詩篇 QT17 210726月【わが力なる主よ】詩篇 18章 1~19

詩篇 18章 1~1918:1 彼は言った。わが力なる主よ。私はあなたを慕います。18:2 主はわが巌わが砦わが救い主身を避けるわが岩わが神。わが盾わが救いの角わがやぐら。18:3 ほめたたえられる方。この主を呼び求めると私は敵から救われる。18:4 死の綱は私を取り巻き滅びの激流は私をおびえさせた。18:5 よみの綱は私を取り囲み死の罠は私に立ち向かった。18:6 私は苦しみの中で主を呼び求めわが神に叫び求めた。主はその宮で私の声を聞かれ御前への叫びは御耳に届いた。18:7 地は揺るぎ動いた。山々の基も震え揺れた。主がお怒りになったからだ。18:8 煙は鼻から立ち上りその口から出る火は貪り食い炭火は主から燃え上がった。18:9 主は天を押し曲げて降りて来られた。黒雲をその足の下にして。18:10 主はケルビムに乗って飛び風の翼で天翔られた。18:11 主は闇を隠れ家とし水の暗闇濃い雲をご自分の周りで仮庵とされた。18:12 御前の輝きから密雲を突き抜けて来たもの。それは雹と燃える炭。18:13 主は天に雷鳴を響かせいと高き方は御声を発せられた。雹そして燃える炭。18:14 主はご自分の矢を放って彼らを散らしすさまじい稲妻を放ってかき乱された。18:15 こうして水の底が現れ地の基があらわにされた。主よあなたのとがめによりあなたの鼻の荒い息吹によって。18:16 主はいと高き所から御手を伸ばして私を捕らえ大水から私を引き上げられました。18:17 主は力ある敵から私を救い出されました。私を憎む者どもからも。彼らが私より強かったからです。18:18 私のわざわいの日に彼らは立ちはだかりました。けれども主は私の支えとなられました。18:19 主は私を広いところに導き出し私を助け出してくださいました。主が私を喜びとされたからです。   「わが力なる主よ。私はあなたを慕います。」ダビデが神様に愛を告白している根拠は、自分の危機的状況の中で神様が力になってくださった何かの経験があるからです。ダビデが経験した当時の恐ろしい状況は、「死の綱、滅びの激流、よみの綱、死の罠」でした。神様はそこからダビデを救い出してくださいました。神様にでも人にでも直接的な経験がなければ愛を告白することはできません。   そこでダビデは私の主を確かめます。ダビデが自分の神様を表現した言葉には全部「わが」という所有格がついています。「わが力、わが巌、わが砦、わが救い主、わが岩、わが神、わが盾、わが救いの角、わがやぐら」です。ダビデにとって、これはすべて私のものです。危機の状況で神様を頼り、神様の助けを経験したからです。それは確かに自分自身のものです。   神様を知っていくということは、宗教的な言葉の知識の量を増やすことではありません。もちろん知らなければ信じることもできませんが、たくさん知っていることが必ずしも信仰であることではありません。自分と神様の間に秘密の信頼と愛が積み重ねているのが、信仰ではないでしょうか。愛を告白の言葉は、誰かの言葉ではなく、自分の言葉でなければなりません。その時、神様を私の神、わが主と呼ぶことができます。形式的、観念的な信仰、惰性的、受け身では、このようなことを体験するこはできません。   皆が困難を迎えますが、その危機の状況で神様を求める人がいれば、びっくりして信じていた神様も忘れてしまう人がいます。危機の状況に神様に頼る信仰を使ったことがある人のみが神様を経験します。それがわが主となります。揺るがない私の神を信じ、主に対する愛の告白がより真実なものになりたいと願います。  

시편 QT17 210726월【나의 힘이 되신 여호와여】시편 18편 1-19

시편 18편 1-1918:1 나의 힘이 되신 여호와여 내가 주를 사랑하나이다18:2 여호와는 나의 반석이시요 나의 요새시요 나를 건지시는 자시요 나의 하나님이시요 나의 피할 바위시요 나의 방패시요 나의 구원의 뿔이시요 나의 산성이시로다18:3 내가 찬송 받으실 여호와께 아뢰리니 내 원수들에게서 구원을 얻으리로다18:4 사망의 줄이 나를 얽고 불의의 창수가 나를 두렵게 하였으며18:5 음부의 줄이 나를 두르고 사망의 올무가 내게…

詩篇 QT16 210724土【あなたこそ私の主】詩篇 16章 1~11

詩篇 16章 1~1116:1 神よ私をお守りください。私はあなたに身を避けています。16:2 私は主に申し上げます。「あなたこそ私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません。」16:3 地にある聖徒たちには威厳があり私の喜びはすべて彼らの中にあります。16:4 ほかの神に走った者の痛みは増し加わります。私は彼らが献げる血の酒を注がずその名を口にいたしません。16:5 主は私への割り当て分また杯。あなたは私の受ける分を堅く保たれます。16:6 割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい私へのゆずりの地です。16:7 私はほめたたえます。助言を下さる主を。実に夜ごとに内なる思いが私を教えます。16:8 私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。16:9 それゆえ私の心は喜び私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。16:10 あなたは私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。16:11 あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり楽しみがあなたの右にとこしえにあります。   ダビデは、神様を「私の主」と呼びます。当然の呼び方だと思われますが、私たちはしばしば私の神様ではなく、誰かの神様にとどまっていたりします。誰かが伝える神様、誰かを介して証される神様を聞くことで恵みれたと考える習慣があります。神様は今ここに私とともにおられるのに、他のところに行って、別に神様を探し回っています。   もし、「私の神」であれば、私は言わざるを得ないです。もし、私の神であれば、私は証しせざるを得ないです。恵みは、神様と私の間で起こることです。私たちは、それを人格的関係と言ってきました。人間関係においても一緒に時間を過ごし、互いを知っていく関係でなければそれを人格的な関係とは言いません。   ダビデは「私の主」と呼びかけ、また、「私の幸い」と言います。「私は主に申し上げます。「あなたこそ私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません。2」いつ幸いになるのでしょうか?すでに受け取った幸いを証しすることができなければ、いつかの日に来ると期待している幸いは来ないかもしれません。   幸いと翻訳したヘブライは、トブ(טוֹב)で「良いこと」というを意味です。韓国語では「福」と訳しています。福ならバラク(בּרךְ)を使うことができますが、ここでは「トブ 良いこと」を使いました。振り返ると、神様から良いことをいただいたがという告白です。   「割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい私へのゆずりの地です。6」神様が私たちに与えてくださった地は、今、私たちが生活しているこの現場であり、またそこにいる人たちです。ダビデには、たくさんの苦難がありました。ダビデが、その苦難の中で、神様がトブ(良いこと)をくださったということを覚え、感謝したのであれば、実にダビデはバラク(福)の人です。   「私の幸いはあなたのほかにはありません。」私の神様、私の幸いになる神様、その神様だけで十分です。私の主が私の必要を満たし、私の唯一の祝福つなるからです。「ほかの神に走った者の痛みは増し加わります。私は彼らが献げる血の酒を注がずその名を口にいたしません。4」、神様ではない、他のものに頼らなければ、神様は私の神様となられます。

시편 QT16 210724토【주는 나의 주시오니】시편 16편 1-11

시편 16편 1-1116:1 하나님이여 나를 보호하소서 내가 주께 피하나이다16:2 내가 여호와께 아뢰되 주는 나의 주시오니 주 밖에는 나의 복이 없다 하였나이다16:3 땅에 있는 성도는 존귀한 자니 나의 모든 즐거움이 저희에게 있도다16:4 다른 신에게 예물을 드리는 자는 괴로움이 더할 것이라 나는 저희가 드리는 피의 전제를 드리지 아니하며 내 입술로 그 이름도 부르지 아니하리로다16:5 여호와는 나의 산업과…

詩篇 QT15 210723金【幕屋に宿る人】詩篇 15章 1~5

詩篇 15章 1~515:1 主よだれがあなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれがあなたの聖なる山に住むのでしょうか。15:2 全き者として歩み義を行い心の中の真実を語る人。15:3 舌をもって中傷せず友人に悪を行わず隣人へのそしりを口にしない人。15:4 その目は主に捨てられた者を蔑み主を恐れる者を彼は尊ぶ。損になっても誓ったことは変えない。15:5 利息をつけて金を貸すことはせず潔白な人を不利にする賄賂を受け取らない。このように行う人は決して揺るがされない。   15編は短いですが、節ごとに厳格な基準が提示されています。主の幕屋に宿る人は誰なのかについて話しています。言い換えると、誰が誠の信仰を持っているのかということです。それはまず正直と真実です。偽りを隠し、偽善的な思いで、神様に仕えることはできません。   そして、公義を実践しなければならないということ。欲や立場で考ええるのではなく、善と悪を分別し、正しいところに立つ勇気です。特別な何かがあるのでなく、ごく当たり前なことを言っていますが、しかし誰であっても「当たり前」であると言える人はいません。ヤコブはヤコブ1章で「そういう人は二心を抱く者で、歩む道すべてにおいて心が定まっていないからです。8」と責め、4章で「二心の者たち、心を清めなさい。8」と警告していたことを覚えます。   「舌をもって中傷せず友人に悪を行わず隣人へのそしりを口にしない人。3」考えてみれば、私たちにその権利はありません。エペソ4章でパウロが昔の人を捨て、新しい人を着るようにと言ったときに、「あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。25」と言いました。誰かと話し合うとき、第三者の名前は出さない方が良いですね。言葉は、伝えられると膨らみます。言葉が漏れるとき、話す人の人格も漏れます。   「その目は主に捨てられた者を蔑み主を恐れる者を彼は尊ぶ。」力ある人にへつらうことはせず、神様の人を見つけ、彼らを優待します。人気や権力があるとして高ぶっているものに頭を下げません。力がなく、富みがなくても、神様の前に真実な人を尊い存在として優待します。   「損になっても誓ったことは変えない。」神様と約束したことを、状況に応じて変えることはしないということです。自分が神様よりよい判断ができると思ってはいけません。約束したことがもし損になることがあっても、神様はそれに従う信仰を確認して、それを良いものに変えてくださることを信じなければなりません。   「利息をつけて金を貸すことはせず」銀行まで違法扱いすることではありません。困難な人を助けるとき、代価を求めないという意味です。「潔白な人を不利にする賄賂を受け取らない」15編を読んでみると、神様の幕屋に宿る人は、決して甘いものではありません。ダビデ自身もそれに自信があるからではなく、そのように生きることを固く心にしていたのでしょう。信仰に生きるということが何かを読んで、それをそれぞれの価値観の中に積み重ねていきましょう。

시편 QT15 210723금【주의 장막에 유할 자】시편 15편 1-5

시편 15편 1-515:1 여호와여 주의 장막에 유할 자 누구오며 주의 성산에 거할 자 누구오니이까15:2 정직하게 행하며 공의를 일삼으며 그 마음에 진실을 말하며15:3 그 혀로 참소치 아니하고 그 벗에게 행악지 아니하며 그 이웃을 훼방치 아니하며15:4 그 눈은 망령된 자를 멸시하며 여호와를 두려워하는 자를 존대 하며 그 마음에 서원한 것은 해로울지라도 변치 아니하며15:5 변리로 대금치 아니하며 뇌물을…

詩篇 QT14 210722木【無神論の正体】詩篇 14章 1~7

詩篇 14章 1~714:1 愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて忌まわしいことを行う。善を行う者はいない。14:2 主は天から人の子らを見下ろされた。悟る者神を求める者がいるかどうかと。14:3 すべての者が離れて行きだれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。14:4 不法を行う者はみな知らないのか。彼らはわたしの民を食らいながらパンを食べ主を呼び求めない。14:5 見よ彼らは大いに恐れた。神は正しい一族とともにおられるからだ。14:6 おまえたちは苦しむ者の計画を踏みにじろうとするだろう。しかし主が彼の避け所である。14:7 ああイスラエルの救いがシオンから来るように。主が御民を元どおりにされるときヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。   「愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて忌まわしいことを行う。善を行う者はいない。1」もし、愚かな言い方をする人がいれば、それは口の問題ではなく、考える根拠がないからです。同様に、神様という根拠がない人の人生は愚かです。   ここに言う愚かというのは、知識の量を言うものではありません。知識を無視するつもりもありません。分かるということは素晴らしいことだと思いますし、私たちも知って行かなければなりません。知ろうとしない人は、知恵を持つこともできません。   ということで知識は大切ですが、知っていく過程は充実でもその根源と結果について質問しないから愚かになります。持っている知識を用い、熟考し、省察してそこから神様の秩序、すなわち真理を見つける洞察がないからです。   大学や学者は、真理を探求するといいますが、その中には専門分野の課題を遂行するだけで、宇宙の中で、その課題の位置がどこかについて質問する人はなかなかいません。現象を観察しますが、根源までさかのぼりません。人について研究しますが、人の根拠について考えません。   「主は天から人の子らを見下ろされた。悟る者神を求める者がいるかどうかと。すべての者が離れて行きだれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。2,3」悟る者、神を求める者がいないということです。みな考えないということです。無神論というのは、考えない怠けの愚かさです。聖書の言う罪は、人が神様を拒否し、離れることです。   パウロの雄弁を思い出します。「私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。Ⅱコリント10:4、5」   人間は存在論的に堕落しています。それを悟り、知ることが人間の「善」です。自分が善なるところのない存在であることに気づき、それを認めることが善の始まりです。自分を捨て、神様を求めることで、私たちの中に少しのスペースができます。それを善と名づけ、そこで私たちはたましいの息をつけることができます。     詩篇 14章 1~714:1 愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて忌まわしいことを行う。善を行う者はいない。14:2 主は天から人の子らを見下ろされた。悟る者神を求める者がいるかどうかと。14:3 すべての者が離れて行きだれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。14:4 不法を行う者はみな知らないのか。彼らはわたしの民を食らいながらパンを食べ主を呼び求めない。14:5 見よ彼らは大いに恐れた。神は正しい一族とともにおられるからだ。14:6 おまえたちは苦しむ者の計画を踏みにじろうとするだろう。しかし主が彼の避け所である。14:7 ああイスラエルの救いがシオンから来るように。主が御民を元どおりにされるときヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。   「愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて忌まわしいことを行う。善を行う者はいない。1」もし、愚かな言い方をする人がいれば、それは口の問題ではなく、考える根拠がないからです。同様に、神様という根拠がない人の人生は愚かです。   ここに言う愚かというのは、知識の量を言うものではありません。知識を無視するつもりもありません。分かるということは素晴らしいことだと思いますし、私たちも知って行かなければなりません。知ろうとしない人は、知恵を持つこともできません。   ということで知識は大切ですが、知っていく過程は充実でもその根源と結果について質問しないから愚かになります。持っている知識を用い、熟考し、省察してそこから神様の秩序、すなわち真理を見つける洞察がないからです。   大学や学者は、真理を探求するといいますが、その中には専門分野の課題を遂行するだけで、宇宙の中で、その課題の位置がどこかについて質問する人はなかなかいません。現象を観察しますが、根源までさかのぼりません。人について研究しますが、人の根拠について考えません。   「主は天から人の子らを見下ろされた。悟る者神を求める者がいるかどうかと。すべての者が離れて行きだれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。2,3」悟る者、神を求める者がいないということです。みな考えないということです。無神論というのは、考えない怠けの愚かさです。聖書の言う罪は、人が神様を拒否し、離れることです。   パウロの雄弁を思い出します。「私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。Ⅱコリント10:4、5」   人間は存在論的に堕落しています。それを悟り、知ることが人間の「善」です。自分が善なるところのない存在であることに気づき、それを認めることが善の始まりです。自分を捨て、神様を求めることで、私たちの中に少しのスペースができます。それを善と名づけ、そこで私たちはたましいの息をつけることができます。    

시편 QT14 210722목【무신론의 정체】시편 14편 1-7

시편 14편 1-714:1 어리석은 자는 그 마음에 이르기를 하나님이 없다 하도다 저희는 부패하고 소행이 가증하여 선을 행하는 자가 없도다14:2 여호와께서 하늘에서 인생을 굽어 살피사 지각이 있어 하나님을 찾는 자가 있는가 보려 하신즉14:3 다 치우쳤으며 함께 더러운 자가 되고 선을 행하는 자가 없으니 하나도 없도다14:4 죄악을 행하는 자는 다 무지하뇨 저희가 떡먹듯이 내 백성을 먹으면서 여호와를…

詩篇 QT13 210721水【死の眠り】詩篇 13章 1~6

詩篇 13章 1~613:1 主よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。13:2 いつまで私は自分のたましいのうちで思い悩まなければならないのでしょう。私の心には一日中悲しみがあります。いつまで敵が私の上におごり高ぶるのですか。13:3 私に目を注ぎ私に答えてください。私の神主よ。私の目を明るくしてください。私が死の眠りにつかないように。13:4 「彼に勝った」と私の敵が言わないように。私がぐらつくことを逆らう者が喜ばないように。13:5 私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。13:6 私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。   出エジプト記から学んだ安息日に関する律法は、神様が民に宗教的な行為を一方的に要求したことと考えてはいけません。安息を与え、礼拝に導くのは、人のためのことです。時間が経つにつれて、それは安息日遵守という義務に変わり、人間を縛るようになりますが、神様の安息の目的は、人間に自由と安らぎを持たせることです。   恐ろしいのは、私に対して神様の関心がなくなることです。懲戒はまだ大丈夫です。神様の無関心こそが地獄です。地獄を定義するなら、「神様の慈悲がないところ」だからです。信仰から離れていても、富があり、健康があって神様に対して鈍感になるならば、それがすでに罰を受けているのです。 誰でも自分にとって最も重要な関心事を最優先に祈ります。今日の13編でダビデは、一番最初に、神様が自分を忘れてしまったのかを恐れ、訴えます。「主よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。1」これを3節では、「死の眠り」と表現しました。   この死は肉体の死ではなく、霊的な死です。ダビデには、今現在に経験している苦しみの重さより、神様が不在である不安感の方がよほど重いのです。苦しみが続くと信仰まで揺れるかと思って恐れています。自分の信仰を信じることはできません。神様を信じるだけです。肉体は弱くて、攻められ、惑わされると信仰も常に危険です。自分の信仰を信じずに、神様を信じなければなりません。ということで私たちは、いつも「試みにあわせず…」という神様の慈悲を求める祈りをささげます。 ダビデの詩に反転が起こります。「私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。5」ダビデは、「恵みに拠り頼みます」と言います。主の愛とは、まさに条件なしに施される慈悲、資格のない者に与える恵みです。それを覚え、思い出します。神様は恵みを覚えている心の中で生きておられます。   自分自身を信じようとしたときは、恐れてしまいますが、今は神様の愛により頼み、喜んでいます。詩の結末は、信仰の悩みの結論です。神様の恵みを覚え、これからも変わらないその愛に信頼することです。6節になるともとにところに戻り、落ち着きます。「私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。6」世は、神がないと言いますが、本当に怖いのは、神様が私の中でいないことです。  

시편 QT13 210721수【사망의 잠】시편 13편1-6

시편 13편1-613:1 여호와여 어느 때까지니이까 나를 영영히 잊으시나이까 주의 얼굴을 나에게서 언제까지 숨기시겠나이까13:2 내가 나의 영혼에 경영하고 종일토록 마음에 근심하기를 어느 때까지 하오며 내 원수가 나를 쳐서 자긍하기를 어느 때까지 하리이까13:3 여호와 내 하나님이여 나를 생각하사 응답하시고 나의 눈을 밝히소서 두렵건대 내가 사망의 잠을 잘까 하오며13:4 두렵건대 나의 원수가 이르기를 내가 저를 이기었다 할까 하오며…