Ⅰ列王記 黙想 【神様のビジョン】 20240423(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 8:54~668:54 こうしてソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終えた。彼は、それまでひざまずいて、天に向かって両手を伸べ広げていた主の祭壇の前から立ち上がり、8:55 まっすぐに立って、イスラエルの全会衆を大声で祝福して言った。8:56 「主がほめたたえられますように。主は約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地を与えてくださいました。しもべモーセを通してお告げになった良い約束はみな、一つも、地に落ちることはありませんでした。8:57 私たちの神、主が、私たちの先祖とともにいてくださったように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちをお見捨てになることがありませんように。8:58 私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と掟と定めを守らせてくださいますように。8:59 私が主の御前で願ったこれらのことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの訴えや、御民イスラエルの訴えを正しくかなえてくださいますように。8:60 こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。8:61 あなたがたは、今日のように、私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。」8:62 それから、王と、一緒にいたすべてのイスラエル人は、主の前にいけにえを献げた。8:63 ソロモンは主へのいけにえとして、牛二万二千頭と羊十二万匹の交わりのいけにえを献げた。こうして、王とすべてのイスラエルの人々は主の宮を奉献した。8:64 その日、王は主の宮の前庭の中央部を聖別し、そこで全焼のささげ物と、穀物のささげ物と、交わりのいけにえの脂肪を献げた。主の前にあった青銅の祭壇は、全焼のささげ物と、穀物のささげ物と、交わりのいけにえの脂肪を受け入れるには小さすぎたからである。8:65 ソロモンはこのとき、ともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大会衆と一緒に、七日と七日の十四日間、私たちの神、主の前で祭りを行った。8:66 八日目に王は民を帰らせた。民は王に祝福のことばを述べ、主がそのしもべダビデと、その民イスラエルに下さったすべての恵みを喜び、心満たされて、彼らの天幕に帰って行った。   神殿が完成し、奉献礼拝が終わります。「八日目に王は民を帰らせた。民は王に祝福のことばを述べ、主がそのしもべダビデと、その民イスラエルに下さったすべての恵みを喜び、心満たされて、彼らの天幕に帰って行った。8:66」全民とソロモンが渾然一体になって神様に捧げられた礼拝であり、神様が喜んで受けとる礼拝でした。 ソロモンは、神様に感謝することをモーセの時にさかのぼって、その意味を探ります。モーセのときというのは出エジプトのときです。出エジプトから始まった民たちの長い旅路を遡ってみなければなりませんでした。400年以上奴隷だった民族は、モーセの時にエジプトを出て40年間の荒野生活をしました。カナンとの戦争と征服の時代、長い士師時代を生き、王政が始まった後、3代目の王、王ソロモンになってから神殿時代が始まるようになったのです。   しかし、神殿時代が開かれる感激はソロモンではなく、神様が成し遂げたものです。民が奴隷だった時も、奴隷に戻りたいと言った時も、神様だけが彼らが礼拝できるその日のビジョンを持って来られました。奉献礼拝でソロモンがモーセを言及したのは、神様がご自身の民を引き出し、礼拝の恵みを与えたいというビジョンが、今になって実現されたものだからです。しかし、礼拝のための神様のビジョンはこれで終わることではありません。これは一次的なものに過ぎません。現代のキリスト教がこの神殿の意味を物理的な建築物として考えるなら、依然として大きく雄大で華麗な建物を建てなければならないでしょう。そのため、教会の建物の神殿と銘打って、高くて大きな建物を建てる場合もあります。もちろん、人が集まるための空間を広く確保し、美しくて安全な建物を建てることは重要です。しかし、だからといって教会の建物が神殿になるわけではありません。西暦70年に最後の神殿が破壊されて以来、この世に神殿は存在しません。   その神殿が破壊される少し前にイエス様は神殿が崩れると予言されたことがあります。「イエスは彼らに答えられた。この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。ヨハネ福音書2:19-21」 そして三日後に再び建てると言われました。それは三日後に復活されるということです。これがまだ終わっていない、決してあきらめない礼拝のための神様のビジョンです。イエス·キリストは十字架で神様との格差である罪を解決し、三日ぶりに復活して神殿を建て直しました。ソロモンの時、民は神殿があるから礼拝することができましたが、私たちはイエス·キリストのゆえに礼拝することができます。神様のビジョンは神殿ではなくイエス·キリストです。ただイエスの血潮です。獣の血はもう効力を失いました。 イエス·キリストの血潮でなければ、神様の礼拝の前に出ることはできません。   三位一体の神様の礼拝に対するビジョンは止まらず、補完され、強化されます。ということで聖霊様を送ってくださいました。「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。ヨハネ福音16:7」 聖霊様が臨んだ後は、聖徒一人一人が礼拝の機関になります。イエス·キリストを主と告白する聖徒が、すなわちの神殿になるのです。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。コリント人3:16」 私たちはエルサレムまで行かなくても良いです。礼拝堂を金で飾る必要はありません。人生の中心にイエス·キリストを主と告白する人々の集まり、一致した共同体がイエスを頼りにしてささげる礼拝は、ソロモン神殿の奉献礼拝よりまさる喜びです。皆んが良い家に住みたいと思いますが、家ではなく、家庭が大切のように、建物を追い求めますが、イエス·キリストとともに神殿になった聖徒たちの集まりと礼拝がより大切です。神様のビジョンは終わっていません。まだ礼拝に回復しなければならない人々がいるからです。

열왕기상 묵상 【하나님의 비전】 20240423(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 8:54~668:54 솔로몬이 무릎을 꿇고 손을 펴서 하늘을 향하여 이 기도와 간구로 여호와께 아뢰기를 마치고 여호와의 단 앞에서 일어나8:55 서서 큰 소리로 이스라엘의 온 회중을 위하여 축복하며 가로되8:56 여호와를 찬송할지로다 저가 무릇 허하신 대로 그 백성 이스라엘에게 태평을 주셨으니 그 종 모세를 빙자하여 무릇 허하신 그 선한 말씀이 하나도 이루지 않음이 없도다8:57 우리 하나님 여호와께서…

Ⅰ列王記 黙想 【ソロモンの祈り方】 20240418(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 8:41~538:41 同様に、あなたの民イスラエルの者でない異国人についても、その人があなたの御名のゆえに、遠方の地から来て、8:42 彼らが、あなたの大いなる御名と力強い御手と伸ばされた御腕について聞き、やって来てこの宮に向かって祈るなら、8:43 あなたご自身が、あなたの御座が据えられた場所である天でこれを聞き、その異国人があなたに向かって願うことをすべて、かなえてください。そうすれば、地上のあらゆる民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じようにあなたを恐れるようになり、私が建てたこの宮で御名が呼び求められなければならないことを知るでしょう。8:44 あなたの民が敵との戦いのために出て行くとき、遣わされる道で、あなたがお選びになった都、私が御名のために建てた宮に向かって主に祈るなら、8:45 天で彼らの祈りと願いを聞いて、彼らの言い分を聞き入れてやってください。8:46 罪に陥らない人は一人もいません。ですから、彼らがあなたの前に罪ある者となったために、あなたが怒って彼らを敵に渡し、彼らが、遠くであれ近くであれ敵国に捕虜として捕らわれて行き、8:47 捕らわれて行った地で我に返り、その捕囚の地であなたに立ち返ってあわれみを乞い、『私たちは罪ある者です。不義をなし、悪を行いました』と言い、8:48 捕らわれて行った敵国で、心のすべて、たましいのすべてをもって、あなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖にお与えになった彼らの地、あなたがお選びになったこの都、私が御名のために建てたこの宮に向かって、あなたに祈るなら、8:49 あなたの御座が据えられた場所である天で、彼らの祈りと願いを聞き、彼らの訴えをかなえて、8:50 あなたの前に罪ある者となったあなたの民を赦し、あなたに背いた、彼らのすべての背きを赦し、彼らを捕らえて行った者たちの前で彼らをあわれみ、その者たちがあなたの民をあわれむようにしてください。8:51 彼らはあなたの民であり、あなたがエジプトから、鉄の炉の中から導き出された、ご自分のゆずりの民だからです。8:52 どうか、あなたのしもべの願いと、あなたの民イスラエルの願いに御目を開き、彼らがあなたを呼び求めるとき、いつもその願いを聞き入れてください。8:53 あなたが彼らを地上のあらゆる民から選り分けて、ご自分のものとされたのですから。神、主よ。あなたが私たちの先祖をエジプトから導き出されたとき、あなたのしもべモーセを通してお告げになったとおりです。」   神殿を奉献するソロモンの祈りです。昨日の本文を含めて七つの祈りがあります。➀神殿で罪人と義人が正しく判決されるように、➁罪によって敵国に敗れた時、祈れば戻って来ることができるように、➂日照りの時、祈れば雨を降るように、➃災いや病気の時、祈れば免れるように、➄異邦人でも神殿に向かって祈れば、叶えられるように、➅敵国と戦う時、祈れば顧みてくださるように、➆敵国に捕虜になった時、祈ればその地の人々から哀れまれるように。   これは、①「神殿で行われる裁判が公正と公議の判決になるための祈りであり、②民が敗北し、失敗した時に回復のための祈りであり、③民の必要のための祈りであり、④災難と艱難の時、それを乗り越えるための祈りであり、⑤異邦人にも差別のない神様の救いの恵みがあるための祈りであり、⑥民の切実な願いが叶えられるための祈りであり、➆自分で立ち上がれないないとき、慈悲を求める祈りです。   ソロモンの奉献祈祷を二つのタイプに分けてみると、公儀と慈悲です。公議は裁判に関わるものであり、慈悲は失敗し、欠乏した人々のためのものです。ソロモンの祈りには真正性が感じられますが、それは自分が行うべき、裁判に対しては公儀と公正を適用し、異邦人を含む民の危機に対しては慈悲を求めているからです。「待人春風 持己秋霜」という言葉がありますが、他人には春風のように寛大に接し、自分には秋の霜のように厳しく接するようにという意味です。自己中心の人は、他人に対しては正義という物差しをもってさばき、自分には自ら慈悲を適用することに比べれば、ソロモンの祈りはさすがリーダーらしい祈りです。   ソロモンは王ですが、王の手が届かない所、つまり戦争に捕虜になった民、災難に瀕した民の救いのために祈っています。王としての自分の役割を放棄しないという誓いはもちろん祈りに含まれていますが、祈祷文から省略されただけです。自分がしなければならないことに対しては厳格な公議と公正を祈り求め、民に対しては慈悲を嘆願しています。ソロモンは王の責任を果たします。そしてそれを越えたことについて神様に祈ります。聖徒の祈りは、自分を変える祈り、そして世にある罪と失敗、絶望からの救い、欠乏と患乱、疎外された人々からの哀れみではないでしょうか。

열왕기상 묵상 【솔로몬이 기도하는 방법】 20240422(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 8:41~538:41 또 주의 백성 이스라엘에 속하지 아니한 자 곧 주의 이름을 위하여 먼 지방에서 온 이방인이라도8:42 저희가 주의 광대한 이름과 주의 능한 손과 주의 펴신 팔의 소문을 듣고 와서 이 전을 향하여 기도하거든8:43 주는 계신 곳 하늘에서 들으시고 무릇 이방인이 주께 부르짖는 대로 이루사 땅의 만민으로 주의 이름을 알고 주의 백성 이스라엘 처럼 경외하게…

I 列王記 【知恵ある祈り】 20240420(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 8:22-30 8:22 ソロモンはイスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、天に向かって両手を伸べ広げて、 8:23 こう言った。「イスラエルの神、主よ。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。 8:24 あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに約束したことを、ダビデのために守ってくださいました。あなたは御口をもって語り、また、今日のように御手をもってこれを成し遂げられました。 8:25 そこで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたことを、ダビデのために守ってください。『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』と言われたことを。 8:26 今、イスラエルの神よ。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたおことばが堅く立てられますように。 8:27 それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。 8:28 あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、今日、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。 8:29 そして、この宮、すなわち『わたしの名をそこに置く』とあなたが言われたこの場所に、夜も昼も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向かってささげる祈りを聞いてください。 8:30 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたの御住まいの場所、天においてこれを聞いてください。聞いて、お赦しください。    キリスト教にとって、お祈りは他の宗教の祈のように単なる宗教的行為以上の意味を持ちます。その祈りは私たちが欲しいものを求めるだけでなく、約束されたものを受けるために捧げる神の子たちの特権であるからです。  今日の箇所に記されているソロモンのお祈りには、一つの特徴があります。それは神様の約束に基づいた祈り、神様の御言葉に基づいたお祈りであるということです。このようなお祈りが聖書的な祈り、知恵あるお祈りでしょう。私たちのお祈りもこのような知恵あるお祈りにならなければなりません。  神様の約束に基づいた祈りというものが、まるで私たちの自由なお祈りを制限するように感じられるかもしれません。しかし、決してそうではありません。私たちに向けた神様の約束が単なる裁きからの救いの約束だけであるのではなく、私たちの全生涯にわたって与えられる神様の恵も含まれているためです。  とは言え、何でも求めることが正しいお祈りになるということではありません。私たちのお祈りは徹底的に聖書的でなければなりません。自分のお祈りを振り返り、絶えず自分が捧げたお祈りが聖書の教えと一致しているかを常に振り返ってみなければなりません。  今日のソロモンのお祈りは、徹底的に与えられた約束に基づいて捧げられました。あまりにも徹底で、硬くまで感じてしまいます。しかし、このお祈りはソロモンが捧げられたお祈りの中で最善のお祈りであると思います。ソロモンが受けた約束の内容と神様に対する賛美がお祈りの中で調和を成しているためです。  しかし、私たちのお祈りはソロモンの祈りよりも様々なことを求め、様々な表現で神様を賛美することができるでしょう。ソロモンの以後にも神様は預言者たちやイエス·キリストを通して私たちに多くの約束を与え、ご自身がどのようなお方であるかをより明確に知らせてくださったためです。  私たちの日々の中でも、ソロモンのように知恵あるお祈りを捧げ、信実な神様から約束されたことを受けて享受する、その神様に私たちの心を表すお祈りが絶えず捧げられることを願います。 https://youtu.be/UB9rZKw7s1M?si=oTQ–NXFAKBu_xPj

열왕기상 묵상 【지혜로운 기도】 20240420(토) 최종석 전도사

열왕기상 8:22-30 8:22 솔로몬이 여호와의 제단 앞에서 이스라엘의 온 회중과 마주서서 하늘을 향하여 손을 펴고 8:23 이르되 이스라엘의 하나님 여호와여 위로 하늘과 아래로 땅에 주와 같은 신이 없나이다 주께서는 온 마음으로 주의 앞에서 행하는 종들에게 언약을 지키시고 은혜를 베푸시나이다 8:24 주께서 주의 종 내 아버지 다윗에게 하신 말씀을 지키사 주의 입으로 말씀하신 것을 손으로 이루심이…

I 列王記 【過程と結果】 20240419(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 8:12-21 8:12 そのとき、ソロモンは言った。「主は、黒雲の中に住む、と言われました。 8:13 私は、あなたの御住まいである家を、確かに建てました。御座がとこしえに据えられる場所を。」 8:14 それから王は振り向いて、イスラエルの全会衆を祝福した。イスラエルの全会衆は起立していた。 8:15 彼は言った。「イスラエルの神、主がほめたたえられますように。主は御口をもって私の父ダビデに語り、御手をもってこれを成し遂げて、こう言われた。 8:16 『わたしの民イスラエルをエジプトから導き出した日からこのかた、わたしは、わたしの名を置く家を建てるために、イスラエルの全部族のうちのどの町も選ばなかった。わたしはダビデを選び、わたしの民イスラエルの上に立てた。』 8:17 それで私の父ダビデの心にはいつも、イスラエルの神、主の御名のために家を建てたいという思いがあった。 8:18 ところが主は、私の父ダビデにこう言われた。『あなたの心にはいつも、わたしの名のために家を建てたいという思いがあった。その思いがあなたの心にあったことは、良いことである。 8:19 しかし、あなたはその家を建ててはならない。あなたの腰から生まれ出るあなたの子が、わたしの名のために家を建てるのだ。』 8:20 主はお告げになった約束を果たされたので、私は主の約束どおりに父ダビデに代わって立ち、イスラエルの王座に就いた。そしてイスラエルの神、主の御名のためにこの家を建て、 8:21 主の契約が納められている箱のために、そこに場所を設けた。その契約は、主が私たちの先祖をエジプトの地から導き出されたときに、彼らと結ばれたものである。」    結果より過程が大事だという言葉が人々の心に響く慰めの言葉のように扱われるほど、今の時代は過程より結果が大事にされている時代です。とは言え、私たちにとって大事ことが過程だけであるのではありません。当然、私たちは誠実な過程を経て、その結果を見なければなりません。  神様の神殿の建築を望んでいたダビデに引き継いで、ソロモンがその神殿を完成させました。私たちがよく知っている通り、神様がダビデが神殿を建築することを許さず、ソロモンがその神殿を建築するようにされたためです。  その過程で神様はダビデのその心を良いことだと言われ、喜びました。しかし、ダビデを通しては神殿を受けず、ソロモンを通して受けられただけです。だとすると、ダビデは過程だけを経て結果を見ることはできなかった人なのでしょうか?  そうではありません。彼が見た結果が神殿を自分が建築せずに次の世代に引き継いだだけで、ダビデは明確に自分の誠実な過程に対する結果を受けました。そしてその結果に従い、神殿を建てるための準備に誠実に臨みました。  キリスト者が過程が結果より大事だと言うことは確かに良い意味を持っています。私たちの結果がどうであれ、その過程に臨んだ私たちの心を神様は全て知っておられ、私たちの外見ではなく心を見る方が神様であるからです。しかし、過程が結果よりも大事と言われることが聖書的なのかという質問には、少し疑問ができるでしょう。神様は私たちのその過程を通して、神様の結果を見せてくださる方であるからです。  その結果を通して、神様は私たちを叱ったり、慰めたり、褒めてくださったりされます。しかし、私たちが過程だけを見て、結果を軽んずるならば、それは神様が私たちに伝えようとする言葉を振り向かずに、その過程を過ぎてきた自らが叱り、慰め、誉めることになってしまうでしょう。当然、結果だけを重視し、過程を軽んずることも同じです。そのため、私たちは過程と結果の間の良いバランスを取らなければならないでしょう。  ダビデが神殿を建築することが許されなかった時の感情について、聖書は詳しく語っていません。しかし、私たち各自がダビデの感情を予想してみることくらいは許されると思います。私たちは聖書を通して彼の生涯の中で彼の過程に妥当な結果を受けることも、受けないことも、過程に比べて大きな結果を受けることも見て、その以後の彼の行いについても見ているためです。  私たちが言う結果を出すという言葉は矛盾だと思います。私たちが結果を出しても、そうではなくても私たちの過程の結果は訪れます。ただし、その結果を受け入れることができるかどうかの問題に過ぎません。しかし、私たちが満足できない結果だとしても、私たちはその結果を見なければなりません。細かく調べてみなければなりません。その結果という包装の中には神様のメッセージという中身が包まれているからです。https://youtu.be/RCudJn-zWJs?si=FbTU_RGQMYpxQb-k

열왕기상 묵상 【과정과 결과】 20240419(금) 최종석 전도사

열왕기상 8:12-21 8:12 그 때에 솔로몬이 이르되 여호와께서 캄캄한 데 계시겠다 말씀하셨사오나 8:13 내가 참으로 주를 위하여 계실 성전을 건축하였사오니 주께서 영원히 계실 처소로소이다 하고 8:14 얼굴을 돌이켜 이스라엘의 온 회중을 위하여 축복하니 그 때에 이스라엘의 온 회중이 서 있더라 8:15 왕이 이르되 이스라엘의 하나님 여호와를 송축할지로다 여호와께서 그의 입으로 내 아버지 다윗에게 말씀하신 것을…

Ⅰ列王記 黙想 【神様の引っ越】 20240418(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 8:1~118:1 それからソロモンは、イスラエルの長老たち、および、イスラエルの部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上げるためであった。8:2 イスラエルのすべての人々は、エタニムの月、すなわち第七の新月の祭りにソロモン王のもとに集まった。8:3 イスラエルの長老全員が到着すると、祭司たちは箱を担ぎ、8:4 主の箱と、会見の天幕と、天幕にあったすべての聖なる用具を運び上げた。これらの物を祭司たちとレビ人たちが運び上げた。8:5 ソロモン王と、王のところに集まったイスラエルの全会衆は、ともに箱の前に行き、羊や牛をいけにえとして献げた。その数はあまりにも多く、数えることも調べることもできなかった。8:6 祭司たちは、主の契約の箱を、定められた場所、すなわち神殿の内殿である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。8:7 ケルビムは、箱の一定の場所の上に翼を広げるのである。こうしてケルビムは箱とその担ぎ棒を上からおおった。8:8 その担ぎ棒は長かったので、棒の先が内殿の前の聖所からは見えていたが、外からは見えなかった。それは今日までそこにある。8:9 箱の中には、二枚の石の板のほかには何も入っていなかった。これは、イスラエルの子らがエジプトの地から出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれた際に、モーセがホレブでそこに納めたものである。8:10 祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。8:11 祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。   神殿が完成され、契約の箱が聖所に運び上げられます。士師時代から契約の箱が移動した履歴が分かるなら、契約の箱が移動するという話を聞くと、はらはらします。サムエルがまだ幼い頃、大祭司エリの不良の子らがペリシテとの戦争に契約の箱をお守りのように持ち出し、死んでしまいます。ペリシテの地に入った契約の箱は行く先々で呪いをかけ、多くの人々が死にます。契約の箱を覗き見ていた人々も死に、契約の箱が揺れた時にそれを手で掴もうとした人も死にました。ダビデがその契約の箱が戻ってくることを喜んで踊った時、それを嘲笑ってミカルも懲罰を受けました。   ペリシテの神殿にいる時にも、ベテ・シェメシュに行く牛車の中でも、アビナダブの家でも、契約の箱は神様のみことばです。神殿が華麗で大きいからといって、神様が栄光を受けることではなく、神様がすでにダビデに許したことですから、権威が与えられ、神様の栄光が臨まれtらのです。ソロモンが一千礼拝の後に知恵を求め、富と名誉が与えられましたが、それは実は上位の約束の中にある下位の約束です。上位の約束はサムエル下の7章にあります。神殿を建てるというダビデに神様が王位と繁栄を約束されました。「あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。7:12,13」   しかし、それは神様がダビデの心を喜んだだけで、神様が神殿を求められたわけではありません。神殿を建てて、ささげるというのはダビデの思いに過ぎません。使徒の働きはこう語ります。「そして、ソロモンが神のために家を建てました。しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。『天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。──主のことば──わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。これらすべては、わたしの手が造ったものではないか。』7:47-50」神様が限られた空間に入って来られるなら、それは人間と会うためです。イエス·キリストが受肉してて馬小屋に生まれたのは、神様が人の時間と空間の中に入られたことであり、神様がソロモン神殿に臨んだのも同じ動機です。   神様の御子が受肉して時空間の中に入られたのは愛でなければ説明できません。C.S.ルイスは受肉についてこうたとえました。「神様と人間は、まるでシェイクスピアとハムレットの関係のようだ。ハムレットがシェイクスピアについて何を知ることができるだろうか?」 作品に登場する人物がそれを創造した作家をどのようにして知ることができますか?受肉は、シェイクスピアが自分の書いたハムレットという作品に登場するようなものです。 神様は自分が創造した時間と空間の中に入られました。神様がいい部屋に引っ越したのではなく、無所不在の神様が人間の礼拝を受けるために、すなわち人間と交わるために空間の中に入って来られたことです。人間は真心をもって神殿を建て、神様は愛をもって臨まれました。そのため、ソロモン神殿には輝かしい栄光がありました。

열왕기상 묵상 【하나님의 이사】 20240418(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 8:1~118:1 이에 솔로몬이 여호와의 언약궤를 다윗성 곧 시온에서 메어 올리고자 하여 이스라엘 장로와 모든 지파의 두목 곧 이스라엘 자손의 족장들을 예루살렘 자기에게로 소집하니8:2 이스라엘 모든 사람이 다 에다님월 곧 칠월 절기에 솔로몬왕에게 모이고8:3 이스라엘 장로들이 다 이르매 제사장들이 궤를 메니라8:4 여호와의 궤와 회막과 성막 안의 모든 거룩한 기구들을 메고 올라가되 제사장과 레위 사람이 그것들을…