黙示録 黙想 【獣に乗っている大淫婦】 20241216(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 17:1~6 17:1 また、七つの鉢を持つ七人の御使いの一人が来て、私に語りかけた。「ここに来なさい。大水の上に座している大淫婦に対するさばきを見せましょう。 17:2 地の王たちは、この女と淫らなことを行い、地に住む人々は、この女の淫行のぶどう酒に酔いました。」 17:3 それから、御使いは私を御霊によって荒野へ連れて行った。私は、一人の女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神を冒瀆する名で満ちていて、七つの頭と十本の角を持っていた。 17:4 その女は紫と緋色の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものと、自らの淫行の汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。 17:5 その額には、意味の秘められた名、「大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」という名が記されていた。 17:6 私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見て、非常に驚いた。 大淫婦は外見こそ華やかに飾り立てていますが、その内面には憎むべきものや汚れたもので満ちています。これは堕落した宗教を象徴しています。そして、獣は世俗的な権力を意味します。大淫婦が獣の上に乗っているという描写から、宗教と政治権力が結びついている状況を示唆していることがわかります。政治権力が宗教的な正当性を利用することで、人々の信仰や市民生活を支配し、抑圧することが可能になるのです。また、宗教が一度政治権力を手にすると、信仰本来の純粋さを失い、権力を利用して利益を追求する集団に成り下がる危険性があります。 中世ヨーロッパのカトリック教会は、宗教的権威だけでなく、政治的権力をも強大に振るっていました。その結果、教皇権と王権が結託したり対立したりすることが繰り返され、宗教戦争や宗教裁判、聖職売買、免罪符の販売といったさまざまな不正が生まれました。こうした教会の「権力中毒」とも言える症状が宗教改革の引き金となったのです。しかし、宗教改革が起こった後も、世俗権力が教会に干渉することで生じた混乱は収束せず、初期のアメリカにおけるピューリタンの移住も、国家宗教による迫害が原因だったと言えるでしょう。 18世紀後半、フランス革命やアメリカ独立を経て、立憲民主主義の中に政教分離の原則が明確に根付くようになりました。政教分離とは、宗教が国家を支配したり、国家が宗教を強制したりすることを防ぐための制度的な分離を指します。一方で、今日では「キリスト教国家」を掲げ、キリスト教精神を基盤にした政党を設立しようとする動きも見られますが、これは純粋な信仰を政治的に利用して勢力を拡大しようとする試みであり、大淫婦が獣に乗って行動する姿に他なりません。キリスト者は、民主市民として宗教の自由が守られる社会を追求し、その中で福音を伝え、自由意志に基づく人格的な信仰を人々に示していくべきです。 ただし、政教分離が教会や信徒の政治参加を否定するものではないことも重要です。教会や信徒が表現の自由や政治参加の自由を侵害されることはありません。信徒は他の市民と同様に政治的な意見を表明し、公共の課題に積極的に関与する権利を持っています。むしろ教会には、より積極的な社会的責任が求められています。ただし、それは制度的に国家と結びつかない形で行われるべきです。政治に振り回される教会になってはいけませんし、宗教を利用する政治権力になってもいけません。堕落した大淫婦が獣に乗って暴れ回るような状況を繰り返さないためにも、健全なキリスト者は責任ある民主市民としての冷静な判断を持ち、しっかりとそれを見極めていく必要があります。

요한계시록 묵상 【짐승에 올라탄 음녀】 20241216(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 17:1~6 17:1 또 일곱 대접을 가진 일곱 천사 중 하나가 와서 내게 말하여 가로되 이리 오라 많은 물 위에 앉은 큰 음녀의 받을 심판을 네게 보이리라 17:2 땅의 임금들도 그로 더불어 음행하였고 땅에 거하는 자들도 그 음행의 포도주에 취하였다 하고 17:3 곧 성령으로 나를 데리고 광야로 가니라 내가 보니 여자가 붉은빛 짐승을 탔는데 그…