Ⅰテサロニケ 黙想 【同行】 20240827(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

Ⅰテサロニケ 5:23~285:23 平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。5:25 兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。5:26 すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをしなさい。5:27 この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるよう、私は主によって堅く命じます。5:28 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。 ■「あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。5:24」 神様が私たちを召され、それに従うとき、神様はその働きを成し遂げてくださいます。神様は人間の能力を求めておられるのではなく、従う意志を求めておられます。熱心な人が神様のために立ち上がり、神様の働きを成し遂げるのではなく、神様に召された者がその召しに従うとき、神様はその人を用いて御業を成し遂げてくださるのです。召される方と成し遂げる方は同じ方であり、私たちに残されているのは従う役割です。 ■ピリピ教会の後に開拓されたマケドニア地方の二つ目の教会であるテサロニケ教会の人々は、マケドニア宣教に召された聖徒たちです。彼らがその召しに従ったので、神様は彼らを通してマケドニアの宣教を成し遂げてくださいます。神様がアブラハムを召し、アブラハムが従ったので、神様はアブラハムを通して御業を成し遂げられました。神様がモーセを召し、モーセが従ったので、神様はモーセを通して御業を成し遂げられました。神様がペテロを召し、ペテロが従ったので、神様はペテロを通して御業を成し遂げられ、神様がパウロを召し、パウロが従ったとき、彼を通して神様の働きをなされました。 ■マタイの福音書11章30節で、イエス様は「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」と言われました。私たちは思います。イエス様が与える使命は決して軽くはないだろうと…重くて大変だろうと思います。くびきとは、二頭の牛にかける器具のことです。一頭でくびきをつけて重い荷を引くのではありません。負いやすく、軽いです。そう言えるのは、共に歩む方がおられるからです。神様が共に歩んでくださるのです。それゆえに、ペテロは「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。1ペテロ5:7」と言いました。 ■召しに従い、神様のために生きるとき、神様が共に歩み、神様が成し遂げてくださるので、その荷は軽いです。しかし、自分のために一人で生きようとするならば、すべてが重く、困難になります。生と死の問題を一人で背負っていくこと自体が重いことです。召しを思い起こし、神様の働きに従います。そうすれば、神様が成し遂げてくださいます。そして、神様の働きが成し遂げられる所で、信仰の人のすべての歩みは守られます。

데살로니가전서 묵상 【동행】 20240827(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

데살로니가전서 5:23~285:23 평강의 하나님이 친히 너희로 온전히 거룩하게 하시고 또 너희 온 영과 혼과 몸이 우리 주 예수 그리스도 강림하실 때에 흠 없게 보전되기를 원하노라5:24 너희를 부르시는 이는 미쁘시니 그가 또한 이루시리라5:25 형제들아 우리를 위하여 기도하라5:26 거룩하게 입맞춤으로 모든 형제에게 문안하라5:27 내가 주를 힘입어 너희를 명하노니 모든 형제에게 이 편지를 읽어 들리라5:28 우리 주 예수…

Ⅱテサロニケ 黙想 【バウロが規範について語る理由】 20240826(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱテサロニケ 5:12~225:12 兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人たちを重んじ、5:13 その働きのゆえに、愛をもって、この上ない尊敬を払いなさい。また、お互いに平和を保ちなさい。5:14 兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。5:15 だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。5:19 御霊を消してはいけません。5:20 預言を軽んじてはいけません。5:21 ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。5:22 あらゆる形の悪から離れなさい。 ■バウロの勧めは、共同体への配慮から来ています。12節ではリーダーを尊重することについて、13節では互いに大切にし、平和を保つことについて語っています。14節では、弱い者を一時的な支援にとどまらず、忍耐強く支え続けるよう勧めています。そして、15節では、たとえ誰かに心を傷つけられたとしても、感情的に反応するのではなく、長い目でその人を受け入れるようにと勧めています。これは、共同体の平和を保つための勧告です。外部からの危機に対抗するためには、内部の結束が不可欠だからです。内部が揺らげば、外部の脅威がなくても自ら崩れてしまうでしょう。バウロが語っているのは、イエス様を信じる者が守るべき道徳的な規範ではなく、共同体の一員として主体的な配慮を持つべきだという勧めなのです。 ■イエス様を信じた罪人たちは、信仰の中でも葛藤を引き起こします。自分は赦されたと言いながら、憎む兄弟を赦しません。助けているようで、すぐに疲れて諦めてしまいます。リーダーに感謝するよりも不満を抱き、聖徒同士の間で絶え間ない不和があります。そのような人々は、共同体の体質を弱め、危機に追い込んでしまいます。新約聖書の手紙に見られるほとんどの行動に関する勧告の背景には、規範、そのものを語る目的ではなく、共同体の関係性を高めるための人格的な訴えです。まことに守るべきものは規範ではなく、共同体です。だからこそ、規範が必要なのです。イエス様が命じた自己否定が実践されているかどうかは、隣人に対する態度と関係を見ればわかるのです。 ■16節の「いつも喜びなさい」ということは、喜べない状況にあっても内なる喜びを失わないことを意味しています。17節の「絶えず祈りなさい」ということも、すべての瞬間に神様に依存することを指しています。18節の「すべてのことにおいて感謝しなさい」ということは、高慢を戒め、恵み意識することを促しています。19節の「御霊を消してはいけません」と20節の「預言を軽んじてはいけません」ということは、共同体を通じて与えられる神様のメッセージを謙虚に受け取ることを勧めています。今日の本文が勧めているすべてのことは、キリスト者として守るべき規則ではなく、イエス・キリストの共同体を大切にする者たちが成長していく過程で結んでいく実です。美しい勧めの言葉ではなく、必死に戦わなければならない激しい自己との闘いが伴います。腐心しなければ成長はありません。

데살로니가전서 묵상 【바울이 규범을 말하는 이유】 20240826(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

데살로니가전서 5:12~225:12 형제들아 우리가 너희에게 구하노니 너희 가운데서 수고하고 주 안에서 너희를 다스리며 권하는 자들을 너희가 알고5:13 저의 역사로 말미암아 사랑 안에서 가장 귀히 여기며 너희끼리 화목하라5:14 또 형제들아 너희를 권면하노니 규모 없는 자들을 권계하며 마음이 약한 자들을 안위하고 힘이 없는 자들을 붙들어 주며 모든 사람을 대하여 오래 참으라5:15 삼가 누가 누구에게든지 악으로 악을 갚지…

テサロニケ人への手紙第一 黙想 【耐えきれなくなって】 20240823(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

テサロニケ人への手紙第一 3:1-13 3:1 そこで、私たちはもはや耐えきれなくなり、私たちだけがアテネに残ることにして、 3:2 私たちの兄弟であり、キリストの福音を伝える神の同労者であるテモテを遣わしたのです。あなたがたを信仰において強め励まし、 3:3 このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。 3:4 あなたがたのところにいたとき、私たちは前もって、苦難にあうようになると言っておいたのですが、あなたがたが知っているとおり、それは事実となりました。 3:5 そういうわけで、私ももはや耐えられなくなって、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを遣わしたのです。それは、誘惑する者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦が無駄にならないようにするためでした。 3:6 ところが今、テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました。また、あなたがたが私たちのことを、いつも好意をもって思い起こし、私たちがあなたがたに会いたいと思っているように、あなたがたも私たちに会いたがっていることを知らせてくれました。 3:7 こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました。あなたがたの信仰による慰めです。 3:8 あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちの心は生き返るからです。 3:9 あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。 3:10 私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています。 3:11 どうか、私たちの父である神ご自身と、私たちの主イエスが、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。 3:12 私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いに対する愛を、またすべての人に対する愛を、主が豊かにし、あふれさせてくださいますように。 3:13 そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。    テサロニケ教会に向けた使徒パウロの心がどのようなものかを最もよく見せてくれる箇所は、まさに今日の箇所だと思います。その中でも特に「耐えきれなくなり」、「耐えられなくなって」などの言葉遣いから、使徒パウロがどれほどテサロニケ教会と信徒たちを大切に思い、愛しているかを見ることができるようです。    パウロが彼らを正しく教育し, 彼らが主にあって堅く立つことをどれほど願っていたか, 彼らのために行ったことが単純に必要に応じて、合理的な判断から行っったのではなく,「耐えきれなくなり」という言葉を反復して使い、強調しています。    テサロニケ人への手紙はパウロの書簡の中でも「教理書簡」と呼ばれるグループに分類される主観です。私たちにとって「教理」というのは硬くて、理性的で原則的な印象を与えますが、今日、パウロが見せてくれる姿はそのような教理の印象とは全く違う、感情的で衝動的な行いでした。    実際、私たちキリスト者が追求しなければならない教理、キリスト者として正しく生きていくために必要な教えは、まさにこのようなものではないでしょうか。いつの間にか教会の教えは硬くなり、伝道や教育、礼拝などは形式的なものになってしまいました。しかし、これらは私たちに理性的で原則的なものになってはいけないもの、私たちの心が「耐えきれなくなって」行わなければならないものでしょう。    キリスト者は耐えきれなくなって神様を愛し、教会を愛し、すべての人を愛しなければなりません。今日の箇所のパウロがテサロニケ教会を愛し、彼らのために行うことを耐えきれなくなったように、そして、それよりも先に神様がこの世を愛することを耐えきれずにイエス·キリストをこの地に遣わし、人々がご自分の御前に来れる道を開いてくださったためです。    私たちが様々な苦難の中にあっても神様の恵みの御座の前に動揺せず立つことができるようになることは、私たちの意志や努力で可能になることではありません。神様に向ける耐えられない切実な愛の心を私たちに与え、その心を通して働かれる聖霊を通して、主にあって堅く立つことができるようになるでしょう。

데살로니가전서 묵상 【참다 못하여】 20240823(금) 최종석 전도사

데살로니가전서 3:1-13 3:1 이러므로 우리가 참다 못하여 우리만 아덴에 머물기를 좋게 생각하고 3:2 우리 형제 곧 그리스도의 복음을 전하는 하나님의 일꾼인 디모데를 보내노니 이는 너희를 굳건하게 하고 너희 믿음에 대하여 위로함으로 3:3 아무도 이 여러 환난 중에 흔들리지 않게 하려 함이라 우리가 이것을 위하여 세움 받은 줄을 너희가 친히 알리라 3:4 우리가 너희와 함께 있을…

Ⅱテサロニケ 黙想 【神のことばを受けたとき】 20240822(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱテサロニケ 2:13~202:13 こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。2:14 兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちに苦しめられたように、あなたがたも自分の同胞に苦しめられたからです。2:15 ユダヤ人たちは、主であるイエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、すべての人と対立しています。2:16 彼らは、異邦人たちが救われるように私たちが語るのを妨げ、こうしていつも、自分たちの罪が満ちるようにしているのです。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで極みに達しています。2:17 兄弟たち。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されていました。といっても、顔を見ないだけで、心が離れていたわけではありません。そのため、あなたがたの顔を見たいと、なおいっそう切望しました。2:18 それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。私パウロは何度も行こうとしました。しかし、サタンが私たちを妨げたのです。2:19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。2:20 あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。 ■パウロはテサロニケの聖徒らが神様の御言葉を受け入れたことに感謝し、彼らがその御言葉を人間の言葉ではなく、神様の御言葉として受け入れたため、その御言葉の力が彼らの中で働いていると述べています。御言葉を伝えるのは人間ですが、それを受け取る際にそれを人間の言葉ではなく神様の御言葉として受け入れるという表現は、テサロニケの聖徒たちがパウロが伝えた福音を人間のものと見なさず、神様の真理の御言葉として受け入れたことを意味しています。神様の御言葉として受け入れると、その御言葉は人の中で働き始め、人生を変える力となるのです。 ■逆に言えば、信じようとしない人は、何を言っても信じないということです。「無神論者」というのは、無神と有神のどちらかを信じたいものを信じているに過ぎません。どちらにせよ、信じなければならないのです。神様が存在することを科学的に証明することはできませんし、神様が存在しないこともそのような方法では証明できません。神様を検証可能な科学的な方法で証明することはできません。証明されたからといって、それが信仰というわけではありません。ただ神様を信じることで、神様の御言葉を証しします。私の中にある信仰が神様を証明します。信じると言いながら、神様の御言葉の実在を信じない半端な者は、自称無神論者よりも悪いのです。 ■言葉遊びかもしれませんが、「無神論者」ではなく「無信論者」なので、何を言っても信じないのです。信じようとしないから、目の前に現れた神様もいないと言い張るだけなのです。自分を信じ、自分に満ちています。神様がいないと言い張るだけで、合理的な無神論者として扱われることはあるかもしれません。しかし、「無信論者」という言葉は成立しない自己矛盾の概念です。信じなければ認識できるものは何もないからです。確認したから認識するのではなく、確認の上、それを信じたから認識するのです。自分を疑わなければ、神様を信じることはできないでしょう。それが神様の御言葉を受け取る方法です。テサロニケ教会は聖霊を経験した良い土です。御言葉が神様であることを経験したので、彼らはまさしく神様を出会った人々です。

데살로니가전서 묵상 【말씀을 받을 때에】 20240822(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

데살로니가전서 2:13~202:13 이러므로 우리가 하나님께 쉬지 않고 감사함은 너희가 우리에게 들은바 하나님의 말씀을 받을 때에 사람의 말로 아니하고 하나님의 말씀으로 받음이니 진실로 그러하다 이 말씀이 또한 너희 믿는 자 속에서 역사하느니라2:14 형제들아 너희가 그리스도 예수 안에서 유대에 있는 하나님의 교회들을 본받은 자 되었으니 저희가 유대인들에게 고난을 받음과 같이 너희도 너희 나라 사람들에게 동일한 것을 받았느니라2:15…

Ⅱテサロニケ 黙想 【勧告の資格】 20240821(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱテサロニケ 2:1~122:1 兄弟たち。あなたがた自身が知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、無駄になりませんでした。2:2 それどころか、ご存じのように、私たちは先にピリピで苦しみにあい、辱めを受けていたのですが、私たちの神によって勇気づけられて、激しい苦闘のうちにも神の福音をあなたがたに語りました。2:3 私たちの勧めは、誤りから出ているものでも、不純な心から出ているものでもなく、だましごとでもありません。2:4 むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。2:5 あなたがたが知っているとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、貪りの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。2:6 また私たちは、あなたがたからも、ほかの人たちからも、人からの栄誉は求めませんでした。2:7 キリストの使徒として権威を主張することもできましたが、あなたがたの間では幼子になりました。私たちは、自分の子どもたちを養い育てる母親のように、2:8 あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。2:9 兄弟たち。あなたがたは私たちの労苦と辛苦を覚えているでしょう。私たちは、あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。2:10 また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことについては、あなたがたが証人であり、神もまた証人です。2:11 また、あなたがたが知っているとおり、私たちは自分の子どもに向かう父親のように、あなたがた一人ひとりに、2:12 ご自分の御国と栄光にあずかるようにと召してくださる神にふさわしく歩むよう、勧め、励まし、厳かに命じました。 ■心に傷があったり、何か関心事があれば、日常の会話の中でそれが表に出てくるものです。もし自分が誰かに否定されたり、拒絶されたりしているならば、聞いてくれる人にその悔しさを訴えるでしょう。それすらもできなければ、心の病になってしまうかもしれません。聖書に登場する人が信仰の人であったとしても、その人もまた、傷つきやすく、疲れやすい弱い存在です。イエス様も肉体を取られたゆえに、肉体と感情の弱さを訴えられました。 ■パウロは不屈の宣教師でしたが、彼もまた例外ではありませんでした。パウロはテサロニケの信徒たちに、自分の働きを思い起こさせ、誠実に福音を伝えたことを語ります。誇ろうとするのではなく、その真実さを訴えようとしているのです。人々を喜ばせるためではなく、神様を喜ばせるために働いたと言います。時には母親のように仕え、時には父親のように教えました。使徒としての権威を主張せず、個人的な利益を求めることなく、福音と教会のために謙遜に模範を示したと語ります。 ■この手紙はコリントからテサロニケに送られたもので、コリント教会は一時期パウロを使徒として認めようとしませんでした。大都市のコリント教会は、パウロの外見や説教を軽視し、彼は文章を書くのは上手いが説教はそれほどでもないと貶めました。彼らは洗練された弁論家の演説を好んでいたようです。そのような条件を備えた偽教師たちが教会に入り込み、騙し始めました。彼らはパウロが宣教師として十分な財政的支援を受けていないのは、彼が使徒ではないからだと中傷しました。 ■テサロニケに送られた手紙には、パウロの傷ついた心が反映されていることでしょう。しかし、そのような危機によって、パウロの真実はむしろ一層明らかになるのです。神様の真理である福音は、隠そうとしても悟る者たちを通して隠すことなく現れますし、純粋な信仰が誤解されてもいつか明らかになるでしょう。この地上で明らかにならなくても、その日には必ず明らかになるのです。問題を引き起こすのは、この地上で誇りたがる人です。だからこそ、パウロには使徒としての権威以上の権威が与えられました。それは、自分の利益を求めることなく、福音と教会のために仕える権威です。パウロは誰も否定できないその権威を持って、今テサロニケの人々を勧めています。

데살로니가전서 묵상 【권면의 자격】 20240821(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

데살로니가전서 2:1~122:1 형제들아 우리가 너희 가운데 들어감이 헛되지 않은 줄을 너희가 친히 아나니2:2 너희 아는 바와 같이 우리가 먼저 빌립보에서 고난과 능욕을 당하였으나 우리 하나님을 힘입어 많은 싸움 중에 하나님의 복음을 너희에게 말하였노라2:3 우리의 권면은 간사에서나 부정에서 난 것도 아니요 궤계에 있는 것도 아니라2:4 오직 하나님의 옳게 여기심을 입어 복음 전할 부탁을 받았으니 우리가 이와…