出エジプト記 QT23 20210430金【不従順を止めさせる災い】出エジプト 11章 1~10

出エジプト記 11章 1~1011:1 主はモーセに言われた。「わたしはファラオとエジプトの上に、もう一つのわざわいを下す。その後で彼は、あなたがたをここから去らせる。彼があなたがたを去らせるときには、本当に一人残らず、あなたがたをここから追い出す。11:2 さあ、民に言って聞かせよ。男は隣の男に、女は隣の女に、銀の飾りや金の飾りを求めるように。」11:3 主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された。11:4 モーセは言った。「主はこう言われます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。11:5 エジプトの地の長子は、王座に着いているファラオの長子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の長子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。11:6 そして、エジプト全土にわたって大きな叫びが起こる。このようなことは、かつてなく、また二度とない。』11:7 しかし、イスラエルの子らに対しては、犬でさえ、人だけでなく家畜にも、だれに対してもうなりはしません。こうして主がエジプトとイスラエルを区別されることを、あなたがたは知るようになります。11:8 あなたのこの家臣たちはみな、私のところに下って来て、私にひれ伏し、『あなたもあなたに従う民もみな、出て行ってください』と言うでしょう。その後私は出て行きます。」こうして、モーセは怒りに燃えてファラオのところから出て行った。11:9 主はモーセに言われた。「ファラオはあなたがたの言うことを聞き入れない。わたしの奇跡がエジプトの地で大いなるものとなるためである。」11:10 モーセとアロンは、ファラオの前でこれらの奇跡をすべて行った。主はファラオの心を頑なにされ、ファラオはイスラエルの子らを自分の国から去らせなかった。   三日間の暗闇の後、神様はモーセを通してファラオの長子をはじめ、民と家畜の初子に至るまで、すべて死ぬことを予告します。この長子が死ぬ災いによって、エジプト全域に空前絶後の大きな叫びがあると告げられます。長子というのは、父の権利を受け継ぐ資格を持つ者です。古代社会はみな同じですが、エジプトの中でも長子が持つ権利とその地位は特別なものでした。王の子どもが王になり、父の財産は長子に相続されます。エジプトの長子が死ぬ災いによってその相続と正統性が断たれてしまいます。   環境をめぐる災いは、いよいよ人間の死の災いへと変貌を遂げます。この災いが実行されれば、不従順はそれ以上存在しなくなります。不従順の主体は人生なので、その人生が終われば、不従順も終わるからです。従順の機会も生きている間です。これまで多くの啓示がありました。その機会を逃して死に駆け上がっていくのがファラオの頑なさです。しかし、どんなに気強い不信仰と不従順であっても死の前では、みなが止まります。神はいないと、まるで自分が神であるかのように生きていきますが、死の前では誰も立ち止まらなければなりません。   死という明確な啓示がいつも目の前にありますが、私たちも、ファラオと同じように根拠のない楽観論を落ちて生きているのではないでしょうか。神様の警告の言葉を聞こうとせず、周りで起こっていることに鈍感でそれを解釈しようとしません。これまでの災いは、神様が偶像を壊す過程でした。昨日の本文の闇の災いも、エジプトが太陽を崇拝するからです。王の名前ラムセスは、太陽の神という意味です。今も最も強力な偶像が残っています。子が死にます。他人の子は奴隷にして働かせて、自分の子は神のように仕える、まさにその偶像が崩れるのです。   エジプトの長子が死んでいくという痛みを通してイスラエルが出エジプトするということは、神様の伏線です。神様は独り子を死に明け渡し、罪の中に生きている民を救ってくださったからです。ファラオは奴隷にしたイスラエルの民の失われた生きるべき権利を知りませんでしたが、自分の王子が死んだときに、生きるべき権利を失ってしまうということが、どれほど大きな苦しみであるか知ることになります。

출애굽기 QT23 210430금【불순종을 멈추어 서게 하는 재앙】출애굽기 11장 1~10

출애굽기 11장 1~1011:1 여호와께서 모세에게 이르시기를 내가 이제 한 가지 재앙을 바로와 애굽에 내린 후에야 그가 너희를 여기서 보낼지라 그가 너희를 보낼 때에는 여기서 정녕 다 쫓아 내리니11:2 백성에게 말하여 남녀로 각기 이웃들에게 은금 패물을 구하게 하라 하시더니11:3 여호와께서 그 백성으로 애굽 사람의 은혜를 받게 하셨고 또 그 사람 모세는 애굽국에서 바로의 신하와 백성에게 심히…

出エジプト記 QT22 20210429木【闇に戻る】出エジプト 10章 21~29

出エジプト記 10章 21~2910:21 主はモーセに言われた。「あなたの手を天に向けて伸ばし、闇がエジプトの地の上に降りて来て、闇にさわれるほどにせよ。」10:22 モーセが天に向けて手を伸ばすと、エジプト全土は三日間、真っ暗闇となった。10:23 人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった。しかし、イスラエルの子らのすべてには、住んでいる所に光があった。10:24 ファラオはモーセを呼んで言った。「行け。主に仕えるがよい。ただ、おまえたちの羊と牛は残しておけ。妻子はおまえたちと一緒に行ってもよい。」10:25 モーセは言った。「あなた自身が、いけにえと全焼のささげ物を直接私たちに下さって、私たちが、自分たちの神、主にいけにえを献げられるようにしなければなりません。10:26 私たちの家畜も私たちと一緒に行きます。ひづめ一つ残すことはできません。私たちの神、主に仕えるために、家畜の中から選ばなければならないからです。しかも、あちらに着くまでは、どれをもって主に仕えるべきか分からないのです。」10:27 しかし、主がファラオの心を頑なにされたので、ファラオは彼らを去らせようとはしなかった。10:28 ファラオは彼に言った。「私のところから出て行け。私の顔を二度と見ないように気をつけろ。おまえが私の顔を見たら、その日に、おまえは死ななければならない。」10:29 モーセは言った。「けっこうです。私はもう二度とあなたのお顔を見ることはありません。」   第九の災いは暗闇の災いです。3日間闇になりました。物理的に闇は存在しません。闇ができたのではなく、光が消えたのです。光がないのが闇です。誰かに呪いを浴びせてもそれが呪いになるわけではありません。神様と断たれてしまうのが呪いです。   昨日の水曜礼拝で詩篇12篇を読みました。ダビデは「なぜこの世に不義と悪、不条理が存在するのか​​と神様に胸痛く尋ねます。しかし彼らに不義と悪、不条理があるのではなく、彼らに神がいないのです。絶望があるのではなく希望が消えたのです。憎しみがあるのではなく、愛が消えたのです。   本を通じて多くを学んだイ・ジェチョル牧師と李御寧先生の対談の中でイ・オリョン先生の文学想像が印象深くて今も覚えています。アダムが造られた最初の日、夜になった時、漆黒の闇の中でアダムはいかに怖かっのかという想像です。   それは完璧な暗闇であったと思います。アダムは不安と恐怖を夜を過ごさなければならなかった。しかし、朝になると太陽は浮かびあがり、アダムは朝という希望があることを知りました。その時、アダムの宗教は始まったということです。   時間は流れて、李御寧先生はがんにかかり、闘病しています。あるインタビューで「私の宗教は、今から始める」と告白しました。死という暗闇に会ったとき、生きている存在は、光を願望します。照らされなければ存在を認めてもらうことは出来ません。照らされなければ存在は現れません。神様に照らされなければは人間の存在も人生の意味も役割も見つけられません。   神様が初めにお造りになったのが、光です。日がのぼってから一日が始まります。「神が光よ。あれ。と仰せられた。すると光ができた。3」その時、暗やみと混沌は消えました。初めに、神が「光よ。あれ。」と言われたの覚えていれば、エジプトに暗闇を下したのは、いかに恐ろしいことでしょうか。神様の恵みが遮られること、それが災いなのです。

출애굽기 QT22 210429목【흑암으로 돌아가라】출애굽기 10장 21~29

출애굽기 10장 21~2910:21 여호와께서 모세에게 이르시되 하늘을 향하여 네 손을 들어서 애굽 땅위에 흑암이 있게 하라 곧 더듬을 만한 흑암이리라10:22 모세가 하늘을 향하여 손을 들매 캄캄한 흑암이 삼일 동안 애굽 온 땅에 있어서10:23 그 동안은 사람 사람이 서로 볼 수 없으며 자기 처소에서 일어나는 자가 없으되 이스라엘 자손의 거하는 곳에는 광명이 있었더라10:24 바로가 모세를 불러서…

出エジプト記 QT21 20210428水【ファラオの根拠のない楽観論】出エジプト 10章 12~20

出エジプト記 10章 12~2010:12 主はモーセに言われた。「あなたの手をエジプトの地の上に伸ばし、いなごの大群がエジプトの地を襲い、その国のあらゆる草木、雹の害を免れたすべてのものを食い尽くすようにせよ。」10:13 モーセはエジプトの地の上に杖を伸ばした。主は終日終夜、その地の上に東風を吹かせた。朝になると東風がいなごの大群を運んで来た。10:14 いなごの大群はエジプト全土を襲い、エジプト全域にとどまった。これは、かつてなく、この後もないほどおびただしいいなごの大群だった。10:15 それらが全地の表面をおおったので、地は暗くなり、いなごは地の草と、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くした。エジプト全土で、木や野の草に少しの緑も残らなかった。10:16 ファラオは急いでモーセとアロンを呼んで言った。「私は、おまえたちの神、主とおまえたちに対して過ちを犯した。10:17 どうか今、もう一度だけ私の罪を見逃してくれ。おまえたちの神、主に、こんな死だけは取り去ってくれるよう祈ってくれ。」10:18 モーセはファラオのところから出て、主に祈った。10:19 すると主は風向きを変え、非常に強い、海からの風とされた。風はいなごを吹き上げ、葦の海に追いやった。エジプト全域に一匹のいなごも残らなかった。10:20 しかし、主がファラオの心を頑なにされたので、彼はイスラエルの子らを去らせなかった。   第八の災いはいなごの災いです。雹の災いで生き残ったものはいなごによって焦土化します。いなごはふらつくエジプトを掃き捨ててしまいます。食べものというのは、神様の慈しみによって自然を通し供給されたものです。これからエジプトは、命のもとになる食糧が枯渇し、その供給が断たれます。災いは不便を超え、人間の命の脅威につながりました。   今も東アフリカ一帯はいなごの群れによって深刻な食料侵攻をされ、苦しんでいます。いなごの出現は、気候問題であると言われます。気候問題の原因は、大気の成分を変える人間活動によるものです。熱関連の現象は顕著に増加し、以前と異なり、地球温暖化と猛暑に人間は脅かされています。このような気候変動は、世界的な食料安全保障をも脅かしています。   状況は良くなくても、またよくなるという根拠のない楽観論が、ファラオの考え方です。根本的な原因を考えない無責任がファラオの頑なさです。偶像を捨てて奴隷を解放しなさいという神様の言葉を聞かなかったファラオの貪欲が、気候変動と食糧安全保障を脅かす災いをエジプトに招いたのであれば、現在の人類が直面している気候問題と食糧危機も、神様の御心を無視して、さらに人間を道具化して、欲望のための期待感を信仰と思ってきた結果である言えるのではないでしょうか?   現象と啓示があってもそれを無視するのはまだ生きられそうだからであり、まもなく良くなるという根拠のない楽観論があるからです。神様は自然の啓示によって人間の変化を促しています。ファラオの偽りの約束にもモーセは祈り、神様はエジプトに充満していたいなごを一掃して紅海に掃き捨てました。それは人の変化を求める神様が、この状況をも変えて行くことができるということを明らかにしておられるのです。ファラオにも、エジプトにも、イスラエルにも、私たちの現在においても、神様の御心に立ち返ることができれるのであれば、生きられます。それこそが根拠ある希望です。

출애굽기 QT21 210428수【바로의 근거없는 낙관론】출애굽기 10장 12~20

출애굽기 10장 12~2010:12 여호와께서 모세에게 이르시되 네 손을 애굽 땅 위에 들어 메뚜기로 애굽 땅에 올라와서 우박에 상하지 아니한 밭의 모든 채소를 먹게 하라10:13 모세가 애굽 땅 위에 그 지팡이를 들매 여호와께서 동풍을 일으켜 온 낮과 온 밤에 불게 하시니 아침에 미쳐 동풍이 메뚜기를 불어 들인지라10:14 메뚜기가 애굽 온 땅에 이르러 그 사방에 내리매 그…

エジプト記 QT20 20210427火【交渉するファラオ】出エジプト 10章 1~11

出エジプト記 10章 1~1110:1 主はモーセに言われた。「ファラオのところに行け。わたしは彼とその家臣たちの心を硬くした。それは、わたしが、これらのしるしを彼らの中で行うためである。10:2 また、わたしがエジプトに対して力を働かせたあのこと、わたしが彼らの中で行ったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためである。こうしてあなたがたは、わたしが主であることを知る。」10:3 モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に向かって言った。「ヘブル人の神、主はこう言われます。『いつまで、わたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、彼らがわたしに仕えるようにせよ。10:4 もしあなたが、わたしの民を去らせることを拒むなら、見よ、わたしは明日、いなごをあなたの領土に送る。10:5 いなごが地の面をおおい、地は見えなくなる。また、雹の害を免れてあなたがたに残されているものを食い尽くし、野に生えているあなたがたの木をみな食い尽くし、10:6 あなたの家とすべての家臣の家、および全エジプトの家に満ちる。これは、あなたの先祖も、またその先祖も、彼らがこの土地にあった日から今日に至るまで、見たことがないものである。』」こうして彼は身を翻してファラオのもとから出て行った。10:7 家臣たちはファラオに言った。「この男は、いつまで私たちを陥れるのでしょうか。この者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてください。エジプトが滅びるのが、まだお分かりにならないのですか。」10:8 モーセとアロンはファラオのところに連れ戻された。ファラオは彼らに言った。「行け。おまえたちの神、主に仕えよ。だが、行くのはだれとだれか。」10:9 モーセは答えた。「若い者も年寄りも一緒に行きます。息子たちも娘たちも、羊の群れも牛の群れも一緒に行きます。私たちは主の祭りをするのですから。」10:10 ファラオは彼らに言った。「私がおまえたちとおまえたちの妻子を行かせるようなときには、主がおまえたちとともにあるように、とでも言おう。だが、見ろ。悪意がおまえたちの顔に表れている。10:11 そうはさせない。さあ、壮年の男子だけが行って、主に仕えよ。それが、おまえたちが求めていることではないか。」こうして彼らはファラオの前から追い出された。   雹の災いが終わるとファラオはまたかたくなになります。雹の災いから生き残ったものはこれからいなごの災いで全滅されます。ピラミッドの中に見つかった古代の遺跡に「ファラオの力はセットの力」という表現があるそうです。セットはいなごが神になった名前です。エジプトではいなごも神でした。ファラオのかたくなな心もいやらしいことですが、エジプトが虫と獣を神にして仕えることもいやらしいことです。エジプトはそれらが人生を守ってくれるのではなく、災害であることを目で見ているのです。   いなごの災いの警告を聞いたファラオの家臣たちはファラオにモーセの要求を聞き入れることを提案します。だからといって家臣たちが神様の目的どおりに神様に気づいたのではありません。災いが神様から来たものであれば、災いの前の日常も、災いの後に来るべき回復と平和をも神様がくださるものです。モーセの要求と条件を受け入れてくれれば災いが終わるということは間違いありませんが、彼らが戻って行こうとするところは、災いもなければ、神様もいないところです。しかし、神様のいないところというのは、すなわち虫に仕えながら生きる災いです。神様を拒否することによって災いに遭いますが、それは神様の中で与えられる平和というコインを裏返すものです。彼らはこの単純な論理に気づいていません。   神様がエジプトに下す災いの一次的な目的は、災いそのものではなく、イスラエルとエジプトの全体に、神様の主権を示すためです。したがって、エジプトとファラオが未だにかたくなて愚かになっていることは、神様が神様であることを現れる背景となります。神様は信仰の人を通して、ご自身を現しますが、一方で愚か人を背景にしてご自身を現すこともあります。そのような背景になってはいけません。神様はご自身の御業を進めていきます。その反対側のの背景になってはいけません。   ファラオはモーセを呼んで交渉します。ファラオはまだ条件付き妥協案を出します。しかし、今は交渉する時ではありません。決断しなければならい時です。聖書が描くファラオの愚かさが誠に怖いのです。今は要件を祈る時ではなく、神様に降伏する祈りの時です。祈りは、神様に対する降伏です。不従順の罪と悪に陥っていた人間を救いだす善なる神様に降伏するのです。しかし、ファラオは、条件付き妥協案を提示した後、耳を閉じてしまいます。これでまた打たれることになります。

출애굽기 QT20 210427화【협상하려는 바로】출애굽기 10장 1~11

출애굽기 10장 1~1110:1 여호와께서 모세에게 이르시되 바로에게로 들어가라 내가 그의 마음과 그 신하들의 마음을 완강케 함은 나의 표징을 그들 중에 보이기 위함이며10:2 너로 내가 애굽에서 행한 일들 곧 내가 그 가운데서 행한 표징을 네 아들과 네 자손의 귀에 전하게 하려 함이라 너희가 나를 여호와인줄 알리라10:3 모세와 아론이 바로에게 들어가서 그에게 이르되 히브리 사람의 하나님 여호와께서…

出エジプト記 QT19 202104246月【心が頑なになるということ】出エジプト 9章 27~35

出エジプト記 9章 27~359:27 ファラオは人を遣わしてモーセとアロンを呼び寄せ、彼らに言った。「今度は私が間違っていた。主が正しく、私と私の民が悪かった。9:28 主に祈ってくれ。神の雷と雹は、もうたくさんだ。私はおまえたちを去らせよう。おまえたちはもう、とどまっていてはならない。」9:29 モーセは彼に言った。「私が町を出たら、すぐに主に向かって手を伸べ広げましょう。雷はやみ、雹はもう降らなくなります。この地が主のものであることをあなたが知るためです。9:30 しかし、あなたとあなたの家臣はまだ、神である主を恐れていないことを、私はよく知っています。」9:31 亜麻と大麦は打ち倒されていた。大麦は穂を出し、亜麻はつぼみをつけていたからである。9:32 しかし、小麦と裸麦は打ち倒されていなかった。これらは実るのが遅いからである。9:33 モーセはファラオのもとを去り、町を出て、主に向かって両手を伸べ広げた。すると雷と雹はやみ、雨はもう地に降らなくなった。9:34 ファラオは雨と雹と雷がやんだのを見て、またも罪に身を任せ、彼とその家臣たちはその心を硬くした。9:35 ファラオは心を頑なにし、イスラエルの子らを去らせなかった。主がモーセを通して言われたとおりであった。   第七の災いである雹の災いの後にもファラオは悔い改めのジェスチャーを取ります。繰り返されるファラオの表裏不同を見ていると、ファラオがかたくなになったという言葉は、もしかして人格や性格ではなく、政治的な立場であるかもしれないという気がします。仮にも王ですから、古代としても政治的な計算と世論を意識しなければならなりません。ファラオは国の危機的状況を管理していて、神様とモーセを相手に駆け引きをしているのです。   ファラオは人を遣わしてモーセとアロンを呼び寄せ、彼らに言った。「今度は私が間違っていた。主が正しく、私と私の民が悪かった。27」ファラオは罪の本質についてよく知っています。神様の言葉を聞かないことが犯罪であり、まさしくそれが悪です。言葉はますます素敵になりますが、ファラオの悔い改めは口だけの悔い改めです。「主に祈ってくれ。神の雷と雹は、もうたくさんだ。私はおまえたちを去らせよう。おまえたちはもう、とどまっていてはならない。28」ファラオは約束しました。しかし、再度覆し裏切ります。   誰であっても神様の前に悔い改めるなら、おそらく周囲の環境と状況は、それを牽制し、反対し、攻撃してきます。心に何を決めたとしてもすぐに実行することができないのは複雑な関係というものが常に絡み合っているからです。そういう意味ではファラオの役割や立場が全く理解できないわけではありません。しかし、結果的にそれに屈服することが、すなわち心がかたくなになるということです。   ファラオが悔い改めてから、再びかたくなになったのではありません。ファラオという政治家に悔い改めの言葉は、状況を治めるための臨機応変のカードにすぎません。悔い改めというのは難しいのです。一生に何度悔い改めというとこができるか分かりません。悔い改めは、心の中にある無形的なものではなく悔いた後に生活の場を変えさせなければならない可視的なものです。木は実を見れば分かると言われたイエス様の言葉は、成果主義を意味しているのではありません。真の悔い改めは、不利益とリスクがあるにもかかわらず、変化の意志を持ち続けるという意味です。   自分は本当に悔い改めたのかというの真実さを確認するためには、今日の一日、自分を変える計画と勇気を持っているかを確かめれば分かると思います。もし危機の免れのための偽装した悔い改めを言うならきっと変化のための勇気は出しません。神様はまだ機会を与えておられます。しかしファラオは今日も神様とモーセを騙します。ファラオの神は、刻々と変わる状況そのものであり、かたくななところとは、安易な臨機応変の繰り返しです。  

출애굽기 QT19 210426월【강퍅함이란】출애굽기 9장 27~35

출애굽기 9장 27~359:27 바로가 사람을 보내어 모세와 아론을 불러 그들에게 이르되 이번은 내가 범죄하였노라 여호와는 의로우시고 나와 나의 백성은 악하도다9:28 여호와께 구하여 이 뇌성과 우박을 그만 그치게 하라 내가 너희를 보내리니 너희가 다시는 머물지 아니하리라9:29 모세가 그에게 이르되 내가 성에서 나가자 곧 내 손을 여호와를 향하여 펴리니 그리하면 뇌성이 그치고 우박이 다시 있지 않을지라 세상이…