列王記第二 黙想 【世の眩惑】 20240727(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 16:10-20 16:10 アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。アハズ王は、祭壇の図面とその模型を、詳細な作り方と一緒に祭司ウリヤに送った。 16:11 祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから送ったものとそっくりの祭壇を築いた。祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから帰って来るまでに、そのようにした。 16:12 王はダマスコから帰って来た。その祭壇を見て、王は祭壇に近づき、その上に上った。 16:13 彼は全焼のささげ物と、穀物のささげ物を焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための交わりのいけにえの血をこの祭壇に振りかけた。 16:14 主の前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち、この祭壇と主の神殿の間から動かし、この祭壇の北側に置いた。 16:15 それから、アハズ王は祭司ウリヤに次のように命じた。「朝の全焼のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大いなる祭壇の上で焼いて煙にせよ。また全焼のささげ物の血といけにえの血は、すべてこの祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためのものとする。」 16:16 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。 16:17 アハズ王は、車輪付きの台の鏡板を切り離し、その台の上から洗盤を外し、またその下にある青銅の牛の上から「海」も降ろして、それを敷き石の上に置いた。 16:18 彼は、宮の中に造られていた安息日用の覆いのある通路も、外側の王の出入り口も、アッシリアの王のために主の宮から取り除いた。 16:19 アハズが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 16:20 アハズは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の子ヒゼキヤが代わって王となった。   アハズ王は自分の力では乗り越えられなかったアラムと北イスラエルの軍隊を追い出したアッシリアの力に惑わされました。そして、その力の根源を、彼らが仕えている神、彼らの宗教的行いから始まったものだと考えたようです。  神様の神殿中心であったユダ王国は、アッシリアの偶像の神に仕える祭壇中心に変わりました。すべてのささげ物が神様の神殿ではなく偶像の祭壇でささげられ、偶像の祭壇の前で神様の神殿はみすぼらしく見えてしまうようになりました。  ユダ王国を守るためにアッシリアの偶像の神を持ってきたアハズの選択について歴代誌の御言葉では‘「この神々に、私もいけにえを捧げよう。そうすれば私を助けてくれるだろう。」これらの神々は、彼と全イスラエルをつまずかせるものとなった。’と語っています。  世の中に存在する教会は世の影響を受けやすい環境にあります。世のよさそうなもので教会を満たしていきたい気持ちになりやすいです。しかし、教会はその中心を失ってはいけません。私たちの目に良いものではなく、神様の目に良いもので教会を満たしていかなければなりません。  世は引き続き教会を惑わしていくでしょう。そして教会は、その世に対立し、その場から離れるのではなく、その世の中で神様の御言葉を伝えていく塩と光の役割を果たしていかなければなりません。その誘惑に負けず、イエスの体である教会として聖さを守っていくために、神様を礼拝することに力を注がなければならないでしょう。https://youtu.be/0fIcGLY62tk?si=vu9wq0vEDvb391R2

열왕기하 묵상 【세상의 현혹】 20240727(토) 최종석 전도사

열왕기하 16:10-20 16:10 아하스 왕이 앗수르의 왕 디글랏 빌레셀을 만나러 다메섹에 갔다가 거기 있는 제단을 보고 아하스 왕이 그 제단의 모든 구조와 제도의 양식을 그려 제사장 우리야에게 보냈더니 16:11 아하스 왕이 다메섹에서 돌아오기 전에 제사장 우리야가 아하스 왕이 다메섹에서 보낸 대로 모두 행하여 제사장 우리야가 제단을 만든지라 16:12 왕이 다메섹에서 돌아와 제단을 보고 제단 앞에…

列王記第二 黙想 【意味のない犠牲】 20240726(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 16:1-9 16:1 レマルヤの子ペカの第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。 16:2 アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、主の目にかなうことを行わず、 16:3 イスラエルの王たちの道に歩み、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした。 16:4 彼は高き所、丘の上、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えた。 16:5 そのころ、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来て、アハズを包囲したが、攻め切れなかった。 16:6 このとき、アラムの王レツィンはエイラトをアラムに復帰させ、ユダの人々をエイラトから追い払った。ところが、エドム人がエイラトに来て、そこに住みついた。今日もそのままである。 16:7 アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。」 16:8 アハズが主の宮と王宮の宝物倉にある銀と金を取り出して、それを贈り物としてアッシリアの王に送ったので、 16:9 アッシリアの王は彼の願いを聞き入れた。アッシリアの王はダマスコに攻め上り、これを取り、その住民をキルへ捕らえ移した。彼はレツィンを殺した。    私たちが今ここに至るまで、数多くの選択があったと思います。そして明らかに、私たちが選択してきた多くの分かれ道には選ばれなかった道が存在するでしょう。私たちはそれらの道を犠牲にし、今までの道を歩んできたとも言えます。その道の中には私たちが意味のない犠牲だと思っていた道もあるでしょう。  意味のない犠牲という言葉は私たちにとって馴染みのある言葉ですが、おそらくこの世に意味のない犠牲はないと私は思います。ただ、その犠牲を通して得た結果が何なのかの問題でしょう。その結果が小さくて粗末な物か、むしろ損になる物である時に、私たちは意味のない犠牲という言葉を使っているだけです。  このような側面から見ると、今日のユダの王アハズの選択、彼が犠牲にしたものはどのような意味を持っているのでしょうか。 彼は北イスラエルとアラムの攻撃から国を守るために、アッシリアの王に助けを求めるという選択をしました。その結果、犠牲になるのは自分のアイデンティティと贈り物、自分の物だけでなく、主の宮にあった物まででした。  その犠牲の贈り物を受けたアッシリアの王は、アハズの願い通りに北イスラエルとアラムを追い出してくれます。アハズの目線から見れば、有意義な犠牲だったと思える結果です。しかし、神様の目線から見ると、アハズが犠牲を通して得た結果は意味のない犠牲、ただ失うだけの犠牲に過ぎなかったでしょう。  キリスト者たちはイエス様の犠牲に励まされ、進められ、自ら主のために犠牲する道、十字架の道を歩んでいく者です。世の中の人々から見れば意味なく見える犠牲に忠実し、彼らが言う意味あるものを犠牲にさせる者です。  今日の私たちは何を犠牲にしながら生きているのでしょうか。 私たちが犠牲にするものが神様の目線からは意味のない犠牲にならないように、常に自分の価値観を振り返らなければならないでしょう。https://youtu.be/GgFab1Gj8eE?si=0c6O1dzxPhpvkGAD

열왕기하 묵상 【의미 없는 희생】 20240726(금) 최종석 전도사

열왕기하 16:1-9 16:1 르말랴의 아들 베가 제십칠년에 유다의 왕 요담의 아들 아하스가 왕이 되니 16:2 아하스가 왕이 될 때에 나이가 이십 세라 예루살렘에서 십육 년간 다스렸으나 그의 조상 다윗과 같지 아니하여 그의 하나님 여호와께서 보시기에 정직히 행하지 아니하고 16:3 이스라엘의 여러 왕의 길로 행하며 또 여호와께서 이스라엘 자손 앞에서 쫓아내신 이방 사람의 가증한 일을 따라…

Ⅱ列王記 黙想 【滅びる国】 20240725(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 15:27~3815:27 ユダの王アザルヤの第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。15:28 彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。15:29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移した。15:30 そのとき、エラの子ホセアはレマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打ち殺して、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。15:31 ペカについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。15:32 イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。15:33 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。15:34 彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。15:35 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。彼は主の宮の上の門を建てた。15:36 ヨタムが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。15:37 そのころ、主はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。15:38 ヨタムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。   王を殺して王となり、その王は神様の前で罪を犯し、また反乱によって殺されることが繰り返されます。繰り返すだけならまだしも、結局は体質が弱くなり、滅びの道を歩み始めます。悔い改めも体力があるうちにしなければなりません。イスラエルは神の外で力を使い果たし、今や悔い改める力さえ持てません。サムソンが神様に最後の力を求め、ペリシテ人を殺したのは、神様がなさるべきことを一気に成したに過ぎず、サムソンにとって誇れることではなく、ただ恥ずかしいだけです。力が残っているうちに悔い改めるべきでした。北イスラエルは既にアッシリアに部分的に侵略され始めました。アッシリア王ティグラト・ピレセルにより、イスラエルの領土の一部を失い、多くの人々が捕虜として連れて行かれました。驚くべきことに、北イスラエル王国は滅びて解体されるにもかかわらず、最後まで悔い改めないのです。   歴史から教訓を得るためには、栄えた理由よりも滅びた理由を学ぶべきです。読んできたように、北イスラエルは王朝と王があまりにも頻繁に変わりました。短期間の間に王家の暗殺が繰り返され、政治的に混乱し、それは王だけでなく国全体が死に向かう結果を招きました。王権が安定せず、国家の安定性が弱まり、外部からの侵略に対して脆弱になりました。内部が崩れれば外部に穴が開くのは当然です。もちろん時代的にはアッシリアの力が強大化していた時期でもありますが、第一の原因は外部ではなく内部にあります。   このように、ホセアがペカ王を殺して王となりますが、これまで王を殺しても何も解決しなかったのです。ホセアも国を守ることはできないでしょう。チャーチルが人生の本と称したエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』は、ローマの滅亡の原因を外部からの侵入よりも、市民の道徳性の低下と政治の腐敗に求めています。市民の道徳性や倫理意識が弱まり、公共の善よりも個人の利益に執着し、ローマの政治構造が腐敗し変質したというのです。皇帝の座を巡る暗殺と内戦が絶えず、このような政治的な不安定が帝国を弱体化させました。利己的な市民意識、恥を知らない宗教、政治の混乱とリーダーシップの欠如は、現代に生きる私たちにも馴染み深いものです。    

열왕기하 묵상 【망하는 나라】 20240725(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 15:27~3815:27 유다 왕 아사랴 오십 이년에 르말랴의 아들 베가가 이스라엘 왕이 되어 사마리아에서 이십년을 치리하며15:28 여호와 보시기에 악을 행하여 이스라엘로 범죄케 한 느밧의 아들 여로보암의 죄에서 떠나지 아니하였더라15:29 이스라엘 왕 베가 때에 앗수르 왕 디글랏 빌레셀이 와서 이욘과 아벨벳마아가와 야노아와 게데스와 하솔과 길르앗과 갈릴리와 납달리 온 땅을 취하고 그 백성을 사로잡아 앗수르로 옮겼더라15:30 웃시야의…

Ⅱ列王記 黙想 【シシュポスの石】 20240724(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 15:13~2615:13 ヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリアで一か月間、王であった。15:14 ガディの子メナヘムは、ティルツァから上ってサマリアに至り、ヤベシュの子シャルムをサマリアで打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。15:15 シャルムについてのその他の事柄、彼が企てた謀反は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。15:16 そのとき、メナヘムはティルツァから出て、ティフサフとその住民、その領地を討った。彼らが城門を開かなかったので、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂いた。15:17 ユダの王アザルヤの第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間、王であった。15:18 彼は主の目に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。15:19 アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。15:20 メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。15:21 メナヘムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。15:22 メナヘムは先祖とともに眠りにつき、その子ペカフヤが代わって王となった。15:23 ユダの王アザルヤの第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間、王であった。15:24 彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。15:25 彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカはペカフヤを殺し、彼に代わって王となった。15:26 ペカフヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。   シシュフォスの神話では、シシュポスは絶えず岩を山の頂上まで引き上げますが、岩は再び下に転がり落ちることを繰り返します。この作業は繰り返しで無意味なものでした。方向が間違っているため、努力しても成果が得られないことを「シシュポスの作業(Sisyphean Task)」と言います。人間の熱心さや意志を称賛するものではありません。熱心に取り組んでも、より大きな困難に直面するのは、方向が間違っているからです。その熱心さはすぐに狂気に変わります。根性ではなく、ただの愚かさです。失敗はすでに決まっています。シシュポスは岩を置いて方向性について悩むべきです。   イスラエルとユダの王たちの権力闘争は、シシュポスの作業のようです。王になっても、王の地位を持つのはわずか一か月で、死にます。それはまるで蛇が自分の尾を噛んで食い、食われるようなものです。本文が始まる13節の名前が印象的でした。「ヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリアで一か月間、王であった。」ヤベスは「苦しみ」を意味し、その息子シャルムは「平和」を意味します。しかし彼は一か月で死ぬ平和のない人です。王ほど人間らしくない、平和らしくないものはないようです。   シシュポスの無意味な目的のように、列王たちは意味もなく死に、また殺されます。妊娠した女性や子どもまで全て殺します。夏の公園を散歩すると、道に出て干からびたミミズを見つけることがあります。湿った場所にいるべきミミズが方向を間違えて道に出て貫かず、戻れず、干からびてしまったのです。見るに気持ちが悪いですが、一方でかわいそうです。イスラエルとユダの列王、いや全ての権力を貪る者たちは、みな栄光を追い求めますが、方向が定まってないから道端に干からびているミミズのように散らばるでしょう。   裏切った者は裏切られ、殺した者は殺されるでしょう。人類が存在する限り、人間の欲望と貪欲は消えないでしょう。愚かなミミズは絶えず道を渡ろうとし、シシュポスは朝早くから岩を転がし続けます。世界は山に岩を引き上げようとするシシュポスのうめき声を聞き、道を渡れないミミズの悲鳴を聞くことになります。人が御言葉の中で人生の意味を見つけ、それを実践しなければ、方向を失い「ただ熱心に」生きることになるでしょう。      

열왕기하 묵상 【시지프스의 과업】 20240724(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 15:13~2615:13 유다 왕 웃시야 삼십 구년에 야베스의 아들 살룸이 사마리아에서 왕이 되어 한 달을 치리하니라15:14 가디의 아들 므나헴이 디르사에서부터 사마리아로 올라가서 야베스의 아들 살룸을 거기서 죽이고 대신하여 왕이 되니라15:15 살룸의 남은 사적과 그 모반한 일은 이스라엘 왕 역대지략에 기록되니라15:16 그 때에 므나헴이 디르사에서 와서 딥사와 그 가운데 있는 모든 사람과 그 사방을 쳤으니 이는…

Ⅱ列王記 黙想 【高き所の宗教】 20240723(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 15:1~1215:1 イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。15:2 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。15:3 彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。15:4 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。15:5 主が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。15:6 アザルヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。15:7 アザルヤは彼の先祖とともに眠りについた。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。15:8 ユダの王アザルヤの第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月の間、王であった。15:9 彼は先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。15:10 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。15:11 ゼカリヤについてのその他の事柄は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。15:12 主がかつてエフーに告げられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」ということであったが、はたして、そのとおりになった。   ユダの王アザルヤは神様の目にかなうことを行ったと評価されていますが、彼は高き所を取り除きませんでした。そのため、人々は依然として高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていました。アザルヤは神様の命令に完全には従わなかったため、結局ハンセン病にかかり、死ぬまでその病に苦しむことになりました。山に設けた祭壇や礼拝所をヘブライ語で「バマ」(בָּמָה)と呼び、これが高き所です。イスラエルがカナンの地に入る前から、カナン人はこの高き所で宗教儀式を行っていました。   イスラエルはなぜこのような高き所を取り除かなかったのでしょうか。イスラエルの民はカナンを征服した後、そこで神様に礼拝を捧げることもありました。空間を合理的に使用したといえるでしょう。しかし、そのような宗教儀式は礼拝の対象までも混合し始めました。日常生活で最も身近に繰り返し行われ、イスラエルの人々にとって自然な生活の一部になったのです。習慣が文化となって土着化すると、それを変えるのは非常に難しいものです。高き所を取り除くことには宗教的というよりも心理的な抵抗が伴います。反対する人々から税を徴収し、その労働力で高き所を解体しなければならないという政治的な負担もあります。アザルヤもそれを取り除く改革を行うことができませんでした。   バビロニアに連れられる前のユダヤ人は、本来は神殿礼拝中心の宗教でしたが、バビロニアが神殿を破壊したため、ユダヤ人は物理的な環境だけでなく、信仰を認識する基盤も失ってしまいました。そのため、バビロニア時代以降、ユダヤ人はシナゴーグ中心の礼拝とトーラー学習を通じて、無形の信仰生活を再構築しました。したがって、神殿の破壊は事実上、持続可能なユダヤ教の神学体系を築く契機となりました。ユダヤ人はその後も神殿がない状況でも信仰を維持し、発展させることができるようになりました。   私たちは宗教的目的から派生した文化的要素を本質であるかのように執着しやすいものです。しかし、状況が変わるとそれが重要ではないことに気づきます。心理的安定をもたらす習慣的で文化的なものの中には、むしろ信仰の本質を確保するために破壊し、取り除かなければならないものもあるでしょう。改革は創造的破壊です。未練なく壊さなければなりません。もちろん、伝統とそれがもたらす安定感は重要です。しかし、水を入れる器の機能に集中するならば、器の形はいくらでも変えることができます。多くの宗教的文化の中で生活している中で、鋭い識別力を持ち、変化できる柔軟性を持たなければならないと思います。  

열왕기하 묵상 【산당의 종교】 20240723(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 15:1~1215:1 이스라엘 왕 여로보암 이십 칠년에 유다 왕 아마샤의 아들 아사랴가 왕이 되니15:2 위에 나아갈 때에 나이 십 륙세라 예루살렘에서 오십 이년을 치리하니라 그 모친의 이름은 여골리야라 예루살렘 사람이더라15:3 아사랴가 그 부친 아마샤의 모든 행위대로 여호와 보시기에 정직히 행하였으나15:4 오직 산당은 제하지 아니하였으므로 백성이 오히려 그 산당에서 제사를 드리며 분향하였고15:5 여호와께서 왕을 치셨으므로 그…