ペテロの手紙第一 黙想 【中間地点】 20240601(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ペテロの手紙第一 1:1-9 1:1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、 1:2 父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。 1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。 1:4 また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。 1:5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。 1:6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、 1:7 試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。 1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。 1:9 あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。    いつの間にか2024年の中間地点、6月になりました。そろそろ今年の前半期を振り返り、後半期に備えながら、ある程度は今年のこれからの見込みが見えてくる時点ではないでしょうか。  6月がこのような中間地点であるように、今を生きていく私たちキリスト者には‘既に、しかし、まだ’という中間地点を生きていると表現します。しかし、これは私たちのように今後のことを予想する程度ではなく、すでに神様が決めておいた、必ずなされることの中間地点を意味しています。そして、その神様が、最後の時に私たちに行われることについて、御言葉を通して私たちに教えてくださっているのです。  一年の半分を過ぎて前半期を振り返ってみると、多くのことが見えてくるでしょう。よくできたこと、残念だったこと、嬉しかったり悲しかったり、単純に思い出として残るものではなく、これからの先の道に進まために方向を決め、踏み出していく原動力になってくれる記憶です。  私たちが生きている信仰の中間地点もそうです。単純に過去に起こった事件と、将来に起こる事件の間にある時間だけではありません。私たちはこの時点で決断しなければならないことがあります。それは、すでに行われたイエス·キリストの十字架と復活、そして、まだ来てない最後の日、神の国の到来の間で、イエス·キリストの十字架を振り返り、今後のことを確信すること、イエス·キリストの福音を信じることです。  私たちの信仰、私たちの救いは、ある瞬間、急に与えられたものではありません。以前から私たちを導き、今も私たちを導いておられ、これからも私たちを導いてくださる神様の良い計画の中で、その始まりから私たちに与えられるように予定されていたものです。  そのため、私たちは今直面している苦難の時の中でも倒れてしまい、絶望して神様に背くことなく、再び立ち上がることができるでしょう。神様が私たちをその計画の最後まで導いてくださるという約束が与えられているからです。  その日に私たちに与えられる称賛と誉れは、そのような苦難を私たちが賢く乗り切ったから、見事に解決したから与えられるものではありません。ただ予定された苦難の時を神様に対する信仰と希望をもって耐え忍んだこと、ただそれだけで私たちに与えられる称賛と誉れなのです。私たちがこれから備えなければならないことは、苦難に対処するための知識や知恵ではなく、苦難の時にも神様を求め、その時を耐え伸びるための信仰なのです。https://youtu.be/g6e8Ga8sjps?si=xWyr21VJPTJR_GEI

베드로전서 묵상 【중간지점】 20240601(토) 최종석 전도사

베드로전서 1:1-9 1:1 예수 그리스도의 사도 베드로는 본도, 갈라디아, 갑바도기아, 아시아와 비두니아에 흩어진 나그네 1:2 곧 하나님 아버지의 미리 아심을 따라 성령이 거룩하게 하심으로 순종하고 예수 그리스도의 피 뿌림을 얻기 위하여 택하심을 받은 자들에게 편지하노니 은혜와 평강이 너희에게 더욱 많을지어다 1:3 우리 주 예수 그리스도의 아버지 하나님을 찬송하리로다 그의 많으신 긍휼대로 예수 그리스도를 죽은 자…

I 列王記 【名の意味】 20240531(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 22:41-53 22:41 アサの子ヨシャファテがユダの王となったのは、イスラエルの王アハブの第四年であった。 22:42 ヨシャファテは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。 22:43 彼はその父アサのすべての道に歩み、そこから外れることなく、主の目にかなうことを行った。しかし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。 22:44 ヨシャファテはイスラエルの王と友好関係を保っていた。 22:45 ヨシャファテについてのその他の事柄、彼が立てた功績とその戦績、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 22:46 彼は、父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼をこの国から除き去った。 22:47 そのころ、エドムには王がなく、守護が王であった。 22:48 ヨシャファテはタルシシュの船団をつくり、金を得るためにオフィルに行こうとしたが、行けなかった。船団がエツヨン・ゲベルで難破したからである。 22:49 そのとき、アハブの子アハズヤはヨシャファテに、「私の家来をあなたの家来と一緒に船で行かせましょう」と言ったが、ヨシャファテは同意しなかった。 22:50 ヨシャファテは先祖とともに眠りにつき、先祖とともに父ダビデの町に葬られた。その子ヨラムが代わって王となった。 22:51 アハブの子アハズヤは、ユダの王ヨシャファテの第十七年にサマリアでイスラエルの王となり、二年間イスラエルの王であった。 22:52 彼は主の目に悪であることを行い、彼の父の道と彼の母の道、それに、イスラエルに罪を犯させた、ネバテの子ヤロブアムの道に歩んだ。 22:53 彼はバアルに仕え、それを拝み、彼の父が行ったのと全く同じように行って、イスラエルの神、主の怒りを引き起こした。    南ユダの王アサの息子、ヨシャファテが父の後を継いで南ユダの王になりました。彼が行ったことは、彼の父親のように、神殿男娼を追い出し、ユダ王国を復興させようとしたことです。  一生を主の目にかなうことを行ったと聖書が評価しているアサ王、そんな彼は自分の息子の名を「ヨシャファテ」と名付けました。その意味は「主が裁く」という意味です。  私たちが見てきたアサ王の人生の汚点は二つに言えるでしょう。一つ目は偶像は除いたが、高き所は取り除かなかったこと、二つ目は国を守るためにアラムの王ベン・ハダドに贈り物を挙げ、助けを求めたことです。  そのような彼が名付けた息子の名、「主が裁く」という名は、自分が成し遂げられなかったこと、自分は見逃していたことに気づいて後悔しながら息子につけた名、自分の息子は同じ過ちを繰り返さないことを願う気持ちでつけたのではないでしょうか。  しかし、今日の箇所のヨシャファテの始まりは、彼の父親と全く同じの、神の目にかなうことを行ったが、高き所は取り除かず、国を強くするために以前ソロモン王が金を持ってきたオフィルへの交易路を立て直そうとしたことでした。  しかし神様はその事を許しませんでした。それは「主が裁く」からです。今日の箇所はヨシャファテについて短く扱っていますが、他の箇所、第二歴代誌では17章から20章にかけて彼の生涯を詳しく扱っています。そしてその始まり、17章1節はそれについて「イスラエルに対して勢力を増し加えた」と記しています。それは、自ら努力し、自分が持っているものを用いて成し遂げたものでした。  しかし、ヨシャファテの人生はそのような時の中でも、神様を求め、その道に歩んでいく人生でした。その結果17章5節では「主は、王国を彼の手によって確立された」と、国を強くする主体がヨシャファテから神様に変わったことを教えています。その後のことは、ヨシャファテの父親が果たせなかったこと、高き所を取り除くことが書かれています。  ヨシャファテの始まりは神様を頼りにしながらも、自分の力と能力をも頼りにする者でした。しかし、彼が神様を知り、神様を求めることで、裁く者は自分ではなく神様であるということに気づき、自分の名にふさわしい人生に変えられました。  それとは違い、イスラエルの王になったアハブの子アハズヤ、「主が捕まえる」という意味の前を持っている彼は、その名にふさわしい人生を生きることができず、その結果、神様はエリヤを通して彼に死を宣言するまで至りました。  この時代の私たちにも神様から与えられた名があります。それは「キリスト者」という名です。この名の由来は、イエスを信じる者たち、イエスを信じることで苦みを受ける愚かな者たちという皮肉です。  しかし、今の私たちに与えられているこのキリスト者という名、私たちはその名にふさわしい人生を生きているでしょうか。 もしかしたら、私たちはイエスを信じるということ、名前の意味の半分程度ふさわしく生きているのかもしれません。  今日の箇所のヨシャファテ、最初の彼の名は半分だけの名でした。しかし、神様を知り、経験し、御言葉を聞いていく中で、彼はその名にふさわしい者に成長し、変えられていきました。  キリスト者という名が、今の私たちにはぴったりの名ではないかもしれません。しかし、私たちがこの名を持って、日々神様と共に生きれば、神様は私たちをこの名にふさわしい者に、イエスを信じる信仰で苦みを受けることさえも厭わない信仰の人々に変えてくださるでしょう。https://youtu.be/AIvLEBfQ8J8?si=dOFFkdoe-ULCeYY2

열왕기상 묵상 【이름의 의미】 20240531(금) 최종석 전도사

열왕기상 22:41-53 22:41 이스라엘의 아합 왕 제사년에 아사의 아들 여호사밧이 유다의 왕이 되니 22:42 여호사밧이 왕이 될 때에 나이가 삼십오 세라 예루살렘에서 이십오 년 동안 다스리니라 그의 어머니의 이름은 아수바라 실히의 딸이더라 22:43 여호사밧이 그의 아버지 아사의 모든 길로 행하며 돌이키지 아니하고 여호와 앞에서 정직히 행하였으나 산당은 폐하지 아니하였으므로 백성이 아직도 산당에서 제사를 드리며 분향하였더라…

열왕기상 묵상 【아합지졸】 20240530(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 22:29~4022:29 이스라엘 왕과 유다 왕 여호사밧이 길르앗 라못으로 올라가니라22:30 이스라엘 왕이 여호사밧에게 이르되 나는 변장하고 군중으로 들어가려 하노니 당신은 왕복을 입으소서 하고 이스라엘 왕이 변장하고 군중으로 들어가니라22:31 아람 왕이 그 병거의 장관 삼십 이인에게 명하여 이르기를 너희는 작은 자나 큰 자나 더불어 싸우지 말고 오직 이스라엘 왕과 싸우라 한지라22:32 병거의 장관들이 여호사밧을 보고 이르되…

Ⅰ列王記 黙想 【アハブの死】 20240530(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 22:29~4022:29 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、ラモテ・ギルアデに攻め上った。22:30 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「私は変装して戦いに行きます。しかし、あなたは自分の王服を着ていてください。」イスラエルの王は変装して戦いに行った。22:31 アラムの王は、自分の配下の戦車隊長たち三十二人に次のように命じた。「兵とも将軍とも戦うな。ただイスラエルの王だけを狙って戦え。」22:32 戦車隊長たちはヨシャファテを見つけたとき、「きっと、あれがイスラエルの王に違いない」と思ったので、彼の方に向きを変え、戦おうとした。ヨシャファテは助けを叫び求めた。22:33 戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知り、彼を追うことをやめて引き返した。22:34 そのとき、ある一人の兵士が何気なく弓を引くと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を陣営から出させてくれ。傷を負ってしまったから。」22:35 その日、戦いは激しくなった。王はアラムに向かって、戦車の中で立っていたが、夕方になって死んだ。傷から出た血が戦車のくぼみに流れた。22:36 日没のころ、陣営の中に「それぞれ自分の町、自分の国へ帰れ」という叫び声が伝わった。22:37 王は死んでサマリアに運ばれた。人々はサマリアで王を葬った。22:38 それから戦車をサマリアの池で洗った。犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。主が語られたことばのとおりであった。22:39 アハブについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が建てた象牙の家、彼が建てたすべての町、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。22:40 アハブは先祖とともに眠りにつき、その子アハズヤが代わって王となった。   アハブはミカヤの預言を無視して彼を獄に閉じ込めて戦場に出かけます。ミカヤの預言であれ、ゼデキヤの預言であれ、戦争に出る人には絶えず危険が伴います。意地を張って戦闘を強行しましたが、自ら恐れていたアハブは指揮官ではなく兵士の服装をして戦場に忍び込みます。アラム軍はアハブを探して殺そうと32の特殊組を運用しましたが、アハブを見つけることができずあきらめます。しかし、誰かが照準せずに撃った矢がアハブに飛んでいき、よりによってアハブの鎧の継ぎ目をかき分けて入り、アハブを刺しました。   人のことが人の思い通りになりません。生きようと兵士の服装をしましたが、生きることができず、殺そうと暗殺特殊戦を運用しましたが、アハブを殺すことはできませんでした。アハブはあっけなくも未熟な弓兵の誤射に撃たれ死にます。アハブにその矢に当たったのは神様が座標を計算されたからです。預言どおりなら、アハブが流した血を犬がなめることです。アハブは死んでサマリアに戻ってきます。アハプの死体を運んできた車に血がたまり、バアルに仕える遊女たちが身を洗う池にその車を洗う時、犬が来てアハプの血をなめました。   悪人の死を見るのも決して嬉しくはありません。神様がアハブを殺すことを望んだなら、ミカヤを送らなかっただろうし、アハブがミカヤの預言を聞いて戦争をやめたならば、アハブは死ななかったでしょう。ミカヤもそうです。アハブが死ぬことを願ったならば、嫌われてまで戦争に反対することはなかったでしょう。生かしたくてもついに死に向かう人があります。アハブの話しがこれだけ長いこと、また、神様がアハブに機会を与えていることは、神様に戻って来ることを待っている神様の心だったかもしれません。  

Ⅰ列王記 黙想 【主のことばを聞きなさい】 20240529(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 22:13~2822:13 ミカヤを呼びに行った使者はミカヤに告げた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に対して良いことを述べています。どうか、あなたも彼らと同じように語り、良いことを述べてください。」22:14 ミカヤは答えた。「主は生きておられる。主が私に告げられることを、そのまま述べよう。」22:15 彼が王のもとに着くと、王は彼に言った。「ミカヤ、われわれはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼は王に答えた。「あなたは攻め上って勝利を得なさい。主は王の手にこれを渡されます。」22:16 王は彼に言った。「私が何度おまえに誓わせたら、おまえは主の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」22:17 彼は答えた。「私は全イスラエルが山々に散らされているのを見た。まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。そのとき主はこう言われた。『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ。』」22:18 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「あなたに言ったではありませんか。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言すると22:19 ミカヤは言った。「それゆえ、主のことばを聞きなさい。私は主が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。22:20 そして、主は言われました。『アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか。』すると、ある者はああしよう、別の者はこうしようと言いました。22:21 ひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言うと、主は彼に『どのようにやるのか』とお尋ねになりました。22:22 彼は答えました。『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』主は『きっとあなたは惑わすことができる。出て行って、そのとおりにせよ』と言われました。22:23 今ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に、偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」22:24 ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬を殴りつけて言った。「どのようにして、主の霊が私を離れ、おまえに語ったというのか。」22:25 ミカヤは答えた。「あなたが奥の間に入って身を隠すその日に、あなたは思い知ることになる。」22:26 イスラエルの王は言った。「ミカヤを捕らえよ。町の長アモンと王の子ヨアシュのもとに連れて行き、22:27 王がこう命じたと言え。『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰るまで、わずかなパンと、わずかな水だけ与えておけ。』」22:28 ミカヤは言った。「もしも、あなたが無事に戻って来ることがあるなら、主は私によって語られなかったということです。」そして、「すべての民よ、聞きなさい」と言った。   ミカヤがアハブに向かう時、アハブが送った使者がミカヤにすべての預言者が言った通りに、アハブが望んでいる良い方向に言いなさいと要請します。もちろん時には慰めの言葉も、肯定の力も必要ですが、それが預言者が言うことではありません。歓迎される言葉であれ、排斥される言葉であれ、神様の御言葉を伝えることが預言者でなければなりません。それで、ミカヤは神様が自分にくださった言葉だけを伝えると断ります。   ミカヤはアハブに「主のことばを聞きなさい」と言い始めます。聞かなければアハブは死ぬでしょう。ミカヤが伝えた話によると、すべての預言者の口に偽りの霊が入っています。嘘が好きで従う人はいません。偽りを真実と知り、それを信念しして生きているだけです。ゼデキヤが出てきて、ミカヤの頬を殴りつけ、アハブはミカヤを獄に閉じ込めます。   Ⅰ列王記が終わりに近づいています。アハブは邪悪な王ですが、聖書で比重の高い王でもあります。神様は長い間アハブを耐え忍び、預言者を通じてお話しし、機会を与えてきました。しかし、アハブは聞かないことを治すことができず、滅亡の道に進みます。死ぬことがあっても神様の御言葉は聞かないという愚かな人間がいれば、死ぬことがあっても神様の御言葉を伝えなければならない孤独な人間もいます。神様と預言者は生かしたかったのですが、聞こうとしないので死にに行く人を止めることはできませんでした。

열왕기상 묵상 【하나님의 말씀을 들으라】 20240529(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 22:13~2822:13 미가야를 부르러 간 사자가 일러 가로되 선지자들의 말이 여출일구하여 왕에게 길하게 하니 청컨대 당신의 말도 저희 중 한 사람의 말처럼 길하게 하소서22:14 미가야가 가로되 여호와의 사심을 가리켜 맹세하노니 여호와께서 내게 말씀하시는 것 곧 그것을 내가 말하리라 하고22:15 이에 왕에게 이르니 왕이 저에게 이르되 미가야야 우리가 길르앗 라못으로 싸우러 가랴 말랴 저가 왕께 이르되…

Ⅰ列王記 黙想 【アハブの宗教】 20240528(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

Ⅰ列王記 22:1~1222:1 アラムとイスラエルの間に戦いがないまま、三年が過ぎた。22:2 しかし、三年目になって、ユダの王ヨシャファテがイスラエルの王のところに下って来ると、22:3 イスラエルの王は自分の家来たちに言った。「おまえたちは、ラモテ・ギルアデがわれわれのものであることをよく知っているではないか。それなのに、われわれはためらっていて、それをアラムの王の手から奪い返していない。」22:4 そして、彼はヨシャファテに言った。「私とともにラモテ・ギルアデに戦いに行ってくれませんか。」ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」22:5 ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「まず、主のことばを伺ってください。」22:6 イスラエルの王は約四百人の預言者を集めて、彼らに尋ねた。「私はラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼らは答えた。「あなたは攻め上ってください。主は王様の手にこれを渡されます。」22:7 ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。22:8 イスラエルの王はヨシャファテに答えた。「ほかにもう一人、主に伺うことのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。イムラの子ミカヤです。」ヨシャファテは言った。「王よ、そういうふうには言わないでください。」22:9 イスラエルの王は一人の宦官を呼び、「急いでイムラの子ミカヤを連れて来い」と命じた。22:10 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、それぞれ王服をまとって、サマリアの門の入り口にある打ち場の王の座に着いていた。預言者はみな、彼らの前で預言していた。22:11 ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主はこう言われます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない。』」22:12 預言者たちはみな、同じように預言した。「あなたはラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得てください。主は王の手にこれを渡されます。」   南ユダのヨシャファテはユダの3大先王の一人です。彼は偶像に陥らず、強いユダを作りました。ヨシャファテは民族主義者だったようで、イスラエルのアハブとアラムとの戦争で軍事協力をしたこともあるが、今朝の本文です。 アハブはアラムに奪われたラモテ・ギルアデの領土を回復するために南ユダと北イスラエルの対アラム連合作戦を提案し、エヨシャファテそれを受諾します。ヨシャファテはアハブに出征の前に先に神様の御声を聞きたいと言いました。これに対し、アハブが預言者400人を集めて神様の御旨を尋ねると、アハブ王が勝つと答えます。ヨシャファテは、アハブと北イスラエルの宗教の根拠のない言い方を理解できなかったはずです。ヨシャファテが不審に思い、他の預言者を求め、ようやくアハブは自分が嫌っていた預言者、ミカヤを呼びます。その間、ゼデキヤという預言者が鉄の角を作ってきて、勝利パフォーマンスをしながらイスラエルの士気を高めます。   これが北イスラエルとアハブの宗教です。聞きたい言葉だけを聞く宗教は、自分が作った偽宗教です。自分の手で揉んで自分が望むままの神を作り、それを信じる宗教です。従順したくない人は、自分で神を作り、それを自分に服従させます。今も多くいます。御言葉から神様を探し求めず、各自が望む神様を作り、自己憐憫の神、自己欲の神を作り出します。御言葉を読んで、その前に自分を立たせず、自分の立場や信念に文脈もない聖書の一部を裏付けます。神様の思いが分からないのは、神様が教えてくださらないからではなく、人間の中に本物と偽物を混ぜておいたからです。自分の価値観や既存の信念と符合する情報だけを受け入れる考え方と態度を「確証バイアス」といいます。聞きたい言葉だけを聞いてその中で自分を洗脳させることです。アハブの預言者400人は良心を偽って嘘をついているのでしょうか?違います。彼らも自ら堅くそう信じています。   確証バイアスは嘘をついているのではなく、自分を洗脳させるのです。このような人は、自分の優越さについて話してくれる人々を探します。そこで自分が聞きたい言葉を聞こうと思い、褒められ、認められるのが好きです。誰かが挨拶でそのような発言でもすれば、ただそれだけを選択的に記憶し、認めたくないということは覚えません。ペンシルベニア州立大学心理学教授のアダム·グラントはこう言います。「確証バイアスというのは、真実を自分の信念に合うように歪曲することであり、批判的な思考というのは、真実に合うように自分の信念を修正することである。真実を見つけることは、自分の頭に入っている思いを確認することではなく、現実で自分の思いを積極的に点検し、受け入れることである。」ミカヤの言葉を嫌っていたアハブは確証バイアスであり、そこに集まった400人も、ゼデキヤという預言者も重症確証バイアスです。キリスト教の信仰ではいつも信仰という言葉があります。その信仰は神様の御言葉を信じることであり、自分の思いを信じることではありません。神様の御言葉を信じるほどに、自分に対しては疑わなければなりません。神様の御言葉がない人がおり、神様の御言葉があるが、それを信じない人がおり、神様の御言葉を信じるが、それによって生きない人がいます。神様の御言葉で自分を解体できる人が信仰の人です。  

열왕기상 묵상 【아합의 종교】 20240528(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 22:1~1222:1 아람과 이스라엘 사이에 전쟁이 없이 삼년을 지내었더라22:2 제 삼년에 유다 왕 여호사밧이 이스라엘 왕에게 내려가매22:3 이스라엘 왕이 그 신복에게 이르되 길르앗 라못은 본래 우리의 것인줄을 너희가 알지 못하느냐 우리가 어찌 아람 왕의 손에서 취하지 아니하고 잠잠히 있으리요 하고22:4 여호사밧에게 이르되 당신은 나와 함께 길르앗 라못으로 가서 싸우시겠느뇨 여호사밧이 이스라엘 왕에게 이르되 나는 당신과…