黙示録 黙想 【この巻物を食べなさい】 20241205(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 10:1~1110:1 また私は、もう一人の強い御使いが、雲に包まれて天から下って来るのを見た。その頭上には虹があり、その顔は太陽のよう、その足は火の柱のようで、10:2 手には開かれた小さな巻物を持っていた。御使いは右足を海の上、左足を地の上に置いて、10:3 獅子が吼えるように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声を発した。10:4 七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天からの声がこう言うのを聞いた。「七つの雷が語ったことは封じておけ。それを書き記すな。」10:5 それから、海の上と地の上に立っているのを私が見たあの御使いは、右手を天に上げ、10:6 天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造って、世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。「もはや時は残されておらず、10:7 第七の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、神がご自分のしもべである預言者たちに告げたとおりに実現する。」10:8 それから、前に天から聞こえた声が、再び私に語りかけた。「行って、海の上と地の上に立っている御使いの手にある、開かれた巻物を受け取りなさい。」10:9 私はその御使いのところに行き、「私にその小さな巻物を下さい」と言った。すると彼は言った。「それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」10:10 そこで、私はその小さな巻物を御使いの手から受け取って食べた。口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。10:11 すると私はこう告げられた。「あなたはもう一度、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならない。」 10章は、七番目のラッパの裁きが始まる前に起こる「強い御使い」が持ってきた「小さな巻物」に関する幻であり、それはヨハネに与えられる新しい使命です。天から降りてきた強い御使いが手に小さな巻物を持ち、大声で叫びます。しかし、その内容はまだ完全には公開されていません。その後、御使いはヨハネに「この巻物を食べなさい」と命じます。巻物は口では甘かったものの、腹では苦く感じられました。そして天使はヨハネに対して、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならないという使命を与えます。 新興カルト宗教である新天地の教祖、イ・マンヒは、自分が御使いから巻物を受け取り食べた者だと主張します。したがって、自分に解釈の権利があると主張します。巻物が「口では甘く、腹では苦い」と言われた部分については、イ・マンヒの解釈は甘いですが、他人から異端だと非難され攻撃される際に苦いということで適用します。また、御使いが「多くの民族、国民、言語、王たちに預言する」と命じたことについては、新天地の布教の動機として用いています。人間を特別な霊的存在として位置づけ、解釈と救いを独占し、黙示録の御言葉を歪め、恣意的な解釈を行っています。しかし、騙す人以上に、騙される人に問題があります。人生における失敗や地獄の入り口で、誰のせいにできるでしょうか?自分の魂の責任は自分で負うべきです。 10章を読んでいると、もう一人思い浮かぶ人物がいます。青年時代にユージン・ピーターソン(Eugene H. Peterson)の本を多く読みました。その中でも『この本を食べなさい(Eat This Book)』という本があります。このタイトルは今日の本文から取られたものです。「牧師たちの牧師」と呼ばれ、キリスト教霊性の大家として尊敬されていたユージン・ピーターソンは、「この本を食べなさい」という言葉を幻や神秘的な言葉として放置せず、現実的な聖書の読み方として具体化しました。本を食べるには、口に入れ、噛み、飲み込み、内臓がそれを消化しなければなりません。それでこそ食べたことになるのです。食べたものは血となり、肉となり、骨となるでしょう。その意味で「この本を食べなさい」なのです。御使いがヨハネに「この本を食べなさい」と言い、ヨハネがそれを受け取って食べた以上、彼はそれを噛み砕き、消化しなければなりません。もはや幻ではなく、自分の生活の中にその御言葉を持ってこなければならないのです。 聖書は単なる知識や情報を伝えるためのものではなく、神様との関係を築くための御言葉です。人の話を聞いたり、文字を読むだけでは、まだ始まったとは言えません。その御言葉を噛み砕き、食べなければなりません。御言葉を食べるというのは、自分の考え方や価値観、方向性、行動などをその御言葉に一致させていくプロセスを意味します。当然、甘さも苦さも経験することになるでしょう。そのような人は、カルト宗教の荒唐無稽な甘言に惑わされることはありません。偽りの教祖には、神様の書も、啓示も、預言も与えられていません。しかし、神様の御言葉を日常で噛み砕き、食べなさいと教えたユージン・ピーターソン牧師は、まさに11節の使命を生きたのではないでしょうか。「Let’s go(行こう)」という言葉を残して息を引き取られたそうです。御言葉を噛み砕き、食べた者の希望に満ちた遺言です。聖書はお持ちですか?「Eat that book! その書を食べなさい」

요한계시록 묵상 【이 책을 먹으라】 20241205(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 10:1~1110:1 내가 또 보니 힘센 다른천사가 구름을 입고 하늘에서 내려오는데 그 머리 위에 무지개가 있고 그 얼굴은 해 같고 그 발은 불기둥 같으며10:2 그 손에 펴놓인 작은 책을 들고 그 오른발은 바다를 밟고 왼발은 땅을 밟고10:3 사자의 부르짖는 것같이 큰 소리로 외치니 외칠 때에 일곱 우뢰가 그 소리를 발하더라10:4 일곱 우뢰가 발할 때에 내가…

黙示録 黙想 【悔い改めなかった】 20241204(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 9:1~219:1 第五の御使いがラッパを吹いた。すると私は、一つの星が天から地に落ちるのを見た。その星には、底知れぬ所に通じる穴の鍵が与えられた。9:2 それが底知れぬ所に通じる穴を開くと、穴から大きなかまどの煙のような煙が立ち上り、太陽と空はこの穴の煙のために暗くなった。9:3 その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには、地のサソリが持っているような力が与えられた。9:4 そして彼らは、地の草やどんな青草、どんな木にも害を加えてはならないが、額に神の印を持たない人たちには加えてよい、と言い渡された。9:5 その人たちを殺すことは許されなかったが、五か月間苦しめることは許された。彼らの苦痛は、サソリが人を刺したときの苦痛のようだった。9:6 その期間、人々は死を探し求めるが、決して見出すことはない。死ぬことを切に願うが、死は彼らから逃げて行く。9:7 いなごたちの姿は、出陣の用意が整った馬に似ていた。頭には金の冠のようなものをかぶり、顔は人間の顔のようであった。9:8 また、女の髪のような毛があり、歯は獅子の歯のようであった。9:9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その羽の音は、馬に引かれた多くの戦車が戦いに急ぐときの音のようであった。9:10 彼らはサソリのような尾と針を持っていて、その尾には、五か月間、人々に害を加える力があった。9:11 いなごたちは、底知れぬ所の使いを王としている。その名はヘブル語でアバドン、ギリシア語でアポリュオンという。9:12 第一のわざわいは過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。9:13 第六の御使いがラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から、一つの声が聞こえた。9:14 その声は、ラッパを持っている第六の御使いに言った。「大河ユーフラテスのほとりにつながれている、四人の御使いを解き放て。」9:15 すると、その時、その日、その月、その年のために用意されていた、四人の御使いが解き放たれた。人間の三分の一を殺すためであった。9:16 騎兵の数は二億で、私はその数を耳にした。9:17 私が幻の中で見た馬と、それに乗っている者たちの様子はこうであった。彼らは、燃えるような赤と紫と硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄が出ていた。9:18 これら三つの災害、すなわち、彼らの口から出る火と煙と硫黄によって、人間の三分の一が殺された。9:19 馬の力は口と尾にあって、その尾は蛇に似て頭を持ち、その頭で害を加えるのである。9:20 これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った物から離れるということをせず、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないものを、拝み続けた。9:21 また彼らは、自分たちが行っている殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった。 第五のラッパと第六のラッパが吹き鳴らされると、災害の深刻さは一層増します。自然や環境だけでなく、人間の魂と命が損なわれ始めます。第五のラッパが吹き鳴らされると、天から落ちた悪しき存在が底なしの淵の鍵を受け取ります。その淵を開くとイナゴのようなものが出てきて、神様の印を額に受けていない人々を苦しめます。極限の苦痛を受けた人々は、むしろ死を願いますが、死ぬことさえできません。それは神様の保護を受けていない者たちの苦しみです。第六のラッパが吹き鳴らされると、ユーフラテス川に縛られていた四人の天使が解放されます。その四人の天使は人類の3分の1を殺します。 しかし、生き残った人々は依然として災害の理由を理解していません。それでもなお、神様に悔い改めることなく、罪悪から離れようとしません。彼らの罪とは、悪霊や偶像を崇拝すること、殺人、魔術、淫行、盗みだと言われています。彼らは偶像や悪霊を崇拝しても、金や銀、銅などの豪華なものを用いて崇拝していたことでしょう。また、人を殺し盗みを行うにしても、それを司法的に行っていたかもしれません。淫行をしても、それをロマンスだと思っていたことでしょう。自己合理化を繰り返していると、良心は麻痺し、基準は消え去り、ついには怪物となってしまいます。 罪というのは行為の問題だけではなく、自分自身を基準にして判断し、神様との関係を断絶させる根本的な態度、自己中心的な態度のことです。だからこそ、悔い改めないのではなく、悔い改めることができないのです。イザヤ書で神はこう言われました。「行って、この民に告げよ。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな イザヤ6:9、10」 神様の御言葉を黙想せず、自分を弁護することばかりを考える人々が陥る罠です。悔い改めるべきものが何かを知ること、それは神様に守られている人々が受ける恵みです。

요한계시록 묵상 【회개치 아니하더라】 20241204(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 9:1~219:1 다섯째 천사가 나팔을 불매 내가 보니 하늘에서 땅에 떨어진 별 하나가 있는데 저가 무저갱의 열쇠를 받았더라9:2 저가 무저갱을 여니 그 구멍에서 큰 풀무의 연기 같은 연기가 올라오매 해와 공기가 그 구멍의 연기로 인하여 어두워지며9:3 또 황충이 연기 가운데로부터 땅위에 나오매 저희가 땅에 있는 전갈의 권세와 같은 권세를 받았더라9:4 저희에게 이르시되 땅의 풀이나 푸른…

黙示録 黙想 【三分の一の喪失】 20241203(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 8:1~138:1 子羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ほどの静けさがあった。8:2 それから私は、神の御前に立っている七人の御使いたちを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。8:3 また、別の御使いが来て、金の香炉を持って祭壇のそばに立った。すると、たくさんの香が彼に与えられた。すべての聖徒たちの祈りに添えて、御座の前にある金の祭壇の上で献げるためであった。8:4 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。8:5 それから御使いは、その香炉を取り、それを祭壇の火で満たしてから地に投げつけた。すると、雷鳴と声がとどろき、稲妻がひらめき、地震が起こった。8:6 また、七つのラッパを持った七人の御使いたちは、ラッパを吹く用意をした。8:7 第一の御使いがラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火が現れて、地に投げ込まれた。そして地の三分の一が焼かれ、木々の三分の一も焼かれ、すべての青草も焼かれてしまった。8:8 第二の御使いがラッパを吹いた。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血になった。8:9 また、海の中にいる被造物で、いのちのあるものの三分の一が死に、船の三分の一が壊された。8:10 第三の御使いがラッパを吹いた。すると、天から、たいまつのように燃えている大きな星が落ちて来て、川の三分の一とその水源の上に落ちた。8:11 この星の名は「苦よもぎ」と呼ばれ、水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。8:12 第四の御使いがラッパを吹いた。すると太陽の三分の一と、月の三分の一、また星の三分の一が打たれたので、それらの三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、夜も同じようになった。8:13 また私は見た。そして、一羽の鷲が中天を飛びながら、大声でこう言うのを聞いた。「わざわいだ、わざわいだ、わざわいが来る。地上に住む者たちに。三人の御使いが吹こうとしている残りのラッパの音によって。」 七番目の封印が解かれると、七つのラッパによる裁きが始まります。ラッパはサイレンのように鳴り響き、段階的に強い裁きの形を取るようになります。七つの封印の裁きから始まり、七つのラッパの裁きが終わると、最後の裁きである鉢の裁きが訪れます。したがって、七つのラッパの災いはまだ過程にあり、最終的な裁きの前の警告としての災いです。三分の二はまだ残されているので、耐えられないわけではなく、三分の一の破壊を通じた警告の意味があります。七つのラッパによる警告の災いの中で、今日の本文である四番目のラッパまでは自然界の破壊を描いています。地、海、川、光の三分の一が破壊されます。 三分の一であっても、災いが訪れた世界では色が変わり始めます。日常の色と災いの色が混じり合うのです。雹が血に混じり、大きな山や樹木、青々とした森が炎に焼かれ、川や小川は苦よもぎになります。エメラルド色の海に血が混じり、花は灰色に変わり、緑は血の色に染まります。その時、人は日常の色がどれほど美しいものだったか、それがどれほど大切なものだったかを思い知らされるでしょう。重い病で死を宣告された人々は皆、こう言います。「道端に咲く雑草一つ、吹いてくる風の一吹きが、これほど美しいものだとは思わなかった」と。そして、「だからこそ、生きたいと思った」と語ります。 創造の初めに、神様が色を調和させていたその時を思い出しました。光を創り出し、すべてのものを照らす準備をし、青い空とわた雲の下に海と川を創り、その地と海に色とりどりの被造物を住まわせたあの日を思い出さなければなりません。その生き生きとした色が炎で焦がされ、血まみれになってしまったのは、神様から離れた人間の欲望と無知のせいです。サイレンが鳴り始めたのは、残された三分の二の色調を取り戻せという神様のメッセージです。ある詩人の詩句のように、「すべての死にゆくものを愛さなければならない」、すなわち、今ここに生きているすべてのものを愛することができれば、自然も人もなお美しいままであるでしょう。

요한계시록 묵상 【3분 1의 상실】 20241203(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 8:1~138:1 일곱째 인을 떼실 때에 하늘이 반시 동안쯤 고요하더니8:2 내가 보매 하나님 앞에 시위한 일곱 천사가 있어 일곱 나팔을 받았더라8:3 또 다른 천사가 와서 제단 곁에 서서 금 향로를 가지고 많은 향을 받았으니 이는 모든 성도의 기도들과 합하여 보좌 앞 금단에 드리고자 함이라8:4 향연이 성도의 기도와 함께 천사의 손으로부터 하나님 앞으로 올라가는지라8:5 천사가 향로를…

요한계시록 묵상 【흰옷 입은 사람들】 20241202(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 7:9~177:9 이 일 후에 내가 보니 각 나라와 족속과 백성과 방언에서 아무라도 능히 셀 수 없는 큰 무리가 흰 옷을 입고 손에 종려 가지를 들고 보좌 앞과 어린 양 앞에 서서7:10 큰 소리로 외쳐 가로되 구원하심이 보좌에 앉으신 우리 하나님과 어린 양에게 있도다 하니7:11 모든 천사가 보좌와 장로들과 네 생물의 주위에 섰다가 보좌앞에 엎드려…

黙示録 黙想 【白い衣を身にまとった人たち】 20241202(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

黙示録 7:9~177:9 その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。7:10 彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して言った。7:12 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」7:13 すると、長老の一人が私に話しかけて、「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですか」と言った。7:14 そこで私が「私の主よ、あなたこそご存じです」と言うと、長老は私に言った。「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。7:15 それゆえ、彼らは神の御座の前にあって、昼も夜もその神殿で神に仕えている。御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られる。7:16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も、彼らを襲うことはない。7:17 御座の中央におられる子羊が彼らを牧し、いのちの水の泉に導かれる。また、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」 6章で、第六の封印が解かれると、大地震が起こり、太陽と月が変わり、星が落ち、空は巻物が巻き上げられるように消え、すべての山と島が移動するという災害が起こります。これは、神様と子羊に敵対する者や信じない者が受ける神様の御怒りです。そして間もなく、8章で第七の封印が解かれると、七つのラッパの災害が始まるでしょう。 今朝の本文は、その神様の御怒りによる災害の中でも、神様に選ばれた民が守られる様子を描写しています。救われた聖徒たちは、神様と子羊の前で礼拝を捧げます。礼拝は、災害の嵐の中で静かに保障された平和の時間です。ヨハネは、あらゆる国、部族、民、言語から来た数え切れないほどの大群衆が白い衣を着て大声で叫ぶ声を聞きます。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」 6章で神様の御怒りの日を見た者たちが、救いの御座の前で捧げる賛美が、どれほど切実なものでしょうか。白い衣を着た大群衆は、「大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くした」ものです。信仰のために大いなる患難を通ってきた者たちです。白い衣を着た者たちは、温室で守られた者たちではなく、大いなる患難を通ってきた者たちです。 「もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も、彼らを襲うことはない。」とあるように、彼らは飢えと渇き、そして暑さの苦しみを経験した者たちです。この地上で信仰のゆえに患難を受けた彼らは、宇宙的な災害の前では救われ、御座の前で賛美を捧げます。子羊が彼らを牧し、いのちの水の泉に導かれる。また、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださいます。子羊であるイエス・キリストは、世が滅びゆく中でも、神様の御怒りの中でも平和を保たれる唯一のお名前です。この地上でその名のために困難に遭うことを恐れません。