ヨブ記 QT51 211213月【神様を解釈する】ヨブ記 33章 14~33

ヨブ記 33章 14~3333:14 神はある方法で語り、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。33:15 夢の中で、夜の幻の中で、深い眠りが人々を襲うとき、また寝床の上でまどろむとき、33:16 そのとき、神はその人たちの耳を開き、彼らを懲らしめて、それを封印される。33:17 神は、人間がその悪いわざを取り除くようにし、人から高ぶりを離れさせ、33:18 人のたましいが滅びの穴に入らず、そのいのちが投げ槍で滅びないようにされる。33:19 神は、床の上で痛みをもって人を責め、いつまでも続く骨の病によってお叱りになる。33:20 彼のいのちは食物を嫌い、そのたましいはうまい物を嫌う。33:21 その肉は衰え果てて見えなくなり、見えなかった骨があらわになる。33:22 そのたましいは滅びの穴に、そのいのちは殺す者たちに近づく。33:23 もし彼のそばに、一人の御使いが、千人に一人の仲介者がいて、その方が彼に代わって彼が誠実であることを告げてくれるなら、33:24 神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、滅びの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を見出した」と。33:25 その肉は幼子のように新しくされて、彼は青年のころに戻る。33:26 彼は、神に祈ると受け入れられる。彼は歓喜の声をもって御顔を仰ぎ、神はその人の義に報いてくださる。33:27 彼は人々を見つめて言う。「私は罪ある者で、真っ直ぐなことを曲げてきた。しかし私は、当然の報いを受けなかった。33:28 神は、私が滅びの穴に下らないように、私のたましいを贖い出してくださった。私のいのちは光を見ることができる」と。33:29 見よ、このすべてのことを神は行われる。二度も三度も、人に対して。33:30 人のたましいを滅びの穴から引き戻し、いのちの光で照らされる。33:31 ヨブよ、耳を傾けて私に聞け。黙れ。この私が語る。33:32 もし、ことばがあるなら、私に返事をせよ。言え。あなたが正しければ、それを私は喜ぶから。33:33 もし、ことばがないなら、私に聞け。黙れ。私はあなたに知恵を教えよう。   ヨブの3人の友人は、苦難がヨブの罪による神様の懲罰であると解釈しましたが、エリフはヨブの3人の友人とは違う観点から解釈しています。ヨブも神様が自分の祈りに答えてくれないと言いましたが、エリフは神様が苦しみを通してすでに言われたと言います。そして苦しみは滅びるためではなく、救いと回復のためのものであると言います。これが論争で言えるもう一つの場合の数なのか、エリフが体験した苦痛の神学なのかは分かりません。   ただし、エリフの視点は、これまでの友達の退屈な言語に比べれば、新鮮で説得力があります。だからといって、ヨブの友人たちの解釈が全面的に間違っているとは言えません。罪に対する罰、間違った生き方に対する責任というのは、確かにあるからです。ある人は間違った生き方をして、エリフのいわゆる義の苦しみに甘え、自分の不義と罪を合理化する卑怯を犯すことがありますし、ある人は病気や苦痛が神様の呪いと思い、自責し、諦めることがあるかもしれません。   しかし、すべての状況がそれぞれ異なり、その状況の解釈なしに一概に一般化することはできません。懲罰なら悔い改めなければならず、練られることであれば忍耐べきです。そしてそれが簡単に分離できる状態ではなく混ざっているかもしれません。啓示は神様がなされ、解釈は人がします。みことばだけを解釈するのではなく、状況をも解釈しなければなりません。みことばだけ従うのではなく、状況にも従わなければなりません。解釈というのは、理論に従うのではなく、自分を無にして客観化するときに可能になります。   私たちは、誰かが自分に言い間違えたことについては深く考え、拡大解釈しますが、神様によって置かれた状況については、なかなか解釈しようとしません。しかし、何事にも解釈せずに知ることはできません。みことばが私の前にあり、アンテナを神様に向けていなければなりません。神様はあらゆることを通して私に語られ、私は絶えず神様のメッセージを解釈するのです。

욥기 QT51 211213월【하나님을 해석하기】욥기 33장 14~33

욥기 33장 14~3333:14 사람은 무관히 여겨도 하나님은 한번 말씀하시고 다시 말씀하시되33:15 사람이 침상에서 졸며 깊이 잠들 때에나 꿈에나 밤의 이상 중에33:16 사람의 귀를 여시고 인치듯 교훈하시나니33:17 이는 사람으로 그 꾀를 버리게 하려 하심이며 사람에게 교만을 막으려 하심이라33:18 그는 사람의 혼으로 구덩이에 빠지지 않게 하시며 그 생명으로 칼에 멸망치 않게 하시느니라33:19 혹시는 사람이 병상의 고통과 뼈가…

ヨブ記 QT50 211211土【生産的な対話のための原則】ヨブ記 32章 11~22

ヨブ記 32章 11~22 32:11 今まで私はあなたがたの言うことに期待し、あなたがたの意見に耳を傾けていた。あなたがたがことばを探している間、 32:12 私はあなたがたに細心の注意を払っていた。しかし、あなたがたのうちには、ヨブを叱責する者も、彼のことばに答える者もいなかった。 32:13 だが、おそらくあなたがたは言うだろう。「私たちは知恵を見出した。人ではなく、神が彼を吹き払ったのだ」と。 32:14 彼はまだ私に向かって、ことばを並べ立ててはいない。私はあなたがたのような言い方では彼に答えることはしない。 32:15 彼らは意気をそがれて、もう答えない。彼らの言うことばもなくなった。 32:16 彼らが話さず、じっと立って答えないからといって、私は待っていなければならないのか。 32:17 私は私で自分の言い分を返し、私も自分の意見を述べよう。 32:18 私にはことばがあふれていて、内なる霊が私を圧迫しているからだ。 32:19 今、私の腹は抜け口のないぶどう酒のよう。新しい皮袋のように、張り裂けようとしている。 32:20 私は話して、気分を晴らしたい。唇を開いて答えたい。 32:21 私はだれも、えこひいきしない。どんな人にも、へつらったりしない。 32:22 私はへつらうことを知らないし、そんなことをすれば、私を造った方は、すぐにでも私を取り去ってしまわれるだろう。 エリフは、ヨブとヨブの友人たちの両方を批判しながら、新しい仲裁的視点から語っていますが、彼の言葉は正解になり得ません。エリフにも自信に満ちた高ぶりが見えますし、彼はすでに興奮し感情的になっています。エリフの怒りは自分の正当性を弁護するための心理だろうと思いますが、討論や論争で怒ることは信頼を失う損害の結果を生みます。 意見が対立すると、人間の脳は攻撃されていると認識するといいます。だから、その攻撃を取り戻しながら相手を非難し、関係の葛藤を深めることが多くあります。意見の対立によって発生する葛藤はもちろん嬉しくもなく面倒なことですが、それが決して悪いことではありません。これを受け入れることが大切です。葛藤がないというのは、意見対立がないか、もしくは一方的であるということなので、瞬間的には集中力を持つことができても、長期的には組織や共同体の体質をむしろ弱めることになります。他の意見が自分を攻撃しているという知的の被害意識から解放されなければ、健康な議論に臨むことはできません。イギリスの組織文化コンサルタントであるイアン・レスリーの『他の意見(Conflicted)』で語る「生産的な対話のための原則」を紹介します。 1. 信頼を作ってください。意見対立の内容を扱う前に、まず信頼関係を築いてください。 2. 絆をつくってください。相手を操縦しようとしないでください。 3. 相手のメンツを立ててください。相手が気持ちよく感じられるように努力してください。 4. まず、自分の変なところを見てください。意見対立の裏には、お互いに見知らぬ文化の衝突があります。自分が正常だと思ってはいけません。 5. 好奇心を持ってください。判断が先にあると、学べません。勝てようとしないで興味を持ってください。相手にも興味深い存在になってください。 6. 間違いを機会にしてください。素早く心から謝罪するならば、間違いは肯定的なきっかけになります。謙虚な姿を見せれば、会話はスムーズになります。 7. 台本から抜け出てください。敵対的な議論は予測可能なパターンに閉じ込められます。新しさと変奏が必要です。意外な驚きを与えてください。 8.制約条件を共有してください。規則と範囲があるとき、むしろ自分の考えをよく表現することができます。ルールが自由を与えます。 9.目的なしで怒らないでください。確かな理論で武装しても感情に完璧に備えることはできません。最も大きい敵は自分です。 出典:イアン・レスリーの『他の意見(Conflicted)』に関するウェブサイト

욥기 QT50 211211토【생산적인 대화를 위한 원칙】욥기 32장 11~22

욥기 32장 11~2232:11 내가 당신들의 말을 기다렸고 당신들이 할 말을 합당하도록 하여보는 동안에 그 변론에 내 귀를 기울였더니32:12 자세히 들은즉 당신들 가운데 욥을 꺾어 그 말을 대답하는 자가 없도다32:13 당신들이 혹시라도 말하기를 우리가 지혜를 깨달았었구나 그를 이길 자는 하나님이시요 사람이 아니라 하지 말지니라32:14 그가 내게 말을 내지 아니하였으니 나도 당신들의 말처럼 그에게 대답지 아니하리라32:15 그들이…

ヨブ記 QT49 211210金【観点の喚起】ヨブ記 32章 1~10

ヨブ記 32章 1~1032:1 この三人はヨブに答えるのをやめた。ヨブが自分を正しいと思っていたからである。32:2 すると、ラム族のブズ人、バラクエルの子エリフが怒りを燃やした。彼は、ヨブが神よりも自分自身のほうを義としたので、ヨブに向かって怒りを燃やしたのである。32:3 彼はまた、その三人の友に向かっても怒りを燃やした。彼らがヨブを不義に定めながら、言い返せなかったからである。32:4 エリフは、彼らが自分よりも年長だったので、ヨブに語りかける時を待っていた。32:5 エリフは三人の者の口に答えがないのを見て、怒りを燃やした。32:6 ブズ人、バラクエルの子エリフは答えて言った。私は年が若く、あなたがたは年をとっている。だから私はわきに控え、遠慮してあなたがたに私の意見を述べなかった。32:7 私は思った。「日を重ねた者が語り、年の多い者が知恵を教えるのだ」と。32:8 確かに、人の中には霊があり、全能者の息が人に悟りを与える。32:9 だが、年長者が知恵深いわけではない。老人が道理をわきまえているわけでもない。32:10 だから私は言う。「私の言うことを聞いてくれ。私も自分の意見を述べよう。」   ヨブの友人は不寛容で独断的な教条主義者であり,自分の固まった視点以外には考えられない人でした。これを教えることはできません。聞く耳、学ぶ器を持っていないからです。耳で聞いても頭に入りません。ヨブ記の黙想でヨブの3人の友人が、考えずに、耳で聞いたことを口で言うといいましたが、自分が考え、自分の言語で編集するならば、考え方と言葉は変わってくるはずです。自分の言葉にしてそれを使うことでなければ、耳に聞こえたことを口に移すだけです。その中には命がありません。ヨブも負けないし、友人たちはそのようなヨブに両手上げ、議論は止まりました。   そのような状況で、エリフが登場します。エリフがどこでどのようにこの会話を聞いていたのかは分かりませんが,エリフは年上であるヨブと友人たちの議論を見て失望し,ヨブと友人たちの会話に説得力がなかったことを批判しながら立ち上がります。彼は、ヨブとヨブの友人とは異なり、視点を動かしながら出来事を観察しています。エリフがどんな会話を続けるのかは、今後読んでいきたいと思いますが、固まった視点から別の視点に移動できることはいいところであります。長時間を傾聴したことについてもエリフを高く評価し、議論の小康のタイミングを起き上がり、自分の意見を開陳することにもいいところだと思います。考えない人は、批判意識を持つことができず、質問も勇気を出すこともできないからです。    

욥기 QT49 211210금【관점의 환기】욥기 32장 1~10

욥기 32장 1~1032:1 욥이 스스로 의롭게 여기므로 그 세 사람의 대답이 그치매32:2 람 족속 부스 사람 바라겔의 아들 엘리후가 노를 발하니 그가 욥에게 노를 발함은 욥이 하나님보다 자기가 의롭다 함이요32:3 또 세 친구에게 노를 발함은 그들이 능히 대답지는 못하여도 욥을 정죄함이라32:4 엘리후가 그들의 나이 자기보다 많으므로 욥에게 말하기를 참고 있다가32:5 세 사람의 입에 대답이 없음을…

Ⅱテモテ QT8 211209木【パウロの外套】Ⅱテモテ 4章 9~22

Ⅱテモテ 4章 9~224:9 あなたは、何とかして早く私のところに来てください。4:10 デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行きました。4:11 ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。4:12 私はティキコをエペソに遣わしました。4:13 あなたが来るとき、トロアスでカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物、特に羊皮紙の物を持って来てください。4:14 銅細工人のアレクサンドロが私をひどく苦しめました。その行いに応じて、主が彼に報いられます。4:15 あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちのことばに激しく逆らったからです。4:16 私の最初の弁明の際、だれも私を支持してくれず、みな私を見捨ててしまいました。どうか、その責任を彼らが負わせられることがありませんように。4:17 しかし、主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。こうして私は獅子の口から救い出されたのです。4:18 主は私を、どんな悪しきわざからも救い出し、無事、天にある御国に入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように。アーメン。4:19 プリスカとアキラによろしく。また、オネシポロの家族によろしく。4:20 エラストはコリントにとどまり、病気のトロフィモはミレトスに残して来ました。4:21 何とかして冬になる前に来てください。ユブロ、プデス、リノス、クラウディア、そしてすべての兄弟たちが、あなたによろしくと言っています。4:22 主があなたの霊とともにいてくださいますように。恵みがあなたがたとともにありますように。   本文では、パウロは二度にわたってテモテにローマに来るようにと求めています。緊急で切実な願いに見えます。パウロはテモテにトロアスに置いてきた自分の外套を持って来るように頼みました。寒いローマの地下牢屋にいたパウロに冬服がなかったからです。   テモテはエペソにいたのでローマまでは長い道のりです。しかも、外套はトロアスにありました。エペソから北に200キロ離れたトロアスは、ローマへの経由地ではありません。トロアスで外套をとって船便でエーゲ海を抜け、コリントを回り、270度巡ってからローマに行かなければなりません。何ヶ月かかるかわからない旅でした。     パウロはテモテが到着するまで湿った地下の牢屋の寒さに震えなければなりませんでした。しかし、テモテが着く前にパウロを斬首されたようです。パウロは息子のようなテモテに会えませんでした。テモテは、遺品となったパウロの外套を持ってエペソに戻りました。残された外套がどれほど悲しかッタことでしょうか。   外套もなく震えたパウロに死はとても悲しいことですが、パウロがそのような死に方をしたのは、イエス様に従った生き方をしたからです。イエス様は上着はもちろん下着まで剥がれ、上着は引き裂かれ、軍兵が分けました。パウロはイエス・キリストを愛していたので、パウロ自身も外套のない地下の牢屋で人生を終え、伝道者の生き方を全うしたのです。

디모데후서 QT8 211209목【바울의 외투】디모데후서 4장 9~22

디모데후서 4장 9~224:9 너는 어서 속히 내게로 오라4:10 데마는 이 세상을 사랑하여 나를 버리고 데살로니가로 갔고 그레스게는 갈라디아로 디도는 달마디아로 갔고4:11 누가만 나와 함께 있느니라 네가 올 때에 마가를 데리고 오라 저가 나의 일에 유익하니라4:12 두기고는 에베소로 보내었노라4:13 네가 올 때에 내가 드로아 가보의 집에 둔 겉옷을 가지고 오고 또 책은 특별히 가죽 종이에 쓴…

Ⅱテモテ QT7 211208水【伝道者の希望】Ⅱテモテ 4章 1~8

Ⅱテモテ 4章 1~84:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。4:5 けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。4:6 私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。4:7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。4:8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。4:9 あなたは、何とかして早く私のところに来てください。   福音を信じて救いの喜びを持った人には、その福音を伝えられなかったことに対する残念、後悔、罪悪感があります。伝道の前提は、福音を信じて救いの喜びを持っていることです。喜びがない福音を伝えることはないからです。福音が自分にとって希望っである人は、機会があるときに大切な人にそれを伝えられなかったことが後悔になります。   パウロはテモテに、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。2」時が良くても悪くても伝道しなさいではなく、状況はいつも悪いので、常に伝道しなさいと聞こえます。完全な機会を待ちますが、完全な機会ということはありません。拒絶され、非難される覚悟をせずにはできません。勇気と愛がなければできないことだからです。しかし、伝道していれば、いい時というものがやってきます。   ということでパウロはテモテに「忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。どんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。」と言います。パウロは自分の死の時が近づいてきたことを知っています。死を恐れていない人はいません。死の恐れと教会の危機にもかかわらず、パウロの希望は強いものです。福音の恵みが私に喜びであり、それを伝える愛が実践できれば、伝道者の歩みを終えて帰るべき家には望みがあります。

디모데후서 QT7 211208수【전도자의 소망】디모데후서 4장 1~8

디모데후서 4장 1~84:1 하나님 앞과 산 자와 죽은 자를 심판 하실 그리스도 예수 앞에서 그의 나타나실 것과 그의 나라를 두고 엄히 명하노니4:2 너는 말씀을 전파하라 때를 얻든지 못 얻든지 항상 힘쓰라 범사에 오래 참음과 가르침으로 경책하며 경계하며 권하라4:3 때가 이르리니 사람이 바른 교훈을 받지 아니하며 귀가 가려워서 자기의 사욕을 좇을 스승을 많이 두고4:4 또 그…