열왕기하 묵상 【자발성과 투명성】 20240718(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 12:9~2112:9 제사장 여호야다가 한 궤를 취하여 그 뚜껑에 구멍을 뚫어 여호와의 전문 어귀 우편 곧 단 옆에 두매 무릇 여호와의 전에 가져오는 은을 다 문을 지키는 제사장들이 그 궤에 넣더라12:10 이에 그 궤 가운데 은이 많은 것을 보면 왕의 서기와 대제사장이 올라와서 여호와의 전에 있는대로 그 은을 계수하여 봉하고12:11 그 달아본 은을 일하는 자…

Ⅱ列王記 黙想 【仕事を先延ばしにする人々】 20240717(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 12:1~812:1 ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバ出身であった。12:2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。12:3 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。12:4 ヨアシュは祭司たちに言った。「主の宮に献げられる、聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金や、自発的に主の宮に献げられる金のすべては、12:5 祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の修繕にそれを充てなければならない。」12:6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。12:7 ヨアシュ王は、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで、彼らに言った。「なぜ、神殿の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。神殿の破損にそれを充てなければならないからだ。」12:8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、神殿の破損の修理に責任を持たないことに同意した。   ヨアシュが王になった後、大祭司エホヤダに神殿の修理を命じましたが、23年が経過しても神殿の修理は行われませんでした。ヨアシュ王はこのことで大祭司エホヤダを叱責しますが、その理由を考えると、第一の原因はヨアシュ自身にあると言えます。ヨアシュは主の目にかなうことを行ったと記録されていますが、完全ではなく、一つの欠点がありました。それは、高き所を取り除かなかったことです。これは宗教的な混合を放置したことであり、したがって霊的な集中力が落ちていました。もしヨアシュが神様の礼拝に集中していたならば、23年間も高き所を放置することはなかったでしょうし、神殿の修理を頻繁に催促したでしょう。ヨアシュの集中力のない混合が、神殿修理を遅らせる結果を招いたのです。何事にも集中力がなければ、逃げ回り、先延ばしにします。そして、23年という時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。23年後にやろうと先延ばしにしたのではありません。明日に延ばしたことが23年になってしまったのです。神様の働きを日々先延ばしにしていると、一生を先延ばしになり、結局何も実行できないことになります。仕事を先延ばしにする習慣の原因が考えられますが、順番として最初に挙げられるのが動機の欠如です。神様に対する集中力がなければ、たとえ神様のうちにとどまり、神様の働きをしていても集中力が生まれず、ものごとを先延ばしにしてしまいます。混合されて集中できず、躊躇している人々には、時間が早く過ぎ去ります。   もう一つの責任は、大祭司と祭司たちにあります。本文を読む限り、祭司たちがどのような理由で神殿修理工事を先延ばしにしたのかは正確には分かりませんが、ただ財政的な理由が関与しているのは明らかなようです。財政的な問題にもいくつかの可能性があります。祭司たちが工事費用として使うべき献金を中間で横領した不正の問題かもしれませんし、あるいは祭司たちが工事費を募金し、計画し、推進することができない財政管理の構造的な問題だったのかもしれません。ただ文脈上、ヨアシュが祭司たちに後続的な責任を問わず、祭司たちも王の提案に同意したことから、後者が原因の可能性が高いです。祭司たちはむしろそれを歓迎する雰囲気です。そうであるなら、原因は祭司たちに業務と責任の限界が不明確であること、仕事を推進する体制が整っていなかったことが指摘されるかもしれません。これも集中力の問題です。心が二つに分かれると集中力がなくなるように、財政動員と管理の責任が祭司にあると集中力が生まれず、先延ばしになってしまいます。集中力が足りないと思ったら、集中しようと努力するより、集中しなくてもいいものを直ちに取り除くのが効果的でしょう。  

열왕기하 묵상 【일을 미루는 사람들】 20240717(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 12:1~812:1 예후의 칠년에 요아스가 위에 올라 예루살렘에서 사십년을 치리 하니라 그 모친의 이름은 시비아라 브엘세바 사람이더라12:2 요아스가 제사장 여호야다의 교훈을 받을 동안에 여호와 보시기에 정직히 행하였으되12:3 오직 산당을 제하지 아니하였으므로 백성이 오히려 산당에서 제사하며 분향하였더라12:4 요아스가 제사장들에게 이르되 무릇 여호와의 전에 거룩하게 하여 드리는 은 곧 사람의 통용하는 은이나 각 사람의 몸값으로 드리는 은이나…

열왕기하 묵상 【작은 불씨】 20240716(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 11:13~2111:13 아달랴가 호위병과 백성의 소리를 듣고 여호와의 전에 들어가서 백성에게 이르러11:14 보매 왕이 규례대로 대 위에 섰고 장관들과 나팔수가 왕의 곁에 모셨으며 온 국민이 즐거워하여 나팔을 부는지라 아달랴가 옷을 찢으며 외치되 반역이로다 반역이로다 하매11:15 제사장 여호야다가 군대를 거느린 백부장들에게 명하여 가로되 반열 밖으로 몰아내라 무릇 저를 따르는 자는 칼로 죽이라 하니 제사장의 이 말은…

Ⅱ列王記 黙想 【小さな火種】 20240716(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 11:13~2111:13 アタルヤは近衛兵と民の声を聞いて、主の宮の民のところに行った。11:14 彼女が見ると、なんと、王が定めのとおりに柱のそばに立っていた。王の傍らに隊長たちやラッパ奏者たちがいて、民衆がみな喜んでラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは自分の衣を引き裂き、「謀反だ、謀反だ」と叫んだ。11:15 祭司エホヤダは、部隊を委ねられた百人隊の長たちに命じた。「この女を列の間から連れ出せ。この女に従って来る者は剣で殺せ。」祭司が「この女は主の宮で殺されてはならない」と言ったからである。11:16 彼らは彼女を取り押さえた。彼女が馬の出入り口を通って王宮に着くと、彼女はそこで殺された。11:17 エホヤダは、主と、王および民との間で、彼らが主の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。11:18 民衆はみなバアルの神殿に行って、それを打ち壊した。彼らはその祭壇と像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司エホヤダは主の宮に管理人を置いた。11:19 彼は百人隊の長たち、カリ人、近衛兵たちと民衆すべてを率いた。彼らは王を主の宮から連れて下り、近衛兵の門を通って王宮に入った。王は王の座に着いた。11:20 民衆はみな喜んだ。アタルヤは王宮で剣で殺され、この町は平穏となった。11:21 ヨアシュは七歳で王となった。   第二列王記10章では、北イスラエルのクーデターに成功したエフーが、ユダのアハズヤの親族をも殺します。北イスラエルが一部改革を進めているとき、11章の舞台は南ユダに移ります。北イスラエルに見舞いに行ったアハズヤの母親は北イスラエルの王女出身です。息子が死ぬと、アタルヤはユダ王国の王族をすべて殺して王位を奪取します。北イスラエルの王女が南ユダの王妃となり、さらに女王となったのです。アハズヤの妹エホシェバは、アタルヤの狂気の虐殺から幼い甥ヨアシュを救い出し、祭司エホヤダに託します。エホシェバがアハズヤの妹とされているので、アタルヤの娘である可能性が高いです。娘が末の甥を殺人鬼の母から救出したのです。   7年が過ぎた時、祭司エホヤダは百人隊長やレビ人たちを集め、七歳のヨアシュに油を注いで王として擁立します。民はバアルの神殿を破壊し、バアルの祭司マタンとアタルヤを殺します。アタルヤは衣を裂いて「謀反だ、謀反だ」と叫びながら死にますが、神様に反逆し、舅や夫、息子、孫すべてに反逆した真の反逆者はアタルヤです。このようにして、怪奇だったアハブの家は、イゼベルが死に、イゼベルの娘アタルヤも死にました。   アタルヤはダビデの家を滅ぼそうとしましたが、神様が選ばれたダビデの家を人が滅ぼすことはできません。命脈が絶えない理由は、神様がダビデと約束されたからです。ユダ族ダビデの家を通して、神がなさるべきことがあります。モーセがパロの幼児虐殺から生き残り、イエス様がヘロデの幼児虐殺から生き残ったように、ヨアシュはアタルヤの破倫の親族殺しから生き残り、王となります。人によって廃墟となったとしても、神様によって隠された火種が起こります。ダビデの家を全滅させようとしたアハブの家は全滅し、ダビデの家は再び立ち上がりました。罪人が作る世、狂った貪欲はアハブの家を食人族のような怪物にしましたが、ダビデの家を通して来るキリストは、ヨアシュという小さな火種を通して再び立ち上がります。  

列王記第二 黙想 【選択的な従順】 20240712(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 10:1-11 10:1 アハブにはサマリアに七十人の子どもがあった。エフーは手紙を書いてサマリアに送り、イズレエルの長たちや長老たち、および、アハブの子の養育係たちにこう伝えた。 10:2 「この手紙が届いたら、あなたがたのところに、あなたがたの主君の子どもたちがいて、戦車や馬も、城壁のある町や武器も、あなたがたのところにあるのだから、すぐ、 10:3 あなたがたの主君の子どもの中から最も善良で真っ直ぐな人物を選んで、その父の王座に就かせ、あなたがたの主君の家のために戦え。」 10:4 彼らは非常に恐れて言った。「二人の王たちでさえ、彼に当たることができなかったのに、どうしてこのわれわれが当たることができるだろうか。」 10:5 そこで、宮廷長官、町のつかさ、長老たち、および養育係たちは、エフーに人を送って言った。「私どもはあなたのしもべです。あなたが私どもにお命じになることは何でもいたしますが、だれも王に立てるつもりはありません。あなたのお気に召すようにしてください。」 10:6 エフーは再び彼らに手紙を書いてこう言った。「もしあなたがたが私に味方し、私の声に聞くのなら、あなたがたの主君の子どもたちの首を取り、明日の今ごろ、イズレエルの私のもとに持って来るように。」そのころ、王の子どもたち七十人は、彼らを養育していた町のおもだった人たちのもとにいた。 10:7 その手紙が彼らに届くと、彼らは王の子どもたちを捕らえ、その七十人を切り殺し、その首をいくつかのかごに入れ、それをイズレエルのエフーのもとに送り届けた。 10:8 使者が来て、「彼らは王の子どもたちの首を持って参りました」とエフーに報告した。すると彼は、「それを二つに分けて積み重ね、朝まで門の入り口に置いておけ」と命じた。 10:9 朝になるとエフーは出て行き、立ってすべての民に言った。「あなたたちに罪はない。聞きなさい。私が主君に対して謀反を起こして、彼を殺したのだ。しかし、これらの者を皆殺しにしたのはだれか。 10:10 だから知れ。主がアハブの家について告げられた主のことばは一つも地に落ちないことを。主は、そのしもべエリヤによってお告げになったことをなされたのだ。」 10:11 エフーは、アハブの家に属する者でイズレエルに残っていたすべての者、身分の高い者、親しい者、その祭司たちをみな打ち殺し、一人も生き残る者がないまでにした。    アハブが生涯の最後に行った彼の悔い改めと良い行いによって、神様は彼の家に向けた裁きを次の代まで保留することにされました。しかし、それで彼の家が完全に滅ぼされるという約束が撤回されたわけではありません。  今日箇所に登場するエフー王は、エリシャに油を注がれたイスラエルの王でした。反乱や暗殺などの不正な方法で王位が交代された北イスラエルで油を注がれて立てられたエフー王は、神様の命令どおりアハブの家を完全に滅ぼすことになります。  しかし、北イスラエルの歴史上に神様を恐れた王は一人も存在しません。ということは、エフーもやはり神様を恐れることはなかったということです。この後の箇所によると、エフーは偶像の高き所を破壊することもありますが、結局、彼が拝んでいたのは金の子牛の像でした。  このようなエフーが神様の御言葉に従ってアハブの家を滅ぼしたということは変わらない事実です。また、偶像の高き所を破壊したことも変わらない事実です。しかし、彼の心は完全に神様に向かず、彼の行動は完全に神様のためのものではなかったと私たちが考えることもできるでしょう。  神様の御言葉の通りに行動するということは、必ずしも神様の御言葉の通りに生きるということではありません。その二つは明らかに別の領域です。また、神様の御言葉を選択的にだけ守ることもあるでしょう。それが今日の箇所のエフーのような姿です。  神様の御言葉と自分が望むこととの間の妥協点、共通点がある時だけ神様の御言葉に従うこと、神様の御心のためではなく、自分のための行動がそのようなものです。  これらの選択的な従順は、私たちの信仰にとって凄く危険なものです。不充実な人は自分が神様に従っていないということが分かりますが、このような選択的な従順を行う人々は、その従順を自分たちを守るための手段のように、自分は神様に充実に従っていると勘違いしやすいためです。  私たちの従順は常に神様の御言葉の一部ではなく、神様のすべての御心に向けた従順でなければなりません。そのためにはまず、御言葉を正しく知ることが必要とされます。有名な聖書箇所、慰めになる聖書の箇所振り回されるのでなく、その箇所が本当に語っていることは何かを調べ、その中に込められている人の言葉ではなく、神様の御言葉を発見しなければならないのでしょう。これを通して私たちのための選択的な従順ではなく、神様の御言葉通りに生きていく真の従順ができるようになるでしょう。https://youtu.be/dpTfyIYvqp0?si=Sd-KeEbVuamkPsZi

열왕기하 묵상 【선택적 순종】 20240712(금) 최종석 전도사

열왕기하 10:1-11 10:1 아합의 아들 칠십 명이 사마리아에 있는지라 예후가 편지들을 써서 사마리아에 보내서 이스르엘 귀족들 곧 장로들과 아합의 여러 아들을 교육하는 자들에게 전하니 일렀으되 10:2 너희 주의 아들들이 너희와 함께 있고 또 병거와 말과 견고한 성과 무기가 너희에게 있으니 이 편지가 너희에게 이르거든 10:3 너희 주의 아들들 중에서 가장 어질고 정직한 자를 택하여 그의…

Ⅱ列王記 黙想 【イズレエルの死】 20240711(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 9:27~379:27 ユダの王アハズヤはこれを見ると、ベテ・ハ・ガンの道へ逃げた。エフーはその後を追いかけて、「あいつも討ち取れ」と叫んだので、彼らはイブレアムのそばのグルの坂道で、車の上の彼に傷を負わせた。それでも彼はメギドに逃げたが、そこで死んだ。9:28 彼の家来たちは彼を車に乗せて、エルサレムに運び、ダビデの町の彼の墓に先祖とともに葬った。9:29 アハズヤはアハブの子ヨラムの第十一年に、ユダの王となっていた。9:30 エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直して、窓から見下ろしていた。9:31 エフーが門に入って来たので、彼女は「お元気ですか。主君殺しのジムリ」と言った。9:32 彼は窓を見上げて、「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか」と言った。二、三人の宦官が彼を見下ろしていたので、9:33 彼が「その女を突き落とせ」と言うと、彼らは彼女を突き落とし、彼女の血が壁や馬にはねかかった。エフーは彼女を踏みつけた。9:34 彼は中に入って食べたり飲んだりし、それから言った。「あののろわれた女の世話をしてやれ。彼女を葬ってやれ。あれは王の娘だから。」9:35 彼らが彼女を葬りに行ってみると、彼女の頭蓋骨と両足と両手首しか残っていなかったので、9:36 帰って来てエフーにこのことを知らせた。するとエフーは言った。「これは、主がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬がイゼベルの肉を食らい、9:37 イゼベルの死体は、イズレエルの地所で畑の上にまかれた肥やしのようになり、だれもこれがイゼベルだと言えなくなる。』」   登場人物の血縁関係を確認しなければなりません。北イスラエルのヨラムの病気見舞いに来ていた南ユダの王アハズヤは、ヨシャパテの孫です。つまり、父はヨラムであり、母はアタリヤです。さらに遡ると、外祖父はアハブ、外祖母はイゼベルです。北イスラエルのヨラム王はアハブとイゼベルの息子なので、北イスラエルの王ヨラムは南ユダのアハズヤ王の叔父になります。イゼベルの息子ヨラムを殺し、その遺体をナボテ葡萄畑に投げたエフーは、叔父が死ぬのを見て逃げた南ユダの王アハズヤを追いかけて殺します。一日で二つの王国の王が死んだのです。それは神様のなさることです。バアル崇拝に再編されたユダとイスラエルの同盟を終わらせるためです。神様が守る国はありません。神様は神の人々が生きる国を守るのです。   エフーは今度はイゼベルを殺しに行きます。イゼベルは父が王で、夫が王で、息子が王で、娘が王妃で、娘婿が王で、孫が王でした。二つの王国の裏で絶大な権力を持つ者でした。それ以上の栄光はないかのように見えたイゼベルですが、それ以上に悲惨な死を遂げます。イゼベルの死はまるでホラー映画の一シーンのように怪奇で残酷です。エフーがイゼベルに会うとき、イゼベルは上階の窓から見下ろしており、エフーは宦官の中からイゼベルを裏切る者を見つけ、イゼベルを持ち上げて下に投げさせます。イゼベルは即死し、エフーはイゼベルの遺体を踏みました。その後、犬がイゼベルの死体を食いちぎり、頭蓋骨と手と足だけが残りました。これもまた、イゼベルの全盛期にエリヤを通して預言されたことです。イゼベルが自分を反省して改めず、悪の権化として生き続けたのは権力のためです。この呪われた死というコインの裏側には、栄光の人生があります。神の国を冒涜しながら楽しんだ人生の栄光が、彼女の呪いの理由です。    

열왕기하 묵상 【이세벨의 죽음】 20240711(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 9:27~379:27 유다 왕 아하시야가 이를 보고 동산 정자 길로 도망하니 예후가 쫓아가며 이르되 저도 병거 가운데서 죽이라 하매 이블르암 가까운 구르 비탈에서 치니 저가 므깃도까지 도망하여 거기서 죽은지라9:28 그 신복들이 저를 병거에 싣고 예루살렘에 이르러 다윗성에서 그 열조와 함께 그 묘실에 장사하니라9:29 아합의 아들 요람의 십 일년에 아하시야가 유다 왕이 되었었더라9:30 예후가 이스르엘에 이르니…

Ⅱ列王記 黙想 【ヨラムが死んだ日】 20240710(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 9:14~269:14 こうして、ニムシの子ヨシャファテの子エフーは、ヨラムに対して謀反を起こした。先にヨラムはイスラエル全軍を率いて、ラモテ・ギルアデでアラムの王ハザエルを防いだが、9:15 ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにアラム人に負わされた傷を癒やすため、イズレエルに帰っていたのである。エフーは言った。「もし、これがあなたたちの本心であるなら、だれもこの町から逃れ出て、イズレエルに知らせに行ってはならない。」9:16 それからエフーは車に乗ってイズレエルへ行った。ヨラムがそこで床についていて、ユダの王アハズヤもヨラムを見舞いに下っていたからである。9:17 イズレエルのやぐらの上に、一人の見張りが立っていたが、エフーの軍勢がやって来るのを見て、「軍勢が見える」と言った。ヨラムは、「騎兵一人を選んで彼らを迎えに送り、元気かどうか尋ねさせなさい」と言った。9:18 そこで、騎兵は彼を迎えに行き、こう言った。「王が、元気かどうか尋ねておられます。」エフーは言った。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」一方、見張りは報告して言った。「使者は彼らのところに着きましたが、帰って来ません。」9:19 そこでヨラムは、もう一人の騎兵を送った。彼は彼らのところに行って言った。「王が、元気かどうか尋ねておられます。」すると、エフーは言った。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」9:20 見張りはまた報告した。「あれは彼らのところに着きましたが、帰って来ません。しかし、車の御し方は、ニムシの子エフーの御し方に似ています。狂ったように御しています。」9:21 ヨラムは「馬をつけよ」と命じた。馬が戦車につけられると、イスラエルの王ヨラムとユダの王アハズヤは、それぞれ自分の戦車に乗って出て行った。彼らはエフーを迎えに出て行き、イズレエル人ナボテの所有地で彼に出会った。9:22 ヨラムはエフーを見ると、「エフー、元気か」と尋ねた。エフーは答えた。「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに。」9:23 それでヨラムは手綱を返して逃げ、アハズヤに「裏切りだ、アハズヤ」と叫んだ。9:24 エフーは力いっぱい弓を引き絞り、ヨラムの胸を射た。矢は彼の心臓を射抜いたので、彼は戦車の中に崩れ落ちた。9:25 エフーは侍従のビデカルに命じた。「彼を運んで、イズレエル人ナボテの所有地であった畑に投げ捨てよ。思い起こすがよい。私とあなたが馬に乗って彼の父アハブの後に並んで従って行ったときに、主が彼についてこの宣告を下されたことを。9:26 『わたしは、昨日、ナボテの血とその子たちの血を確かに見届けた──主のことば──。わたしは、この地所であなたに報復する──主のことば。』それで今、彼を運んで、主が語られたとおり、あの地所に彼を投げ捨てよ。」   北イスラエルのヨラム王がアラムとの戦いで負傷し、イズレエルで回復していた時に、軍司令官のエフーが軍を動かしてイズレエルを攻撃しました。エフーがイズレエルに軍を動かすと、ヨラムは二度使者を送ってエフーの軍事作戦の意図を尋ねましたが、使者たちは皆エフーに投降して戻りませんでした。鈍感なヨラムは自らエフーに会いに行き、元気か」と尋ねた。エフーは「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに。」と答えました。ヨラムは事態の深刻さをようやく悟り、逃げようとしますが、エフーはヨラムを殺します。   アハブの息子ヨラムが死んだ土地は、列王記上21章でアハブ夫妻がナボテを殺し、奪った土地でした。ナボテから奪った土地で自分の息子が死んだのです。エフーはヨラムの死体をナボテのぶどう畑に投げ捨てました。エフーはその不当で無念な出来事を覚えていました。それはすでに神様がアハブの子孫がナボテが血を流した所で血を流すとエリヤを通して預言したことが成就されたことです。他人の目に涙を流させると、自分の目には血の涙が流れます。ヨラムが死んだのはアハブの息子だからではありません。ヨラムが父アハブの道を歩んだからです。   人々は神義論を語ります。神様は本当に正しいのか、神様は公平なのか、なぜ神様は悪が繁栄するのを放置するのか、なぜ正義が苦しまなければならないのか、悪い人は裕福で幸せなのに、なぜ正直な人の苦しみが増すのか…。しかし、世界が不条理なのは時空間に生きる人間の視点の限界のためかもしれません。どんなに不条理が複雑で、悪の時間が長く見えても、神様は正義であり、世界は神様のうちにあるので、神様によって結論が出るでしょう。ヨラムが死んだ日を忘れてはいけません。神様は人間が進むべき道を以前から語り、今も語っておられます。人間らしく生きるように…その道を歩まなければなりません。