出エジプト記 QT65 210702金【モーセの特権】出エジプト記 33章 12~23

出エジプト記 33章 12~2333:12 さて、モーセは主に言った。「ご覧ください。あなたは私に『この民を連れ上れ』と言われます。しかし、だれを私と一緒に遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身が、『わたしは、あなたを名指して選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている』と言われました。33:13 今、もしも私がみこころにかなっているのでしたら、どうかあなたの道を教えてください。そうすれば、私があなたを知ることができ、みこころにかなうようになれます。この国民があなたの民であることを心に留めてください。」33:14 主は言われた。 「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。 」33:15 モーセは言った。「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。33:16 私とあなたの民がみこころにかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちと一緒に行き、私とあなたの民が地上のすべての民と異なり、特別に扱われることによるのではないでしょうか。」33:17 主はモーセに言われた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから。」33:18 モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」33:19 主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、主の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」33:20 また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」33:21 また主は言われた。「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。33:22 わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておく。33:23 わたしが手をのけると、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は決して見られない。」   モーセは、神様にご計画を教えていただくために祈りながら、イスラエルの民を神の民として受け入れてくださるようにと、とりなします。共同体を神様の御心の中に置いておくなら、それより安全なことはないからです。たとえイスラエルが罪を犯し、懲らしめの中にいても、神様がイスラエルの民をご自身の民とし、彼らとともにおられるなら、それよりも安全なことはありません。モーセのとりなしは、イスラエルに対して堅かった神様の心を変えます。神様はモーセのとりなしの祈りを聞き、イスラエルの民を受け入れます。   モーセという存在は、神様の意志までも変えることができる特権を持っているのでしょうか?モーセというと特別な存在が祈ると、神様の意志までも変えられるということではありません。モーセの特権は、自分自身を放棄するまで共同体のためにとりなしの祈りする愛の力です。民が罪を犯している時も、モーセはとりなして祈っていました。神様はモーセという特別な存在の祈りを特別に聞いてくださったのではなく、モーセの特別なとりなしの祈り、特別な愛の祈りを聞いてくださったのです。   そのような意味でモーセは特別でした。聖なる神様に会って生き残る者はいませんが、神様の同労者モーセは一瞬でも神様に出会いその栄光を味わいました。とりなしの祈りは利他的な祈りです。利他的祈りの中で神様の心を共感することができます。神様の資源を自分自身に引っ張るための祈りではなく、神様の御心を知り、神様と動労者になることがとりなしの祈りです。   自分の必要のための祈ってもてもすぐに祈りの言語が断たれます。人のために、共同体のために祈り始めると、神様は、その特別な祈りに言語と心を与えてくださいます。自分が神様の働きをすれば、神様は自分の働きをしてくださいます。熱心に祈っても利他的な祈り、執り成しの祈りがなければ祈りを学ぶことはできません。神様の声を聞くこと、神様に出会うことは、すべての信仰の人において究極の課題です。今日ここで実践する愛に基づいたとりなしを通して、その道を見つけることを願います。   「たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。13:1-3」

출애굽기 QT65 2100702금【모세의 특권】출애굽기 33장 12~23

출애굽기 33장 12~2333:12 모세가 여호와께 고하되 보시옵소서 주께서 나더러 이 백성을 인도하여 올라가라 하시면서 나와 함께 보낼 자를 내게 지시하지 아니하시나이다 주께서 전에 말씀하시기를 나는 이름으로도 너를 알고 너도 내 앞에 은총을 입었다 하셨사온즉33:13 내가 참으로 주의 목전에 은혜를 입었사오면 원컨데 주의 길을 내게 보이사 내게 주를 알리시고 나로 주의 목전에 은총을 입게 하시며 이…

出エジプト記 QT64 210701木【飾り物を取り外す】出エジプト記 33章 1~11

出エジプト記 33章 1~1133:1 主はモーセに言われた。「あなたも、あなたがエジプトの地から連れ上った民も、ここから上って行って、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地に行け。33:2 わたしはあなたがたの前に一人の使いを遣わし、カナン人、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払い、33:3 乳と蜜の流れる地にあなたがたを行かせる。しかし、わたしは、あなたがたのただ中にあっては上らない。あなたがたはうなじを固くする民なので、わたしが途中であなたがたを絶ち滅ぼしてしまわないようにするためだ。」33:4 民はこの悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、 一人も飾り物を身に着ける者はいなかった。33:5 主はモーセに次のように命じておられた。「イスラエルの子らに言え。『あなたがたは、うなじを固くする民だ。一時でも、あなたがたのただ中にあって上って行こうものなら、わたしはあなたがたを絶ち滅ぼしてしまうだろう。今、飾り物を身から取り外しなさい。そうすれば、あなたがたのために何をするべきかを考えよう。』」33:6 それでイスラエルの子らは、ホレブの山以後、自分の飾り物を外した。33:7 さて、モーセはいつも天幕を取り、自分のためにこれを宿営の外の、宿営から離れたところに張り、そして、これを会見の天幕と呼んでいた。だれでも主に伺いを立てる者は、宿営の外にある会見の天幕に行くのを常としていた。33:8 モーセがこの天幕に出て行くときは、民はみな立ち上がり、それぞれ自分の天幕の入り口に立って、モーセが天幕に入るまで彼を見守った。33:9 モーセがその天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入り口に立った。こうして主はモーセと語られた。33:10 雲の柱が天幕の入り口に立つのを見ると、民はみな立ち上がって、それぞれ自分の天幕の入り口で伏し拝んだ。33:11 主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰るとき、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が天幕から離れないでいた。   モーセの切ないとりなしの祈りを通して神様はイスラエルの罪を赦してくださいました。だからといって完全に元に戻ったのではありません。神様はイスラエルに対する怒りをおさめただけであって、神様がイスラエルに信頼を置かれたわけではありません。「乳と蜜の流れる地にあなたがたを行かせる。しかし、わたしは、あなたがたのただ中にあっては上らない。あなたがたはうなじを固くする民なので、わたしが途中であなたがたを絶ち滅ぼしてしまわないようにするためだ。33:3」   信仰があれば、神様に近づくことができますが、信仰がなければ、神様との距離は離れます。神様は罪を捨てないイスラエルと距離を持っておられます。それでもイスラエルに乳と蜜の流れる地を与えたいのが、神様の御心です。乳と蜜の地が与えられれば、イスラエルはそれを信じて、神様を信じません。神様はそれを警戒し、警告しておられるのです。   神様を信じて神様に必要を求めますが、その必要が満たされるとそれに神性を与えてしまいます。貧しくて神様に恵みを求めましたが、富が与えられるとそれと神様を取り変えてしまうことです。カナンの地に入ったイスラエルにおいても、世界史に登場した国々においても、一人の人間の歴史においても常に繰り返されることです。プレゼントを受けとってプレゼントをくださった方は捨てます。   信仰は、文字通りに信頼の問題です。神様を完全に信じられないのが問題であり、神様を信じないのは、神様と自分との間に何か他に信じることがあるということです。「神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。ガラテヤ6:7」心に信じることは言葉になり、行動になり、形になります。何も信じない人は誰もいません。それによって人間は神様を離れます。   イスラエルの民は、飾り物を身から取り外さなければなりません。それにはもともと宗教的意味があります。自分を守ってくれるという一種のお守りです。お守りを作り、飾りそのものに神性を与えるのです。神様は、人間が作ったいかなる形にも入られません。神様を置き換えることができると思われるもの、目で確認できるもの、手に握られるもの、所有することができるものに置いた心を捨てて、神様の御言葉を信じる信仰に戻らなければなりません。

출애굽기 QT64 2100701목【단장품을 제하라】출애굽기 33장 1~11

출애굽기 33장 1~1133:1 여호와께서 모세에게 이르시되 너는 네가 애굽 땅에서 인도하여낸 백성과 함께 여기서 떠나서 내가 아브라함과 이삭과 야곱에게 맹세하기를 네 자손에게 주마 한 그 땅으로 올라가라33:2 내가 사자를 네 앞서 보내어 가나안 사람과 아모리 사람과 헷 사람과 브리스 사람과 히위 사람과 여부스 사람을 쫓아내고33:3 너희로 젖과 꿀이 흐르는 땅에 이르게 하려니와 나는 너희와 함께…