여호수아 묵상 【욕심의 아킬레스건을 끊어라】 20251201(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

여호수아 11:1~15 11:1 하솔 왕 야빈이 이 소식을 듣고 마돈왕 요밥과 시므론 왕과 악삽 왕과 11:2 및 북방 산지와 긴네롯 남편 아라바와 평지와 서방 돌의 높은 곳에 있는 왕들과 11:3 동서편 가나안 사람과 아모리 사람과 헷 사람과 브리스 사람과 산지의 여부스 사람과 미스바 땅 헤르몬산 아래 히위 사람들에게 사람을 보내매 11:4 그들이 그 모든 군대를…

ヨシュア記 黙想【勝利の理由】20251129(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨシュア記 10:15-28 10:15 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。 10:16 これらの五人の王たちは逃げ、マケダの洞穴に隠れた。 10:17 すると、マケダの洞穴に隠れている五人の王たちが見つかったという知らせがヨシュアに入った。 10:18 ヨシュアは言った。「洞穴の口に大きな石を転がし、そのそばに人を置いて彼らを見張りなさい。 10:19 しかし、あなたがたは、そこにとどまってはならない。敵の後を追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らを自分の町に逃げ込ませてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」 10:20 ヨシュアとイスラエルの子らが非常に激しく彼らを討ち、ついに彼らが一掃されるまで攻撃し終わったとき、彼らのうちの生き残った者たちは城壁のある町々に逃げ込んだ。 10:21 兵はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに戻った。イスラエルの子らをののしる者は一人もいなかった。 10:22 ヨシュアは言った。「洞穴の口を開き、あの五人の王たちを、その洞穴から私のもとに引き出して来なさい。」 10:23 彼らはそのとおりにした。その五人の王たち、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王を洞穴から彼のもとに引き出して来た。 10:24 彼らがその王たちをヨシュアのもとに引き出したとき、ヨシュアはイスラエルのすべての人を呼び寄せ、自分と一緒に行った戦士の指揮官たちに言った。「近寄って、この王たちの首を踏みつけなさい。」彼らは近寄り、王たちの首を踏みつけた。 10:25 ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵に主がこのようにされる。」 10:26 その後、ヨシュアは王たちを討って殺し、五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。 10:27 日の入るころになって、ヨシュアは命じて彼らを木から降ろし、彼らが隠れていた洞穴の中に投げ込んだ。その洞穴の口には大きな石が置かれ、今日に至っている。 10:28 その日、ヨシュアはマケダを攻め取り、この町とその王を剣の刃で討った。彼らとそこにいたすべての者を聖絶し、一人も残さなかった。彼はエリコの王にしたようにマケダの王にした。    五人の王たちとの戦いにおいて、ヨシュアとイスラエルの民は勝利を得ました。彼らが勝利することができたのは、ヨシュアとイスラエルに立ち向かうすべての敵との戦いにおいて、神様 がともに戦ってくださったからです。今日の本文には、その神様 の戦いと勝利が象徴的に示されています。   五人の王たちの最後は非常に悲惨なものでした。彼らは首を踏みつけられたまま死を迎え、死後も木にかけられて見せしめとされました。申命記の言葉が示すように、木にかけられた者は神様 の呪いを受けた者として民に記憶されました。これはイスラエルの民にとっても、周囲の国々にとっても、大きな警告となる出来事であったことでしょう。   イスラエルの民は、王たちが木にかけられているのを見ながら、彼らが死んだのは自分たちの力や能力によって勝ったからではなく、神様 が彼らを敵として立ち向かわれた結果であることを、申命記の言葉とともに思い起こしたはずです。また周囲の国々にとっても、五人の王たちの末路は大きな恐れとなったに違いありません。   五人の王たちは、イスラエルの民に首を踏みつけられたまま死を迎えました。使徒パウロがローマ書で語っているように、神様 が彼らを屈服させ、ご自身の民の足の下に置かれた姿です。この出来事を通して、私たちもまたヨシュアが語ったように、これから出会うすべての敵に対しても、神様 が同じように戦ってくださることを覚えるのです。   私たちに与えられている神様 の勝利は、初めから約束されていました。エバと蛇に語られたあの言葉のとおり、そして今日の本文のとおり、私たちの敵と戦ってくださる神様 のゆえに、私たちは勝利の人生を歩むことができます。一方で、ヨシュア記に示されているように、自分の力でその戦いに勝とうとするなら、私たちは敗北を経験することになるでしょう。   私たちの勝利の理由は、ほかの何でもありません。私たちが立ち向かうすべての敵に対して、神様 が共に立ち向かってくださるというその約束こそが、私たちの勝利の根拠なのです。 https://youtu.be/bzY_GhYNo1c?si=ECzYXe9Uigyn1I_Y

여호수아 묵상【승리의 이유】20251129(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

여호수아 10:15-28 10:15 여호수아가 온 이스라엘과 더불어 길갈 진영으로 돌아왔더라 10:16 그 다섯 왕들이 도망하여 막게다의 굴에 숨었더니 10:17 어떤 사람이 여호수아에게 고하여 이르되 막게다의 굴에 그 다섯 왕들이 숨은 것을 발견하였나이다 하니 10:18 여호수아가 이르되 굴 어귀에 큰 돌을 굴려 막고 사람을 그 곁에 두어 그들을 지키게 하고 10:19 너희는 지체하지 말고 너희 대적의…

ヨシュア記 黙想【奇跡を通して】20251128(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨシュア記 10:1-14 10:1 エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。 10:2 彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。 10:3 エルサレムの王アドニ・ツェデクはヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに人を遣わして言った。 10:4 「私のところに上って来て、私を助けてください。ギブオンを討ちましょう。ギブオンがヨシュア、およびイスラエルの子らと和を講じたからです。」 10:5 それでアモリ人の五人の王、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王、彼らとその全陣営は集結し、上って行ってギブオンに向かって陣を敷き、戦いを挑んだ。 10:6 ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」 10:7 ヨシュアはすべての戦う民たちとすべての勇士たちとともに、ギルガルから上って行った。 10:8 主はヨシュアに告げられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。あなたの前に立ちはだかる者は彼らの中に一人としていない。」 10:9 ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。 10:10 主は彼らをイスラエルの前でかき乱された。イスラエルはギブオンで彼らを激しく討ち、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダに至るまで彼らを討った。 10:11 彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主が天から彼らの上に、大きな石をアゼカに至るまで降らせられたので、彼らは死んだ。イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。 10:12 主がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「太陽よ、ギブオンの上で動くな。月よ、アヤロンの谷で。」 10:13 民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。 10:14 主が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。   ヨシュア記に記されている征服戦争の物語には、神様ご自身が行われた多くの奇跡が登場します。そのため、ときにヨシュア記を読む読者や研究者の中には、疑問や批判を抱く者もいます。とりわけ、今日の本文にある「太陽と月がとどまった」という出来事は、最も頻繁に取り上げられる奇跡の一つです。    ヨシュア記だけでなく、聖書には数多くの奇跡が記録されています。私たちが常識や、これまでの科学技術の知識に照らして見たとき、到底不可能だと思われる事柄が、聖書の中では繰り返し起こっています。それでは、私たちはこれらの奇跡をどのように受け止めるべきなのでしょうか。    神様の奇跡は、気まぐれに乱発されるものではありません。聖書に記されたすべての奇跡、そしてその奇跡に基づく裁きでさえ、神の民と深く関わっています。それらの出来事は、確かに神様が造られたこの世界の法則を超えるもののように見えます。      しかし、それでもなお神様がそのような奇跡を行われるのは、神様がこの世界を、ご自身の民のために造られたからです。今日の本文にあるように、神様がイスラエルのために戦われたゆえに、これらすべての奇跡は可能となったのです。      神様が造られた世界の中で、神様にできないことは何一つありません。また、私たちがそのすべてを理解できるわけでもありません。私たちは聖書の奇跡を前にして、それを分析し、解明しようとするよりも、その奇跡を起こされた神様がどのようなお方であるかが、すでに明らかにされていることに目を向けるべきなのです。      そのような神様が、今日も私の人生に共におられ、私を愛し、救おうとしておられる――その事実をあらためて心に刻みながら歩んでいけばよいのです。 https://youtu.be/V0M1OKDUoRs?si=wrIbC_oRajbB5sQA

여호수아 묵상【기적을 대하는 자세】20251128(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

여호수아 10:1-14 10:1 그 때에 여호수아가 아이를 빼앗아 진멸하되 여리고와 그 왕에게 행한 것 같이 아이와 그 왕에게 행한 것과 또 기브온 주민이 이스라엘과 화친하여 그 중에 있다 함을 예루살렘 왕 아도니세덱이 듣고 10:2 크게 두려워하였으니 이는 기브온은 왕도와 같은 큰 성임이요 아이보다 크고 그 사람들은 다 강함이라 10:3 예루살렘 왕 아도니세덱이 헤브론 왕 호함과…

ヨシュア 黙想 【誓いと啓示のあいだ】 20251127(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨシュア 9:16~27 9:16 彼らと盟約を結んでから三日たったとき、人々は彼らが近くの者たちで、自分たちのただ中に住んでいるということを聞いた。 9:17 そこでイスラエルの子らは出発し、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とはギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。 9:18 イスラエルの子らは彼らを討たなかった。会衆の上に立つ族長たちがイスラエルの神、主にかけて彼らに誓ったからである。しかし、全会衆は族長たちに向かって不平を言った。 9:19 族長たちはみな全会衆に言った。「私たちはイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。 9:20 私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下ることはないだろう。」 9:21 族長たちは全会衆に言った。「彼らを生かしておこう。」彼らは全会衆のために薪を割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らについて言ったとおりである。 9:22 ヨシュアは彼らを呼び寄せて、彼らに言った。「あなたがたは私たちのただ中に住んでいながら、なぜ、『私たちは、あなたがたからとても遠いところの者です』と言って私たちを欺いたのか。 9:23 今、あなたがたはのろわれる。あなたがたの中から、奴隷たち、私の神の家のために薪を割る者と水を汲む者が絶えることはない。」 9:24 彼らはヨシュアに答えた。「しもべどもは、はっきり知らされました。あなたの神、主がこの全土をあなたがたに与え、その地の全住民をあなたがたの前から根絶やしにするように、しもべモーセにお命じになったことを。それで私たちは、自分のいのちのことであなたがたを非常に恐れ、このようなことをしたのです。 9:25 ご覧ください。今、私たちはあなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちを扱ってください。」 9:26 ヨシュアは彼らが言うようにし、彼らをイスラエルの子らの手から救った。それで彼らは殺されなかった。 9:27 ヨシュアはその日、彼らを会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれる場所で薪を割る者と水を汲む者とし、今日に至っている。   ギブオンがイスラエルを欺いて契約を結んだ事実が明らかになったにもかかわらず、イスラエルは神の名によって誓ったがゆえに、彼らを滅ぼすことができないというもう一つの神の命令との間で深いジレンマに陥った。神の名によってなされた誓いは破棄できず、結局ギブオンの人々を生かしつつ、イスラエルの奴隷とする決断を下すことになる。主の名によって行われた誓いは必ず守らねばならないという倫理は確かに存在しており、その真剣さと厳粛さは、今もなお私たちが学ぶべき姿勢である。 しかし、この事件は信仰が単なる規則遵守ではなく、啓示の原理をどのように解釈し、適用するかという「識別」の問題であることを深く考えさせる。士師エフタは誓いを守るために自分の娘を人身供犠としてささげ、サウルもまた、自らの無謀な誓いのゆえに息子ヨナタンを殺そうとした。もし無知から生まれた誓いでさえも無条件に拘束力を持つとするならば、その責任はどこまで人間に帰せられるのかという問いが残る。 神の啓示は具体的な説明を伴わずに与えられることもあり、その隙間において、神の御心を知ろうとする人間は必然的に解釈と選択を迫られる。信仰とは啓示を機械的に従うことではなく、その啓示を基盤として神の御心を追い求める過程そのものである。神のご性質と原理に深く根ざした者こそが、複雑な現実の中にあっても、神の御心にかなう信仰的判断を下すことができるであろう。 「誓ったことは必ず守らねばならない」という原則と、「カナンの民は必ず滅ぼさねばならない」という命令の狭間で、イスラエルは誓いを守るという選択をした。その選択は倫理的には責任ある態度であったと言える。しかしイスラエルはすでに一度、神の御心を問わぬ選択によって失敗してはいなかっただろうか。この問題こそ、改めて問い直すべきではなかったのだろうか。神の啓示は再び人間の解釈を通る可能性が高いのである。何が優先されるべきか、何が前提であり上位の原理であるのかを解釈し、識別しなければならない。そのためには、人間の内にみ言葉が幾層にも積み重ねられていなければならないだろう。しなかったのではなく、なお自分自身の方向設定が明確でなかったことに問題があったのである。

여호수아 묵상 【맹세와 계시 사이】 20251127(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

여호수아 9:16~27 9:16 그들과 언약을 맺은 후 삼일이 지나서야 그들은 근린에 있어 자기들 중에 거주하는 자라 함을 들으니라 9:17 이스라엘 자손이 진행하여 제 삼일에 그들의 여러 성읍에 이르렀으니 그 성읍은 기브온과 그비라와 브에롯과 기럇여아림이라 9:18 그러나 회중 족장들이 이스라엘 하나님 여호와로 그들에게 맹세한 고로 이스라엘 자손이 그들을 치지 못한지라 그러므로 회중이 다 족장들을 원망하니 9:19…

여호수아 묵상 【합리적 판단과 일관적 순종】 20251126(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

여호수아 9:1~15 9:1 요단 서편 산지와 평지와 레바논 앞 대해변에 있는 헷 사람과 아모리 사람과 가나안 사람과 브리스 사람과 히위 사람과 여부스 사람의 모든 왕이 이 일을 듣고 9:2 모여서 일심으로 여호수아와 이스라엘로 더불어 싸우려 하더라 9:3 기브온 거민들이 여호수아의 여리고와 아이에 행한 일을 듣고 9:4 꾀를 내어 사신의 모양을 꾸미되 해어진 전대와 해어지고 찢어져서…

여호수아 묵상 【언약을 확인하는 것이 승리】 20251125(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

여호수아 8:24~35 8:24 이스라엘이 자기를 광야로 따르던 아이 모든 거민을 들에서 죽이되 그들을 다 칼날에 엎드러지게 하여 진멸하기를 마치고 온 이스라엘이 아이로 돌아와서 칼날로 죽이매 8:25 그 날에 아이 사람의 전부가 죽었으니 남녀가 일만 이천이라 8:26 아이 거민을 진멸하기까지 여호수아가 단창을 잡아 든 손을 거두지 아니하였고 8:27 오직 그 성읍의 가축과 노략한 것은 여호와께서 여호수아에게…

ヨシュア 黙想 【合理的判断と一貫した従順】 20251126(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師   

ヨシュア 9:1~15 9:1 さて、ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバノンに至る大海の全沿岸のヒッタイト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞くと、 9:2 ともに集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。 9:3 ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、 9:4 彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、 9:5 繕った古い履き物を足にはき、古びた上着を身に着けた。彼らの食糧のパンはみな乾いて、ぼろぼろになっていた。 9:6 彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」 9:7 イスラエルの子らはそのヒビ人たちに言った。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」 9:8 彼らはヨシュアに言った。「私たちは、あなたのしもべです。」ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたは何者か。どこから来たのか。」 9:9 彼らは彼に言った。「しもべどもは、あなたの神、主の名のゆえにとても遠い国から参りました。主のうわさ、および主がエジプトで行われたすべてのこと、 9:10 主がヨルダンの川向こうのアモリ人の二人の王、ヘシュボンの王シホン、およびアシュタロテにいたバシャンの王オグになさった、すべてのことを聞いたからです。 9:11 私たちの長老や、私たちの国の住民はみな私たちに言いました。『旅のための食糧を手にして彼らに会いに出かけなさい。そして彼らに、「私たちは、あなたがたのしもべです。今、どうか私たちと盟約を結んでください」と言いなさい。』 9:12 これが私たちのパンです。私たちがあなたがたのところに来ようと出た日、それぞれ自分の家で食糧として準備したときには、まだ温かかったのですが、今はご覧のとおり、干からびて、ぼろぼろになってしまいました。 9:13 これがぶどう酒の皮袋です。私たちがこれらを満たしたときには新しかったのですが、ご覧のとおり破れてしまいました。これが私たちの上着と私たちの履き物です。とても長い旅のため古びてしまいました。」 9:14 そこで人々は彼らの食糧の一部を受け取った。しかし、主の指示を求めなかった。 9:15 ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。   エリコの城とアイの町が崩れ落ちると、残されたカナンの諸部族は恐れを感じ、連合してイスラエルと戦うことを決意した。しかし、ギブオンだけは別の道を選んだ。彼らは自らを欺きながら、イスラエルのしもべになることを申し出たのである。そうすれば、滅ぼし尽くされることを免れ得ると考えたからであろう。それはギブオンにとっても、イスラエルにとっても、合理的で魅力的な条件であった。ギブオンの立場からすれば生き延びることができ、イスラエルの側からすれば、戦わずして勝利を得るだけでなく、現地の部族をしもべとして従わせることができたからである。 しかし本文は、「彼らは主の御心を求めなかった」(14節)という言葉によって、この事件の本質を伝えている。すなわち、彼らの判断と選択に誤りがあったことを示しているのである。イスラエルは神に何を問うべきであったのだろうか。ギブオンをしもべとすべきか、それとも拒むべきか、と問うべきだったのだろうか。「主に問わなかった」とは、すべてのことを漏れなく神に祈った後でなければ決断してはならない、という意味なのだろうか。 イスラエルにはすでに、「カナンの諸族をことごとく滅ぼせ」という神の上位命令が与えられていたではないか。その命令は性質上、例外を許さない絶対的なものであった。イスラエルには、カナンの民の中から誰かをしもべとすることも、彼らと共存することも許されていなかった。なぜ彼らを滅ぼさねばならなかったのかという問いは、今日の主題ではないが、それは不純なものの影響力を完全に排除し、新しいものへの再生を象徴する行為として理解できるであろう。 「神に問わなかった」というのは、祈る行為を怠ったという意味ではない。イスラエルはそれなりに慎重であり、悩み、最善を尽くして合理的な判断を下したはずである。問題はその「合理性」にあった。彼らはすでに与えられていた神の命令を基準とせず、状況に応じた合理的判断を優先したのである。こうして彼らは、神の上位命令を自分たちの判断で勝手に調整してしまった。 しかし、この種の合理性はやがて妥協となり、不従順となる。問題は慈悲にあったのではなく、命令を自分なりの基準で再解釈したことにあった。聖書は、それこそが神の御心から逸脱することであると厳しく警告している。神が自分を導いておられる方向をすでに知っていながら、状況の合理性に従うことは、神の方向に逆らうことであり、妥協することであり、それこそが「神に問わなかった」こととなる。祈りという行為をしなかったのではなく、なお自分自身の方向設定が明確でなかったことに問題があったのである。