미움받을 용기
트라우마는 의학적으로 정신적 외상이라는 의미로 주로 사용된다. 프로이트 정신분석의 기본적인 사상이며 프로이트에 따르면 현재는 과거의 상처가 만들어낸 결과라고 할 수 있다. 근년 일본과 한국에서 베스트셀러가 된『미움받을 용기』는 아들러라는 심리학자를 소개하고 있다. 아들러는 프로이트의 트라우마를 전면적으로 부정한다. 과거의 상처가 사람을 지배한다는 것을 인정하지 않는다. 사람을 움직이는 것은 과거의 상처의 기억이 아니라 현재의 목적이라고 말한다. 과거의 상처는…
「お母さんはジャージャー麺が嫌いだと言った」 ・「어머니는 자장면이 싫다고 하셨어」
韓国の人気アイドルグループだったG.O.Dの「お母さんに」という歌の歌詞には、涙ぐましい母と息子の愛が込められている。 (歌詞) 昔からうちは貧乏で みんながしていた外食も数え切れるほどしかなく 仕事で母が家にいない時は いつも一人で食べていたインスタント麺 そんな食事にもうんざりして 美味しいものが食べたいと駄々をこねた そしたらお母さんは仕方なく非常用のお金を取り出して注文してくれた ジャージャー麺一つでとても幸せだった だけどお母さんはなぜか食べなかった お母さんはジャージャー麺が嫌いだと言った 母さんはジャージャー麺が嫌いだと言った そんな風に生きて そんな風に悔やんで 涙も流して またそんな風に生きて とても痛くて でもまた笑って、、、 母がジャージャー麺を嫌ったのではなく、息子が好きだったのである。母はジャージャー麺を食べる幸せよりも、ジャージャー麺を食べさせる幸せの方が良かったのだ。息子はジャージャー麺を食べて幸せになり、母はジャージャー麺を食べさせて幸せになった。しかしこの母の愛の歌はなぜ悲しいのだろうか。息子が一人でジャージャー麺を全部食べてしまったから悲しいのだろうか。母がそれを食べられなかったから私たちは悲しくなるのだろうか。そのジャージャー麺の器から、この世では味わうことができない愛を味わえたから悲しいのだろう。 韓国の実家に行った時、母をヘウンデに連れて行き刺身を食べさせた。母が食べられずにいることも知らず、私は腹一杯に食べた。息子の分がなくなるといけないから、食べなかったのではない。母には刺身を噛む歯が無かったのだ。私はそんなことも知らずに一人で満腹になっていた。母は歯がないのに、なぜ喜んでついて来てくれたのだろうか。母は、自分に歯がないことに気がつかない息子、歯医者のお金も渡さない息子と一緒に、息子の大好きな刺身屋さんに行ったのだ。 不思議だ。今はジャージャー麺を思う存分食べられるのに、母に大盛りのジャージャー麺も買ってあげられるのに、悲しいのは同じである。「そんな風に生きて そんな風に悔やんで 涙も流して またそんな風に生きて とても痛くて でもまた笑って、、、。」なぜ悲しいのだろうか。後悔と涙と痛みと喜びとが愛が生んだ息子だからではないろうか。愛は後悔も生み、涙も生み、痛みも生む。母の愛を悟る時、後悔し、痛み、泣くしかない。親孝行がどんなに大きくても、母性にはかなわないからである。故郷の家・東京に住む80を過ぎた一人のお婆さんはクリスチャンではないが、月に一度ある祈祷会によちよちと歩いて来られる。その方の祈祷課題を聞くと、息子が病気なので祈ってほしいとのことだった。 この愛は悲しい。その悲しみに打ち勝つ方法はない。「でもまた笑って、、、」と、この歌を終わらせよう。もっと愛すべきものが残っているから。食べる喜びよりも食べさせる喜びがあり、愛される喜びよりも愛する喜びが、私たちの人生にはまだ残っているのだから。「でもまた笑いましょう。」これからも愛が流れていくために。 한국의 인기 아이돌 그룹이었던 G.O.D의 「어머님께」라는 노래의 가사에는 애절한 어머니와 아들의 사랑이 있다. (가사) 어려서부터 우리 집은 가난했었고 남들 다하는 외식 몇 번 한 적이 없었고 일터에 나가신 어머니 집에 없으면 언제나 혼자서 끓여먹었던 라면 그러다 라면이 너무 지겨워서…
【アバウトタイム(About Time) 】 ・【어바웃 타임】
父が肺がんで亡くなった時は悲しみに浸る時間がないほど慌しかった。喪主であるのにまるで来客であるかのように、韓国での葬儀を終えてすぐに日本へ戻ってきたからである。近頃ようやく父のことを思い出すようになった。亡くなったことよりも悲しいのは日常における不在である。『世界の中心で愛を叫ぶ』という映画の中で、祖父が亡くなる時まで悲しみを覚えることのなかった主人公(朔太郎)は、祖父がいなくなった日常のある日、祖父の重さくらい自転車が軽くなっていた事実に気が付いてようやく、崩れ落ち号泣をしだした場面が思い浮かんだ。自転車の後ろに座っていた祖父がいない日常の軽さは、亡くなったことよりも現実的な悲しみだった。うちの息子は4年生になった。息子の手を掴んで街を歩いていた時、ふと朔太郎の軽くなった自転車を思い出した。私が息子の手を掴んで歩いたことよりも、もっと多くの時間父は私の手を掴んで街を歩いていた。父の歳を考えると父は息子に優しいほうだった。私が小学4年生の頃父は私の手を握ったまま、市内にある市場に寄っては刺身を買ってから家に帰ったりもした。私はその思い出を忘れたまま生きていた。父は私と話が合わない人だと思っていた。悲しみから申し訳なさを引いてみると、その余りはさほどなかった。もう父の大きな手はなく、息子の小さな手が私の手の中にはあった。 映画『アバウトタイム〜愛おしい時間について〜」に登場する父と息子には、時間を巻き戻す能力があった。重要な出来事の度にタイムトラベルで過去に戻ってその出来事を変えるのである。恋愛のためにその能力を使って過去に戻り、その愛を成就させることに成功する。しかし過去が変われば未来も変わる。妹が交通事故に遭わないように過去へ戻るが、そのせいで自分の娘が息子に変わってしまうことも起こる。過去を変えれば、ある時点で未来も変わってしまうのである。映画で父は肺がん末期であることを知る。だから息子は父に対して過去に戻ってタバコを止めるようにと言う。すると父は息子に、お前のお母さんが私がタバコを吸っている姿に惚れて結婚をしたのだから、タバコを止めると私は長生きできるかもしれないけど、お前たちには出会えなくなってしまうから過去には戻らない、と言った。そうして父と息子は最後のタイムトラベルを楽しんだ。幸せだった幼少期に父と一緒に散歩をした海に出かけた。過去に変化を与えることもない。過去を操作したりもしない。現実に戻ってきた息子は父を送り、それから二度とその能力を使うことはなかった。父と息子が最後に選んだのは散歩だった。アバウトタイム、その時必ずしなくてはいけないのは、子供の手を握って散歩をすることかもしれない。一番大切な時間、後悔する前に、アバウトタイムに子供の手を握って散歩に出かけよう。 아버지가 폐암으로 돌아가시고 당장은 경황이 없고 바빠서 슬픔에게 시간을 내주지 못했다. 장례식의 긴장은 슬픔을 누르고 있었다. 상주이면서도 손님처럼 가서 급하게 장례를 치르고 일본으로 돌아왔다. 벌써 일년이 다 되어간다. 이제사 아버지가 생각난다. 죽음의 사건보다 슬픈 것은 일상의 부재인가 보다. 『세상의 중심에 사랑을 외치다』 에서 할아버지가 죽을 때까지만해도 특별한 슬픔의 감정이 없던 주인공…