四の座があった。これらの座には、白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた。 ヨハネが天に開かれた門を見ていた時、「ここに上れ」という神様の御声が聞こえました。「ここに上れ」と言われる神様の御声を慕います。私たちもその声を聞かなければならないのではないでしょうか。第4章が始まるとヨハネは天上に上りますが、第3章までは地上の教会の課題について語られました。地上の教会には問題があり、聖徒には使命がありました。「ここに上れ」と語られた天上の声は、ガリラヤ湖畔の虚しい朝に「私について来なさい」と言われたイエス様の声と重なります。天上からの呼びかけを聞くことができたのは、「私について来なさい」と言われた地上での呼びかけを聞いたからです。 24の座に24人の長老が白い衣をまとい、頭には金の冠をかぶって座っています。24人の長老はイスラエルの12部族と12使徒を象徴していると解釈されます。彼らは旧約と新約の時代に神様の呼びかけに応答した人々であり、今や金の冠を受けました。第2章では、冠を受ける方法がすでに教えられています。「何も恐れることはない。…死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。2:10」 三重天を経験したというパウロも、第一のコリント人への手紙の9章や第二のテモテへの手紙4章で、その日に受ける冠を慕う表現をしています。 ヨハネは神様の栄光を宝石で表現していますが、自らの言葉の貧しさに歯がゆさを感じたことでしょう。天上の美しさと神様の栄光を、私たちは具体的に想像することも説明することさえもできません。天国にどれほど素晴らしいものがあるのは分かりません。それを見たことも、聞いたことも、経験したこともないからです。ただ少しでも具体的に想像するためには、天国に「ないもの」を想像しなければなりません。それが私たちが天国を慕う理由であり、それが信仰の証です。天国には罪がありません。すべてが贖われ、罪が消え去った世界、神様の栄光だけが満ち溢れている場所です。「ここに上れ」という呼びかけを慕いながら、地上での呼びかけに従います。

요한계시록 묵상 【이리로 올라오라】 20241126(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 4:1~44:1 이 일 후에 내가 보니 하늘에 열린 문이 있는데 내가 들은 바 처음에 내게 말하던 나팔소리 같은 그 음성이 가로되 이리로 올라 오라 이 후에 마땅히 될 일을 내가 네게 보이리라 하시더라4:2 내가 곧 성령에 감동하였더니 보라 하늘에 보좌를 베풀었고 그 보좌 위에 앉으신 이가 있는데4:3 앉으신 이의 모양이 벽옥과 홍보석 같고 또…