詩篇 黙想 【私は国々の民の間で】 20240320(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 57:1~11 57:1 私をあわれんでください。神よ。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。私は滅びが過ぎ去るまで御翼の陰に身を避けます。 57:2 私はいと高き方神を呼び求めます。私のためにすべてを成し遂げてくださる神を。 57:3 神は天から助けを送って私を救い私を踏みつける者どもを辱められます。セラ神は恵みとまことを送ってくださいます。 57:4 私のたましいは獅子たちの間で人の子らを貪り食う者の間で横たわっています。彼らの歯は槍と矢彼らの舌は鋭い剣です。 57:5 神よあなたが天であなたの栄光が全世界であがめられますように。 57:6 彼らは私の足を狙って網を仕掛けました。私のたましいはうなだれています。彼らは私の前に穴を掘り自分でその中に落ちました。セラ 57:7 神よ私の心は揺るぎません。私の心は揺るぎません。私は歌いほめ歌います。 57:8 私のたましいよ目を覚ませ。琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。 57:9 主よ私は国々の民の間であなたに感謝しもろもろの国民の間であなたをほめ歌います。 57:10 あなたの恵みは大きく天にまで及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。 57:11 神よあなたが天であなたの栄光が全地であがめられますように。 57編は人間が置かれた悲惨さを嘆くことから始まり、神様の栄光を称えることで終わります。この詩はダビデがサウルを避けて敵国であるペリシテに逃げ、ペリシテ王の前でよだれを垂らしながら狂ったふりをして生き返った後に書いた詩です。ダビデは生きるということが何なのか悩んだはずです。底をつき自尊感など残っていない時、ダビデは神様の栄光を歌いました。つらい状況にもかかわらず神様の栄光を賛美したのではなく、底で悲惨を経験する時に、見つかる神様の栄光が真の慰めになるからです。神様が人間ではなく神様であるということ、それが慰めであり喜びになるのです。   カルバンは、人間が喪失と回復の過程、自分自身と世の中の関係を通じて神様を知っていくことができると言いました。人間が自分の限界と存在の悲惨さに気付くとき、神様の懐の大きさを知ることができます。それで人間の自己認識は神様の存在と属性に対する知識を拡張させます。カルバンはキリスト教綱要を始めながらこれを一番最初に書きました。神様を知る知識と人間を知る知識は互いに深く関連していて、自分の認識と神様の認識は相互補完的なもので、互いに影響を及ぼし合います。自分自身を理解する時、神様を知ることができ、御言葉を通じて神様を知っていく時、自分が誰なのか分かります。   7節の「心は揺るぎません」は、自分の卑下を避けて通れない一人の悲惨な人間が、生と信仰の意志をもう一度固めているもので、8節の「私は暁を呼び覚まそう」は、夜明けがダビデを起こすのではなく、ダビデが闇の中で夜明けを起こすという先駆者的意志です。すべての人間のすべての苦難と逆境は、栄光の神様の中で揺るがない、呼び覚ますことができます。自分を知る知識では不可能ですが、神様を知る知識の中では可能です。「主よ私は国々の民の間であなたに感謝しもろもろの国民の間であなたをほめ歌います。9」国々の民が世に集中していても、私は主の栄光を賛美しますということでしょう。ダビデは悲惨な時間に神様の栄光の前で賛美と安息を楽しんでいます。  

시편 묵상 【내가 만민 중에서】 202403120(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 57:1~11 57:1 하나님이여 나를 긍휼히 여기시고 나를 긍휼히 여기소서 내 영혼이 주께로 피하되 주의 날개 그늘 아래서 이 재앙이 지나기까지 피하리이다 57:2 내가 지극히 높으신 하나님께 부르짖음이여 곧 나를 위하여 모든것을 이루시는 하나님께로다 57:3 저가 하늘에서 보내사 나를 삼키려는 자의 비방에서 나를 구원하실지라(셀라) 하나님이 그 인자와 진리를 보내시리로다 57:4 내 혼이 사자 중에 처하며…