Ⅱテモテ QT6 211207火【統全的の理解】Ⅱテモテ 3章 10~17

Ⅱテモテ 3章 10~173:10 しかしあなたは、私の教え、生き方、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、3:11 また、アンティオキア、イコニオン、リステラで私に降りかかった迫害や苦難に、よくついて来てくれました。私はそのような迫害に耐えました。そして、主はそのすべてから私を救い出してくださいました。3:12 キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。3:13 悪い者たちや詐欺師たちは、だましたり、だまされたりして、ますます悪に落ちて行きます。3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、3:15 また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。3:16 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。3:17 神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。   「聖書はすべて神の霊感によるもので」と言うとき、当時新約聖書は存在しなかったので、すべての聖書というのは旧約聖書に該当します。パウロはパリサイ人出身の律法学者です。ユダヤ教の正統です。今はユダヤ教に憎まれていますが、それでもパウロが旧約聖書を否定したわけではありません。パウロの書には常に旧約が引用されており、それには間違いなくキリストの中で旧約を解釈する洞察が溶け込まれています。パウロは成就した神様の約束を証しようとしたものであり、新しい宗教を作ろうとしたのではありません。だからパウロの宣教は,旧約聖書が成就したことを発見した者として、また聖書学者として、言わざるを得ない良心から来ていたのです。   テモテもユダヤ教の伝統の家庭で育ちました。しかし、父はギリシャ人で、母はユダヤ人ディアスポラだったので、母親を通してユダヤ教の信仰を受け継ぎました。パウロは,そのようなテモテに、幼い時の母親と祖母から学んだ聖書の教えを大切にするようにと勧めます。神様が律法を与えられた根本的な目的は、「聖徒を人らしく生きさせるための神様の最小限」であると私は常に考えています。その中には礼拝もあり、人間もあり、社会もあります。その中で人間が尊厳を守り、生きることができるように律法を与えられたのです。神様のみ旨通りの律法であれば、それを遵守することが人間にとっては自由になるはずです。しかし、律法主義に流れると、律法は刺し合う刀になり、抑圧になります。   「統全」という言葉があります。近年、聖書を統全的に読むべきと言われています。全体を合わせ、調和させ、統合するという意味です。Ⅱテモテで異端の霊知主義について警戒していることも、聖書を神秘的または理性的にだけ読むことではなく、統全的に読まなければならない理由です。パウロはテモテに答えを教え付けることではなく,聖書を統全的に理解すれば,自分で分別できる力が与えられるということです。「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。15」 み言葉を読むと、キリストに出会うということです。   新年になると、教会で新年の御言葉をくじで引くことを見ます。自分の心に受け止めたみ言葉を抱いて生きることは素晴らしいものです。私が使っているあらゆるパスワードも、神様と約束したみ言葉です。しかし、神様のみ言葉はくじでも、くじ引きでもありません。それは、み言葉を統全的に理解して自分の人格とするのではなく、巫俗化した非人格的な文化に過ぎません。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。16,17」神様のみ言葉ははさみで切り出した文字の中におられるものではなく、人生の価値と人格を溶かして生きる人の中におられます。

디모데후서 QT6 211207화【통전적 이해】디모데후서 3장 10~17

디모데후서3장 10~173:10 나의 교훈과 행실과 의향과 믿음과 오래 참음과 사랑과 인내와3:11 핍박과 고난과 또한 안디옥과 이고니온과 루스드라에서 당한 일과 어떠한 핍박 받은 것을 네가 과연 보고 알았거니와 주께서 이 모든 것 가운데서 나를 건지셨느니라3:12 무릇 그리스도 예수 안에서 경건하게 살고자 하는 자는 핍박을 받으리라3:13 악한 사람들과 속이는 자들은 더욱 악하여져서 속이기도 하고 속기도 하나니3:14 그러나…

Ⅱテモテ QT5 211206月【ヤンネとヤンブレの術数】Ⅱテモテ 3章 1~9

Ⅱテモテ 3章 1~93:1 終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。3:2 そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。3:3 また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、3:4 人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、3:5 見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。3:6 彼らの中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者たちがいます。その女たちは様々な欲望に引き回されて罪に罪を重ね、3:7 いつも学んでいるのに、いつになっても真理を知ることができません。3:8 たぶらかしている者たちは、ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らっており、知性の腐った、信仰の失格者です。3:9 しかし、彼らがこれ以上先に進むことはありません。彼らの愚かさは、あの二人の場合のように、すべての人にはっきり分かるからです。   7節に「いつも学んでいるのに、いつになっても真理を知ることができない」人がいると言います。間違っていることを学ぶからです。 2節から6節はある人々について長々と語っていますが、「自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者、人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者たち」です。しかし、真理の知識に至らない人というのは、これらの人々ではなく、この人々にだまされて学ぼうとしている女です。   だまされている女というのは、聖徒であり、だます者は霊知主義者を言います。8節では,この霊知主義者を再びヤンネとヤンブレで例えました。ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったと言われていますが、旧約聖書ではモーセに関連する人物としてヤンネとヤンブレという名前を見つけることはできません。アラム語の聖書には、ヤンネとヤンブレへの注釈が付いていて、出エジプト当時にモーセの軌跡に対抗したエジプトの術師であると明らかにしています。エジプトの災い、杖が蛇になったときに、術師たちはそれを真似し、ナイル川が血に変わったとき、それも真似しました。霊知主義者たちをヤンネとヤンブレで例えたのは、それを真似して人々を惑わすが、その中に救いの力はないということです。   異端と言われる貧弱な論理のカルト宗教が、社会的問題を起こしながらも横行しているのは、彼らに能力があるからではなく、教会が弱まっているからであることを認めざる得ません。キリスト教の真似をする異端が8節のヤンネとヤンブレであって、それにだまされた6節の愚かな女が虚弱な教会です。ヘブル人への手紙の10章では,「しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。39」といいます。聖徒は、だまされて信仰から退き、沈む人ではなく、信じていのちを保つ者です。ヤンネとヤンブレが行う新奇なこと、誘惑する言葉に騙されないためには、毎日自らを神様のみことばの前に置かなければなりません。

디모데후서 QT5 211204토【얀네와 얌브레의 술수】디모데후서 3장 1~9

디모데후서3장 1~93:1 네가 이것을 알라 말세에 고통하는 때가 이르리니3:2 사람들은 자기를 사랑하며 돈을 사랑하며 자긍하며 교만하며 훼방하며 부모를 거역하며 감사치 아니하며 거룩하지 아니하며3:3 무정하며 원통함을 풀지 아니하며 참소하며 절제하지 못하며 사나우며 선한 것을 좋아 아니하며3:4 배반하여 팔며 조급하며 자고하며 쾌락을 사랑하기를 하나님 사랑하는 것보다 더하며3:5 경건의 모양은 있으나 경건의 능력은 부인하는 자니 이 같은 자들에게서…

Ⅱテモテ QT4 211204土【体のよみがえり】Ⅱテモテ 2章 14~19

Ⅱテモテ 2章 14~192:14 これらのことを人々に思い起こさせなさい。そして、何の益にもならず、聞いている人々を滅ぼすことになる、ことばについての論争などをしないように、神の御前で厳かに命じなさい。2:15 あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。2:16 俗悪な無駄話を避けなさい。人々はそれによってますます不敬虔になり、2:17 その人たちの話は悪性の腫れもののように広がります。彼らの中に、ヒメナイとピレトがいます。2:18 彼らは真理から外れてしまい、復活はすでに起こったと言って、ある人たちの信仰をくつがえしています。2:19 しかし、神の堅固な土台は据えられていて、そこに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」また、「主の御名を呼ぶ者はみな、不義を離れよ。」   17節から、今朝の本文が警戒している人物がヒメナイとピレトであることが分かります。パウロは彼らと議論することが「俗悪な無駄話で何の益にもならない」と言い、彼らの言葉を「悪性の腫れもの」と表現しました。すでに彼らは教会の中で多くの人々に悪影響を与え、信仰から離れるようにしていました。   パウロは、第一テモテの手紙でも「ヒメナイ」の名前を言及しました。もちろん悪名高く出てきます。「ある人たちは健全な良心を捨てて、信仰の破船にあいました。その中には、ヒメナイとアレクサンドロがいます。私は、神を冒瀆してはならないことを学ばせるため、彼らをサタンに引き渡しました。1:19、20」   18節を見ると、彼らの神学的問題が分かります。 「復活はすでに起こったと言って18」からこの問題が復活の理解と関係していることがわかります。二人は「グノーシス派(霊知主義者)」です。霊知主義とは、霊は善であり、物質である肉体は悪であるというプラトンの二元論に基づくものです。霊的世界は神様が創造されましたが、物質世界はデミウルゴスという神が作ったもので真の世界ではないということです。ですから、霊の復活は認めますが、肉の復活は認めませんでした。   領地主義者は今でもいます。信仰がキリストに触れていない人は、人間の理解の中で霊知主義に触れます。それがわかりやすいからです。すべての宗教と異端は、人間の限界の中で考えるべきことを理論にします。しかし、「神様の啓示」は「受肉され、復活されたイエス・キリスト」です。信じるのは理論ではなく、神様の人格です。キリストの体の復活を否定するのは、つまり、キリストと神様の愛を否定することです。   第一コリントの手紙でパウロは復活について雄弁しました。「ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。…もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。 15:12-19」   パウロは、イザヤの言葉を引用して「主の御名を呼ぶ者はみな、不義を離れよ。」と言います。この「不義」というのは、神様の最高の憐れみであり、人間の唯一の希望である復活を否定することです。復活の希望が欠けている信仰は、信仰の欠如ではなく、信仰の反対側に立っているのです。15節の言葉を心に刻みます。「あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。15」そして使徒信条を再び告白します。「…罪の赦し、体のよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン!」

디모데후서 QT4 211204토【몸이 다시 사는 것과】디모데후서 2장 14~19

디모데후서 2장 14~192:14 너는 저희로 이 일을 기억하게 하여 말다툼을 하지 말라고 하나님 앞에서 엄히 명하라 이는 유익이 하나도 없고 도리어 듣는 자들을 망하게 함이니라2:15 네가 진리의 말씀을 옳게 분변하여 부끄러울 것이 없는 일군으로 인정된 자로 자신을 하나님 앞에 드리기를 힘쓰라2:16 망령되고 헛된 말을 버리라 저희는 경건치 아니함에 점점 나아가나니2:17 저희 말은 독한 창질의 썩어져감과…

Ⅱテモテ QT3 211203金【伝われる福音】Ⅱテモテ 2章 1~13

Ⅱテモテ 2章 1~132:1 ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。2:2 多くの証人たちの前で私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい。2:3 キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。2:4 兵役についている人はだれも、日常生活のことに煩わされることはありません。ただ、兵を募った人を喜ばせようとします。2:5 また、競技をする人も、規定にしたがって競技をしなければ栄冠を得ることはできません。2:6 労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。2:7 私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに与えてくださいます。2:8 イエス・キリストのことを心に留めていなさい。私が伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった方です。2:9 この福音のために私は苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばはつながれていません。2:10 ですから私はすべてのことを、選ばれた人たちのために耐え忍びます。彼らもまた、キリスト・イエスにある救いを、永遠の栄光とともに受けるようになるためです。2:11 次のことばは真実です。「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。2:12 耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。2:13 私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」   第一テモテの手紙が送られた後、紀元後64年にローマに大火事が起こり、ネロは自分に対する悪い噂と責任論の世論を沈めるため、キリスト教信徒に濡れ衣を着せ、迫害を始めました。第二のテモテの手紙を送った年は、その迫害の頂点にあった67年であり,パウロはこの手紙を送った年に絞首刑にされて死にます。ですから、パウロが死ぬ時は、教会が風前のともしびのような時代を歩いていた時でした。教会が心強く立っているのを見て生を終えたらよかったのですが、パウロは最後の瞬間まで危機の教会を心配しながら死んでいきました。   危機の時代に自分の最後の時間が近づいています。パウロには秘密がありました。その秘密を愛する息子のような弟子テモテと教会のために教えなければなりません。今日の本文にはパウロの重要な宣教論の一つが出てきます。「多くの証人たちの前で私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい。2」教えられたことをさらに多くの人に委ねるということです。すると、彼らはさらに多くの人々に教えることができるということです。   何を教えるのですか?8節以下が語っている「救いの福音」です。つまり、福音の発信先を広げるということです。五つのパン、二匹の魚の奇跡は五千人、または二万人ほどの人々が食べた奇跡ですが、その奇跡には必要不可欠な役割がありました。4999人が隣の人にパンや魚を伝えなければならなかったのです。弟子たちだけで配食していたら夜になっても食べられない人がいたはずです。一人が一人に伝えれば、みんなに渡されます。より多くの人に耳で聞いた福音を口で話すようにするということです。   これが、当たり前のお勧めのように思いますが、実はこれが秘められたことです。なぜなら、口に出して言わなければ自分の福音も分からないからです。言うことによって自分のことを確認して整理します。それによって教える人の福音は深まり、聞く人に広がります。パウロは第一のテモテの手紙の4章で「自分自身にも、教えることにも、よく気をつけなさい。働きをあくまでも続けなさい。そうすれば、自分自身と、あなたの教えを聞く人たちとを、救うことになるのです。16」と言いました。「自分自身と、教えを聞く人たちとを救う」伝えれば、伝える人は救われ、聞く人も救われます。宣教はこれが循環します。福音はそれによって広がります。危機の時にも必ずしなければならないことは、私の唇で福音を伝えることです。

디모데후서 QT3 211203금【전달되는 복음】디모데후서 2장 1~13

디모데후서 2장 1~132:1 내 아들아 그러므로 네가 그리스도 예수 안에 있는 은혜 속에서 강하고2:2 또 네가 많은 증인 앞에서 내게 들은바를 충성된 사람들에게 부탁하라 저희가 또 다른 사람들을 가르칠 수 있으리라2:3 네가 그리스도 예수의 좋은 군사로 나와 함께 고난을 받을지니2:4 군사로 다니는 자는 자기 생활에 얽매이는 자가 하나도 없나니 이는 군사로 모집한 자를 기쁘게 하려…

Ⅱテモテ QT2 211202木【死亡の死】Ⅱテモテ 1章 8~18

Ⅱテモテ 1章 8~181:8 ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。1:9 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、1:10 今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。1:11 この福音のために、私は宣教者、使徒、また教師として任命されました。1:12 そのために、私はこのような苦しみにあっています。しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。1:13 あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛のうちに、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。1:14 自分に委ねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい。1:15 あなたが知っているとおり、アジアにいる人たちはみな、私から離れて行きました。その中にはフィゲロとヘルモゲネがいます。1:16 オネシポロの家族を主があわれんでくださるように。彼はたびたび私を元気づけ、私が鎖につながれていることを恥と思わず、1:17 ローマに着いたとき、熱心に私を捜して見つけ出してくれました。1:18 かの日には主が、ご自分のあわれみをオネシポロに示してくださいますように。エペソで彼がどれほど多くの奉仕をしてくれたかは、あなた自身が一番よく知っています。   パウロはテモテに「主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません」と言います。15節を見ると、多くの人がパウロを離れたようです。その理由は迫害に対する恐れでしたが、パウロはその恐れの原因を遡ってと分析しましたが、逃げることは、福音を恥ずかしく思うからです。主流に入らず、流行に従わなければ不安になる人は、虐待されていた十字架の信仰を恥と思いました。逆に、十字架が主流になれば、十字架を信じることは恥じになりません。それはすでに人に頼った信仰であります。迫害したローマがキリスト教を国教として公認し、キリスト教が社会の主流になったとき、福音を恥ずかしがる者は消えましたが、その時から血を流す十字架の福音は下がり路を下ります。   人々は命を捨てながら福音を信じることを愚かだと思いました。誰も行かない初めての道を行くのを恥と思いました。他人と違うと恥ずかしくなります。他人が持っているものを持つこと、他人よりも良いものを持つことが目的である人にとってはそうです。しかし、人間は最終的に死亡しますが、福音は最終的に死を打ち勝ちます。死に脅かされても、福音を恥じと思わないのは、福音がすでに死に打ち勝ったからです。「今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。10」死亡は死に、命を生かしたのが福音です。十字架の道は、大勢が行く道ではなく、自分一人で歩く道です。 堂々に信仰と告白する人が福音を持っている人です。 自分が持っている恐れと恥は十字架の前で燃やすことができますが、十字架が恥ずかしいと思う人は罪を燃やす方法がありません。  

디모데후서 QT2 211202목【사망의 사망】디모데후서 1장 8~18

디모데후서 1장 8~181:8 그러므로 네가 우리 주의 증거와 또는 주를 위하여 갇힌 자 된 나를 부끄러워 말고 오직 하나님의 능력을 좇아 복음과 함께 고난을 받으라1:9 하나님이 우리를 구원하사 거룩하신 부르심으로 부르심은 우리의 행위대로 하심이 아니요 오직 자기 뜻과 영원한 때 전부터 그리스도 예수 안에서 우리에게 주신 은혜대로 하심이라1:10 이제는 우리 구주 그리스도 예수의 나타나심으로 말미암아…