Ⅱ列王記 黙想 【すべてのことがともに働いて】 20240722(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

Ⅱ列王記 14:17~2914:17 ユダの王ヨアシュの子アマツヤは、イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの死後、なお十五年生きた。14:18 アマツヤについてのその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。14:19 エルサレムで人々が彼に対して謀反を企てた。彼はラキシュに逃げたが、人々はラキシュに追っ手を送り、そこで彼を殺した。14:20 彼らは彼を馬に乗せて運んだ。彼はエルサレムで先祖とともに、ダビデの町に葬られた。14:21 ユダの民はみな、当時十六歳であったアザルヤを立てて、その父アマツヤの代わりに王とした。14:22 彼は、アマツヤが先祖とともに眠った後、エイラトを築き直し、それをユダに復帰させた。14:23 ユダの王ヨアシュの子アマツヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムが王となり、サマリアで四十一年間、王であった。14:24 彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れなかった。14:25 彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。14:26 イスラエルの苦しみが非常に激しいのを、主がご覧になったからである。そこには、奴隷も自由な者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。14:27 主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。14:28 ヤロブアムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が戦いであげた功績、すなわち、かつてユダのものであったダマスコとハマテをイスラエルに取り戻したこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。14:29 ヤロブアムは、彼の先祖たち、イスラエルの王たちとともに眠り、その子ゼカリヤが代わって王となった。   本文を読み進めるうちに、列王の人生も儚いものであると思われました。長く生きた人もいれば、早く亡くなった人もいます。長く王位にいた人もいれば、暗殺された人もいます。業績のある人もいれば、そうでない人もいます。少し善い人、少し悪い人、比較的善い人、誰よりも悪い人など様々です。その人生は一行にも満たない文で評価され、死んだ者には弁明の機会も悔い改めの機会もありません。ある時代に生まれ、王となって生きましたが、その評価は悪事を行って死んだで結論付けられています。   注目すべきことは、24節以下に記されているように、主の目に悪を行ったと評価されているヤロブアム2世を神様が用いたという点です。イスラエルが苦しんでいた時、イスラエルを助ける信仰の人が一人もいなかったため、神様は悪人ヤロブアムをも用いてイスラエルを救われました。その結果、彼は力を得てイスラエルの領土を回復し、拡大する業績を残しました。   神様は悪人をも用いますか?その通りです。神様は歴史を主導し、世界を統治しておられます。すべての出来事は神様のご計画の中で行われ、その神様の意思を成し遂げるために神様はすべての人とすべての状況を用いることができます。しかし、覚えておかなければならないのは、悪人が神様の道具として用いられたとしても、その悪行に対する責任は悪人自身に残るということです。   善は悪の反対語と考えがちますが、神様の善を考えると、その意味は単に悪の反対ではありません。悪が神様を脅かしたり、神様に対抗することはできません。神様の善は悪と反対の概念を超え、神様の本質的な属性です。人間の観点による道徳的評価が善ではなく、神様が行われるすべてのことが善なのです。   アウグスティヌスは、善は神様から出て、悪はその善の欠如であると言いました。ですから、神様が欠如している世界と人間には悪が残るだけです。逆に言えば、神様の善というのは、悪の欠如ではなく、それ自体で完全なものです。トマス・アクィナスは、神様が最高の善であるので、神様が行われるすべてのことは、その本質に従って完全なる善であると言いました。悪人さえも正義のために用いられますが、神様はすべてにおいて、常に、完全に善なる方です。  

열왕기하 묵상 【모든 것이 합력하여】 20240722(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 14:17~2914:17 이스라엘 왕 여호아하스의 아들 요아스가 죽은 후에도 유다 왕 요아스의 아들 아마샤가 십 오년을 생존하였더라14:18 아마샤의 남은 행적은 유다 왕 역대지략에 기록되지 아니하였느냐14:19 예루살렘에서 무리가 저를 모반한고로 저가 라기스로 도망하였더니 모반한 무리가 사람을 라기스로 따라 보내어 저를 거기서 죽이게 하고14:20 그 시체를 말에 실어다가 예루살렘에서 그 열조와 함께 다윗성에 장사하니라14:21 유다 온 백성이…

列王記第二 黙想 【信頼の証票】 20240720(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 13:14-25 13:14 エリシャが死の病をわずらっていたときのことである。イスラエルの王ヨアシュは、彼のところに下って行き、彼の上に泣き伏して、「わが父、わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んだ。 13:15 エリシャが王に「弓と矢を持って来なさい」と言ったので、王は弓と矢をエリシャのところに持って来た。 13:16 エリシャはイスラエルの王に「弓に手をかけなさい」と言ったので、王は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上に置いて、 13:17 「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを討ち、これを絶ち滅ぼす。」 13:18 それからエリシャは、「矢を取りなさい」と言ったので、イスラエルの王は取った。そしてエリシャは王に「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。 13:19 神の人は彼に激怒して言った。「あなたは五回も六回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを討って、絶ち滅ぼすことになっただろう。しかし、今は三回だけアラムを討つことになる。」 13:20 こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。 13:21 人々が、一人の人を葬ろうとしていたちょうどそのとき、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるやいなや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。 13:22 アラムの王ハザエルは、エホアハズの生きている間中、イスラエル人を虐げたが、 13:23 主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで、御顔を背けて彼らを捨てることはなさらなかった。 13:24 アラムの王ハザエルは死に、その子ベン・ハダドが代わって王となった。 13:25 エホアハズの子ヨアシュは、その父エホアハズの手からハザエルが攻め取った町々を、ハザエルの子ベン・ハダドの手から取り返した。ヨアシュは三度彼を打ち破って、イスラエルの町々を取り返した。  ソロモン以後に分裂したイスラエル民族、その中でも特に北イスラエル王国は絶えず神様を背き、罪を犯してしまいます。彼らにはもう神様に選ばれた民であるというアイデンティティは見えず、周りの国々と同じく生きていきました。  しかし、それでもイスラエルの民の叫びを聞き、彼らに救いの手を差し伸べ、後日滅亡される時もその民が完全に散ってしまうことはないようにしてくださる理由が、今日の箇所に登場しています。それは、彼らの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえでした。  イスラエルの周りの国々は偶像の神を拝み、神様の名を冒瀆し、神の民を苦しめる存在でした。彼らには当然、その罪の結果として神様に裁かれ、絶滅の宣言が下されます。しかし、イスラエル民族も同じく罪を犯し、神様に背いたにもかかわらず、彼らに宣言されるのは救いの約束でした。それが神様の約束であったからです。  今まで指導者たち、預言者たちを通して神様から与えられた様々な預言と約束の御言葉は、単純に神様の能力を表せるためのものではないでしょう。神様はそのような方法だけでご自分の栄光を表す方ではないためです。  むしろ、そのすべての預言と約束の御言葉より前にある約束、アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれたその契約、さらに遡って、ノアとアダムとエバ、そしてヘビに与えられた約束と預言の御言葉、神様はそれらのことを何一つも残さずに成し遂げてくださるという信頼の証票であるのでしょう。  この信頼の証票は、イスラエルの民に与えられたように、私たちにも与えられている証票であります。私たちを救うことをあきらめずに、最後まで成し遂げてくださるという神様のこの証票を見つめながら、私たちが進む救いの旅程を止まらずに進んでいけるでしょう。https://youtu.be/wW644zf3kv8?si=dVOEUtWJIAvwJulP

열왕기하 묵상 【신뢰의 증표】 20240720(토) 최종석 전도사

열왕기하 13:14-25 13:14 엘리사가 죽을 병이 들매 이스라엘의 왕 요아스가 그에게로 내려와 자기의 얼굴에 눈물을 흘리며 이르되 내 아버지여 내 아버지여 이스라엘의 병거와 마병이여 하매 13:15 엘리사가 그에게 이르되 활과 화살들을 가져오소서 하는지라 활과 화살들을 그에게 가져오매 13:16 또 이스라엘 왕에게 이르되 왕의 손으로 활을 잡으소서 하매 그가 손으로 잡으니 엘리사가 자기 손을 왕의 손…

列王記第二 黙想 【一方的コミュニケーション】 20240719(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 13:1-13 13:1 ユダの王アハズヤの子ヨアシュの第二十三年に、エフーの子エホアハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間、王であった。 13:2 彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を犯し続け、それから離れなかった。 13:3 そのため、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラムの王ハザエル、および、ハザエルの子ベン・ハダドの手に絶えず渡しておられた。 13:4 しかし、エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた。アラムの王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になったからである。 13:5 主がイスラエルに一人の救う者を与えられたので、彼らはアラムの支配を脱した。こうしてイスラエル人は以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。 13:6 それにもかかわらず、彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアム家の罪から離れず、なおそれを行い続け、アシェラ像もサマリアに立ったままであった。 13:7 また、アラムの王が彼らを滅ぼして、打穀のときのちりのようにしたので、エホアハズには騎兵五十、戦車十、歩兵一万の軍隊しか残されていなかった。 13:8 エホアハズについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、その功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 13:9 エホアハズは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をサマリアに葬った。彼の子ヨアシュが代わって王となった。 13:10 ユダの王ヨアシュの第三十七年に、エホアハズの子ヨアシュがサマリアでイスラエルの王となり、十六年間、王であった。 13:11 彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れず、なおそれを行い続けた。 13:12 ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、ユダの王アマツヤと戦ったその功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 13:13 ヨアシュは先祖とともに眠りにつき、ヤロブアムがその王座に就いた。ヨアシュはイスラエルの王たちとともにサマリアに葬られた。    私たちは言うことと同じく聞くことを大事にしています。いくら話しが上手な人であっても、相手の言うことを聞かないと、その中で対話は成り立たないためです。    このような面で、神様は私たちにおっしゃるほど、私たちの声を聞く方、私たちと積極的な対話を求める方です。    そのため、神様は今日箇所のイスラエル民が苦しんでいる声に目を側めませんでした。彼らがいくら罪人であって、ご自身から離れ去った者であっても、その声を聞いてくださり、救いをお与えになりました。しかし、神様は再び彼らが神様を離れ去ること、罪を犯して偶像を拝む声を聞き、その声に応答することでもあります。    イスラエルの立場から見直すと、まず彼らは神様の言うことを聞きませんでした。しかし、自分たちが苦みの中にいる時に一方的に神様に叫んだだけです。そのように自分たちが求めるものを得た後には、再び神様の御言葉を無視してしまいました。    私たちは、お祈りは神様とのコミュニケーションであると良く言います。しかし、私たちの祈りは本当に神様との対話になっているでしょうか?イスラエルの民ように聞きたいことだけを聞き、求めることだけを伝える一方的なコミュニケーションをしていたのではないでしょうか。    神様が求めておられることは、私たちの一方的な祈りではありません。その時を通して神様ご自身と対話し、コミュニケーションをすること、神様の言うことを聞き、神様に言う時間です。そのため、私たちはその時間の中で私たちが求めることだけを言い、聞きたいことだけを聞くのではなく、神様が求めておられることを言い、神様がおっしゃる全てのことを聞かなければならないでしょう。

열왕기하 묵상 【일방적인 소통】 20240719(금) 최종석 전도사

열왕기하 13:1-13 13:1 유다의 왕 아하시야의 아들 요아스의 제이십삼 년에 예후의 아들 여호아하스가 사마리아에서 이스라엘 왕이 되어 십칠 년간 다스리며 13:2 여호와 보시기에 악을 행하여 이스라엘에게 범죄하게 한 느밧의 아들 여로보암의 죄를 따라가고 거기서 떠나지 아니하였으므로 13:3 여호와께서 이스라엘에게 노하사 늘 아람 왕 하사엘의 손과 그의 아들 벤하닷의 손에 넘기셨더라  13:4 아람 왕이 이스라엘을 학대하므로…

Ⅱ列王記 黙想 【自発と透明】 20240718(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 12:9~2112:9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴を開け、それを祭壇のわき、主の宮の入り口の右側に置いた。こうして、入り口を守る祭司たちは、主の宮に納められる金をみな、そこに入れた。12:10 箱の中に金が多くなるのを確認すると、王の書記と大祭司は上って来て、それを袋に入れ、主の宮に納められている金を計算した。12:11 こうして、勘定された金は、主の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らは、それを主の宮を造る木工と建築する者たち、12:12 石工、石切り工に支払い、また、主の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、金は神殿修理のための出費のすべてに充てられた。12:13 ただし、主の宮のための銀の皿、芯取りばさみ、鉢、ラッパなど、いかなる金の用具、銀の用具も、主の宮に納められる金で作られることはなかった。12:14 その金は、工事する者たちに渡され、彼らはそれと引き替えに主の宮を修理したからである。12:15 また、工事する者に支払うように金を渡した人々が精算を求められることはなかった。彼らが忠実に働いていたからである。12:16 代償のささげ物の金と、罪のきよめのささげ物の金は、主の宮に納められず、祭司たちのものとなった。12:17 そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取った。さらに、ハザエルはエルサレムを目指して攻め上った。12:18 ユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャファテ、ヨラム、アハズヤが聖別して献げたすべての物、および自分自身が聖別して献げた物、主の宮と王宮の宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送った。するとハザエルはエルサレムから去って行った。12:19 ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。12:20 ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベテ・ミロで打ち殺した。12:21 彼の家来シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデが彼を討ったので、彼は死んだ。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子アマツヤが代わって王となった。   ヨアシュは祭司たちが財政を動員しなければならない方法から、民が自主的に献金するようにしました。神殿と祭司のための基本的な献金以外に、整備のための指定献金です。神殿の入口に箱を置き、人々が神殿に入るたびに献金するようにしました。その箱に集まったお金が神殿修理工事の代金となり、施工のための実費として支払われました。工事を引き受けた大工、建築家、石工などに支払われ、神殿が修理されました。   礼拝のための財政的な献身は、富裕層が行うものではなく、すべての礼拝者が行うものです。礼拝のために必要なものは、礼拝者の真心で捧げた小さな献金で成り立ちます。すべての人が参加し、自主的で、財政管理は透明で手続きは簡単でした。それぞれが真実に捧げ、透明に管理され、迅速に実行されるならば、それはすでに神様に受け入れられた献物です。それこそが衰える神殿のまことな修復です。   教会が財政を誤って使用することは違法です。その前に、財政を信徒に対して透明に公開しないこと自体が違法です。信徒が教会運営の財政的責任を放棄することも違法です。教会に資本が蓄積されることも違法です。信徒は教会に投資したのではなく、教会の維持と宣教のために献金したのです。教会はお金を集める場所ではなく、使う場所です。献金の見返りとして地位を得たり階級化することはさらに違法です。それは神様のものを私有化しようとする違法行為となります。牧師が御言葉を無視して財政動員に没頭することも違法です。お金ではなく、自主的な参加と透明な管理こそが衰えていく教会を修復する力となります。  

열왕기하 묵상 【자발성과 투명성】 20240718(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 12:9~2112:9 제사장 여호야다가 한 궤를 취하여 그 뚜껑에 구멍을 뚫어 여호와의 전문 어귀 우편 곧 단 옆에 두매 무릇 여호와의 전에 가져오는 은을 다 문을 지키는 제사장들이 그 궤에 넣더라12:10 이에 그 궤 가운데 은이 많은 것을 보면 왕의 서기와 대제사장이 올라와서 여호와의 전에 있는대로 그 은을 계수하여 봉하고12:11 그 달아본 은을 일하는 자…

Ⅱ列王記 黙想 【仕事を先延ばしにする人々】 20240717(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 12:1~812:1 ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバ出身であった。12:2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。12:3 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。12:4 ヨアシュは祭司たちに言った。「主の宮に献げられる、聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金や、自発的に主の宮に献げられる金のすべては、12:5 祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の修繕にそれを充てなければならない。」12:6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。12:7 ヨアシュ王は、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで、彼らに言った。「なぜ、神殿の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。神殿の破損にそれを充てなければならないからだ。」12:8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、神殿の破損の修理に責任を持たないことに同意した。   ヨアシュが王になった後、大祭司エホヤダに神殿の修理を命じましたが、23年が経過しても神殿の修理は行われませんでした。ヨアシュ王はこのことで大祭司エホヤダを叱責しますが、その理由を考えると、第一の原因はヨアシュ自身にあると言えます。ヨアシュは主の目にかなうことを行ったと記録されていますが、完全ではなく、一つの欠点がありました。それは、高き所を取り除かなかったことです。これは宗教的な混合を放置したことであり、したがって霊的な集中力が落ちていました。もしヨアシュが神様の礼拝に集中していたならば、23年間も高き所を放置することはなかったでしょうし、神殿の修理を頻繁に催促したでしょう。ヨアシュの集中力のない混合が、神殿修理を遅らせる結果を招いたのです。何事にも集中力がなければ、逃げ回り、先延ばしにします。そして、23年という時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。23年後にやろうと先延ばしにしたのではありません。明日に延ばしたことが23年になってしまったのです。神様の働きを日々先延ばしにしていると、一生を先延ばしになり、結局何も実行できないことになります。仕事を先延ばしにする習慣の原因が考えられますが、順番として最初に挙げられるのが動機の欠如です。神様に対する集中力がなければ、たとえ神様のうちにとどまり、神様の働きをしていても集中力が生まれず、ものごとを先延ばしにしてしまいます。混合されて集中できず、躊躇している人々には、時間が早く過ぎ去ります。   もう一つの責任は、大祭司と祭司たちにあります。本文を読む限り、祭司たちがどのような理由で神殿修理工事を先延ばしにしたのかは正確には分かりませんが、ただ財政的な理由が関与しているのは明らかなようです。財政的な問題にもいくつかの可能性があります。祭司たちが工事費用として使うべき献金を中間で横領した不正の問題かもしれませんし、あるいは祭司たちが工事費を募金し、計画し、推進することができない財政管理の構造的な問題だったのかもしれません。ただ文脈上、ヨアシュが祭司たちに後続的な責任を問わず、祭司たちも王の提案に同意したことから、後者が原因の可能性が高いです。祭司たちはむしろそれを歓迎する雰囲気です。そうであるなら、原因は祭司たちに業務と責任の限界が不明確であること、仕事を推進する体制が整っていなかったことが指摘されるかもしれません。これも集中力の問題です。心が二つに分かれると集中力がなくなるように、財政動員と管理の責任が祭司にあると集中力が生まれず、先延ばしになってしまいます。集中力が足りないと思ったら、集中しようと努力するより、集中しなくてもいいものを直ちに取り除くのが効果的でしょう。  

열왕기하 묵상 【일을 미루는 사람들】 20240717(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 12:1~812:1 예후의 칠년에 요아스가 위에 올라 예루살렘에서 사십년을 치리 하니라 그 모친의 이름은 시비아라 브엘세바 사람이더라12:2 요아스가 제사장 여호야다의 교훈을 받을 동안에 여호와 보시기에 정직히 행하였으되12:3 오직 산당을 제하지 아니하였으므로 백성이 오히려 산당에서 제사하며 분향하였더라12:4 요아스가 제사장들에게 이르되 무릇 여호와의 전에 거룩하게 하여 드리는 은 곧 사람의 통용하는 은이나 각 사람의 몸값으로 드리는 은이나…